心の友、と歯の浮くような言葉しか生じてこないので、敢えて申し上げますが、
心の友ともいうべき、ブログ友さんが先日更新されたブログのタイトルが、「五月のアラカルト」でした。
それはちょうど大相撲の今場所の中日頃、半月分のアラカルトのようでした。
2週間でいくつか話題が心に残って記録できるほどある、それが特別なことでなくても、否、ごく日常茶飯事であれば猶更、記録できるのがすばらしい、というか、露骨に言うと羨ましい。←浅ましい私 (;^_^A汗
それから2,3日過ぎて、ふと、私も書いてみようかしら、と思いつきました。
私の半月分のアラカルトは、もの探しに始まり、もの探しに終わりました。
掃除をしようと、ソファの下に掃除機の管を伸ばしても、ごみ袋一つ分くらいの断捨離ならできるかしら、と特定の箪笥2竿分だけ不用品をチェックしていても、私の心にずっとひっかかっている「暗い部分」が否めなかったのでした。
先月、新年度が始まり、今年は特に指導要綱の大きな改革のために、教科書やそれに付随するものが一新されたので、しかたなく、微力な私も新教材に心にムチ打つ思いで準備をのろのろ始めたこのGWでした。
やがて始まる中間考査のおおよその下準備もありますので、どうせ、どこかへ出かけるわけでもないから、と少し勤勉になろうとしていたのも先月下旬。
ですが、教材のうち、1年のも2年のもどうに不足しているものがあるのです。
確か、生徒さんのも今は渡さないで、中間考査前になったら配布しようと、私が預かった・・・はず。で、掃除していても何かものを移動させていても、いつもそれらの行方を探すことに意識が動いて、その度に手が止まる。
職場の机やロッカーなど、あるいは、自分のメールぽっくす、教科の戸棚やロッカーなど、あるいは、各教室の教卓の中など、ちょっと置いてそのまま置き忘れたのでは、と、出校の折々に見る人が見たら、挙動不審の老婆がもの探しの苦渋を背負っている、さながらそんな感じ。
もの探しの時間は不毛のそれです。
まさしく五月の前半を、それら2種類の教材の行方を求めて、心に蟠りを抱きながら、ひょっとして、あそこじゃないか、もしかして、あのバッグではなかったかしら、と淡い期待とたちまちにそれが泡と帰す虚しさと、で、私は、もう一つ、大きな不安を抱くに至ります。
いよいよ、認知症の発症
なのでは?
不注意この上ないのに、身の程知らずなのは、もののありかをメモしておかないこと。
最後になって、これはお金で解決しよう、と卑怯な方法を実施する決意をしました。すなわち、職場に出入りしている本屋さんに必要冊数を注文すること。自費です。
そこで同じ教科書担当の方に本屋さんへの伝言をお願いしました。
すると、なんですって!!
彼女が、自分の棚に、保管していらした…という顛末が発覚しました。
ずいぶん恐縮されてはいましたものの、一件落着に安堵した私です。
一言、早めにお尋ねしていればよかった、と反省するもあとのまつり。
まあ、結果オーライで、それはそれでよかったのですが。
あらかると はまるでなし。モノカルチャーでもなく、ただの徒労の半月がむなしく過ぎたのです。
今週は、少し馬力をかけて、今週末までには中間考査の出題2科目を終えないと。 頑張ります。
心の友ともいうべき、ブログ友さんが先日更新されたブログのタイトルが、「五月のアラカルト」でした。
それはちょうど大相撲の今場所の中日頃、半月分のアラカルトのようでした。
2週間でいくつか話題が心に残って記録できるほどある、それが特別なことでなくても、否、ごく日常茶飯事であれば猶更、記録できるのがすばらしい、というか、露骨に言うと羨ましい。←浅ましい私 (;^_^A汗
それから2,3日過ぎて、ふと、私も書いてみようかしら、と思いつきました。
私の半月分のアラカルトは、もの探しに始まり、もの探しに終わりました。
掃除をしようと、ソファの下に掃除機の管を伸ばしても、ごみ袋一つ分くらいの断捨離ならできるかしら、と特定の箪笥2竿分だけ不用品をチェックしていても、私の心にずっとひっかかっている「暗い部分」が否めなかったのでした。
先月、新年度が始まり、今年は特に指導要綱の大きな改革のために、教科書やそれに付随するものが一新されたので、しかたなく、微力な私も新教材に心にムチ打つ思いで準備をのろのろ始めたこのGWでした。
やがて始まる中間考査のおおよその下準備もありますので、どうせ、どこかへ出かけるわけでもないから、と少し勤勉になろうとしていたのも先月下旬。
ですが、教材のうち、1年のも2年のもどうに不足しているものがあるのです。
確か、生徒さんのも今は渡さないで、中間考査前になったら配布しようと、私が預かった・・・はず。で、掃除していても何かものを移動させていても、いつもそれらの行方を探すことに意識が動いて、その度に手が止まる。
職場の机やロッカーなど、あるいは、自分のメールぽっくす、教科の戸棚やロッカーなど、あるいは、各教室の教卓の中など、ちょっと置いてそのまま置き忘れたのでは、と、出校の折々に見る人が見たら、挙動不審の老婆がもの探しの苦渋を背負っている、さながらそんな感じ。
もの探しの時間は不毛のそれです。
まさしく五月の前半を、それら2種類の教材の行方を求めて、心に蟠りを抱きながら、ひょっとして、あそこじゃないか、もしかして、あのバッグではなかったかしら、と淡い期待とたちまちにそれが泡と帰す虚しさと、で、私は、もう一つ、大きな不安を抱くに至ります。
いよいよ、認知症の発症
なのでは?
不注意この上ないのに、身の程知らずなのは、もののありかをメモしておかないこと。
最後になって、これはお金で解決しよう、と卑怯な方法を実施する決意をしました。すなわち、職場に出入りしている本屋さんに必要冊数を注文すること。自費です。
そこで同じ教科書担当の方に本屋さんへの伝言をお願いしました。
すると、なんですって!!
彼女が、自分の棚に、保管していらした…という顛末が発覚しました。
ずいぶん恐縮されてはいましたものの、一件落着に安堵した私です。
一言、早めにお尋ねしていればよかった、と反省するもあとのまつり。
まあ、結果オーライで、それはそれでよかったのですが。
あらかると はまるでなし。モノカルチャーでもなく、ただの徒労の半月がむなしく過ぎたのです。
今週は、少し馬力をかけて、今週末までには中間考査の出題2科目を終えないと。 頑張ります。