最終章だけど、、、

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行く年に思うこと【本題】

2021-12-28 19:36:25 | 日記
タイトルから大仰に記しました。
幸いにも年末の寒波が当地に与えた影響はさほどでもなく、家の前の道路は、真っ黒です。雪かきひとつしないで、生活が可能なのは、たぶん1000戸くらいにはなる3つか4つの自治会(町内会)の集まりで、多少市からの助成も、もらっての融雪装置のおかげだろうと改めて思います。
間口の長さによって、あと角家には少し負担を配慮して、各戸の負担した設置費用は、1mあたり1万円くらいだったでしょうか。拙宅は、20万円くらいの割り当てだったように記憶します。維持管理のために年4000円の会費も納めます。
たぶん、30年くらいにはなる融雪装置ですが、二度ほど、井戸の鑿泉を重ねました。そしてこの会の構成戸数が、相当激減しているのでは、と、憂慮されます。先程1000戸くらい?と申しましたが、きっとその2割か3割減は免れないでしょう。私の居住する町内会もかつては300戸だったのが今は200戸近くになっているそうです。。。

こんなどうでもいいことから始めました。
実は多少、関係がなくはない・・・とこじつけましょう。

今年、師走に入って、お香典を持参したお宅が3軒もありました。
11月中に届いた喪中欠礼のはがきで初めて訃報を知ったところへ、あわてて郵送でお香典を送付したのは数件ありました。欠礼はがきは13枚届きました。
今までに比べてその数も多いですし、老親の看取りの結果ではなく、友人知人ご本人の訃報という場面が増えました。

12月の3件のうち2件は、家人の奉職先の後輩と先輩。
後輩は50台で役員としてまだまだ現役で、急逝でした。奥さまが「叶うならもう一日だけ、生き返ってきて私と共に過ごしてほしい」と仰っていた、と家人から聞かされ、私も他人事ではないなあ、と瞬時、共感。
次は家人の先輩にあたる方でした。
最近は家族だけの最後のお別れ、という設定が主流のために、少し日をおいてから、家人がお悔やみに伺ったとき、開口一番、息子さんたちが仰ったのは、「2年前、母に先立たれてからずっと父は元気をなくし、とても見ておれない弱り方でした。」ということだったそうです。奥さまの訃報も知らずにいた家人はびっくりと、がっくりと、促されるままにご仏前に香をたむけるばかりだったそうです。
上記2件以外にも、久しくなかった自宅でのご葬儀など、伺った例がありました。コロナ禍の及ぼす変化ですね。。。。。

さて最後のお別れのことを記します。辛いです。

24日のことでした。思いがけなく、以前、お世話になったご近所のお寺さまから固定電話を受け取った家人。「ええ、その方なら存じています。確かお嬢さんがいらしたはずです。えーーーまさか!すぐにでも伺って最後のご挨拶に行きたいのですが、何時にどこでお通夜でしょうか?」
6親等の関係だと家人は言う遠縁のおじさま には、拙宅の父の法要には十三回忌まで欠かさずご出席いただいている記録がありました。母の方は葬儀のあとの初七日、四十九日、一周忌と皆出席いただいて、三回忌のときは、体調不良で自信がないから、遠慮させてください、と連絡がありました。粗供養と果物など持参して三回忌のあと、私たち二人でご自宅へ伺ってみたのが、4年くらい前です。
その折、「私たちには親戚が少ないので、何かあったら、〇子を助けてね、いろいろ教えてあげてね。お願いだから」としきりに頼まれて、実は、横浜に在住の一人娘さんのことを、手伝わないと、と本気で思ったものです。
その遠縁のおじさま、が96歳で没された、導師を仰せつかったお寺さまが、喪主一人以外、だれもいない別れの場を考えあぐねているうち、家人と故人とがどこかで同席していたのを思い出し、連絡してこられた次第。
何と一人娘の〇子さんは2年くらい前に他界していらして、今回のご葬儀は娘婿である方がひとり、出席して通夜を終えたら翌日葬式、荼毘にふし、すぐに帰京される由。〇子さんの娘といわれる人も通夜の前に辞されて全く娘婿その人だけの最後の別れになる。。。
場所や時間を教えない方がいいように思うと、お寺さまは仰り、家人はしかたなく、礼服を着てご自宅に向かったところ、真っ暗で、通夜や葬儀の案内を示す貼り紙一枚もなかった。

翌日、家人は、もう一度お寺さまに電話して、11時〇〇セレモニーで葬儀を聞き、時間に間に合うようにそこに到着。できたら、故人の奥さま(施設にいらっしゃるからまず、参列は叶わないでしょう、連絡もコロナ禍で不可能、とお寺さまには聞かされていました)に会えないかと、、、
10時半過ぎ到着したのにかかわらず、葬儀は終わっていてもう次の場所に出発して亡骸に会えず。
ところが、そこに、施設の車で帰ろうとしている奥さまとの出会いがあったのは、御仏のご縁といってもいいでしょう。
十分、家人を覚えていてくださり、こうしてお悔やみとお別れとお礼に伺った家人のきもちに感謝してくださったそうです。

ほんの数分遅くても早くても会えなかったセレモニーホール駐車場でのひとこま。施設の方も普通は、こうして他の方との接触は絶対してもらわないのですが・・・と事態をわかってくださり、昨日来、何とも不完全消化状態の今回のお別れの儀式の件が納得できる結果となったというわけでした。

孤独死、その先に逝かねばならない次なる世界に、こんなに独り住まいの多くなった昨今、どんなふうにだれが対処するのだろう、とそれが、今年、私の行く年に惜別の情と共に、少なからぬ緊張と憂えとを覚えさせる事件になったのです。

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