●レバノンの暗殺と中東再編 田中宇の国際ニュース解説 2006年11月28日
11月21日、中東のレバノンで、産業大臣をしていたピエール・ジュマイエルが暗殺された。2005年2月にハリリ元首相が暗殺されて以来の20カ月間に、レバノンでは主要な政治家が暗殺され続け、犠牲者はこれが5人目である。暗殺された5人はいずれも、隣国シリアがレバノンを隠然と支配していることに反対していた。そのため今回も、ハリリの暗殺時と同様に「シリアがやったに違いない」という見方が、欧米マスコミに流れている。ブッシュ大統領も今回の暗殺の後、シリアとイランがレバノンを不安定にしていると非難した。とはいえ、今回の暗殺の犯人ではないかと世界のメディアで疑われている勢力は、シリアだけではない。むしろ「今の国際情勢から考えると、シリアが犯行に及ぶとは考えにくい」という説が強い。
暗殺事件が起きる直前、アメリカでは中間選挙での共和党敗北とイラク占領の混乱激化を受け、ブッシュ政権に対して「シリアやイランを敵視することをやめて、イラクの再建に協力してもらうことで、米軍が早くイラクから撤退できるようにすべきだ」と求める意見が、アメリカの政界や言論界からさかんに出ていた。シリアのアサド政権は、2005年のハリリ暗殺で犯人扱いされ、アメリカのネオコンやタカ派から「シリアを政権転覆すべきだ」という主張も出され、サダム・フセインのようにアメリカにつぶされる懸念が大きかった。その後、アメリカのイラク占領が失敗したことで、シリアは何とかアメリカにつぶされずにすみそうな情勢になり、アメリカから敵ではなく交渉相手と見なしてもらえそうな状況になってきた。ジュマイエルが暗殺された日には、シリアの外相がイラクを訪問し、25年ぶりにシリアとイラクの国交が正常化されている。イラク政府はアメリカの傀儡色が強いから、アメリカの承認がなければ、この国交正常化は実現しなかったはずで、その意味ではすでにアメリカは「イラク占領の泥沼を救ってもらうため」という名目で、シリアを許し始めていることが感じられ始めていた。
そんな中で、シリアがレバノンの政治家を暗殺したら、シリアにとってはハリリ暗殺の時の悪夢が繰り返されることになる。そんな自滅的なことを、シリアがするとは考えにくい。イスラエルの新聞ハアレツですら、シリア犯人説を疑う解説記事を出している。(隣どうしのシリアとイラクは、もともとバース党のシリア支部とイラク支部が政権をとり、仲が良かったが、サダム・フセインが1979年に権力中枢のクーデターで大統領になると、国家方針をそれまでの親ソ連から親米に大転換させ、アメリカの仇敵イランに戦争を仕掛けるとともに、親ソ連を貫いていたシリアと断交した。「フセインはアメリカのエージェントだったが、最後はアメリカに見捨てられた」という見方が、中東では根強い)
▼イスラエル犯人説
シリアが犯人でないとしたら、誰が犯人なのか。名前が挙がっているのはイスラエルである。レバノンでは1970年代以来、シリアとイスラエルが影響力の競争をしてきたが、今夏の戦争でイスラエルがレバノンのシーア派勢力ヒズボラを倒せなかったため、ヒズボラの力が強まり、イスラエルは不利になっている。この不利を挽回するため、以前からレバノンで活動しているイスラエルの諜報機関がジュマイエル暗殺に動き、欧米マスコミ内部の親イスラエル勢力がシリア犯人説を声高に叫んでいるのではないか、という説である。
イスラエルが犯人であったとしても、それはイスラエル政府のトップダウンの組織的犯行だということにはならない。イスラエルの軍や諜報機関の内部には、自国を不利にしてしまう自滅的な行為をする右派の勢力がいる。彼らは、今夏のレバノンでのヒズボラとの戦争の際にも、本来は反ヒズボラの意識が強かったレバノンの一般市民の社会インフラを破壊し、撤退直前に国際法違反のクラスター爆弾を120万個ばらまいたりして、イスラエルを世界の嫌われ者にしてしまうことをやっている。イスラエル軍の諜報機関は、ヒズボラの地下基地の場所を知っていたのに、その地図を軍の現場司令官に見せず、軍の作戦が失敗する一因を作ったことも、戦争後に暴露されている。
自国の軍事作戦を失敗させてしまう特殊部隊や諜報機関の勢力は、イスラエルだけでなく、アメリカやイギリスにもいて、彼らのせいで、イラク占領は失敗し、アルカイダはいつまでも正体不明のままになっている。アメリカのアメリカのネオコンやチェイニー副大統領は、彼らの一味であると考えられる。歴史的に、英米イスラエルの諜報機関は、イギリス軍の諜報機関(今のMI6など)を組織的な原点としており、半ば国家の枠を超えた秘密組織になっている。
ドイツのヒットラーや戦前の日本を引っかけて大敗北させたのは、この米英の諜報機関の作戦であろう。ソ連を扇動して冷戦に持ち込んだのも、彼らが関係している。この軍事諜報組織のおかげで米英イスラエルは戦争に強いといえる半面、この組織のせいで米英イスラエルは「戦争中毒」から逃れられない。昨今は、この組織が、米英イスラエルを自滅させて世界を多極化することに貢献しているように見える。
イスラエル犯人説は、レバノンで昨年ハリリ元首相が暗殺された際にも出てきたが、それはアメリカの反シオニスト系の国際政治分析ウェブログなどに書かれるぐらいで、完全に少数意見だった。しかし今回のジュマイエル暗殺では、世界のマスコミで、かなりはっきりとイスラエルに対する嫌疑が出てきている。イスラエルは、この2年弱の間に、かなり悪者にされてしまっている。反イスラエルの傾向が強い衛星テレビ「アルジャジーラ」の英語放送も最近始まった。
▼イラク戦争の尻馬に乗って反シリア派に
今回暗殺されたジュマイエルは、レバノンのマロン派キリスト教徒であり、その中でも主要な政党の一つである右派の「ファランジスト党」を作った一族の人だ。レバノンは、19世紀までイスラム教のオスマン・トルコ帝国の領土だったが、マロン派キリスト教徒がオスマン帝国に対して自治権を要求した際、フランスがこれを支援し、それ以来フランスはマロン派を最も重視してレバノンを支配した(マロン派はフランスと同じカトリック系)。
レバノンの政治エリートであるマロン派の中でも、ファランジスト党は極右のファシスト系である。今回殺されたジュマイエルの祖父が若いころ、1936年にナチス政権が行ったドイツのベルリンオリンピックを見に行き、ファシズムのナチスの組織力、結束力に感動し、レバノンに帰ってファランジスト党を作った。
今のレバノンは、マロン派のほか、スンニ派イスラム教徒、シーア派イスラム教徒などが主要な勢力であり、移民の流入などによってマロン派は最大勢力ではなくなり、最近では人口比率はシーア派35%、スンニ派22%、マロン派20%であり、民主主義の原則からいうとマロン派はすでに少数派なのだが、フランスが作った政治制度がまだ生きており、かつて政治力が最も強かったマロン派が大統領、次に強かったスンニ派が首相、政治力が弱かったシーア派は国会議長という割り振りが、今も続いている。
1980年代の内戦で米仏とイスラエルが負け、レバノンはシリアの影響下に置かれたが、シリアは、フランスが作った政治システムを破壊せず、隠然と換骨奪胎した。ジュマイエル家のファランジスト党は、2代目のバシール・ジュマイエル(今回殺されたピエールの父)が1982年にレバノン大統領に選出された直後に暗殺され、それ以来ジュマイエル家の指導力が低下して内部分裂していたが、党内の勢力の一部がシリアに接近し、ファランジスト党はシリアの影響下で再建された。
このような、目立たず時間はかかるがリスクの少ないやり方で、シリアはレバノンでの影響力を強化した。ジュマイエル家も、05年に暗殺されたハリリ元首相も、シリアが支配的だった時代には、反シリア的な言動を避けていた。それが変わったのは2003年にアメリカがイラク侵攻し、ブッシュの中東民主化の一環でシリアも政権転覆の対象にされてからである。
04年ぐらいからレバノンではシリアを追い出す「民主化」運動が盛んになり、05年2月のハリリ暗殺後、アメリカがこの運動を積極支援するようになり、シリア軍はレバノンから撤退した。マロン派の守護者であるフランスは再びレバノンに介入し、もともとファシストのジュマイエルも反シリア色を強めて「民主主義の推進者」になった。
▼フランス式の政治体制を壊すヒズボラ
だが、親欧米のマロン派が強い時代は、今夏のヒズボラとイスラエルの戦争によって終わった。ヒズボラがイスラエル兵を捕虜にしたという小競り合いから始まった7月の戦争は、イスラエルによる無差別的な攻撃と、アメリカが親イスラエルの立場を表明し、フランスなどEUは停戦せよと言うばかりで何もできなかった。レバノンの世論は、反米反イスラエルになり、イスラエルと戦って負けなかったシーア派のヒズボラに対する支持が急騰した。戦後の復興も、レバノン政府よりヒズボラの方が早く着手した。ヒズボラは、シリアとイランから支援されているので、本来は反ヒズボラであるはずのマロン派キリスト教徒の指導者の中からも、イスラエルとアメリカに対する怒りから、ヒズボラを公然と支持する勢力が表れた。
その後、最近になって、中間選挙後のアメリカで、イラクからの撤退が必要だとか、その際にシリアやイランに協力を仰がねばならないといった主張が強まり、レバノンの反シリア派の後ろ盾だったアメリカが中東から撤退し、代わりにイランやシリアの影響力が強まりそうな流れが明確になってきた。シーア派のヒズボラは、この機会をとらえ、レバノンにおける人口比率ではシーア派が最大派閥(35%)なのに、100年前にフランスが決めて以来の現行の政治システムでは小さい権力(国会議長)しか持っていない状況を変えようと動き出した。
米の中間選挙から6日後の11月13日、レバノン政府の閣僚のうち、ヒズボラとアマル(シーア派の左翼系組織)が政府に送り込んでいた6人の閣僚が辞任した。この辞任の直接のきっかけは、レバノンの親欧米のシニオラ首相が、05年のハリリ前首相の暗殺事件について、国際法廷を開くことを国連に要請することへの抗議で、ヒズボラの後ろ盾であるシリアがハリリ暗殺の犯人扱いされることに抗議する辞任だった。
だがもっと深い意味としては、この辞任は、ヒズボラを中心とするレバノンの反欧米派(親シリア・イラン派)が、これまでレバノン政界を握ってきた親欧米派を追い出そうとする動きの始まりである。ヒズボラは、今夏のイスラエルとの戦争で増えた自派に対する支持を政治力につなげようと、レバノン政府に選挙の実施を求めている。
フランスが100年前に敷いたレバノンの現政治体制は、実際の人口比に関係なくマロン派の優位が決まっている。レバノンではこの体制を守るため、もう長いこと人口調査が発表されず、ゆがんだ制度になっている。ヒズボラをテロ組織扱いするブッシュ政権にとっては皮肉なことに、ヒズボラがレバノンの有権者の過半数に支持されて政権をとるのは、フランス式のゆがんだ制度よりも「民主的」である。
http://tanakanews.com/g1128lebanon.htm
●イスラエルの人口統計 - Wikipedia英語版
2005年のイスラエルの調査によれば、イスラエルの総人口6,990,700人は以下の民族集団に分けられる:ユダヤ人が5,313,800人、 アラブ人が1,377,100人、残りは小集団である。宗教別に分類すると、ユダヤ教が5,313,800人、イスラム教が1,140,600人、キリスト教が146,000人、イスラム教のドルーズ派が115,200人、分類不可能が272, 200人である。このデータはイスラエル国籍の住民を含むが、イスラエル占領下のパレスチナ自治区やゴラン高原に居住する人はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の如何に関わらず含まない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Israel
(なお、イスラエルのユダヤ人約500万人は、東欧出身のアシュケナジー約200万と主に中近東出身のスファラディ約300万人に分けられる)
●レバノン - Wikipedia
第一次世界大戦後、フランスの委任統治下に入り、キリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったレバノン山地はシリアから切り離されて、現在のレバノンの領域にあたるフランス委任統治領レバノンとなった。この結果、レバノンはこの地域に歴史的に根付いたマロン派、東方正教会と、カトリック、プロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が35%を越え、シーア派、スンナ派などの他宗派に優越するようになった。現在でもフランスとの緊密な関係を維持している。
第二次世界大戦中にレバノンは独立を達成し、金融・観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させたが、PLOの流入によって微妙な宗教宗派間のバランスが崩れ、1975~76年にかけて内戦が発生した(レバノン内戦)。隣国シリアの軍が平和維持軍として進駐したが、1978年にはイスラエル軍が侵攻して混乱に拍車をかけ、各宗教宗派の武装勢力が群雄割拠する乱世となった。混乱の中で、周辺各国や米国や欧州、ソ連など大国の思惑も入り乱れて、内戦終結後も断続的に紛争が続いたため、国土は非常に荒廃した。また、シリアやイスラム革命を遂げたイランの支援を受けたヒズボラなど過激派が勢力を伸ばした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3
●レバノンの人口統計 - Wikipedia英語版
1932年の調査では、キリスト教徒が全人口の55%を占めている。キリスト教徒の中で最も多いのはマロン派で全人口の29%を占め、行政機構をほぼ支配している。しかし、1800年代以降イスラム教徒の出生率はキリスト教徒のそれを常に上回っており、中でもシーア派の一派である十二イマーム派で人口増加が最も急速である。また、イスラム教徒に比べて遙かに多くのキリスト教徒がレバノンから外国に移民している。
現在の所、イスラム教徒が人口の安定多数を占めていることについては見解が一致している。CIAの推計ではイスラム教徒の割合は60%である。ただし、全人口の多数派を占める単独の宗派集団は存在しない。シーア派は最大の集団であるが、1985年には全人口の41%と考えられていた。その後シーア派の人口は増加し他の宗派集団が移民により減少したため、シーア派の割合は50%に近づいているかもしれないとの情報もある。この数字については一致した見解は得られておらず、レバノンの総人口に占めるシーア派の割合はレバノンの人口統計の中で最も争点となっている。キリスト教徒が欧州、カナダ(特にモントリオールのようなフランス語圏)、オーストラリア、米国、ラテンアメリカと広範な地域に移民している点、あるいはアラブ諸国のほとんどの国でスンニ派が多数派であるためにスンニ派が近隣アラブ諸国に容易に移住可能である点と比較して、伝統的に最も貧困な宗派集団であるシーア派は出生率が高く、キリスト教徒やスンニ派の様な移民に適した国を持たない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Lebanon
【私のコメント】
かつてオスマントルコの領土であったレバノンとパレスチナは第一次大戦後にそれぞれフランスとイギリスの支配下に置かれた。フランスがシリアの一部であったレバノンをシリアから切り離した目的は、地中海東岸という地政学的重要性と、当時はキリスト教徒が多数派でありフランスが統治しやすい地域であったことが挙げられるだろう。ただ、パレスチナほどの地政学的重要性はないため、国際金融資本の傍流であるフランスの支配に任されたのだと思われる。一方のパレスチナは地中海東岸でアジアとアフリカの境界という地政学的重要性が非常に高い地域であり、国際金融資本にとっては絶対に手放せない地域であった。それ故、国際金融資本の本流であるイギリスが支配下に置いたと思われる。そして、パレスチナではキリスト教徒の様に国際金融資本に従順な集団が少なかったために、国際金融資本はシオニズムという運動を作りだし、ナチスにユダヤ教徒を迫害させることで欧州のユダヤ教徒をパレスチナに移住させてイスラエルを建国させたのだと考えられる。欧州からの移民だけでは数が不足したため、中東戦争でユダヤ教徒とイスラム教徒の対立を煽ってスファラディの移民を促進したのだろう。レバノン(特に内戦以前)・イスラエルは共にイスラム教徒の海に浮かぶ異教徒の小国であり、安全保障上危機的な状態にある。生存のためには国際金融資本に依存する他はなく、それ故国際金融資本にとっては扱いやすい便利な国である。
イスラエルへのユダヤ教徒の移民が推進されたことは、英国植民地時代のマレーシアに華僑の移住が推進されたことに似ている。また、レバノンがシリアから切り離されたことは、キリスト教徒の華僑が多く地政学的に非常に重要な地域であるシンガポールがマレーシアから切り離されたことと似ている。油田地帯のブルネイがマレーシアから切り離されたことも、クウェートがイラクから切り離されたことと似ていると言える。パレスチナに比べて地政学的重要性の低いレバノンがフランスの統治に任され、1974-5年の内戦で国際金融資本の影響下から離脱したことも、シンガポールに比べて地政学的重要性の低いベトナムがフランスの統治に任され、1960-75年のベトナム戦争で国際金融資本の影響下から離脱したことに似ている。スエズ地峡を挟むレバノン・イスラエルとエジプトが別の独立国とされた事も、マラッカ海峡を挟むマレーシア・シンガポールとインドネシアが別の独立国にされたことによく似ている。中近東と東南アジアという風土も産業も民族も異なる地域でこれほど類似した現象が見られるのは、イギリス(東南アジアでは英蘭両国)を本流・フランスを傍流とする国際金融資本が同じ方法でこれらの地域を支配してきたからに他ならない。
海洋と大陸の境界の農業地域で満州族・モンゴル族等の遊牧民族地域との境界に近いという点では、朝鮮半島もレバノン+パレスチナと同様の地政学的重要性を持つ地域である。この地域はかつてオスマントルコと同様の大帝国である清の支配下にあったが、日清戦争から第二次大戦までの経過を経て北朝鮮と韓国という二つの国に分割されている。スエズ地峡とアカバ湾というシーパワーにとってより重要な地域が本流のイギリス支配、重要性の相対的に低いレバノンが傍流のフランス支配になった様に、対馬海峡というシーパワーにとってより重要な地域が本流のアメリカ支配、重要性の低い北朝鮮が傍流のソ連支配になっている。李承晩は米国の傀儡であり金日成はソ連軍将校出身であったことがそれを示している。朝鮮半島は日本とも中国とも異なる民族が居住していたために、傀儡国家建国のために東南アジアやイスラエルのように国際金融資本の言いなりになる移民を連れてくる必要はなかったのだろう。そして、傀儡国家の安定性向上のためにはレバノン+イスラエル+エジプトや北朝鮮+韓国、あるいはマレーシア+シンガポール+インドネシアの様に地政学的要地を二つ以上の国家に分け、シーパワーにとってより重要性の高い地域は国際金融資本の本流である米英がしっかり押さえるのが効率的なのだろう。
現在の世界覇権国である米国はユーラシア東部では日本とオーストラリアに、ユーラシア西部では欧州に地域安全保障の任務を委託しようとしている。そして、中近東ではやや親米的なサウジアラビアとやや反米的なイランの勢力均衡が、ユーラシア大陸東南部ではやや親米的なインドとやや反米的な中国の勢力均衡が誘導されようとしている様である。
今回取り上げた、レバノン+イスラエル、マレーシア+シンガポール、北朝鮮+韓国の三地域は、より地政学的に重要なイスラエル・シンガポール・韓国を支えてきた米軍の軍事力が本土に引き揚げ始めていることの影響を受ける点も共通しているが、各地域の特性の差からその今後の行方はかなり相違するものになると思われる。
1.レバノンは少数派のキリスト教徒が政権を失って多数派のイスラム教徒が実権を握ることが想像されるし、イスラエルでも過去のレバノンと同様に少数派のアシュケナジーが今後欧州や米国に移住してゆき、ユダヤ教を信仰する点以外はアラブ人と大差ないスファラディがアラブ人と共存して暮らすか、あるいはスファラディも他国に移住することになるのではないかと想像される。
2.マレーシアについては、民族・言語の近いインドネシアとの結びつきが深まる可能性が考えられ、イスラム教徒の多いフィリピン南部を含めた東南アジアイスラム国家連合に移行することも考えられる。シンガポールは国際金融資本という後ろ盾を失い、タイやインドネシア+マレーシアに徐々に繁栄を奪われていくことになるかもしれない。場合によっては、レバノンのキリスト教徒の様に、東南アジアのキリスト教徒の華僑の多くが今後北米やオーストラリアに移住してゆくことも考えられる。一方、タイの華僑のように地域社会に同化した華僑は生き残ることだろう。
3.朝鮮半島については、米軍撤退後は日本・中国・ロシアなどの影響下に置かれることはほぼ確実である。争点は、日中露三カ国の間でどの様な影響力圏の線引きが行われるか、南北の統一が行われるかどうかという点に移りつつある。日中間の影響力圏の線引きでは台湾の行方も非常に重要である。レバノンとイスラエルの間の軍事対立と同様に南北朝鮮の間にも軍事対立が存在するが、南北朝鮮は同一民族であるという点が大きく異なっている。
11月21日、中東のレバノンで、産業大臣をしていたピエール・ジュマイエルが暗殺された。2005年2月にハリリ元首相が暗殺されて以来の20カ月間に、レバノンでは主要な政治家が暗殺され続け、犠牲者はこれが5人目である。暗殺された5人はいずれも、隣国シリアがレバノンを隠然と支配していることに反対していた。そのため今回も、ハリリの暗殺時と同様に「シリアがやったに違いない」という見方が、欧米マスコミに流れている。ブッシュ大統領も今回の暗殺の後、シリアとイランがレバノンを不安定にしていると非難した。とはいえ、今回の暗殺の犯人ではないかと世界のメディアで疑われている勢力は、シリアだけではない。むしろ「今の国際情勢から考えると、シリアが犯行に及ぶとは考えにくい」という説が強い。
暗殺事件が起きる直前、アメリカでは中間選挙での共和党敗北とイラク占領の混乱激化を受け、ブッシュ政権に対して「シリアやイランを敵視することをやめて、イラクの再建に協力してもらうことで、米軍が早くイラクから撤退できるようにすべきだ」と求める意見が、アメリカの政界や言論界からさかんに出ていた。シリアのアサド政権は、2005年のハリリ暗殺で犯人扱いされ、アメリカのネオコンやタカ派から「シリアを政権転覆すべきだ」という主張も出され、サダム・フセインのようにアメリカにつぶされる懸念が大きかった。その後、アメリカのイラク占領が失敗したことで、シリアは何とかアメリカにつぶされずにすみそうな情勢になり、アメリカから敵ではなく交渉相手と見なしてもらえそうな状況になってきた。ジュマイエルが暗殺された日には、シリアの外相がイラクを訪問し、25年ぶりにシリアとイラクの国交が正常化されている。イラク政府はアメリカの傀儡色が強いから、アメリカの承認がなければ、この国交正常化は実現しなかったはずで、その意味ではすでにアメリカは「イラク占領の泥沼を救ってもらうため」という名目で、シリアを許し始めていることが感じられ始めていた。
そんな中で、シリアがレバノンの政治家を暗殺したら、シリアにとってはハリリ暗殺の時の悪夢が繰り返されることになる。そんな自滅的なことを、シリアがするとは考えにくい。イスラエルの新聞ハアレツですら、シリア犯人説を疑う解説記事を出している。(隣どうしのシリアとイラクは、もともとバース党のシリア支部とイラク支部が政権をとり、仲が良かったが、サダム・フセインが1979年に権力中枢のクーデターで大統領になると、国家方針をそれまでの親ソ連から親米に大転換させ、アメリカの仇敵イランに戦争を仕掛けるとともに、親ソ連を貫いていたシリアと断交した。「フセインはアメリカのエージェントだったが、最後はアメリカに見捨てられた」という見方が、中東では根強い)
▼イスラエル犯人説
シリアが犯人でないとしたら、誰が犯人なのか。名前が挙がっているのはイスラエルである。レバノンでは1970年代以来、シリアとイスラエルが影響力の競争をしてきたが、今夏の戦争でイスラエルがレバノンのシーア派勢力ヒズボラを倒せなかったため、ヒズボラの力が強まり、イスラエルは不利になっている。この不利を挽回するため、以前からレバノンで活動しているイスラエルの諜報機関がジュマイエル暗殺に動き、欧米マスコミ内部の親イスラエル勢力がシリア犯人説を声高に叫んでいるのではないか、という説である。
イスラエルが犯人であったとしても、それはイスラエル政府のトップダウンの組織的犯行だということにはならない。イスラエルの軍や諜報機関の内部には、自国を不利にしてしまう自滅的な行為をする右派の勢力がいる。彼らは、今夏のレバノンでのヒズボラとの戦争の際にも、本来は反ヒズボラの意識が強かったレバノンの一般市民の社会インフラを破壊し、撤退直前に国際法違反のクラスター爆弾を120万個ばらまいたりして、イスラエルを世界の嫌われ者にしてしまうことをやっている。イスラエル軍の諜報機関は、ヒズボラの地下基地の場所を知っていたのに、その地図を軍の現場司令官に見せず、軍の作戦が失敗する一因を作ったことも、戦争後に暴露されている。
自国の軍事作戦を失敗させてしまう特殊部隊や諜報機関の勢力は、イスラエルだけでなく、アメリカやイギリスにもいて、彼らのせいで、イラク占領は失敗し、アルカイダはいつまでも正体不明のままになっている。アメリカのアメリカのネオコンやチェイニー副大統領は、彼らの一味であると考えられる。歴史的に、英米イスラエルの諜報機関は、イギリス軍の諜報機関(今のMI6など)を組織的な原点としており、半ば国家の枠を超えた秘密組織になっている。
ドイツのヒットラーや戦前の日本を引っかけて大敗北させたのは、この米英の諜報機関の作戦であろう。ソ連を扇動して冷戦に持ち込んだのも、彼らが関係している。この軍事諜報組織のおかげで米英イスラエルは戦争に強いといえる半面、この組織のせいで米英イスラエルは「戦争中毒」から逃れられない。昨今は、この組織が、米英イスラエルを自滅させて世界を多極化することに貢献しているように見える。
イスラエル犯人説は、レバノンで昨年ハリリ元首相が暗殺された際にも出てきたが、それはアメリカの反シオニスト系の国際政治分析ウェブログなどに書かれるぐらいで、完全に少数意見だった。しかし今回のジュマイエル暗殺では、世界のマスコミで、かなりはっきりとイスラエルに対する嫌疑が出てきている。イスラエルは、この2年弱の間に、かなり悪者にされてしまっている。反イスラエルの傾向が強い衛星テレビ「アルジャジーラ」の英語放送も最近始まった。
▼イラク戦争の尻馬に乗って反シリア派に
今回暗殺されたジュマイエルは、レバノンのマロン派キリスト教徒であり、その中でも主要な政党の一つである右派の「ファランジスト党」を作った一族の人だ。レバノンは、19世紀までイスラム教のオスマン・トルコ帝国の領土だったが、マロン派キリスト教徒がオスマン帝国に対して自治権を要求した際、フランスがこれを支援し、それ以来フランスはマロン派を最も重視してレバノンを支配した(マロン派はフランスと同じカトリック系)。
レバノンの政治エリートであるマロン派の中でも、ファランジスト党は極右のファシスト系である。今回殺されたジュマイエルの祖父が若いころ、1936年にナチス政権が行ったドイツのベルリンオリンピックを見に行き、ファシズムのナチスの組織力、結束力に感動し、レバノンに帰ってファランジスト党を作った。
今のレバノンは、マロン派のほか、スンニ派イスラム教徒、シーア派イスラム教徒などが主要な勢力であり、移民の流入などによってマロン派は最大勢力ではなくなり、最近では人口比率はシーア派35%、スンニ派22%、マロン派20%であり、民主主義の原則からいうとマロン派はすでに少数派なのだが、フランスが作った政治制度がまだ生きており、かつて政治力が最も強かったマロン派が大統領、次に強かったスンニ派が首相、政治力が弱かったシーア派は国会議長という割り振りが、今も続いている。
1980年代の内戦で米仏とイスラエルが負け、レバノンはシリアの影響下に置かれたが、シリアは、フランスが作った政治システムを破壊せず、隠然と換骨奪胎した。ジュマイエル家のファランジスト党は、2代目のバシール・ジュマイエル(今回殺されたピエールの父)が1982年にレバノン大統領に選出された直後に暗殺され、それ以来ジュマイエル家の指導力が低下して内部分裂していたが、党内の勢力の一部がシリアに接近し、ファランジスト党はシリアの影響下で再建された。
このような、目立たず時間はかかるがリスクの少ないやり方で、シリアはレバノンでの影響力を強化した。ジュマイエル家も、05年に暗殺されたハリリ元首相も、シリアが支配的だった時代には、反シリア的な言動を避けていた。それが変わったのは2003年にアメリカがイラク侵攻し、ブッシュの中東民主化の一環でシリアも政権転覆の対象にされてからである。
04年ぐらいからレバノンではシリアを追い出す「民主化」運動が盛んになり、05年2月のハリリ暗殺後、アメリカがこの運動を積極支援するようになり、シリア軍はレバノンから撤退した。マロン派の守護者であるフランスは再びレバノンに介入し、もともとファシストのジュマイエルも反シリア色を強めて「民主主義の推進者」になった。
▼フランス式の政治体制を壊すヒズボラ
だが、親欧米のマロン派が強い時代は、今夏のヒズボラとイスラエルの戦争によって終わった。ヒズボラがイスラエル兵を捕虜にしたという小競り合いから始まった7月の戦争は、イスラエルによる無差別的な攻撃と、アメリカが親イスラエルの立場を表明し、フランスなどEUは停戦せよと言うばかりで何もできなかった。レバノンの世論は、反米反イスラエルになり、イスラエルと戦って負けなかったシーア派のヒズボラに対する支持が急騰した。戦後の復興も、レバノン政府よりヒズボラの方が早く着手した。ヒズボラは、シリアとイランから支援されているので、本来は反ヒズボラであるはずのマロン派キリスト教徒の指導者の中からも、イスラエルとアメリカに対する怒りから、ヒズボラを公然と支持する勢力が表れた。
その後、最近になって、中間選挙後のアメリカで、イラクからの撤退が必要だとか、その際にシリアやイランに協力を仰がねばならないといった主張が強まり、レバノンの反シリア派の後ろ盾だったアメリカが中東から撤退し、代わりにイランやシリアの影響力が強まりそうな流れが明確になってきた。シーア派のヒズボラは、この機会をとらえ、レバノンにおける人口比率ではシーア派が最大派閥(35%)なのに、100年前にフランスが決めて以来の現行の政治システムでは小さい権力(国会議長)しか持っていない状況を変えようと動き出した。
米の中間選挙から6日後の11月13日、レバノン政府の閣僚のうち、ヒズボラとアマル(シーア派の左翼系組織)が政府に送り込んでいた6人の閣僚が辞任した。この辞任の直接のきっかけは、レバノンの親欧米のシニオラ首相が、05年のハリリ前首相の暗殺事件について、国際法廷を開くことを国連に要請することへの抗議で、ヒズボラの後ろ盾であるシリアがハリリ暗殺の犯人扱いされることに抗議する辞任だった。
だがもっと深い意味としては、この辞任は、ヒズボラを中心とするレバノンの反欧米派(親シリア・イラン派)が、これまでレバノン政界を握ってきた親欧米派を追い出そうとする動きの始まりである。ヒズボラは、今夏のイスラエルとの戦争で増えた自派に対する支持を政治力につなげようと、レバノン政府に選挙の実施を求めている。
フランスが100年前に敷いたレバノンの現政治体制は、実際の人口比に関係なくマロン派の優位が決まっている。レバノンではこの体制を守るため、もう長いこと人口調査が発表されず、ゆがんだ制度になっている。ヒズボラをテロ組織扱いするブッシュ政権にとっては皮肉なことに、ヒズボラがレバノンの有権者の過半数に支持されて政権をとるのは、フランス式のゆがんだ制度よりも「民主的」である。
http://tanakanews.com/g1128lebanon.htm
●イスラエルの人口統計 - Wikipedia英語版
2005年のイスラエルの調査によれば、イスラエルの総人口6,990,700人は以下の民族集団に分けられる:ユダヤ人が5,313,800人、 アラブ人が1,377,100人、残りは小集団である。宗教別に分類すると、ユダヤ教が5,313,800人、イスラム教が1,140,600人、キリスト教が146,000人、イスラム教のドルーズ派が115,200人、分類不可能が272, 200人である。このデータはイスラエル国籍の住民を含むが、イスラエル占領下のパレスチナ自治区やゴラン高原に居住する人はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の如何に関わらず含まない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Israel
(なお、イスラエルのユダヤ人約500万人は、東欧出身のアシュケナジー約200万と主に中近東出身のスファラディ約300万人に分けられる)
●レバノン - Wikipedia
第一次世界大戦後、フランスの委任統治下に入り、キリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったレバノン山地はシリアから切り離されて、現在のレバノンの領域にあたるフランス委任統治領レバノンとなった。この結果、レバノンはこの地域に歴史的に根付いたマロン派、東方正教会と、カトリック、プロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が35%を越え、シーア派、スンナ派などの他宗派に優越するようになった。現在でもフランスとの緊密な関係を維持している。
第二次世界大戦中にレバノンは独立を達成し、金融・観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させたが、PLOの流入によって微妙な宗教宗派間のバランスが崩れ、1975~76年にかけて内戦が発生した(レバノン内戦)。隣国シリアの軍が平和維持軍として進駐したが、1978年にはイスラエル軍が侵攻して混乱に拍車をかけ、各宗教宗派の武装勢力が群雄割拠する乱世となった。混乱の中で、周辺各国や米国や欧州、ソ連など大国の思惑も入り乱れて、内戦終結後も断続的に紛争が続いたため、国土は非常に荒廃した。また、シリアやイスラム革命を遂げたイランの支援を受けたヒズボラなど過激派が勢力を伸ばした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3
●レバノンの人口統計 - Wikipedia英語版
1932年の調査では、キリスト教徒が全人口の55%を占めている。キリスト教徒の中で最も多いのはマロン派で全人口の29%を占め、行政機構をほぼ支配している。しかし、1800年代以降イスラム教徒の出生率はキリスト教徒のそれを常に上回っており、中でもシーア派の一派である十二イマーム派で人口増加が最も急速である。また、イスラム教徒に比べて遙かに多くのキリスト教徒がレバノンから外国に移民している。
現在の所、イスラム教徒が人口の安定多数を占めていることについては見解が一致している。CIAの推計ではイスラム教徒の割合は60%である。ただし、全人口の多数派を占める単独の宗派集団は存在しない。シーア派は最大の集団であるが、1985年には全人口の41%と考えられていた。その後シーア派の人口は増加し他の宗派集団が移民により減少したため、シーア派の割合は50%に近づいているかもしれないとの情報もある。この数字については一致した見解は得られておらず、レバノンの総人口に占めるシーア派の割合はレバノンの人口統計の中で最も争点となっている。キリスト教徒が欧州、カナダ(特にモントリオールのようなフランス語圏)、オーストラリア、米国、ラテンアメリカと広範な地域に移民している点、あるいはアラブ諸国のほとんどの国でスンニ派が多数派であるためにスンニ派が近隣アラブ諸国に容易に移住可能である点と比較して、伝統的に最も貧困な宗派集団であるシーア派は出生率が高く、キリスト教徒やスンニ派の様な移民に適した国を持たない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Lebanon
【私のコメント】
かつてオスマントルコの領土であったレバノンとパレスチナは第一次大戦後にそれぞれフランスとイギリスの支配下に置かれた。フランスがシリアの一部であったレバノンをシリアから切り離した目的は、地中海東岸という地政学的重要性と、当時はキリスト教徒が多数派でありフランスが統治しやすい地域であったことが挙げられるだろう。ただ、パレスチナほどの地政学的重要性はないため、国際金融資本の傍流であるフランスの支配に任されたのだと思われる。一方のパレスチナは地中海東岸でアジアとアフリカの境界という地政学的重要性が非常に高い地域であり、国際金融資本にとっては絶対に手放せない地域であった。それ故、国際金融資本の本流であるイギリスが支配下に置いたと思われる。そして、パレスチナではキリスト教徒の様に国際金融資本に従順な集団が少なかったために、国際金融資本はシオニズムという運動を作りだし、ナチスにユダヤ教徒を迫害させることで欧州のユダヤ教徒をパレスチナに移住させてイスラエルを建国させたのだと考えられる。欧州からの移民だけでは数が不足したため、中東戦争でユダヤ教徒とイスラム教徒の対立を煽ってスファラディの移民を促進したのだろう。レバノン(特に内戦以前)・イスラエルは共にイスラム教徒の海に浮かぶ異教徒の小国であり、安全保障上危機的な状態にある。生存のためには国際金融資本に依存する他はなく、それ故国際金融資本にとっては扱いやすい便利な国である。
イスラエルへのユダヤ教徒の移民が推進されたことは、英国植民地時代のマレーシアに華僑の移住が推進されたことに似ている。また、レバノンがシリアから切り離されたことは、キリスト教徒の華僑が多く地政学的に非常に重要な地域であるシンガポールがマレーシアから切り離されたことと似ている。油田地帯のブルネイがマレーシアから切り離されたことも、クウェートがイラクから切り離されたことと似ていると言える。パレスチナに比べて地政学的重要性の低いレバノンがフランスの統治に任され、1974-5年の内戦で国際金融資本の影響下から離脱したことも、シンガポールに比べて地政学的重要性の低いベトナムがフランスの統治に任され、1960-75年のベトナム戦争で国際金融資本の影響下から離脱したことに似ている。スエズ地峡を挟むレバノン・イスラエルとエジプトが別の独立国とされた事も、マラッカ海峡を挟むマレーシア・シンガポールとインドネシアが別の独立国にされたことによく似ている。中近東と東南アジアという風土も産業も民族も異なる地域でこれほど類似した現象が見られるのは、イギリス(東南アジアでは英蘭両国)を本流・フランスを傍流とする国際金融資本が同じ方法でこれらの地域を支配してきたからに他ならない。
海洋と大陸の境界の農業地域で満州族・モンゴル族等の遊牧民族地域との境界に近いという点では、朝鮮半島もレバノン+パレスチナと同様の地政学的重要性を持つ地域である。この地域はかつてオスマントルコと同様の大帝国である清の支配下にあったが、日清戦争から第二次大戦までの経過を経て北朝鮮と韓国という二つの国に分割されている。スエズ地峡とアカバ湾というシーパワーにとってより重要な地域が本流のイギリス支配、重要性の相対的に低いレバノンが傍流のフランス支配になった様に、対馬海峡というシーパワーにとってより重要な地域が本流のアメリカ支配、重要性の低い北朝鮮が傍流のソ連支配になっている。李承晩は米国の傀儡であり金日成はソ連軍将校出身であったことがそれを示している。朝鮮半島は日本とも中国とも異なる民族が居住していたために、傀儡国家建国のために東南アジアやイスラエルのように国際金融資本の言いなりになる移民を連れてくる必要はなかったのだろう。そして、傀儡国家の安定性向上のためにはレバノン+イスラエル+エジプトや北朝鮮+韓国、あるいはマレーシア+シンガポール+インドネシアの様に地政学的要地を二つ以上の国家に分け、シーパワーにとってより重要性の高い地域は国際金融資本の本流である米英がしっかり押さえるのが効率的なのだろう。
現在の世界覇権国である米国はユーラシア東部では日本とオーストラリアに、ユーラシア西部では欧州に地域安全保障の任務を委託しようとしている。そして、中近東ではやや親米的なサウジアラビアとやや反米的なイランの勢力均衡が、ユーラシア大陸東南部ではやや親米的なインドとやや反米的な中国の勢力均衡が誘導されようとしている様である。
今回取り上げた、レバノン+イスラエル、マレーシア+シンガポール、北朝鮮+韓国の三地域は、より地政学的に重要なイスラエル・シンガポール・韓国を支えてきた米軍の軍事力が本土に引き揚げ始めていることの影響を受ける点も共通しているが、各地域の特性の差からその今後の行方はかなり相違するものになると思われる。
1.レバノンは少数派のキリスト教徒が政権を失って多数派のイスラム教徒が実権を握ることが想像されるし、イスラエルでも過去のレバノンと同様に少数派のアシュケナジーが今後欧州や米国に移住してゆき、ユダヤ教を信仰する点以外はアラブ人と大差ないスファラディがアラブ人と共存して暮らすか、あるいはスファラディも他国に移住することになるのではないかと想像される。
2.マレーシアについては、民族・言語の近いインドネシアとの結びつきが深まる可能性が考えられ、イスラム教徒の多いフィリピン南部を含めた東南アジアイスラム国家連合に移行することも考えられる。シンガポールは国際金融資本という後ろ盾を失い、タイやインドネシア+マレーシアに徐々に繁栄を奪われていくことになるかもしれない。場合によっては、レバノンのキリスト教徒の様に、東南アジアのキリスト教徒の華僑の多くが今後北米やオーストラリアに移住してゆくことも考えられる。一方、タイの華僑のように地域社会に同化した華僑は生き残ることだろう。
3.朝鮮半島については、米軍撤退後は日本・中国・ロシアなどの影響下に置かれることはほぼ確実である。争点は、日中露三カ国の間でどの様な影響力圏の線引きが行われるか、南北の統一が行われるかどうかという点に移りつつある。日中間の影響力圏の線引きでは台湾の行方も非常に重要である。レバノンとイスラエルの間の軍事対立と同様に南北朝鮮の間にも軍事対立が存在するが、南北朝鮮は同一民族であるという点が大きく異なっている。
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