最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

例の事件について、ネット検索はしていません。

2019-09-07 01:55:19 | 日記
時間、日にちが経つと、大事件と受け止めていたはずのことも、
重要性を失ってくる。
もしかしたら、頭が弱くなり、記憶力というより、感受性が鈍くなっているのかもしれない。
恥ずかしながら、あくまできれいごととして自分の言動を振り返ってみると、
あんまり、執着心がない、楽天的、許せる(自分については、相当甘い、そして他人のこともあまり怒りとか憎悪を増幅させたくない、できるだけ穏便にことを澄まして、争い事は避けたい)と、いかにも善人然ととらえている。

嫌なことは忘れることで済ませてきた。
それは真の解決ではないのだけれど、にせの解決法としては効力がある。
にせであっても、それで煩悶が消えるのなら、十分だとも思う。

またまたオーバーな思わせぶりな語調で書き始めてしまった。

タイトルに示したように、世間でこんな事件にどう対応しているのかは、ネット検索までする気になれなかった。きっと他にもこんなことは起こり得るのだろう。日常茶飯事ではないのだけれど。。。

お盆は当地では旧盆なので8月中旬の、とある日、帰省中のムスコ夫婦も同行して墓参にでかけた。少し遠隔地なので、あまり足しげく行けない私の実両親の墓地は、前日から逗留した温泉から割合近かったので、ますぞこへ。日頃の不行跡を両親に詫びてその割には、さっさと、墓参行事を済ませたのを覚えている。

高速を使って第二は私の嫁ぎ先の先祖伝来の墓参。檀家をたくさん持つ大きなお寺、真宗だ。私が嫁してからの仏事は、義父の葬儀、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌 義母は葬儀、四十九日、一周忌、三回忌とこの本寺のご住職さまとそれに君臨?する小寺からも2名、そして毎月二回義両親のそれぞれの月忌参りをお願いしているお寺(これも相当由緒正しいお寺)のお住職さまと最低4人多い時で6人お坊さまをお呼びしてきた。
お寺と特に親しいお付き合いをしているわけではない。

第三は市内に戻って もうひとつのご先祖の眠るお墓へのお参り。地元の名刹である。
そこに私たちは、30年くらい前に墓地を確保した。墓地は不動産ではないので、永代使用料とかなんとかという名目でお借り というか、居座らさせてもらうわけだ。
その時は、土地神話のまかり通る時代のせいもあったのか、自分たちが求めたマイホームの5坪分くらいの対価で求めることができた。実際の広さはその半分くらい?
大きな古い欅の木が墓地の区画のすぐそばに迫っていたので、お寺との合意で一部欅の根っこを切ってもらった。そして、お墓はいずれ第二のところから遷墓するつもりで、とりあえず、コンクリートの基礎うちを業者に頼んだ。
自分たちの墓地はお墓は建っていないけれど、お盆、お彼岸と先祖の墓参の折りに欠かさず、確認しに立ち寄ってきたのだった。

今年のこのお盆で基礎うちしてあるその場所に、全く知らない人が新しくお墓を建立しているのを発見!

お寺はお盆のかきいれどき?で忙しくされていた。
名刹でもあり観光寺でもあるので、ご住職さまをつかまえるのに難儀したが、お寺の事務局の方も尽力くださり、何とか会見が叶った。
先代のご住職さまのときに、契約?というのも不謹慎だが、約束したので、どうやら、今のご住職様への引継ぎができていなかったようだ。
先代が入滅されてもう数年だから猶更、風化してしまってもいたのだろう。

場所をかえて、墓地は確保してくださるという。基礎うちもお寺の方でしてくださるとも。
あとは、石屋さんとの打ち合わせを、ということで、数日前の事件の日を迎えた。

もっともそこまでにも、折角求めた自分たちのそれこそ終の棲家と決めたところが、急に何の前触れもなく突然かわってしまったことへの心の整理?も時間はかかった。
私はもうしかたないし、と諦めが早かったけれど。。。

思いがけなくも、石屋さんとは第二の場所。現在の墓のあるところでお話した。
遷墓というのは、今までのお墓を閉じて土にかえし、新たに別の場所でお墓を建立、その期間のお骨の預かりや、諸手続きは石屋さんがしてくれる、そう理解していた。そして、それが数年後か、あるいはもっとあとか、、、とも。

事態が急変したのは、石屋さんの「この国産の墓石がすばらしいので、これを移動して今度のところ(第三の場所)へ建立しましょう。」の一声だった。
どうやらすぐにでも工事を始めることになりそう。。。

見積もりはもちろん、いただくことにしたものの、これからこそが私たちの未知の分野で、悩みの種は尽きなくなるのかも。

経過報告が長すぎて大事件の臨場感を伝える筆力があえなく消えた。
また続きはそのうち、具体的すぎない程度に報告したい。

ひとつだけ、特記しておきたいのは、お盆の日、事件が発覚した後、お寺の事務室で、ご住職さまとの面談の折りの参加者の顔ぶれ。

私は何も意見もなく、暑いし、疲れていて、参加は遠慮したかった。が、家人の要請でしかたなく同行。
ムスコは積極的だった。断捨離好きの合理的なあの人が、だ。お寺さんにこちらの情報を渡すときに、私はムスコです、私の連絡先も付記しときましょう、と積極的に住所やeメイルアドレスなど記していた。ちょっと思うところがあった(笑)
お嫁ちゃんは、私は疲れたから帰っています、と自分たちのクルマを運転して帰っていった。私たち夫婦とムスコが帰宅したら、ちゃんと家じゅう涼しくしておいてくれ、座敷のど真ん中で眠りこけていたので、お寺での顛末を話したのはその夜のことだった(笑)
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