お盆に こんにちは~
ようこそ わが planetへ~
お墓参りの記事をアップしたあと 久しぶりに昔の古傷を痛め ずっと 寝てました~。
例の 椎間板症をわずらったのと同じ場所。救急で病院に出かけるほどでもない。
あとは今まで経験したことのない部位の頭痛。( 右目の奥 )
痛みは あちこちを移動し現在に至る。
さて 寝たり起きたりして過ごしたこの数日間にみたTV( 戦争関連 )は・・・
1、永遠のゼロ ( 岡田君の主演のもの )
2、千の証言 (= 10年前の再放送 )
3、ぺりりュー島の中川洲●( 男さん?だっけ?。確か おじいさんは西郷隆盛 関連の方の方 )。そのお話 ( 弱い者の味方になるように。。。みたいな生き方 )
4、千の証言 ( 今年のもの )
アメリカの戦闘機で東京などを爆撃したお爺さん( アメリカ人 )とそのお孫さん(日・米のハーフ)との対談。
瀬戸内寂聴さんのお母さんの最期 ( 足が悪くて動けない父親をかばい、防空壕で共に迎えた最期だったらしい。)
ヒロシマの 路面電車を原爆投下3日目にして市内を運転した女学生の話
ぺリリュウ島で生き残った日本兵士を 丸腰で迎えたアメリカの兵士とその日本兵との再会
沖縄戦で家族全員を失った 7歳の少女が白旗を掲げて歩く、写真と映像
どれもこれも切なくてねぇ。
特に 白旗の少女
・・・ 沖縄戦では兵隊さんが足りないので おじいさんや少年も部隊に加わった。アメリカは無差別に一般人も攻撃をしていったので、ほらあな( 何と言う呼び名だったかな?)に逃げこんでも火炎放射機で丸ごと焼かれたらしい。
白旗の少女の話はとても印象的で、
その少女は、一人歩き 歩いて行きついたほらあなで、あかの他人のおじいさんとおばあさんに出会った。そのおじいさんとおばあさんは、色々と親切にしてくれて、食べ物をくださった。
いよいよ敵が迫ってきた時に、両手 両足を負傷していて動けなくなっていたそのおじいさんは、目の見えないおばあさんに、自分のふんどしを取り、三角にさいて 白旗をつくるように!といった。。
そのおばあさんは見えない目で 手探りで一生懸命 三角の白旗を作る。
おじさんは言う。( ここうまく表現できないので そのうちユーチューブにアップされたら 見て下さい。 )
「 いのちは おじいさんやおばあさんから、おとうさんやおかあさんへ そして あなたへと受け継がれたものだ。これから、つらいことがあっても 頑張っていきるんだよ。」
「 この白旗( =おじいさんの三角のふんどし )は 世界共通に認められた 平和の証だから これを持って行きなさい。いいかい、決して引きずって歩いてはいけないよ。堂々と この白旗を掲げて 歩いて行きなさい。」・・・( みたいなお言葉 )
そして この7歳の少女は おじいさんの言ったとおりに 木の枝にそれをくくりつけて、掲げ 歩いていくのだ。
沖縄のひとの 言葉はとても柔らかい。淡々と話すその少女の70年後の姿に
幾多の哀しみを乗り越えてきた 強さと、優しさと、穏やかさを感じる。
ちょっとくらいの 痛みで へこたれている自分を省みると う~~~んと恥ずかしい。
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陸軍の軍人であった父が、晩年 自分のふんどしを自分で洗って物干し竿に干していたのを思いだす。
父は 満州・支那 と かなりの広範囲にわたって 行軍したように聞いているが 軍人の恩給はいただけていない。
もっとも軍人らしい 軍人であったト思うのだが・・・。
しかも 国民年金さえも、なぜか、「 国の厄介にはならない。」といってかけさせなかったから 残された母は、国民年金を( きっちりとは?)もらっていない。
ワタシがサラリーマンの奥さんになった時に、
「 年金だけはかけちょきんさい。わしが(=私が)払っちゃげるけえ。」と言われ、そして、払っていただいたのを思いだす。
( 何重にも 情けなく 恥ずかしい思いだ。)姉さんにも頭があがらない。
少なくとも ただいまは、
今ある ワタクシの状況、(=平和をいただいているワタクシ )を有り難く感謝し、小さい事からでいいからできることをやろう!
そうだな~ まずは、朝のウオーキング これが健康への第一歩になると思う。
健康を得る。 そして そこから プラス アルファ―、なにがしかの行動を起こせばいいんじゃあないだろうか?と思った。
戦争を語ってくださって ありがとうございました。 いただいている いのちを 大切に生きます。