三月三日のひな祭り当日にお雛様をしまわないと、出遅れる(輿入れが遅れる、化石のような言葉を使うなら、オールドミスまっしぐら路線)という伝説が、かつてはまことしやかに言われたものでした。
お雛様を出したのも二月のごく終わりごろでしたので、一か月遅れでいいわ、四月三日にお戻り(土蔵に)いただくわ、とのんきに構えました。
二月下旬は、当県は、罹患者ゼロでした。広くもない居間にお友達を招いて濃厚歓談、三時間も彼女とき相向かい彼女の処世感の熱弁に聞き入りました。
それからひと月半になります。罹患者数は50名に届きそう。
私の気持ちの萎えは、どんどんひどくなり、なんにもする気になれず、無為飽食に甘んじる毎日です。
やっと、お雛さまを3つの木箱に収めました。毛氈を外して、あとは、ひな壇の組み立てをとれば、元通りの奥座敷になります。
やる気がしないので、デミタスのコーヒーセットにもインスタントコーヒーで済ませ(いつもは、エスプレッソマシーンを使いますが)ひな壇上にあった、菱餅をお茶うけに片付け作業の労を自分でいたわりました。
直前にお仏壇の扉を開けてお線香もあげたので、お数珠も一緒に撮影に加わっています。コーヒー茶碗の小ささが分かります。お数珠の定位置はこちらです。
二人の幼い人の銅像にかけています。
いつものお花が金屏風前にあるのと同じ部屋です。
これは前座敷と呼ばれるいつもの座敷。炉が切られていますが、長いこと炉開きしていません。かつては、庭の蹲で洗心してもらい、少し大勢のお客人を招き入れてお茶事をしたものです。金屏風の裏に茶道口を設けていました。
後座敷です。お茶事には、待合として使いました。
先ほどまで、二條びなを床の間に飾っていました。そろそろ終焉に近づいた庭の椿を手折って投げ入れです。
お雛様のいらした空間は華やぎがありました。
すっかり寂しくなったいつもに戻った部屋の真ん中で、寂しいのは、私のこころ、そのものなのだと、涙がふくらみをまして、生じてきます。
いつになったら、この不安がなくなる日がくるのでしょうか。。。。。
みんなで、こころをひとつにして、乗り越えないといけない凶事です。弱気はいけませんね。
お雛様のあとの奥座敷に、何か掛物を探して掛け、お花も活けないと。ちょっと気が早いですが、五月のお節句のにでもしましょうか。
写真を撮る元気もここまでで、小間(茶室もどき)と水屋の花の写真は割愛します。庭の一番大きな椿の木、露月という白い一重の花をつける木ですが、その下いっぱいに、今は、富貴草が白い花を繁茂させています。小間とお仏壇に活けました。
以上小学生の日記、いえそれにも届かない稚拙な一文でした。おわり
お雛様を出したのも二月のごく終わりごろでしたので、一か月遅れでいいわ、四月三日にお戻り(土蔵に)いただくわ、とのんきに構えました。
二月下旬は、当県は、罹患者ゼロでした。広くもない居間にお友達を招いて濃厚歓談、三時間も彼女とき相向かい彼女の処世感の熱弁に聞き入りました。
それからひと月半になります。罹患者数は50名に届きそう。
私の気持ちの萎えは、どんどんひどくなり、なんにもする気になれず、無為飽食に甘んじる毎日です。
やっと、お雛さまを3つの木箱に収めました。毛氈を外して、あとは、ひな壇の組み立てをとれば、元通りの奥座敷になります。
やる気がしないので、デミタスのコーヒーセットにもインスタントコーヒーで済ませ(いつもは、エスプレッソマシーンを使いますが)ひな壇上にあった、菱餅をお茶うけに片付け作業の労を自分でいたわりました。
直前にお仏壇の扉を開けてお線香もあげたので、お数珠も一緒に撮影に加わっています。コーヒー茶碗の小ささが分かります。お数珠の定位置はこちらです。
二人の幼い人の銅像にかけています。
いつものお花が金屏風前にあるのと同じ部屋です。
これは前座敷と呼ばれるいつもの座敷。炉が切られていますが、長いこと炉開きしていません。かつては、庭の蹲で洗心してもらい、少し大勢のお客人を招き入れてお茶事をしたものです。金屏風の裏に茶道口を設けていました。
後座敷です。お茶事には、待合として使いました。
先ほどまで、二條びなを床の間に飾っていました。そろそろ終焉に近づいた庭の椿を手折って投げ入れです。
お雛様のいらした空間は華やぎがありました。
すっかり寂しくなったいつもに戻った部屋の真ん中で、寂しいのは、私のこころ、そのものなのだと、涙がふくらみをまして、生じてきます。
いつになったら、この不安がなくなる日がくるのでしょうか。。。。。
みんなで、こころをひとつにして、乗り越えないといけない凶事です。弱気はいけませんね。
お雛様のあとの奥座敷に、何か掛物を探して掛け、お花も活けないと。ちょっと気が早いですが、五月のお節句のにでもしましょうか。
写真を撮る元気もここまでで、小間(茶室もどき)と水屋の花の写真は割愛します。庭の一番大きな椿の木、露月という白い一重の花をつける木ですが、その下いっぱいに、今は、富貴草が白い花を繁茂させています。小間とお仏壇に活けました。
以上小学生の日記、いえそれにも届かない稚拙な一文でした。おわり
お雛様、普段お蔵にいるのですね。
すごい!
仕事が減り、運動量も減り、コロナ太りになってる私。
色々と困ったもんです。
素敵です。
コロナで洗脳された日々に一服の清涼剤のようです。
たった2ヶ月でまるで生活変わっちゃいましたね。
長期戦になるのも覚悟。
私は無収入で夫の収入の有難みを初めて知りました。
何事も当たり前はないんですね。
花業界は母の日も危うく行き場のないお花で溢れてます。
美しいお花が廃棄されるのは仕方ないけど辛いですね。
食べるしかストレス発散出来ず運動不足の身に祟ってます。
歩いて買出し行きたいけど5人分の食材は車なしではとても。
息子の宿題に付き合うのも大きなストレス。
ぽこさんにはわからないでしょう。笑
最近は朝目覚めると鬱気分で、気合が入るのに時間がかかるのですが(1日中、気合いの入っていない日が多いです)、今朝はぽこさんのブログでしばし、雅な気持ちにひたさせて頂きました。
貴ブログは昨晩、寝る前に1度拝見していたのですが、また、朝にゆっくりと、と思ってコメントはいたしませんでした。
お雛様を片付けて、心に穴の開いたようなお気持ちはよく分かります。お人形さんも花も生きていますものね。
お人形や花に助けられる時がありますもの。
独身のお嬢様もいらっしゃらないのですから、この騒ぎがおさまるまで、そのままにしておかれたら良かったのに。
でも、そうですね。5月のお飾りがあるのでしたら、もう早いと言うことはありません。出して下さい。少しは気が晴れるでしょう。
私のようにもう10年も前から毎日がサンデーだったものでも鬱気分なのですから、ぽこさんのように仕事をしておられた方には、今はおつらくて怖い日々だと思います。
でも、さあ、今こそバイオリンのお稽古、お稽古。私も大正琴でもネットで注文しようかな。
遅寝早起きがどんどんひどくなっていきます。
昨夜も2時には床に就くも本当に眠ったのは3時から5時くらいまで。
無為飽食ゆえの運動不足もあって、眠たくならないんです。
写真に残すような話題にもたどりつけない 鈍化したこころもよう。。。
また身近なものでもとってみます。大きめに。
コロナ太り・・・これからは、川柳には欠かせなくなりそうですね。
カーネーションがあふれる店頭・・・五月の当たり前の町の中の風景でしたよね。
ありふれた時の流れが懐かしく大切に思われてなりません。
時間があるのに、ケースから取り出せないバイオリン、宿題につきあう相手はいませんが、怠惰な自分は嫌というほど、めについて、自己嫌悪との戦いも辛いものがありますよ。
私の心に弾みとうるおいを注いでくださるお心のこもったコメントをいただきながら、お返事が遅くなりました。
まるでやるきなし病がどんどん悪化しています。
読書をするも字面を追っても理解や感動が伴って入ってきません。
テレビは、心状態を悪くするので見なくなりました。
バロックの単調な調べを繰り返し小さく響かせています。葬儀場のBGMです。
睡眠時間が少ないので一日が長く感じられます。
外出できないのに全く不自由は感じてはいませんが、気づいたことは、なんでもないとき、何でもない場所で、たとえ見知らぬ人様であっても、如何に多くの人たちの笑顔やしぐさに助けられているか、行動を意欲をもらっているか、ということです。
孤独はわが意を得たりであっても、人々のつながり、のおかげでも生かされてきたのだとようやく気付いた
ている私です。