最終章だけど、、、

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「お」から始まる言葉 続き

2022-05-07 23:00:10 | 日記
どうでもいい身内の話がつづきます。
「お」から始まる言葉 第二号の花

「親ばか」ではないと、とてもここまでできない話

GW中は混雑が予想されるから、と四月の下旬に、ムスコが帰省、ではなく、3時間の顔見世興行に来ました。といっても、我が家に来たのではなく、金沢は犀川べりの、とある一軒の宿です。
そこは、一組の客のみ受け入れる和風の落ち着いた家でした。
一階にも二階にも3人は泊まれるベッドルームがあり、二階には絞り丸太の床柱のある立派な続きお座敷もありました。一階のフローリングのリビングダイニングにご一行の主役の彼女が鎮座しておりました。自宅から高速道を使ったとはいえわずか50分で到着した私たち二人は、主役の彼女のお土産をちらつかせて、ご機嫌伺。

ムスコ夫婦の愛犬柴犬女子は、前回は福井まで何とかたどり着けました。今回は少し距離を伸ばして金沢まで。
その宿で一泊してまた自宅に戻る(途中のサービスエリアで何度もドッグランをさせながら)そうです。いくらでも私たちも泊まれる広さはありましたが、主役のおひめさまワンコの環境を損なわないために、夕方6時半に到着、10時には暇乞いをいたしましたとさ。
ムスコの希望で、鱒ずしを4箱、その他お菓子、デザート、握りずしも持参してのつかの間の息子たちとの時間を共有しました。
その間もちろん、話題の主役はおひめさまワンコです。
普段、割合冷静なムスコからついにこの一言が・・・
「うちの子は、悪いけど、ころより器量がいいからね」でした。
ころは、ムスコも可愛がった我が家で13年間愛犬ぶりを発揮した柴犬男子です。
ムスコの親ばかぶりには、脱帽、そしてだからこそこうして世話も厭わずにできるんだ、と納得しました。
帰路への車の中で運転中の家人がポロリと発言。
「どう見たってころのほうが可愛い顔をしていたよね」

「熱烈同感!」満場一致(二人だけの)してから大笑いしました。

「お」から始まる言葉 第三号の花
お次の「お」から始まるのは「男の子の日」正確にはこどもの日なのですが、象徴的なこの画像をお示しします。

別の部屋のは

今更こどもの日を祝うのもそれこそ親ばかの極みですが、こどもの武運長久(現代語ではどういえばいいのでしょうか)を願うのでした。

自分たちも人の子であることを思い起こし、こどもの日の翌日に永眠した夫さんのお母さんのお墓参りに行きました。27年前のことです。

前田利家公の菩提寺である国宝のお寺の一角(お寺の外になります)に仲よく、並んでいる左側におかあさんが眠っています。右側のが拙宅のお墓、私も将来はここに来ます。真ん中のお墓が、少ない親類の中でも大事な家のでしたが、最近続いたご不幸で尋ねる人の不在が気になります。
先日やってきてくれた甥っ子たちもおじいちゃんおばあちゃんの眠る墓前でお参りしていってくれたそうです。遠く離れたこの地に、だれか戻ってくるのか全く今はわかりませんが、期待ももてそうな、、、

以上およそ花束とは無縁の男の子の話の連続でした。親ばかの話題の溺愛の対象はおひめさまワンコでしたが(笑)
今や、いずこも、人の数に負けないくらいのワンコたちです。
あの世のご先祖様には想像もできないペット先進国のこの国ですね。


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「お」から始まる言葉のささやかな花束?

2022-05-07 21:52:30 | 日記
タイトルの中に少々の矛盾を覚えつつ、記してみます。
矛盾の謎解きは後ほど、ということで。

「お」から始まる言葉 第一号の花
五月一日は、私の住む市の年に一度の祭礼です。4百年位前の開町は、前田利長によって行われました。梅鉢が紋になっています。牛もいます。天満宮の系列ですね。
https://www.takaokasekinojinjya.com/
伝統を守って保存されている曳山のお披露目が五月一日のその日のみ。

ですが、、、今年は雨のために市も苦渋の決意のもと、取りやめになりました😱

いつも登場する私のセカンドハウスの陋屋はこの神社のごくごく近くにあります。
五月一日の当日は、人も通れないくらいの人出、神社へのお参りではなく、全国から集まる屋台がお目当てです(笑) 
私もまよたこ、というたこ焼きを買いたいと思っていましたが、たった100歩ほどのその屋台に結局出向くことはありませんでした。その代わりにーーーーーー

何十年ぶりに甥っ子と、その長女ちゃんの来訪を受けるという喜びに出会えました。

福島県白河に住んでいるとばかり思っていた甥っ子一家は、もうだいぶ前から、東京でマンションを購入。甥っ子はいわば、単身赴任の身だとか。週一度、東京の自宅に戻ってそこで飼っているワンコ4匹に会うのが楽しみ(もちろん、家族にも!)4匹のワンコが飼える条件で選んだすまいだそうです。
三人の娘たちのうち、今度同行してくれた長女は、すでに独立して東京の別なところで生活。こっちもワンコ3匹とネコ1匹と人間も一緒らしい(笑)旅行の際はドッグシッターにきてもらうそう。今回は同居の人がお世話中。
次女さんは、東京の自宅から群馬高崎の大学へ通う大学生。美術史を勉強中。三女さんは、高校生。このうちどちらかがコロナに罹り、今回の旅を断念。福島単身赴任の甥っ子と別住まいの長女さんが難を逃れて予定通りの旅にでた、ということらしいです。

甥っ子は夫さんのお兄さん(那須塩原市在住)のご長男。53歳だそうでびっくりしました。かれこれ20年お会いしていませんでした。変わらぬ人柄のよさが嬉しいです。
この方は、実は、小学校2年生くらいのとき、花嫁姿の私のお手ひき・・・嫁ぎ先のお仏壇参りや、式場への入場など?をしてくれた人。今だとリングガールとかいう結婚指輪持ちの役目でしょうかね。。。白無垢姿の痛々しい風情を今でも覚えているそうです。
その当時は夫さんの両親も健在でしたから、最初は横浜から、のちには那須塩原から両親と妹と一緒にお盆やGWに帰省?していました。両親が鬼籍に入ってもう四半世紀以上です。最後に会たのは、両親のどちらかの法事をこちらでした折りでした。その時は、
長女さんも幼く、三女さんはいたかしら?
話は尽きませんでしたが、最後に「こうしてこの家(陋屋のことです)を残して管理してくださっているのを目の当たりにして本当に嬉しい。感謝です」と思いがけない言葉までいただきました。
夫さんのお父上が逝去されてから数年は、空き家状態のまま、月に二度のお寺さまのお参りの日にあわせて、私たちがやってくる そんな状態でした。その後、夫さんの相続にあたり、兄姉の相続分を夫さんが支払うという形で、陋屋存続問題が円満に解決しました(私は経緯は知りませんが)
もし、夫さんが、陋屋を欲しくない、と言っていたら.齢150年近くのこの陋屋は、きっと駐車場か何かと化していたでしょう。18年しか住まわなかったのに、夫さんには懐かしい大切な場所ですし、他の兄姉さんたちにとっては、離れているからよけい大事に思えるふるさとなのでしょう。

甥っ子さんと長女ちゃんは、数時間ゆっくりされて、そのあと、富山でお寿司を食べて帰路に就く、とのことでした。甥っ子ちゃんは、優秀な外科医ですが、仙台の大学医学部を出ているために、医局から派遣されるのは東北地方の病院ばかりで、このままずっと単身赴任になりますね、と犬のいないのだけが寂しいと明るい表情でした。那須塩原は今の赴任先と近いので、時折兄夫婦(両親宅)にも行き、そこのワンコ2匹と遊んでもらうとか、、、

冗長に綴っているうちにこんなに長くなりました。
「お」のつく言葉の花一号は、甥っ子の来訪 でした。第二弾以降はこの後また続きに。
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