4年前に、阪急千里線 下新庄~吹田駅間の新神崎川橋梁で引退記念ヘッドマークを掲出した2313Fを撮りました。
阪急では淡路駅を中心とした高架工事が進んでいますが、千里線でも下新庄駅が高架になるなど大きな変化が有ります。
千里線は、1921年(大正10年)に当時の北大阪電鉄が十三~豊津駅間を開通させたのが始まりです。
その敷地の多くは1876年(明治9年)に当時の官営鉄道が開通させて、1913年(大正2年)に現在の東海道線のルートに移設された際に廃線となり、払い下げを受けた路線跡だったそうです。
新神崎川橋梁自体は、後年に設置された橋脚や橋梁を主体に構成されていますが、橋脚の基礎の一部には明治時代のレンガ製の円形の基礎が残っていました。
明治時代の橋脚基礎以外は後年に設置されたといっても、十分にレトロ感のある場所だったのですが、高架工事の進捗により2017年11月に仮設の路線の移設されました。
1枚目は、新神崎川橋梁を快走する2370の普通 北千里行きです。
背後には仮設橋が設置され、工事も真っ盛りです。
2枚目は後追いで、吹田駅に向かう2313です。
普段は神崎川の下新庄駅側の土手で撮ることが多かったのですが、この時は気分を変えて吹田駅側で撮ってみました。
2300系、新神崎川橋梁とも今では見られないと思うと寂しいですね。
阪急では淡路駅を中心とした高架工事が進んでいますが、千里線でも下新庄駅が高架になるなど大きな変化が有ります。
千里線は、1921年(大正10年)に当時の北大阪電鉄が十三~豊津駅間を開通させたのが始まりです。
その敷地の多くは1876年(明治9年)に当時の官営鉄道が開通させて、1913年(大正2年)に現在の東海道線のルートに移設された際に廃線となり、払い下げを受けた路線跡だったそうです。
新神崎川橋梁自体は、後年に設置された橋脚や橋梁を主体に構成されていますが、橋脚の基礎の一部には明治時代のレンガ製の円形の基礎が残っていました。
明治時代の橋脚基礎以外は後年に設置されたといっても、十分にレトロ感のある場所だったのですが、高架工事の進捗により2017年11月に仮設の路線の移設されました。
1枚目は、新神崎川橋梁を快走する2370の普通 北千里行きです。
背後には仮設橋が設置され、工事も真っ盛りです。
2枚目は後追いで、吹田駅に向かう2313です。
普段は神崎川の下新庄駅側の土手で撮ることが多かったのですが、この時は気分を変えて吹田駅側で撮ってみました。
2300系、新神崎川橋梁とも今では見られないと思うと寂しいですね。