●JR北:腐った枕木 本線にも 社員「新品現場に来ず」 - 毎日jp(毎日新聞) 毎日新聞 2013年10月07日 07時00分(最終更新 10月07日 10時28分)
JR北海道のレール異常放置が発覚して2週間が過ぎた。「木製の枕木が腐り、レールを固定する犬くぎが手で抜けるほど傷んだ場所がある」。北海道のJR関係者を訪ね歩くと、深刻な設備の老朽化に対応できない保線現場の現状が浮かび上がってきた。
10月上旬、北海道七飯町のJR大沼駅。問題発覚のきっかけとなった貨物列車脱線事故の現場だ。列車が待避する「副本線」の木製枕木に穴が開いている。特急を含めて多くの旅客列車が走る「本線」に比べ、手入れが行き届いていないのが一目瞭然だ。大沼駅を管轄する大沼保線管理室は、レール約80キロの保線を担う。重機を使う補修は外部委託され、社員19人が比較的簡易な補修と、検査を担当する。
貨物列車はレールの異常が放置されていた副本線から、本線に入る手前で脱線した。JR北海道では、副本線を中心に全体の54%で木製枕木が使われている。JR旅客6社で最多の割合だ。コンクリート製より安いが劣化も早い。各地のJR関係者は、犬くぎが抜けるほど傷んだ枕木が、副本線だけでなく本線にもあると証言する。
保線関係者によると、1987年の民営化直前、「当分予算が厳しくなるから」と、駆け込み的に北海道全域の木製枕木が大幅に更新された。「寿命は15〜20年。ちょうどそれくらいたって一斉にダメになっているのかもしれない」。検査車両を走らせると、一つの保線管理室の管内だけで異常が疑われる場所が一度に20〜30カ所見つかることもあるという。
一方で、各地の保線管理室は1週間の半分程度を線路を歩きながら異常がないか調べる「徒歩巡回」に充てている。他にも法令や内規で定められた検査をこなす必要があり、補修に回せるのは週2、3日。「検査に追われて修理ができない。本末転倒だ」。内規に従い基準超過を15日以内に補修しようにも手が回らない。「2〜3ミリ幅が広がっても脱線しない」。そう考えて、補修を後回しにしてきたのが実態だ。
JR北海道は異常放置が見つかった場所の犬くぎを打ち直したりして、数日で全て補修した。だが、枕木が傷んでいれば、レール幅はすぐまた広がる。補修の翌年に同じ場所で異常が見つかることもある。
保線の現場からは、老朽化した枕木やレールの交換を求める声が上がる。「4〜5年で1度も新しい枕木が来なかった」と証言する人もいた。傷みが激しい場所は、「込栓(こみせん)」と呼ばれる木片をくぎ穴の緩みに詰めて、急場をしのぐ。
現場の努力は限界にきているのか。「人もいねえし資材も来ない。一生懸命手をかけることもないべ」。そんな声も上がっている。【川口裕之、森健太郎】
http://mainichi.jp/select/news/20131007k0000m040107000c.html
●JR北海道、野島社長が退院 - MSN産経ニュース 2013.11.11 13:11
JR北海道は11日、入院していた野島誠社長が10日に退院したと明らかにした。11日から出社している。
JR北海道によると、野島社長は体調不良のため、10月27日から札幌市内の病院に入院していた。当初、1週間程度で退院する予定だった。同社は病名を明らかにしていない。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131111/biz13111113120000-n1.htm
●【歪む鉄路 JR北海道に何が】社長の自殺は何だったのか - MSN産経ニュース 2013.9.26 16:07 (1/2ページ)[鉄道事故・トラブル]
「深くおわび申し上げる」。札幌市のJR北海道本社で25日午前8時すぎ、鉄道事業本部長を務める豊田(とよた)誠常務(56)が深々と頭を下げた。
会見場の壁には「安全輸送に徹します」などと書かれた社是の額。皮肉に打ちのめされたようにうなだれた豊田常務は額を見つめ、力なくこう語った。「実現できているとは言えない」
JR北の安全意識や企業体質が問われるのは今回が初めてではない。JR石勝線では平成23年5月、特急列車が脱線してトンネル内で火災が起き、乗客約40人が病院に搬送された。
「お客様を大切にします」。JR北のもう一つの社是だ。だが、この事故では「車外に出ないでください」というアナウンスが流れるだけで避難誘導はなく、乗客は煙が充満する車内に閉じ込められた。
事故後も運転士の乗務中の居眠りなど不祥事が相次ぎ、国土交通省は鉄道事業法に基づく事業改善命令に踏み切る。企業にとっては「瀕死(ひんし)」を意味する。中島尚俊(なおとし)社長=当時(64)=が失踪し、小樽市沖で遺体が見つかったのは、全社を挙げて企業風土の改革に乗り出した直後だった。複数の遺書が残されていたことから、自殺とされた。
遺書には社員に宛てて、「『お客さまの安全を最優先にする』ということを常に考える社員になっていただきたい」というメッセージが残されていた。
旧国鉄の保線区長などを務めた経験を持つ北海学園大工学部の上浦正樹教授(63)=鉄道工学=は「石勝線の事故が一連の不祥事、トラブルの原点。経営者や管理者の声が現場に届かない組織になっている。JR北の社員は中島氏の遺志をもう一度思い出してほしい」と語る。
中島氏の願いは、約7100人の社員には届いていなかった。鉄道アナリストの川島令三(りょうぞう)氏(63)は「国鉄末期の採用抑制の影響で、本社と現場のパイプ役となる人材が不足している」と指摘する。本社の安全教育や技術の伝承が断絶。優秀な人材も、収益部門の関連事業に配置されることが多いという。
JR北の経営環境は厳しい。財務基盤も脆弱(ぜいじゃく)で、JR発足時にできた「経営安定基金」の運用益で赤字を補填(ほてん)しているのが現状。安全面への設備投資が十分ではないとの指摘もある。
北海道中央部の駅員の男性(56)は「合理化で人員が削られ、民営化後の二十数年間で人が減った。会社全体がおかしくなっていった」と打ち明ける。
民営化当初から社員は半分近くになっているが、野島誠社長(56)は記者会見で、「人員削減の分、グループ会社の態勢を強化してきた」と強調した。さらに、現場作業を外注化して人員は確保されているとも。川島氏は「問題の根はあまりに深い。いつか大きな事故が起きないか心配だ」と語った。
25日に国土交通省で開かれた連絡会議。「この機会にJR北海道の問題点に徹底的、抜本的な対策を講じ、安心して利用できる鉄道を取り戻したい」。冒頭、太田昭宏国交相が同省幹部に語った言葉に、JR北への苦悩がにじんだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130926/dst13092616070006-n1.htm
●中島尚俊 - Wikipedia
中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月11日 - 2011年(平成23年)9月中旬)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)の元代表取締役社長。
人物[編集]北海道旭川市出身。1965年(昭和40年)に北海道旭川北高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入学。1969年(昭和44年)に大学を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入職した。その後は営業職を中心に勤務[1]。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR北海道に転籍、同社の鉄道事業本部営業部長、旅行業本部長を経て、1994年(平成6年)に取締役、 2003年(平成15年)6月に 代表取締役専務、2007年(平成19年)6月に代表取締役社長に就任。
2011年(平成23年)9月12日、遺書を残し同日朝から行方不明であることをJR北海道が発表[1]。午後には石狩市内の海岸で本人の自家用車が発見される。同年9月18日早朝、釣り人が北海道小樽市・オタモイ海岸の沖合約1キロの海上で遺体を発見し、小樽海上保安部(第一管区海上保安本部所属)の巡視艇が収容した。北海道警の検視の結果、指紋などから遺体が本人であると確認された[2][3]。
その後、遺書のうち社員宛てのものが公表された。そこには自殺の動機について直接的な表現はなかったが、当時社内で発覚した三六協定違反の謝罪や、同年5月に発生した石勝線特急列車脱線火災事故に触れたうえで安全意識の向上を社員に促す、といった文面がつづられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B0%9A%E4%BF%8A
●橋本龍太郎、小渕恵三、アリエル=シャロンは同じ死因。他殺か? - 国際情勢の分析と予測 2006年07月02日
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/2793a19780dd352427559469ec3e8325?fm=entry_related
●JR福知山線脱線事故 - Wikipedia
JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡した。
線路置石説[編集]JR西日本は、事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかし、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行う。
その後、調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んでできたものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。
しかし、巻き上げられたバラストがレール上で踏まれたなら当然に残るはずの、枕木上のバラストがあまり残っていないことなどから、一般には疑問も残った。また、事故後しばらく模倣とみられる置石事件で逮捕される者が相次いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
【私のコメント】
2011年9月中旬に中島尚俊社長が自殺したばかりのJR北海道で、次の野島誠社長が病気で10月27日から11月10日まで病気で入院していた。病名は明らかになっていない。中島尚俊社長は2011年(平成23年)9月12日に、遺書を残し同日朝から行方不明であることをJR北海道が発表した経緯がある。日本時間の2011年9月12日朝というのは、北米時間では2011年9月11日であり、国際金融資本によると思われる同時多発テロ事件の丁度10年後である。反国際金融資本陣営の中心の一つである日本を攻撃し日本を米国の次の寄生先にする目的で国際金融資本が脅迫として中島尚俊社長を拉致し殺害した可能性を検討すべきであろう。野島誠社長の病気入院も、橋本龍太郎、小渕恵三、アリエル=シャロン等と同様に血栓性疾患を作る攻撃であった可能性が考えられる。
JR北海道の保線関係者によると、1987年の民営化直前、「当分予算が厳しくなるから」と、駆け込み的に北海道全域の木製枕木が大幅に更新されたという。これは、国鉄分割民営化が日本の辺境と中心の格差を増大させ国民の団結を崩し日本を乗っ取るために国際金融資本から日本に行われた脅迫による命令であり(おそらくそれはプラザ合意と一括して行われた脅迫で、日本を服従させるために日航機を米軍が撃墜した)、その攻撃を予知していたからこそ国鉄は分割民営化前に枕木を一斉に交換したのだと想像する。
最近JR北海道では多数の事故が発生している。無論、枕木の老朽化が原因の一つだろう。しかし、実際には国際金融資本によるテロ攻撃も一部あるかもしれない。そしてそれは彼らが隠れて日本を攻撃しているために公にすることはできないのだ。
例えば107人の死者を出した2005年4月25日の福知山線脱線事故ではレールの上にバラストと思われる石の粉砕痕があったことが報道されている。公式には脱線した車両が巻き上げたバラストとされているが、不安定で細いレールの上にバラストが乗るならば枕木の上には大量のバラストがある筈なのにそれが見つかっていない。素直に考えれば、置き石犯が手近にあるバラストを置き石に使用した可能性は十分ある。更に、私の記憶では粉砕痕は2カ所あり、それはともに急カーブにさしかかるほぼ同一の場所で左右のレールに1個づつ置かれていたと報道されていた。急カーブの場所で先頭車両の両側の車輪が同時に脱線すれば大事故になるのは目に見えている。私は、この事件は国際金融資本が日本に対する脅迫を目的に実行したテロ攻撃だと想像している。ロシアと同盟して米英と対決する為にロシアに向かった伊藤博文を朝鮮人が暗殺した様に、犯罪国家南朝鮮のエージェントが日本でのテロに関与している可能性も十分あるだろう。白人と異なり東洋人である南朝鮮人、あるいは民団に所属する在日南朝鮮人ならば日本人に紛れて目立たずに行動することも可能と思われる。
北海道を国際金融資本が狙った理由は不明である。ただ、北海道は拓銀・カブトデコムなどバブル形成とその後のバブル崩壊の経済的ダメージが最も大きかった地域であり、この30年間攻撃され続けてきたとも言える。北海道を混乱させ貧窮させて乗っ取ることを国際金融資本が狙っていた可能性は考えられる。北海道は日本とロシアの中間にあり、北海道が国際金融資本の直轄領になれば日本とロシアの同盟を阻止することも可能だ。また、北海道は東アジアから北米西岸や北極海経由で欧州に至る航路のチョークポイントである津軽海峡に面しており、日本の領土の中で沖縄と並んで国際金融資本が最も関心を持つ地域であろう。数年前までのオーストラリアの好景気時代にはオーストラリア人が多数北海道に来てスキーをしておりニセコの土地の多くがオーストラリア人の所有になったが、これも国際金融資本による北海道乗っ取り計画の一環であった可能性がある。
↓↓↓ 一日一回クリックしていただくと更新の励みになります。
にほんブログ村
JR北海道のレール異常放置が発覚して2週間が過ぎた。「木製の枕木が腐り、レールを固定する犬くぎが手で抜けるほど傷んだ場所がある」。北海道のJR関係者を訪ね歩くと、深刻な設備の老朽化に対応できない保線現場の現状が浮かび上がってきた。
10月上旬、北海道七飯町のJR大沼駅。問題発覚のきっかけとなった貨物列車脱線事故の現場だ。列車が待避する「副本線」の木製枕木に穴が開いている。特急を含めて多くの旅客列車が走る「本線」に比べ、手入れが行き届いていないのが一目瞭然だ。大沼駅を管轄する大沼保線管理室は、レール約80キロの保線を担う。重機を使う補修は外部委託され、社員19人が比較的簡易な補修と、検査を担当する。
貨物列車はレールの異常が放置されていた副本線から、本線に入る手前で脱線した。JR北海道では、副本線を中心に全体の54%で木製枕木が使われている。JR旅客6社で最多の割合だ。コンクリート製より安いが劣化も早い。各地のJR関係者は、犬くぎが抜けるほど傷んだ枕木が、副本線だけでなく本線にもあると証言する。
保線関係者によると、1987年の民営化直前、「当分予算が厳しくなるから」と、駆け込み的に北海道全域の木製枕木が大幅に更新された。「寿命は15〜20年。ちょうどそれくらいたって一斉にダメになっているのかもしれない」。検査車両を走らせると、一つの保線管理室の管内だけで異常が疑われる場所が一度に20〜30カ所見つかることもあるという。
一方で、各地の保線管理室は1週間の半分程度を線路を歩きながら異常がないか調べる「徒歩巡回」に充てている。他にも法令や内規で定められた検査をこなす必要があり、補修に回せるのは週2、3日。「検査に追われて修理ができない。本末転倒だ」。内規に従い基準超過を15日以内に補修しようにも手が回らない。「2〜3ミリ幅が広がっても脱線しない」。そう考えて、補修を後回しにしてきたのが実態だ。
JR北海道は異常放置が見つかった場所の犬くぎを打ち直したりして、数日で全て補修した。だが、枕木が傷んでいれば、レール幅はすぐまた広がる。補修の翌年に同じ場所で異常が見つかることもある。
保線の現場からは、老朽化した枕木やレールの交換を求める声が上がる。「4〜5年で1度も新しい枕木が来なかった」と証言する人もいた。傷みが激しい場所は、「込栓(こみせん)」と呼ばれる木片をくぎ穴の緩みに詰めて、急場をしのぐ。
現場の努力は限界にきているのか。「人もいねえし資材も来ない。一生懸命手をかけることもないべ」。そんな声も上がっている。【川口裕之、森健太郎】
http://mainichi.jp/select/news/20131007k0000m040107000c.html
●JR北海道、野島社長が退院 - MSN産経ニュース 2013.11.11 13:11
JR北海道は11日、入院していた野島誠社長が10日に退院したと明らかにした。11日から出社している。
JR北海道によると、野島社長は体調不良のため、10月27日から札幌市内の病院に入院していた。当初、1週間程度で退院する予定だった。同社は病名を明らかにしていない。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131111/biz13111113120000-n1.htm
●【歪む鉄路 JR北海道に何が】社長の自殺は何だったのか - MSN産経ニュース 2013.9.26 16:07 (1/2ページ)[鉄道事故・トラブル]
「深くおわび申し上げる」。札幌市のJR北海道本社で25日午前8時すぎ、鉄道事業本部長を務める豊田(とよた)誠常務(56)が深々と頭を下げた。
会見場の壁には「安全輸送に徹します」などと書かれた社是の額。皮肉に打ちのめされたようにうなだれた豊田常務は額を見つめ、力なくこう語った。「実現できているとは言えない」
JR北の安全意識や企業体質が問われるのは今回が初めてではない。JR石勝線では平成23年5月、特急列車が脱線してトンネル内で火災が起き、乗客約40人が病院に搬送された。
「お客様を大切にします」。JR北のもう一つの社是だ。だが、この事故では「車外に出ないでください」というアナウンスが流れるだけで避難誘導はなく、乗客は煙が充満する車内に閉じ込められた。
事故後も運転士の乗務中の居眠りなど不祥事が相次ぎ、国土交通省は鉄道事業法に基づく事業改善命令に踏み切る。企業にとっては「瀕死(ひんし)」を意味する。中島尚俊(なおとし)社長=当時(64)=が失踪し、小樽市沖で遺体が見つかったのは、全社を挙げて企業風土の改革に乗り出した直後だった。複数の遺書が残されていたことから、自殺とされた。
遺書には社員に宛てて、「『お客さまの安全を最優先にする』ということを常に考える社員になっていただきたい」というメッセージが残されていた。
旧国鉄の保線区長などを務めた経験を持つ北海学園大工学部の上浦正樹教授(63)=鉄道工学=は「石勝線の事故が一連の不祥事、トラブルの原点。経営者や管理者の声が現場に届かない組織になっている。JR北の社員は中島氏の遺志をもう一度思い出してほしい」と語る。
中島氏の願いは、約7100人の社員には届いていなかった。鉄道アナリストの川島令三(りょうぞう)氏(63)は「国鉄末期の採用抑制の影響で、本社と現場のパイプ役となる人材が不足している」と指摘する。本社の安全教育や技術の伝承が断絶。優秀な人材も、収益部門の関連事業に配置されることが多いという。
JR北の経営環境は厳しい。財務基盤も脆弱(ぜいじゃく)で、JR発足時にできた「経営安定基金」の運用益で赤字を補填(ほてん)しているのが現状。安全面への設備投資が十分ではないとの指摘もある。
北海道中央部の駅員の男性(56)は「合理化で人員が削られ、民営化後の二十数年間で人が減った。会社全体がおかしくなっていった」と打ち明ける。
民営化当初から社員は半分近くになっているが、野島誠社長(56)は記者会見で、「人員削減の分、グループ会社の態勢を強化してきた」と強調した。さらに、現場作業を外注化して人員は確保されているとも。川島氏は「問題の根はあまりに深い。いつか大きな事故が起きないか心配だ」と語った。
25日に国土交通省で開かれた連絡会議。「この機会にJR北海道の問題点に徹底的、抜本的な対策を講じ、安心して利用できる鉄道を取り戻したい」。冒頭、太田昭宏国交相が同省幹部に語った言葉に、JR北への苦悩がにじんだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130926/dst13092616070006-n1.htm
●中島尚俊 - Wikipedia
中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月11日 - 2011年(平成23年)9月中旬)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)の元代表取締役社長。
人物[編集]北海道旭川市出身。1965年(昭和40年)に北海道旭川北高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入学。1969年(昭和44年)に大学を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入職した。その後は営業職を中心に勤務[1]。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR北海道に転籍、同社の鉄道事業本部営業部長、旅行業本部長を経て、1994年(平成6年)に取締役、 2003年(平成15年)6月に 代表取締役専務、2007年(平成19年)6月に代表取締役社長に就任。
2011年(平成23年)9月12日、遺書を残し同日朝から行方不明であることをJR北海道が発表[1]。午後には石狩市内の海岸で本人の自家用車が発見される。同年9月18日早朝、釣り人が北海道小樽市・オタモイ海岸の沖合約1キロの海上で遺体を発見し、小樽海上保安部(第一管区海上保安本部所属)の巡視艇が収容した。北海道警の検視の結果、指紋などから遺体が本人であると確認された[2][3]。
その後、遺書のうち社員宛てのものが公表された。そこには自殺の動機について直接的な表現はなかったが、当時社内で発覚した三六協定違反の謝罪や、同年5月に発生した石勝線特急列車脱線火災事故に触れたうえで安全意識の向上を社員に促す、といった文面がつづられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B0%9A%E4%BF%8A
●橋本龍太郎、小渕恵三、アリエル=シャロンは同じ死因。他殺か? - 国際情勢の分析と予測 2006年07月02日
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/2793a19780dd352427559469ec3e8325?fm=entry_related
●JR福知山線脱線事故 - Wikipedia
JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡した。
線路置石説[編集]JR西日本は、事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかし、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行う。
その後、調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んでできたものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。
しかし、巻き上げられたバラストがレール上で踏まれたなら当然に残るはずの、枕木上のバラストがあまり残っていないことなどから、一般には疑問も残った。また、事故後しばらく模倣とみられる置石事件で逮捕される者が相次いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
【私のコメント】
2011年9月中旬に中島尚俊社長が自殺したばかりのJR北海道で、次の野島誠社長が病気で10月27日から11月10日まで病気で入院していた。病名は明らかになっていない。中島尚俊社長は2011年(平成23年)9月12日に、遺書を残し同日朝から行方不明であることをJR北海道が発表した経緯がある。日本時間の2011年9月12日朝というのは、北米時間では2011年9月11日であり、国際金融資本によると思われる同時多発テロ事件の丁度10年後である。反国際金融資本陣営の中心の一つである日本を攻撃し日本を米国の次の寄生先にする目的で国際金融資本が脅迫として中島尚俊社長を拉致し殺害した可能性を検討すべきであろう。野島誠社長の病気入院も、橋本龍太郎、小渕恵三、アリエル=シャロン等と同様に血栓性疾患を作る攻撃であった可能性が考えられる。
JR北海道の保線関係者によると、1987年の民営化直前、「当分予算が厳しくなるから」と、駆け込み的に北海道全域の木製枕木が大幅に更新されたという。これは、国鉄分割民営化が日本の辺境と中心の格差を増大させ国民の団結を崩し日本を乗っ取るために国際金融資本から日本に行われた脅迫による命令であり(おそらくそれはプラザ合意と一括して行われた脅迫で、日本を服従させるために日航機を米軍が撃墜した)、その攻撃を予知していたからこそ国鉄は分割民営化前に枕木を一斉に交換したのだと想像する。
最近JR北海道では多数の事故が発生している。無論、枕木の老朽化が原因の一つだろう。しかし、実際には国際金融資本によるテロ攻撃も一部あるかもしれない。そしてそれは彼らが隠れて日本を攻撃しているために公にすることはできないのだ。
例えば107人の死者を出した2005年4月25日の福知山線脱線事故ではレールの上にバラストと思われる石の粉砕痕があったことが報道されている。公式には脱線した車両が巻き上げたバラストとされているが、不安定で細いレールの上にバラストが乗るならば枕木の上には大量のバラストがある筈なのにそれが見つかっていない。素直に考えれば、置き石犯が手近にあるバラストを置き石に使用した可能性は十分ある。更に、私の記憶では粉砕痕は2カ所あり、それはともに急カーブにさしかかるほぼ同一の場所で左右のレールに1個づつ置かれていたと報道されていた。急カーブの場所で先頭車両の両側の車輪が同時に脱線すれば大事故になるのは目に見えている。私は、この事件は国際金融資本が日本に対する脅迫を目的に実行したテロ攻撃だと想像している。ロシアと同盟して米英と対決する為にロシアに向かった伊藤博文を朝鮮人が暗殺した様に、犯罪国家南朝鮮のエージェントが日本でのテロに関与している可能性も十分あるだろう。白人と異なり東洋人である南朝鮮人、あるいは民団に所属する在日南朝鮮人ならば日本人に紛れて目立たずに行動することも可能と思われる。
北海道を国際金融資本が狙った理由は不明である。ただ、北海道は拓銀・カブトデコムなどバブル形成とその後のバブル崩壊の経済的ダメージが最も大きかった地域であり、この30年間攻撃され続けてきたとも言える。北海道を混乱させ貧窮させて乗っ取ることを国際金融資本が狙っていた可能性は考えられる。北海道は日本とロシアの中間にあり、北海道が国際金融資本の直轄領になれば日本とロシアの同盟を阻止することも可能だ。また、北海道は東アジアから北米西岸や北極海経由で欧州に至る航路のチョークポイントである津軽海峡に面しており、日本の領土の中で沖縄と並んで国際金融資本が最も関心を持つ地域であろう。数年前までのオーストラリアの好景気時代にはオーストラリア人が多数北海道に来てスキーをしておりニセコの土地の多くがオーストラリア人の所有になったが、これも国際金融資本による北海道乗っ取り計画の一環であった可能性がある。
↓↓↓ 一日一回クリックしていただくと更新の励みになります。
にほんブログ村
あと国際資本の側には脅されなくたって得をするから協力する人も相当数いるんだぜ。
ホントに不明だよw
完全なる妄想だ
説得力も無い
今回は読む価値無し