それはお仏壇の中の位牌、じっちゃん(=主人の父)のおとうさんのもの、亡くなった日付をもう一度この目で確かめた。間違っていてはいけないからね。(多分大丈夫だと思う)
実は●●家にはちょっとした因縁話があって、あるときじっちゃんがハタと、あることに気づいたんだ。つまりそれは●●家では代々親戚の長女が亡くなっているということだった。
長女が皆19歳で亡くなっていたんだ。それでじっちゃんは●●家御用達の霊能者のH先生(=おそばやのおじいちゃん・他界)のところに相談に行った。そしてわかったことは、8代前?だかに、闇から闇に葬られた人がいてその人の祟りだというんだ。
当時の●●家は随分大きな商売をやっていたらしく、そのときにはやり病にかかった女性(娘?)がいてご近所の手前、このことをどうやら隠して秘かに葬った、その人の念だということだった。
だからお寺に行けばその位牌があるはずだから、それをさがして供養するようにということを言われた。じっちゃんは慌てて、すっとんで田舎にでかけ、本当にその位牌を見つけ、ご供養をしてくれたんだ。それは長い長い戒名のつけられた位牌だった。当時相当なお金もちだったのだろうと思われる。
その頃ジャパンはまだ小さかったし、私も若かったので、この話はさほど重く家族のものに受け入れられたわけではなかったけれど、私はじっちゃんに、とっても感謝をしたんだ。
マンマミーヤが生まれた時、私は一つ気づいたことがあった。それは誕生日がその長い戒名の方がお亡くなりになった日付と全く同じだったということ、そしてこの度、私が確認したのは、じっちゃんが3歳のとき、木から落っこちて亡くなったとかいうじっちゃんの父親の亡くなった命日も同じ日だったということだった。
つまり マンマミーヤの誕生日は、じっちゃんの父親と、闇から闇に葬られた方との命日だったんだ。
まあ それは 1/ 365 の確率なわけで たまたまっていえば たまたまだけどね・・・。
私は人が亡くなるときに一番大切なことは、「 よかったわ、この人生~。皆 ありがとうね~~!」って言って亡くなることができることだと思っている。病気でなくなる事が大半だろうからそれが可能かどうかわからないけれど・・・。
少なくともこの世に未練だの怨念だの残して行った日には自分も浮かばれないし、子孫にも影響を及ぼすんだと思う。
だから子供達にはくれぐれも言ってあるんだ、
「お母さんが、三途の川を渡るときに、この世の思いだけで『おかあさ~~ん。行かないで~』なんて呼び返すんじゃあないよって」
実際 家族が、引き止めて 引き止めて 返って苦しそうな死に顔になったり死体(生命維持装置で土気色に変色したらしい)になった人の話を聞いているんだよね。人の情としてはわからなくもないけれど・・・。
よくエハラさんが浮かばれない霊をあの世に送るとかいうことをやっているけれど、そういうことが出来る人って確かにいるんだと思う。
出雲で出会った神主さんは、「最近は引導を渡せるお坊さんが少なくなった。」みたいなことをおっしゃってらしたけれど、毎晩お酒を飲んだり、高級外車のりまわしているような坊さんだけにはお葬式上げてほしくないわね。
霊能者のH先生がおっしゃっていらしたことは、枕経の間、この間に自分のメッセージを亡くなった人に伝えるといい、ということ。
お経には不思議は力があるみたいで、亡くなった人に、このお経が唱えられている間はどうやらメッセージを届けることができるらしい。
>こういった因縁話は恐らくどこの家系にもあることで、よく占いのお友達のふうちゃんとも話すんだ、
「自分の先祖をずう~~っとたどっていけば、自殺者もいれば殺人者もいるよね」って。自分の家系だけが清廉潔白、悪いことなんぞ一つもやってません、なんてことありえないし。って。
自分ただ一人を考えてみたってこれまでいろいろ悪いことやってしまったよな。って思う。まあ そんなことを繰り返しつつ ごめんね。っていいながら、またありがとね!って言いながらこの先も生きていくしかないよな。
>写真は出雲大社 境内にある祠。四体ほど神様が祀られてます。気づかずに犯している罪や穢れを祓ってくださるらしい。
「ありがとう ございます。」
どうぞ あなた様もよろしければ、お参りください。???