最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

事始め

2022-01-05 01:43:29 | 日記
恭賀新年
昨年は、たくさんの思いをお寄せくださり、ありがとうございました。
辛うじて、松の内の間には登場できましたが、
本年もかように、のろのろ動きの鈍い当ブログでございます。
どうぞ、ご寛容な思し召しで、今年もよろしくご厚誼のほど、慎んでお願い申し上げます。

当地は、男子の誕生を殊の外、喜ぶ風潮がございます。
学問の神さま、菅公を男児誕生と同時に生母の親側が贈呈する、学問は、男子優先、女子は歌舞音曲へ。
今年も出しました。


かつて、新春の宴(というほどのものでもありませんが、それでも、家人の勤務先の若い人たちなど総勢15名くらいは参集され、
そのために、続き座敷(10畳と8畳)をマイホームの新築の際には設けました。座敷の前室にあたるところは、飲み物を入れる冷蔵庫を置き、グラスや湯呑を置く水屋もしつらえました。
このご時世だから、という理由ではなく、我々の現役時代は終わり、もう来客を想定する環境ではありません。無駄に広かったお座敷はひとつは私のクロ―ゼットと化しています。

かつて年始客で賑やかだったころには、だいぶ大きめの床の間に、官公(天神さま)の掛け軸は3幅、並べて掛けました。最も若いのがムスコ、真ん中に家人の、左側の書院の隣にそのまた先代の、というふうに。

今はムスコのを陋屋に掛けて、大正五年の先々代のを自宅に掛けました。問題は、陋屋のこのスペースが狭く、自宅の方が余裕があるのに、掛け軸自体が茶掛けサイズで小さく、バランスが悪いことです。
ま、誰に見せるつもりもない単なる季節の行事のシンボルですから、気にしません。

この季節にふさわしい、と思い、いくつか掛物をかえました。

地獄大夫です。

お正月の寄せ書き、130年前のです。
もちろん、忘れずに、定番のも。自宅の居間の床の間に掛けていますが、この部屋は、カリモクのソファやテーブル様式で暮らしているので、何ともアンバランス。

茶室の小さな床の間に新しく花器をおろしました。庭のピンクのツバキを前に入れました。


こうして新年の準備も、だいぶ、手間暇をかけずに、何とか大晦日までにぎりぎりセーフ状態でした。
天神さまは二十五日にお隠れになりますが、あとのものは、十五日あたりを目途に片付けます。神棚のしめ縄、玄関の松飾、鏡餅の飾りなどは十三日の左義長で燃してもらいます。
あっという間に、次の季節へと様相も変わるのです。

とりあえず、4日はお仕事の方はお仕事はじめでしたのでしょうね。
私も2日に〇ゾンから届いた家計簿とか手帖に近々の予定を記入し始めました。


これでも、ささやかな事始めですね。
年末年始と触れることもなかったバイオリンもケースから出しました。お弾き初めでした。
本来ならば、書初めもしないといけませんが、自宅の文箱には、墨滴がなく、墨をする気になれないので、明日にでも陋屋の自分の文机の前に座って墨滴を硯に入れて、半紙に書き下ろすつもりです。
言葉は、決まっています。
「すこやかであれ」です。

今年の事始めは、先程の家計簿など事務(前年の会計はエクセルでしましたが)とお弾き初め、
そして4日は、最初のかかりつけ医での受診でした。
1か月前にした昨年最後の心臓の検査の数値が思わしくはありませんでしたが、これも私の日常茶飯事に消え失せさせることにして、まずまず元気なのを死守したいです。
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6 コメント

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いいんですよ ( madonna)
2022-01-05 16:37:14
心配になるほど間があかなければ。笑
ぽこさんのお忙しいのは分っていますから。
早くも、菅原道真公の掛け軸を掛ける時季になりましたか。早いですね。
今更ながらで恥ずかしいですが、これらの掛け軸等を拝見していて、富山ってどういう歴史を持った県なんだろうと、興味がわいてきました。
福井県はあまり知られていない県でした。
他の人の事は知りませんが私にとっては富山もあまり知らない興味のない県でした。
2度ほど旅行で行ったことはありますが。
きっと、ぽこさんやご主人のご実家は格式の高いお家だったのでしょうが、それにしても興味深い。
ちょっと勉強してみたいと思います。
130年前の寄せ書きとは!
一体何が書いてあるのでしょう!
興味はつきません。

家計簿、母を思いだしました。
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何代にも渡り (すらいむらいだー)
2022-01-05 20:21:28
根無し草的な環境な我が一族
私も、とうとう、そう言った、大人数での宴。
てのは体験しないまま、生涯を終えそうです。

まぁ。。やったらやったで、色々タイヘンなのはわかってますけどね。

学問に歌舞音曲!。。。武道とかは余りやらないのですね。
腕っぷしより、頭で勝負!!。。な土地柄なのですね!
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県西部 (ぽこ)
2022-01-06 01:03:31
Madonnaさん、ぜひ一度、陋屋を拠点にして、このあたりの周回におでかけくださいませ。
そんな日が実現したら、事実詐称のこの家のおんぼろぶりがあらわになりますけどね。
いわゆる写真写りがいい、といえばいいのでしょうか。紙と土と木とだけでできている哀れな拙宅のさまが如実になります。
だいぶ昔から日本画を生業にしていた名残がいくつか残っていて、こうした掛け軸として残っています。
そんな家は繰り返しますが、貧相な暮らしぶりだったようですよ。
ただ、家人が結局お墓だけ継いで、家業は自分の代まで続けなかった小商いは、世間の信用を集めて、その屋号とか、看板のしるし、はそこそこ定着していた古い店だったとか。とはいえ、私は知りませんでしたけど。嫁いだころに、お店の3階に住んでいましたが、階段室のあちこちが漢方薬の引き出しになっていて、においが染みついていました。数年前、この階段室から引き出しを外しましたら、慶応二年と桐の箱板の裏に墨で書かれていました。
漢方薬の処方は、同じくらい古い薬屋さんに権利を譲って継いでいただきました。家人の祖父は、北陸地方の鼓の第一人者で、二階のこじんまりした座敷では、お能の研究会のため、宝生流のお家元が月一いらしていました。
狭い小路を歩くと、謡の歌声がどこからでも聞こえる、そんな庶民の文化がかつてはねついていました。

県西部は、加賀藩だったからでしょうが、和菓子屋さんも人口比としては、とても多いです。お抹茶を来客に出すことは日常茶飯事だったようです。

私が嫁したころはまだ繁華だった商店街もすぐに急低空飛行になり、県西部の栄華は終わりました。

そんな物悲しい落ちていく街の風情が味わえる、逆説的に申せば、情緒のある街です。最近では、陋屋から歩いて2,3分の老舗料亭旅館も広大な更地となりました。物悲しい五百坪の空き地、象徴的な衰退ぶりです。。。
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武道 (ぽこ)
2022-01-06 01:27:53
旧弊な土地柄のせいでしょう。
男子は、今でこそサッカーかミニバスを殆どの小学生が一度はやりますが、かつては、剣道一辺倒でしたよ。
今度県庁所在地に武道場が新設されるそうですが、今までは、県西部の当市のが県立武道場でした。男児はみんな、剣道って流れでしたよ。好きではなかったものの、ムスコもしかたなく、高3まで剣道の稽古はしていましたね。卒業と同時に袴も竹刀も消えましたが。
男は学問、女は歌舞音曲といっていたのは、たぶん、戦前まで?あるいは、昭和30年くらいまで?
現に私の母は、娘だからといって、嫁入り道具のように短大を出す、とは思いません、しっかり4年間、学びたいことをはっきりさせて、大学に入りなさい、と言っていましたから。とはいえ、私は日舞、琴、お茶にお花と十分女の修行もさせられたんです。ただ小1で私は奈良女子大に入って英語をお勉強するの、とも言っていたそうです。後年西ではなくて東のO女子大学に入ったのは、初志貫徹だったのでしょうか?(笑)結局、折角合格した国立大学は切捨てて、私大に入ったもののやはり英文科ではありました(笑)
私の天神さまはありませんが、スピリットは十分影響を受けているようですね。
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おぴょ~がつ (ひよこ)
2022-01-07 19:12:58
あけましておめでピヨございます。
ことしもよろピヨです。

いろいろ掛け軸があっていいですね~。

こちらは昨日、雪が降って寒いですピヨ。
暖房が電気ばかりで、ブレーカーが落ちるので
パソコンもあまりやってませんピィ。
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献寿、あるいは健寿? (ぽこ)
2022-01-07 19:51:09
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
私は、昨日6日に初もうでにでかけました。と同時に、それが今年初めての外出でもありました。

関東地方は、大変な昨日今日になりましたね。

ブレーカーが落ちる・・・ドラム式洗濯機は、普段は脱水で終了しますが、冬季は最後のドライまでいくこともあります。
その間3時間、他の電気製品は使いません。
ドライ以外にも、オーブンとレンジは即、真っ暗世界へ。。。

ちょっとずつ節電するのには、役立ちます。
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