最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

NHKのテレビ番組から離れがたく、

2023-02-15 01:32:44 | 日記
この時刻になっています。
で、以下はひとりごと。お見辛い、お聞き辛いような拙文が続くのが想定されます。悪しからず、と、読む人も少ないこのブログへの訪問者さまのために伏してお詫びから。

ドラマが続き、間に「イムジン河」というフォークソングのストーリーを辿る番組も。北山修などという何とも懐かしい人の名前も久しぶりに聞きました。リアルタイムでは小学生か中学生の頃の人、フォークブーム、それから反戦歌など学生運動の名残のころ、、、半世紀以上は経っているが、妙に記憶が鮮明です。
今もかなり未熟な方だけど、成人するまで、否、結婚して家庭人になった頃まで、否、もっと長きにわたって、私はいつも不器用で不甲斐ない人間でした。
前回のブログで、さんざん、よそさまのことにケチをつけ、悪態を並べたてました。
翻って、私はどうだったのだろう、と来し方に思いを寄せてみますと、今更ながら気が付いたのは、私は、何か困難に阻まれたら、その困難をあまり他人にお願いせずに、処理してこれたのではないかと思うのです。
幼い時は、両親やら兄やらが代わってくれました。
痛いよぉ~、眠いよぉ~、できないよぉ~と泣かないまでも少し深刻な面持でいれば、救いの手を差し伸べてくれる身内がそこにはいました。
ひょっとすると、苦情を訴える前に気づかれて、救い主にバトンタッチされていたのではないかとまで思われます。
子供時代はそんなもの、まして、末っ子の乳母日傘育ちではごく自然な流れだとも思われます。
学校という厄介な社会に入ってからは、親兄弟が知らない多少の苦難はあって当然ですし、だれしも集団に慣らされるのが教育の大きな目標でもありましょう。
死ぬまで忘れないわ、と小学校高学年頃、悩んだことがありました。不眠症の発症時がその時、と思えるほど、寝つきが悪かったです。
でも今、その悩みが思い出せない。ちょっとした漠然としたことも何一つ思いだせません。
恐らく、悩みの解決に母が登場できはしなかったから、悩みも深刻に感じられたのでしょうけれど、悩みそのものの相談は置いといても、そのためのストレスの吐け口に母との語らいはあったにちがいありません。

前置きばかり長く、趣旨も不鮮明ながら、私がここまで生きてきて、困ったり、投げ出したくなったり、できないことに直面したり、失敗したり、、、
そんな時、いつも誰か(友達や先生や、という他人ではなく)身内がいました。チケットを入手するのにネットを使う世の中ではなかったから楽だった、というより、困ったら、両親や兄、長じては夫やさらにムスコなど身内に相談相手になってもらいました。
仕事上でどうしても開けないような難問が生じたら、夫のアドバイスは、「とにかく、自分の失敗は、上司に報告して、そこから始めよう」で、概ね、そこまでいかなくても、夫の段階で何とかなりました。
いつもいつも家族のいたわりと助言のおかげで、誰かに頼まなくても何とか窮地はしのぐことができました。

そして誰でもそうだと思ってきたのが、私の未熟さをさらに晒すことになります。
世の中には、困ったときに、周囲の他人に相談したり助けを求める人も十分いるのですよね。

前回私の標的にしてしまった彼女もきっと、周囲の人に相談や救いを求めるしかなかったのでしょう。

自分が何かあるたびに、身内の助けで乗り越えてきたことを幸運だったとやっとわかりました。
一人でここまでやってきたわけでは決してありません。

これから体力知力がどんどん衰えていく上に、今は親もとっくに去り、近くにいる家族もいつまでもオールマイティのお助けマンではおれません。

めんどくさい人間関係は、なるべく避けるも、受け入れるとことは受け入れて人との共存を自分に課していかないといけないのですね。
これが、甘やかされて育った私の人生のなれの果て、というものだ、と漸く潔くなれたようです。
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