私は国文学を専攻していたので、何を読んでも、何を見ても、何が描かれているかより、どんな風に描かれているかの方が気になります。
文学でも、絵画でも、映画でも、ドラマでも。
あらすじやお話の内容も気になるけど、たとえ傷の多い脚本でも、演じる側が膨らませ、受け取る側が想像力を広げることで、ものすごい感動が生まれるのが演劇。
毎日進化して、深化して、びっくりするような姿をみせてくれるのが舞台の魔法。
だから、演劇が好き。
確かに東西冷戦時代の米ソの対立が背景にある「CHESS」って分かりにくいかもしれない。
モスクワオリンピックのボイコット騒動とか、メダル争いとか見て来た世代だから、スプートニク・ショックで詰め込み教育を受けた世代だから、(悲しいことに)違和感なく受け止められるけど、若い人にはわかりにくいのかもしれない。
でもね。
想像力をちょっと働かせてみれば、今も、いろんなところで同じことしてると思う。
例えば、韓国と日本の関係。
浅田真央ちゃんと、キム・ヨナさんのメダル争いとか、サッカーの日韓戦。
やっぱりこれは、代理戦争だと思うのです。
だから、ここで持ち出されたテーマは、決して古くはない。
むしろ、過去の歴史の中に、今の日本の危うさを感じ取るべきだと思うのです。
はじめは「相手を完全に叩き潰して!」と言っていたフローレンスが、アナトリーと会って、話をする中で恋に落ちる。
国と国ではなく、個と個として向き合うことで、お互いを理解していく。
結局は、大きな力によって翻弄されていくけれど、それでも、そこに希望はあるかもしれない。
そう感じることで、少しだけ救われる。
人間は確かにチェスの駒のように動かされるだけの存在かもしれないけど、「メラーノ」じゃないけど、そんなの問題ない!といえる強かさも持ってる。
チェスの駒のように、取ったり取られたり、永遠にゲームは続いていくけれど、そのゲームから下りることはできないのかもしれないけど、でも、希望はある。
脱力感のあとに、私が見つけたのは、そんなちっぽけな思いです。