数少ない友の病気が気になって、
いつもの悪い癖・・・眠れないはマックス状態です。
友は逆に私を案じて、「後悔と自虐は習慣になるからやめましょう」と
いつも口をすっぱくして言ってくれる。
いつかもこのブログ上に書いたのだけど、
私は友人が少ない。そしてその少なさがちょうどいい塩梅ときている。
私を慕って訪れてくれる人は少なくない←これは見栄を張って言っている(笑)
私がでかけてまで会いたい友人は、全く少ない。
物心ついた時から、私は乳母日傘というのか、外に出ることが稀だった。
幼い頃の友人は、皆無。
せいぜい先日偶然再会した高校時代の友人が最古参といえる。
今少ないが友と言える人は、十分齢を重ねたあと、何かのご縁で導かれ、
ずっと続いている珠玉の、といっていい友です。
一緒にお茶しよう、というほど互いの居住地は近くないので、
近況報告は、主として電話。メールは短文で非常連絡手段。
友は、病を抱えている。
どちらも容易に治る病ではない。進行が免れない。
二人とも、驚くほど、生きることを楽しんでいる。
身体に迫り来る不自由さを気にしないようにして、
一人は、ついこの前まで企業で働く人だった。
旅とお酒と人間の好きな人なので、
痛さと付き合って、上手に動きまわってきた。
日本海の幸と温泉と、そして私を叱咤しに、
隔年ほどに私を訪ねてきてくれたが、最近は、
健康な私が、出かけたついでにターミナル駅で会う がそれも間遠に。
もう一人の人とも もっともっと話したり、共通の時を過ごして、
老境の青春を謳歌したい
とそう思うけれど、本人の身体の具合が今は一番関心事。
当人は、いわゆるオールマイティの人だから、
あちこちで、あてにされる、何か引き受けたらパーフェクトに
やりこなす 身体の不具合と向き合いながら、幹事長みたいな役割を
華麗にやりのけられることを 私には見えなくても手に取るようにわかっているつもり。
そして、何よりもそれを願っている。
ずっとずっと、私はこの人たちにお世話になるばかりだった。
お返しできること・・・それを考えても考えても わからない。
祈ることだけ。
日々が身体の条件の許す範囲内で、明るく楽しく望ましい時間であることを。
人一倍タフで私を叱り飛ばしてくれていたこの人たちは、気持ちの上では今も変わらない。
実際のところ、そう思い続けるのでいいのではないか、、、と書いているうちに思えてきた。
何も変わってはいないのだ。
私には、大切な人たち、が、いてくれる。
以前のように気楽に次はいつ会おうか、ともちかけられないけれど、
あの人だったら、どう答えてくれるだろう、どんな考えを示してくれるだろう、
そう心の中で思っていることはきっと無限に可能だ。
ただ、ただ、病気の進行が少しでもゆっくりで、不具合が大きくならないことを、
そして医学がもっともっと身近に効力を発揮してくれることを願う。
気楽に
「またきたよ~~」とこれから先も何十回も来てくれるだろう、と決め込んでいた陋屋に
友を迎えることは、あまり期待できないかもしれないけれど、
友を思って そこに友を迎えるつもりで ありあわせの材料で花を活けた。
「病を得た友の今後の活躍を願う」それが私の生きる道、エンドレスの応援を送ろう、と思ったらやっと眠れそうな気がしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/be/e09fab2da480b8a7357689003e186b31.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a8/547c61e50e8d2cdad13db3f54d2c4fdd.jpg)
いつもの悪い癖・・・眠れないはマックス状態です。
友は逆に私を案じて、「後悔と自虐は習慣になるからやめましょう」と
いつも口をすっぱくして言ってくれる。
いつかもこのブログ上に書いたのだけど、
私は友人が少ない。そしてその少なさがちょうどいい塩梅ときている。
私を慕って訪れてくれる人は少なくない←これは見栄を張って言っている(笑)
私がでかけてまで会いたい友人は、全く少ない。
物心ついた時から、私は乳母日傘というのか、外に出ることが稀だった。
幼い頃の友人は、皆無。
せいぜい先日偶然再会した高校時代の友人が最古参といえる。
今少ないが友と言える人は、十分齢を重ねたあと、何かのご縁で導かれ、
ずっと続いている珠玉の、といっていい友です。
一緒にお茶しよう、というほど互いの居住地は近くないので、
近況報告は、主として電話。メールは短文で非常連絡手段。
友は、病を抱えている。
どちらも容易に治る病ではない。進行が免れない。
二人とも、驚くほど、生きることを楽しんでいる。
身体に迫り来る不自由さを気にしないようにして、
一人は、ついこの前まで企業で働く人だった。
旅とお酒と人間の好きな人なので、
痛さと付き合って、上手に動きまわってきた。
日本海の幸と温泉と、そして私を叱咤しに、
隔年ほどに私を訪ねてきてくれたが、最近は、
健康な私が、出かけたついでにターミナル駅で会う がそれも間遠に。
もう一人の人とも もっともっと話したり、共通の時を過ごして、
老境の青春を謳歌したい
とそう思うけれど、本人の身体の具合が今は一番関心事。
当人は、いわゆるオールマイティの人だから、
あちこちで、あてにされる、何か引き受けたらパーフェクトに
やりこなす 身体の不具合と向き合いながら、幹事長みたいな役割を
華麗にやりのけられることを 私には見えなくても手に取るようにわかっているつもり。
そして、何よりもそれを願っている。
ずっとずっと、私はこの人たちにお世話になるばかりだった。
お返しできること・・・それを考えても考えても わからない。
祈ることだけ。
日々が身体の条件の許す範囲内で、明るく楽しく望ましい時間であることを。
人一倍タフで私を叱り飛ばしてくれていたこの人たちは、気持ちの上では今も変わらない。
実際のところ、そう思い続けるのでいいのではないか、、、と書いているうちに思えてきた。
何も変わってはいないのだ。
私には、大切な人たち、が、いてくれる。
以前のように気楽に次はいつ会おうか、ともちかけられないけれど、
あの人だったら、どう答えてくれるだろう、どんな考えを示してくれるだろう、
そう心の中で思っていることはきっと無限に可能だ。
ただ、ただ、病気の進行が少しでもゆっくりで、不具合が大きくならないことを、
そして医学がもっともっと身近に効力を発揮してくれることを願う。
気楽に
「またきたよ~~」とこれから先も何十回も来てくれるだろう、と決め込んでいた陋屋に
友を迎えることは、あまり期待できないかもしれないけれど、
友を思って そこに友を迎えるつもりで ありあわせの材料で花を活けた。
「病を得た友の今後の活躍を願う」それが私の生きる道、エンドレスの応援を送ろう、と思ったらやっと眠れそうな気がしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/be/e09fab2da480b8a7357689003e186b31.jpg)
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