唐茄子はカボチャ

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火垂るの墓

2010年11月15日 | 好きな映画・良かった映画
火垂るの墓 完全保存版 [DVD]
クリエーター情報なし
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント


最初の「火垂るの墓」の題名が出る前までで泣きました。何度も見たことあるからだけれど、そこまでの流れの中で、2人の人生の悲惨さが語られてしまっています。
いきなり、「僕は死んだ」から始まるのも衝撃的ですが、死にゆく者に慣らされてしまっている周りの人たち。大切なドロップの缶もそういった人たちには、ただのゴミでしかないわけです。

そして、2人の生活そのものが、周りの人間からすれば、ゴミのような生き方なわけで、節子ちゃんがいくらかわいくけなげであっても、生きていくためにお兄さんがいくらがんばったところで、そんなことが社会の中で生きて行く人間の良い悪いのモノサシにはなりません。一般的に、2人はごみであり、社会からはみ出した存在なわけです。

今までは、反戦という視点から優れた作品だと思っていましたが、今回見て実はそこがテーマじゃないような気がしました。
戦争のことは、たんなる背景であって、じつは、人間社会の冷酷さというか、生きていくためには他人を切り捨てることを普通の人たちがやってしまうこと、その怖さを伝えたかったのではないかということです。
スクリーンを見て涙している人間が、実は、節子たちを追い出すことができちゃう人たちであることを感じるのです。もちろん、自分を含めて。

親を亡くした子どもたちに、社会がきちんとフォローできる体制があるならば、こんな悲劇はないのです。社会が人を大切にする社会であれば、そこに暮らす人たちは、どんな人に対してもやさしくなれるはずです。
戦争を勝つために、天皇の世界にするために、臣民を犠牲にする社会の構図の中で、人間が他人にやさしくなれるはずはない。明日は我が身だから。自分を守ることで精いっぱいなわけです。

最後に現代のシーンになって、ビルが立ち並ぶ景色の中で2人がベンチにいるシーンがありますが、現代社会は、この2人を助けることができますか?ということを問いかけているような気がしてなりません。