本日は 亡き恩師の 20年目の命日です。
児言態の仲間のたぬきちとお墓参りにいく行かないで ずい分 迷ったけれど結局のところ 行くのを取りやめた。
私個人としては 何だろう?
ただいまは 勝手に 部外者・落ち武者であると認識しているのだし・気力や体力( 主に気力 )低下、などなどの理由で 行くのをやめた。
誰のせい ってわけじゃあないのだけれど、たぬきちが行くんだったら 行こうかな~と思っていたのも事実だが・・・。
主として女性たちの 団体さんでうろうろ的な、金魚のふんみたいにくっついて行動している人達が一番嫌いだったのに、( たぬきちが行くんだったら・・・) というような選択をしている自分に驚いてもいるんだ。
それとともに もうひとつ理由はある。お墓の中にいらっしゃるもうお一方のことを考えると胸が痛むのだ。
( な~~~んだ 結構 だらしないじゃん )
たとえお墓に参らなくたって 自分がそのひとに想いを馳せるとき そのひとは必ず我とともにあるのだ。という考え方を今はしているのでまあ 良しとしよう。
で 今日もたぬきちとメールをしていて ちょっと心を動かされた。
たった 一人のひとのために 本日のつたない記事をUPすることもいいんじゃあないだろうか?と思ったんだ。
つたない っていっても それは過去の自分がつたなく不甲斐ないだけで、上原先生のお言葉は 何十年たとうとも 確かにその通りであると思うのだけれど・・・。
恩師の20年目の命日に まあ ちょっとした思いつきだけどUPさせていただこうと思うのだ。
この 数日間のあいだに恩師に言われた言葉を思いだした。
前後が流れがまるで思いだせないのだけれど・・・
『 君は 一人で やっていなさい。』
ん~~~ん。なんだったかな~???思いだせない。 だけど・・・ま、いいや、そのうち大事なことがらであれば 思いだすでしょう。。。
これは S57年 12月 17日に 私が 6年生の授業をした時の教材である。
テーマは「 素直なこころを育てる。」そこを目指していたように記憶している。
教材に何を使うのか? 何ヶ月かかけて検討をしたけれど、最終的にはこの童話を恩師が選択してくれた。
「 人間の行為を決定させるものは何か?」という副題がついている。
++++++あとかくしの雪++++++
あるところに、なんともかとも貧乏な百姓がひとり、住んでおった。
ある冬の日のもう暗くなったころに、ひとりの旅びとが、とぼりとぼり雪の上をあゆんできて、
「 どうだろうか、おらをひとばん、とめてくれるわけにはいくまいか 」というた。
百姓は、じぶんの食べるもんもろくにないぐらいのもんだったが、
「 ああ、ええとも。おらとこは貧乏でなんにもないが、まあ、とまってくれ 」というと、
旅びとは、
「 そうか、それはありがたい。おら、なんにもいらんぞ 」というて、うちにあがった。
けれどもこの百姓は、なにしろなんともかともびんぼうで、何をひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない。それで、しかたがない、晩になってから、となりの大きないえの、大根をかこうてあるところから大根を一本ぬすんできて、大根やきをして旅びとに食わしてやった。
旅びとは、なにしろ寒い晩だったから、うまいうまいとしんからうまそうにしながら、その大根やきを食うた。
その晩さらさらと雪はふってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、あゆむあとからのように、すうっとみんな消えてしもうたと。
>写真は 2013年 Bさまの成人式の日の写真だと思う。この日、Bさまはどこにも行かず、自宅でゆっくりと過ごした。雪は夜にはかなり積もった。
下につづく 順番をいれかえました。