こんばんは。
先ほど久しぶりにブログへ投稿して、それくらいのことで、
どっぷり疲れて今まで寝ていました。
微熱も咳もたまに感じる息苦しさというか、胸の重みも
全くなくなっているのに、些細なことで疲れを覚えるなんてちょっと情けない。
思い立って、二年だけ続けて書いていたヤフーブログの過去の記録を開けてみました。
ありました。
「九月十七日」というタイトルで確かにございました。
ヤフーブログはいつか、藻屑と化すそうなので、そのまま拙文(本文)とお寄せいただいたコメントをコピーしました。
タイトル 九月十七日
荒れるにまかせている自宅の小さい庭におりたちました。
赤松の植わっている築山のあたりは、ヤブコウジやら吉祥草やらぎぼうしが繁茂していていずれも花や実をつける時期以外ははっぱばかりです。
そんな中に、朽ちかかった竹垣の合間から見えたのが、熨斗蘭の気高い純白の花々でした。
思わず息をのみました。
十五年前の同じ日に、初めてこの花が我が家のこの場所で花をつけました。
その前夜10時半ごろ、実母が息をひきとりました。末期がんでした。緩和病棟で、時々のモルヒネ治療だけ、の70日間でした。
真夜中に実家に戻って、父、長兄たち、次兄たちが大騒ぎをしていろいろ準備にとりかかる中、あ、父と私は終始黙していましたが、とりあえず自宅に私が戻ったのが翌日17日午前6時頃でした。
そしてそこに植えてから10年以上一度も花をつけたことがなかった熨斗蘭がひっそり花をつけたのを見つけたのがその朝でした。
母は70代の終わりごろ終焉を迎えましたが、まだ元気だった60代半ばに拙宅の庭にこの花を根っこをつけて持ち込んで植えていってくれたのです。
もう咲かないのか、と思っていたのに、母が病気との闘い破れて逝ったその翌朝に、草むらの間から花を見せてくれました。
「おかあさん!」とその花に向かって呼びかけていました。
朝露に濡れながら、小一時間ほどしとど涕の私を、母はどこかで見ていたでしょうか。
同じ年の9月15日の夜のことです。
母が急に私に今からお話するね~~とベッドから私の手を探しました。
10分ほどあるいは5分ほどでしょうか、母の話がリアル過ぎて、私は何一つ言葉を発することができませんでした。頷くだけでした。
「よく、人は亡くなったあともあの世から下界の人を見守るっていうけれど、おかあさんをはじめ、あの世に行くとね、ハスの上の露になるの、そこには、地上でいわれる生活も何もなく痛みも苦しみも欲も得もない永遠のただの露、それを眠る、というのよ。私は正直、ぽこちゃんを残してそこに行くのは辛い、ぽこちゃんのことだけがこの世の未練だけど、きっと、ぽこちゃんのことだから、何とか歯を食いしばっておかあさんのいない時間を乗り越えて生きていけると思う。そのときに、これからのぽこちゃんをお母さんが見守っている、なんて思う必要がないわ。もしそうなら、いつも見られていて窮屈でしかたないでしょ。本当におかあさんはもうこの世のことから解き放されて行ってしまうから、それだけは覚えていてね」
熨斗蘭の白い気高いひっそりとした佇まいが母を偲ばせて、母がそこにいるように思えました。
それから数年間毎年熨斗蘭は咲いてくれました。
そしてここ数年、ちっとも咲かなくなっていたのが、今朝、何輪も花をつけているのを見ました。母の写真の前に一輪活けました。
私のごくごく個人的な繰り言ですが、
母の通夜は、9月18日に(こう言っては不遜ですが)盛大にとりおこなわれました。疲れと悲しみとでそこにいるのもやっとだった私ですが、通夜振舞いの宴席の一人としていたところ、知らせがありました。
義父が逝去、母の病室の真上の部屋へ2週間前に救急搬送されてきていたのです。なんと母の二日後、通夜も、葬儀も、同じセレモニーホールの同じ部屋で、おまけに火葬の場所も20幾つもあるのに全く同じところでした。
義父の葬儀の喪主の妻としての立場が優先され、母を心から見送ることができなかったのが心残りです。
昨日は母の命日、そして明日は義父の命日。
そんなに信心深い家風でもない嫁ぎ先ですが、毎月の命日は義父のも義母のもお寺さまのお参りをしていただいています。
対応は私です。お花やお供えを準備して、お寺さまをお迎えして、お参りする、そして終わったら、お寺さまを茶菓でねぎらい、お布施をお出ししてお見送り。
これだけのことですが、自宅ではなく、陋屋の方にお仏壇を置いているために、出向くのが結構一仕事です。
バチアタリのうっかり発言ですね。
実家のお仏壇やら仏像(庭にあります)に父逝去以来一度しかお参りできたことがない私には、義両親没後のこの懇ろな(もちろん、法事や報恩講も丁寧です)扱いが、時々さみしい。
大福のすきだった父、お抹茶が何より好きだった母、せめて仏前にお供えしたい、叶わぬ願いを毎月毎月心の中で憂えています。
実家は空き家、遠くにいる次兄からは合いかぎをもらっていないから、入ることができません。一年に一度くらい後ろ庭が見える場所から仏像を拝むことはあります。
心の中に生き続ける母は、あちらからはもう私のことは見ていないそうですが、熨斗蘭一つで母恋し・・・になるのは、だれもとめられません。
https://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_806.htm
ネットからうまく反映されるといいですが。
.
コメント(7)
先輩!
親というのありがたいものですね。
いま一度家族の繋がりについて考えることが必要と思いました
2018/9/17(月) 午後 6:13疲労困憊オヤジ
.
熨斗蘭を検索させていただきました。
うちの庭にもあるお花で驚きました。名前は知りませんでした。鳥がタネを運んだらしくいつの間にか花を咲かせていました。
ぽこさんがそのお花をお母様だと思われるお気持ちはよく分かります。
私も母がいた施設で頂き、母の亡くなった年に初めて咲いた月下美人を特別な気持ちで大切にしていますから。
以前にも書いておられましたが、次兄様のことおつらいですね。私も同じ兄2人で、今のところはつかず離れずでいます。男兄弟というのはどういう訳か、いろいろとあるお宅が多いようですが。
それよりもご実家に入れないなんて、失礼ながらあまりにも理不尽で哀しいことですね。
家に入れるようにお願いも出来ないのでしょうか?
関係のない私が口を出す失礼をお許し下さいね。
でも、このままでは・・・・・・。
こちらは見ないと仰るお母様ですが、私はご覧になっておられる気がするのですが。
2018/9/17(月) 午後 8:15[ madonna ]
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こんにちは。熨斗蘭のことを知らずに、先ほど検索してみました。すずらんのような可憐な白色、繊細で優しいお花。ぽこさんのお母様もこのような雰囲気の方だったのかしらと想像していました。お亡くなりになった日に初めて花が咲いたとのこと、なんだか不思議な符合に胸がつまりました。人は亡くなったらどこへ行くのか。別の世界がある、ないは人それぞれの考えだと思いますが、その人の「想い」はその人の体温が残るようにずっとこの世にとどまるような気がしています。
2018/9/18(火) 午後 2:56green_green
> 疲労困憊オヤジさん
確か、疲労困憊オヤジさんには、パワフルなおかあさまが、ご健在なのですよね。先日の敬老の日なんて、特にお祝いなどなさらなかったのでは?それでいい、それがいいのです。おかあさまのパワーに存分に応えてあげてくださいね。
2018/9/18(火) 午後 5:58[ ぽこ ]
> madonnaさん
私の心に寄り添って、いえ、すぐおそばにマドンナさまを感じさえするコメントをありがとうございます。
熨斗欄は、マドンナさまのお庭にも咲いていましたか?野に咲く地味な花ですから、この季節うっかりすると気づかずに花をめでることもなくもないです。
母は見ているのでしょうか。
マドンナさまにそう仰っていただくと、そのようにも思えてきます。
不甲斐ない私のこの生くる姿・・・母は喜んでくれるどころか、やきもきしていることでしょう。それこそ、手でも足でも出して手助けしたいのを我慢して。。。
母のいない空爆とした心の穴を一方では、心の軽さに無理やり転じている私なのかもしれません。
そうでなければ、兄たちと一戦も二戦交えてでも、どうしても法事などの仏事を挙行する方向にもっていっているでしょう。
次兄にも宣戦布告して、お仏壇くらいお参りさせてよ、ともいえるはず。狡猾なのは、私なのかもしれません。
2018/9/18(火) 午後 6:11[ ぽこ ]
> green_greenさん
いつも暖かいお気持ちをありがとうございます。
お若いgreen_greenさんに、すっかり甘えさせていただいています。
縁あって出会ったこの世のつながり、命をつないだものもあれば、こうして電脳箱の中での言葉の往来もあります。
真摯に私の言葉を受け止めてくださるgreen_greenさんは、熨斗蘭もさっそくお調べくださったのですね。
この季節、ヤブランといって紫の粒々の野生の蘭もそこここに見られます。
亡き母は、名もなき草花を喜ぶ人でもありました。
その名もグリーンな、green_greenさんと紡ぐ嬉しい人間関係を母はきっとどこかで人知れず喜んでいるのは確かだと思います。
2018/9/18(火) 午後 6:27[ ぽこ ]
霊は 自由に世界を巡っている様な気がします、お母様はポコさんの所へもきっと来ておられます、 合掌
2018/9/19(水) 午後 0:06[ RIN ]
ネットの漠とした空間の中でも、こうして私はみなさまのおかげで、生かされています。
今までも、これからも戴くご厚情に心いっぱいに感謝して、今一度「熨斗蘭」をここにとどめました。
先ほど久しぶりにブログへ投稿して、それくらいのことで、
どっぷり疲れて今まで寝ていました。
微熱も咳もたまに感じる息苦しさというか、胸の重みも
全くなくなっているのに、些細なことで疲れを覚えるなんてちょっと情けない。
思い立って、二年だけ続けて書いていたヤフーブログの過去の記録を開けてみました。
ありました。
「九月十七日」というタイトルで確かにございました。
ヤフーブログはいつか、藻屑と化すそうなので、そのまま拙文(本文)とお寄せいただいたコメントをコピーしました。
タイトル 九月十七日
荒れるにまかせている自宅の小さい庭におりたちました。
赤松の植わっている築山のあたりは、ヤブコウジやら吉祥草やらぎぼうしが繁茂していていずれも花や実をつける時期以外ははっぱばかりです。
そんな中に、朽ちかかった竹垣の合間から見えたのが、熨斗蘭の気高い純白の花々でした。
思わず息をのみました。
十五年前の同じ日に、初めてこの花が我が家のこの場所で花をつけました。
その前夜10時半ごろ、実母が息をひきとりました。末期がんでした。緩和病棟で、時々のモルヒネ治療だけ、の70日間でした。
真夜中に実家に戻って、父、長兄たち、次兄たちが大騒ぎをしていろいろ準備にとりかかる中、あ、父と私は終始黙していましたが、とりあえず自宅に私が戻ったのが翌日17日午前6時頃でした。
そしてそこに植えてから10年以上一度も花をつけたことがなかった熨斗蘭がひっそり花をつけたのを見つけたのがその朝でした。
母は70代の終わりごろ終焉を迎えましたが、まだ元気だった60代半ばに拙宅の庭にこの花を根っこをつけて持ち込んで植えていってくれたのです。
もう咲かないのか、と思っていたのに、母が病気との闘い破れて逝ったその翌朝に、草むらの間から花を見せてくれました。
「おかあさん!」とその花に向かって呼びかけていました。
朝露に濡れながら、小一時間ほどしとど涕の私を、母はどこかで見ていたでしょうか。
同じ年の9月15日の夜のことです。
母が急に私に今からお話するね~~とベッドから私の手を探しました。
10分ほどあるいは5分ほどでしょうか、母の話がリアル過ぎて、私は何一つ言葉を発することができませんでした。頷くだけでした。
「よく、人は亡くなったあともあの世から下界の人を見守るっていうけれど、おかあさんをはじめ、あの世に行くとね、ハスの上の露になるの、そこには、地上でいわれる生活も何もなく痛みも苦しみも欲も得もない永遠のただの露、それを眠る、というのよ。私は正直、ぽこちゃんを残してそこに行くのは辛い、ぽこちゃんのことだけがこの世の未練だけど、きっと、ぽこちゃんのことだから、何とか歯を食いしばっておかあさんのいない時間を乗り越えて生きていけると思う。そのときに、これからのぽこちゃんをお母さんが見守っている、なんて思う必要がないわ。もしそうなら、いつも見られていて窮屈でしかたないでしょ。本当におかあさんはもうこの世のことから解き放されて行ってしまうから、それだけは覚えていてね」
熨斗蘭の白い気高いひっそりとした佇まいが母を偲ばせて、母がそこにいるように思えました。
それから数年間毎年熨斗蘭は咲いてくれました。
そしてここ数年、ちっとも咲かなくなっていたのが、今朝、何輪も花をつけているのを見ました。母の写真の前に一輪活けました。
私のごくごく個人的な繰り言ですが、
母の通夜は、9月18日に(こう言っては不遜ですが)盛大にとりおこなわれました。疲れと悲しみとでそこにいるのもやっとだった私ですが、通夜振舞いの宴席の一人としていたところ、知らせがありました。
義父が逝去、母の病室の真上の部屋へ2週間前に救急搬送されてきていたのです。なんと母の二日後、通夜も、葬儀も、同じセレモニーホールの同じ部屋で、おまけに火葬の場所も20幾つもあるのに全く同じところでした。
義父の葬儀の喪主の妻としての立場が優先され、母を心から見送ることができなかったのが心残りです。
昨日は母の命日、そして明日は義父の命日。
そんなに信心深い家風でもない嫁ぎ先ですが、毎月の命日は義父のも義母のもお寺さまのお参りをしていただいています。
対応は私です。お花やお供えを準備して、お寺さまをお迎えして、お参りする、そして終わったら、お寺さまを茶菓でねぎらい、お布施をお出ししてお見送り。
これだけのことですが、自宅ではなく、陋屋の方にお仏壇を置いているために、出向くのが結構一仕事です。
バチアタリのうっかり発言ですね。
実家のお仏壇やら仏像(庭にあります)に父逝去以来一度しかお参りできたことがない私には、義両親没後のこの懇ろな(もちろん、法事や報恩講も丁寧です)扱いが、時々さみしい。
大福のすきだった父、お抹茶が何より好きだった母、せめて仏前にお供えしたい、叶わぬ願いを毎月毎月心の中で憂えています。
実家は空き家、遠くにいる次兄からは合いかぎをもらっていないから、入ることができません。一年に一度くらい後ろ庭が見える場所から仏像を拝むことはあります。
心の中に生き続ける母は、あちらからはもう私のことは見ていないそうですが、熨斗蘭一つで母恋し・・・になるのは、だれもとめられません。
https://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_806.htm
ネットからうまく反映されるといいですが。
.
コメント(7)
先輩!
親というのありがたいものですね。
いま一度家族の繋がりについて考えることが必要と思いました
2018/9/17(月) 午後 6:13疲労困憊オヤジ
.
熨斗蘭を検索させていただきました。
うちの庭にもあるお花で驚きました。名前は知りませんでした。鳥がタネを運んだらしくいつの間にか花を咲かせていました。
ぽこさんがそのお花をお母様だと思われるお気持ちはよく分かります。
私も母がいた施設で頂き、母の亡くなった年に初めて咲いた月下美人を特別な気持ちで大切にしていますから。
以前にも書いておられましたが、次兄様のことおつらいですね。私も同じ兄2人で、今のところはつかず離れずでいます。男兄弟というのはどういう訳か、いろいろとあるお宅が多いようですが。
それよりもご実家に入れないなんて、失礼ながらあまりにも理不尽で哀しいことですね。
家に入れるようにお願いも出来ないのでしょうか?
関係のない私が口を出す失礼をお許し下さいね。
でも、このままでは・・・・・・。
こちらは見ないと仰るお母様ですが、私はご覧になっておられる気がするのですが。
2018/9/17(月) 午後 8:15[ madonna ]
顔アイコン
こんにちは。熨斗蘭のことを知らずに、先ほど検索してみました。すずらんのような可憐な白色、繊細で優しいお花。ぽこさんのお母様もこのような雰囲気の方だったのかしらと想像していました。お亡くなりになった日に初めて花が咲いたとのこと、なんだか不思議な符合に胸がつまりました。人は亡くなったらどこへ行くのか。別の世界がある、ないは人それぞれの考えだと思いますが、その人の「想い」はその人の体温が残るようにずっとこの世にとどまるような気がしています。
2018/9/18(火) 午後 2:56green_green
> 疲労困憊オヤジさん
確か、疲労困憊オヤジさんには、パワフルなおかあさまが、ご健在なのですよね。先日の敬老の日なんて、特にお祝いなどなさらなかったのでは?それでいい、それがいいのです。おかあさまのパワーに存分に応えてあげてくださいね。
2018/9/18(火) 午後 5:58[ ぽこ ]
> madonnaさん
私の心に寄り添って、いえ、すぐおそばにマドンナさまを感じさえするコメントをありがとうございます。
熨斗欄は、マドンナさまのお庭にも咲いていましたか?野に咲く地味な花ですから、この季節うっかりすると気づかずに花をめでることもなくもないです。
母は見ているのでしょうか。
マドンナさまにそう仰っていただくと、そのようにも思えてきます。
不甲斐ない私のこの生くる姿・・・母は喜んでくれるどころか、やきもきしていることでしょう。それこそ、手でも足でも出して手助けしたいのを我慢して。。。
母のいない空爆とした心の穴を一方では、心の軽さに無理やり転じている私なのかもしれません。
そうでなければ、兄たちと一戦も二戦交えてでも、どうしても法事などの仏事を挙行する方向にもっていっているでしょう。
次兄にも宣戦布告して、お仏壇くらいお参りさせてよ、ともいえるはず。狡猾なのは、私なのかもしれません。
2018/9/18(火) 午後 6:11[ ぽこ ]
> green_greenさん
いつも暖かいお気持ちをありがとうございます。
お若いgreen_greenさんに、すっかり甘えさせていただいています。
縁あって出会ったこの世のつながり、命をつないだものもあれば、こうして電脳箱の中での言葉の往来もあります。
真摯に私の言葉を受け止めてくださるgreen_greenさんは、熨斗蘭もさっそくお調べくださったのですね。
この季節、ヤブランといって紫の粒々の野生の蘭もそこここに見られます。
亡き母は、名もなき草花を喜ぶ人でもありました。
その名もグリーンな、green_greenさんと紡ぐ嬉しい人間関係を母はきっとどこかで人知れず喜んでいるのは確かだと思います。
2018/9/18(火) 午後 6:27[ ぽこ ]
霊は 自由に世界を巡っている様な気がします、お母様はポコさんの所へもきっと来ておられます、 合掌
2018/9/19(水) 午後 0:06[ RIN ]
ネットの漠とした空間の中でも、こうして私はみなさまのおかげで、生かされています。
今までも、これからも戴くご厚情に心いっぱいに感謝して、今一度「熨斗蘭」をここにとどめました。