アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大八洲神社のご神鏡

2023-03-05 16:33:27 | 古神道の手振りneo

◎世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

(2020-08-03)

 

二度の大本教事件は、日本の運命の先行モデル。その大本教の本部エリアに日本をさらにミニマイズした場所がある。それが金竜海。

 

地球は天球の縮図であり、日本は地球の縮図、さらに金竜海は日本の縮図。

 

出口王仁三郎は、綾部市に金竜海という三千余坪の池を造営し、大八洲(神島)、六合大島、沓島、冠島などの島も置いた。

 

祭神のポイントは、地上の神界も地上も主宰する国常立尊(艮の金神)が祀られていないこと。両方主宰していないと地上天国であるみろくの世は来ない。

 

そこで、まずは、天の三体の大神である、天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)を大八洲神社に祀った。

 

さて第二次大本教事件直後のある日、籠(この)神社の先代宮司海部穀定氏が京都の古道具屋で、店の主人がとある青年と金竜海の大八洲神社に祀られていたご神体である鏡を預かってほしい、いやそんな物騒なものは預かれないと押し問答になっているところに出くわした。

 

海部氏はとっさにこれを預かることを申し出、青年はほっとして立ち去ったという。

 

このご神体は出口王仁三郎自ら作った鉄製の神鏡であって、直径9センチ、表には16弁の菊花紋、裏面には、

『世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

神乃まもりのおろかならぬわ』という歌が彫られていた。

※「おろか」とはおろそかの意。

※”裏金神 原爆をこの世に送り出した神” 西郷武士/著 文芸社P263-264参照

 

金竜海とは、竜宮と言われるが、いままでよくわからなかったところがあるが、ネオ・アトランティスと見れば合点がいく。

 

世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時とは今の時代のことである。

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旭形亀太郎メモ

2023-03-05 15:53:18 | 古神道の手振りneo

◎知られざる明治維新の元勲

(2020-12-25)

 

愛知県に玉鉾神社を創建した旭形亀太郎。本名は、速水亀太郎、大阪の貧しい武家の次男。1861年二十歳にして京都の力士となった。1863年宮中の護衛のために勤王の同志を集めて力士隊を組織し、その隊長となって日夜宮中に奉仕。1864年の蛤御門の変(禁門の変)では、特に宮中に召され孝明天皇の玉座の守備を任された。

 

この際に御製を賜った。

照る影をひら手に受けし旭形

千代にかがやくいさをなりけり

 

これにより名を旭形と改めた。当時近衛家はじめ公家や薩長を中心とした小松帯刀、桂小五郎、西郷吉之助、横井小楠、大久保一蔵、坂本龍馬らとの間は幕府方の警戒が厳しく往来が困難であったが、常に旭形を密使として交信していた。一時気取られて新選組につかまったこともあるが、知り合いの与力に助けられた。

 

この当時の働きと交流、人脈が、明治になってからの実業家、篤志家としての成功の原動力となったと思われる。

 

旭形といえば、アサヒビールの総代のことばかり言われるが、陸軍偕行社の嘱託、大阪慈恵会病院の設立発起人、日本赤十字社の大阪支部幹事などを歴任。

(以上参照:史談 土俵のうちそと/武者成一/雲母書房)

 

後に彼は孝明天皇を祭神とする玉鉾神社を創建したが、小松宮彰仁親王が参拝されたほどの神社。明治政府は、無位無官の民間人による孝明天皇の神社創建をどう思っていたのだろうか。

 

たまほこのひ可里などでは、孝明天皇の予言(遺勅)を前面に出して説明するのだが、明治維新は20人程度の結束したグループで成ったのだが、旭形は、その中心的なハブ(隠密中の隠密)としてなくてはならないピースだったということがわかる。単に禁門の変で、玉体をカバーしつつ、銃弾を二発受けながら退避せられたということばかりではない。

 

そして維新後の栄達への無欲ぶりは、西郷隆盛に並ぶ。

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たまほこのひ可里

2023-03-05 15:49:57 | 古神道の手振りneo

◎三種の神器を守る

(2020-12-21)

 

慶応二年旧12月25日、孝明天皇が崩御され、生前に言い含められたとおり、天皇陛下近衛隊の力士旭形亀太郎が、車夫佐藤紋次郎に遺勅『たまほこのひ可里』(予言集)を託した。彼は、スの拇印のある人物にそれを渡すように命じられていたが、昭和10年の第二次大本教事件に係る家宅捜索に遇い、その際警察にその文書を焼却するよう迫られ、やむなく焼却。

 

佐藤紋次郎は、このことを悔い、記憶をたどって、遺勅を再作成した。それを持って、昭和17年、出獄して間もないスの拇印のある人物、出口王仁三郎に持参した。出口王仁三郎には特にこれについてのコメントはないが、歌集では、いい加減なことをまくしたてる人物がやってきてうるさいので、お茶も出さずに帰したと日付入りで残している。

 

孝明天皇は、知多半島武豊の玉鉾神社に祀られている。この土地が後に重要な意味を持つであろうことは以前述べた。

 

霊界物語では、玉を奪う話が多い。玉とは国がまえをつければ、国のことである。霊界で国盗りするとは、神国日本を奪おうとすることだから、孝明天皇遺勅に、アメリカは、日の丸と三種の神器を奪おうとして来るなどと書いているそうだが、三種の神器は、今やどこかの神社や博物館にあるのではなく、日本人個々が自らのうちに確認することができる時代となっている。

 

その意味で、三種の神器を奪われないようにするということが大切。

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-2

2023-03-04 15:27:04 | 古神道の手振りneo

◎富士と鳴門の仕組みの完成

(2021-01-11)

 

出口王仁三郎のことですらまともに理解されていない現代において、「大本裏神業」とは、大方の人にとっては、どちら方面のことやら想像もつかないマニアックな話なのだろうと思う。

 

明治中期、出口ナオという極貧のスーパー・チャネラーがいて、大神が降臨し、時代への大警告予言を金釘文字にて記録していた。彼女は京都の寺社大空襲などを含む日本の終末ビジョンを見ていた。何年か後に青年出口王仁三郎が高熊山の洞窟修行で、それと同様の日本の終末ビジョンを幻視。その幻視の内容が出口ナオと合致していたので、二人はパートナーとして教団を立ち上げた。

 

出口王仁三郎は、教団を拡大し、大正中期までには、チャネリング・帰神を主体とする大教団にまで発展させていたが、関東大震災予言の時期を一部幹部が「大峠」なる世の終わりと誤認宣伝する事件をきっかけに大正10年2月12日に第一次大本教事件として大弾圧を受けた。

これが、日本の第二次世界大戦敗戦の鋳型。

 

大正13年2月13日出口王仁三郎は、保釈(責付出獄)の身ながらモンゴルに高跳びし、盧占魁という馬賊の頭領に従ってモンゴル内を宣教した。ところが、東北軍閥トップの張作霖に盧占魁とその兵士諸共ほとんどが全滅させられ、出口王仁三郎一行も銃殺寸前まで行きながらかろうじて生還。これは、日本の人口が大幅に減るが、モンゴルにて存続はする鋳型。

 

大本教はさらに教勢を増し、皇族、軍部を含め政権内部に食い込み、公称信者数8百万人とも言われるまでになった。ここで近衛隊を模した昭和青年会という組織を作り、出口王仁三郎は、天皇のように白馬に乗って閲兵に見えるようなイベントまでした。これが明治中期から英国の指導協力の下、国家神道体制による戦争推進機構を完成させようとしていた官憲を刺激し、昭和10年12月8日第二次大本教事件が起き、出口王仁三郎は、以後7年牢獄で過ごすこととなる。これは日本の次の世界大戦敗戦の鋳型。

 

第二次大本教事件前夜、大本教のご神体は笹目秀和に託され崑崙山中に返還された。これも裏神業の一つ。ところが、今回の雑誌ムーの特集を見ると、ご神体はいくつも秘匿されていたらしい。そのいくつかが篤信の信者に流れ、また別途それについてのアドバイスも出口王仁三郎から出ており、それが裏神業を形成しているように思う。

 

そうした一人が泉田瑞顕。彼は、商工業文明の終わりと私有財産の奉還、租税制度の撤廃、貨幣制度の廃止などを説く。ところが、いずれも現代の技術文明の大規模な崩壊後のことであり、貨幣制度が金銀本位制をやめて御稜威本位制となるのは、大衆全員が神知る霊的社会になって後のこと。なぜなら御稜威が万人共通の価値観となるには、大神があって人は天皇を最高位に置く180位階であることが社会通念にならねばならないからである。終末予言を軸とするのはやむを得ないが、それから先は空想的なところがあるように思う。日月神示は彼の著作で知った。

 

出口王仁三郎は、辻天水を召命し、水茎文字を見せるなどして特別扱いし、大本教は世界の宗教が滅ぶ型であることを明かしたという(『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』、雑誌ムー2021年2月号の特集P23)。宗教が滅ぶとは、映画『マッドマックス』のような世界になることでなく、万人が神仏を知っている世界。万人が最低でも見神見仏(十牛図の第三図)の体験を有している世界。

 

それにしても、全組織宗教が壊滅しないと、万人が最低でも見神見仏しないと出口王仁三郎は踏み込んで見ていたのか。

 

裏神業には淡路神業があり、武智時三郎に「淡路の神秘ヱル、ヱロヘ、イスラヱル」という著作がある。一度見たがあまりにも霊がかりであって感心しなかった。武智時三郎の義理の息子白山義高は、淡路島に出口王仁三郎の命で井戸を掘削。さらに昭和27年淡路の菰江海岸の旅館四州園の敷地内で古代ユダヤの遺跡とされるものが発見された時に対応している。淡路島に残るイスラエルの足跡 イスラエル遺跡について詳しく説明。 (http://mysteryspot.org/report/awaji-israel/awaji-israel.htm)

 

これについて、淡路-近江-北伊勢とご神体が移るが、これが『富士と鳴門の仕組みの完成』の条件と出口王仁三郎が説明した由。これは地球ロゴスの神秘生理学ですね。

 

イスラエルは、ディアスポラで世界に民族離散し、20世紀になってようやく再建国できた。 日本は単独国家でやってきたがこれからはどうか。霊界物語入蒙篇の意義を考えさせられる。

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-1

2023-03-04 15:20:57 | 古神道の手振りneo

◎茜大神、菰野、淡路島、伊勢

(2021-01-10)

 

『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』は、雑誌ムー2021年2月号の特集。

 

大本裏神業は、チャネラーの系譜の色彩が強い。行というものは、総じて無意識を触るものであって、神業という名の行を行っている人を第三者が外形だけ見て何をやっているのか判じることは容易でない部分がある。それを見抜ける力量の人とは、釈迦の臨終時に四禅から涅槃に入ったと説明した人物とか、和気清麻呂が満月相を現じたと見た人物とか、龍樹の満月相を見た人物ぐらいの方ということになろう。

 

人が本気になるのは、ネガティブ予言でショックを受けた時だからと言って、更にネガティブな新たな予言を出しても、期待したとおり大衆が動くものでもない。有名ネガティブ予言が現実化しかけた時に思うのは、依拠すべき、まともな教え、まともな宗教があるのかどうかということの方であって、凄惨残虐な詳細な地獄絵図を見たいということではない。

 

今やまさにコロナという悪疫でもって、大衆を不安でもって思想と行動をコントロールし、次はアメリカのようにSNSも含め、言論、宗教、集会までも抑圧して行こうとするのだろう。アメリカは民主主義の国だと聞いていたが、今やそれは名ばかりの国になった。選挙において不正ははやったもの勝ち、悪事を隠すのにSNS主催者自体が協力することを世界中が目撃した。(霊的には、中国のアメリカへの浸透ぶりと北海道への浸透ぶりはパラレルという視点も忘れてはいけない(型出し)。)

 

次は、十六神将、十六魔王が揃ったところで、茜大神(大本裏神業錦の宮の神で、血染め焼尽の戦乱の神)の段階が予想されるのだろう。

 

今般の米大統領選挙での売電推しは、SNSも参加したことでヒトラー当時のファシズムの宣伝以上のものと感じられる。また中国の集金平崇拝は、文化大革命当時を思わせるものがあるが、彼のグリップは毛沢東のそれに及ばないことから、毛沢東の死とほぼ同時に文化大革命が終息したが、今般はそれほど長持ちしないのではないか。見え隠れする四分裂。

 

軍拡を急速に進めるドイツは、1938年のオーストリア併合に際し、中途半端な宥和策をとる欧米に付け込んで、そのまま領土拡張を進めた。

一方経済規模拡大と並行して軍備増強する現代中国に対しまたも宥和的な政策をとる欧米に、第二次世界大戦時の対独宥和姿勢と似ていると見る識者も少なくはないのではないか。

 

さて、世界は自分であって、自分は世界であるというのは、神人合一した第六身体アートマン・レベルの実感である。ゆえに、世界戦争とか、外国による日本国侵略の予感があるのであれば、悲劇的予言に慄くよりは、まず自分が冥想により神に近づくことの方が先決である。

 

大本裏神業では、世界の宗教はどんどん滅んでいき、最後に残るのはキリスト教だが、それも・・・・・と出口王仁三郎は予言したそうだ。いまや他人の悟り、他人の宗教にすがってもどうにもならない。自分自らが神仏にアプローチし合一を目指さねばならない。

 

そういったことを前提にして、終戦後、出口王仁三郎は、「拝みたい者には、築山など作って拝ませたらよい」などと云っている。

 

裏神業といえば仰々しいが、それは個別の信者に対して、出口王仁三郎が授けたその信者専用のユニークな修行法と見た方がよいように思う。それと、再度の教団隆盛を果たして出口王仁三郎が裏神業の発展として念願していたのだろうか。

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天王台の審神

2023-02-28 16:31:10 | 古神道の手振りneo

◎守護神も含めた全人類の審神

(2015-11-23)

 

出口王仁三郎は、第二次大本事件が天王台の審神であるとし、これにより既に善と悪は立て分けられたと述べた。天王台の審神については詳述されていない。

 

天王台の審神とは、以下の神諭を見る限り、守護神も含めて全人類が審神されるビッグ・イベント。第二次大本事件は教団にとっての天王台の審神であったが、全人類に向けての審神ではあるまい。全人類一人一人が善玉か悪玉か判定されるのである。

 

これまでは、中有で寿命の到達した順番に審神していたのだろうが、天王台の審神では、全人類一斉審神があるようなイメージである。

 

『是でも見て居ざれよ、今に善悪の身魂の審判が始まるぞよ。天王台の神庭会議が始りたら、何如な守護神でも薩張尾を出して、化けの皮を表はすやうに成るぞよ。

 

そうなりては可愛想なから、其所に成るまでに改心をさして、化けを表はさずに此儘で続いて行らしたいと思へども、余りの事で改心の為せやうが無いぞよ。

 

思ひの違ふ人民斗りが現はれて、世界は開いた口が塞がらぬ事斗り出来するぞよ、是の判りた人民今に無いぞよ。』

(雑誌神霊界77号P13の神諭から引用)

 

更に出口王仁三郎は、第二次大本事件が霊界物語第28巻に書かれてあるとする。守護神も含めた審神が行われ、世の大峠を経れば、以下の序歌のように月光いよいよ世に出でる霊的文明の始まりとなる。

 

霊界物語第28巻序歌

『序歌

 

 月光いよいよ世に出でて  精神界の王国は

 東の国に開かれぬ  真理の太陽晃々と

 輝き渡り永遠に  尽きぬ生命の真清水は

 下津岩根に溢れつつ  慈愛の雨は降りそそぐ

 荘厳無比の光明は  世人の身魂を照らすべく

 現はれ坐せり人々よ  一日も早く目を覚ませ

 四方の国より聞え来る  誠の神の声を聞け

 霊の清水に渇く人  瑞の御魂に潤へよ。』

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出口王仁三郎の入蒙の評価

2023-02-21 12:46:14 | 古神道の手振りneo

◎日本大衆の深いレベルの情動動かす

(2015-10-09)

 

出口王仁三郎の霊界物語全81巻で、入蒙記は別巻とされ、特別な位置づけである。なぜそうなのか。理由がようやくわかった。

 

出口王仁三郎は、未決囚でありながら、裁判所の許可を得ないまま、合気道の開祖植芝盛平らを伴い国外の蒙古に飛び出し、蒙古を教化しながら数か月の布教の旅をしているところ、張作霖軍によって捕らえられ、パインタラにて、一行全員が刑場に引き出され、銃殺寸前まで行った。辞世の句まで詠んだ。

 

そこで幸運にも生還できるのだが、その強運故に別巻としたのではない。帰国後日本国内では、英雄が帰国したが如き大報道をされ、大いに歓呼された。その後99日間収監されたのではあるが。

 

出口王仁三郎は、パインタラで逮捕された時に、「大成功だ」と叫んだという(出典:新月の光(上巻)/木庭次守P139)。

 

これこそが、入蒙記が別格となっている理由。出口王仁三郎は、この冒険で日本において英雄として歓迎され、日本全土にその名をポジティブに伝播することに成功したのだ。イエスの十字架刑が世界席巻のきっかけとなったように。

 

この事件が、日本大衆の深いレベルの情動を彼に向かわしめたのだ。

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AKB48の遭難と出口王仁三郎入蒙

2023-02-21 12:39:40 | 古神道の手振りneo

◎よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

(2014-05-26)

 

出口王仁三郎の霊界物語で「入蒙篇」は別巻の扱いであるが、ポスト出口王仁三郎時代を明示する重要な一巻である。

 

外面的には、今で言えば仮釈放中に当局の許可なくモンゴル旅行したのだが、その間に出口王仁三郎一行は銃殺寸前となり、辞世の歌まで詠んで、すんでのところで解放されたという冒険譚である。

 

大正13年2月12日出口王仁三郎は、大正10年2月12日に上弦の月と金星が空に輝いた時に教団の最初の大弾圧の第一次大本事件が起こったように、この日同じ現象が空に起こったのを見て、蒙古行きの決心を固め、翌日には蒙古に向けて綾部を発った。

 

2月12日は、かのダンテス・ダイジの誕生日であり、ポスト出口王仁三郎が彼であるリンクと見れる。

 

出口王仁三郎の一行には合気道開祖植芝盛平も加わっていたが、6月22日、日本人6名、中国人2名が一列に並ばされ、蒙古パインタラの町の銃殺場で機関銃を向けられたが、最初の発射で何故か銃の反動で射手が後ろに倒れたので、この日の銃殺は中止となった。

 

同日夕方から日本領事館が解放交渉にあたり、出口王仁三郎一行がパインタラを出られたのは、30日のことだった。

 

出口王仁三郎 蒙古パインタラの辞世。

『よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ』

 

『いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ

 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ』

 

2014年5月25日岩手で遭難したAKB48の○○さんの誕生日が2月12日なので、思わずこのことを思い出した次第。怪我の速やかに回復することを祈ります。

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出口王仁三郎のモンゴル入り

2023-02-21 12:35:30 | 古神道の手振りneo

◎東亜の天地統一

(2014-03-25)

 

大正13年出口王仁三郎は、大正10年の第一次大本事件の衝撃冷めやらぬ中、仮釈放みたいな不安定な身分ながら、モンゴルに脱出した。

 

世間では、スタンドプレー好きの目立ちたがりの教祖が、辺境のパインタラで銃殺されそうになりながら天佑により無事帰国しただけのエピソードとして、出口王仁三郎のモンゴル縦走を見ている節がある。

出口王仁三郎と大本教を考える上で、ポイントと思われるのは、このモンゴル入りと、笹目秀和による教団のご神体の崑崙山中への返還である。

 

霊界物語は全120巻の構想だったが、結局81巻と付録の特別篇入蒙記で完成となった。全体が縮小されたにもかかわらず、モンゴル入りの部分は故意に注目を惹くように残されているのである。

 

モンゴル入りの目的は、モンゴルに精神方面の力で一大王国を築こうとすることだったとされる(霊界物語特別篇入蒙記 第四章 微燈の影)。

 

モンゴル入りに際して娘婿出口宇知麿への手紙では「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり。」(大本/伊藤栄蔵/講談社P161)と述べ、東亜の統一をまず目論んでいる。

 

韓国中国が連携して反日運動を盛り上げている今、東亜の統一など夢物語に見えるが、ポスト第二次大本事件構想では、日本の大峠の後は、日本はモンゴルで大きく展開するであろうことを出口王仁三郎は見ている。

 

出口王仁三郎は昭和10年の第二次大本事件での収監前夜、なんと教団のご神体を一介の青年に過ぎない笹目秀和に託し、崑崙山中に奉還することを依頼した。出口王仁三郎にとっては既にこの時点で、教団の使命は終わり、みろくの世の一歩を日本はモンゴルで踏むことが予想されているが如き発言が出口日出麿から出る。

 

曰く崑崙山行きは素尊(スサノオ)から出ていること。そして「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね」(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P215)と。

 

笹目氏は当時からモンゴル独立運動を支援してきた。

 

こうして見てみると、モンゴルは意外にも日本の21世紀における重要なパートナーになっていくかもしれないと思う。誰もそんなことは思っていないのだけれど。

 

パインタラでの銃殺直前の出口王仁三郎の辞世

「いざさらば 天津御国にかけ上がり 日の本のみか世界まもらん」

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天津神を降格す 国津神を昇格す

2023-01-28 06:37:16 | 古神道の手振りneo

◎主役が端役に、エキストラが主役に

◎フツーのまじめな人 野槌彦

(2014-04-20)

 

朝な夕なに天津祝詞を奏上する人は少なくないだろう。その中で天津神が必ず出て来る。

ところが、霊界物語では、大火によって地球全体を修祓、浄化を繰り返すのだが、その中で、この天津神全員を国津神に降格し、国津神の一部を天津神に昇格させる神事が顕れる。

 

地上天国、千年王国を現出させるプロセスには必ずこういう人事ならぬ神事がつきものだと思うが、霊界物語にはあまりにもあっさりと書かれていて、見逃しやすい。

 

ところがこの神事こそ、天と地の立替そのものなのである。

 

霊界物語の最も重要な最後の10巻が天祥地瑞。その後半部分には地上が火で洗われるイベントが繰り返し描かれ、地上天国を各地に拡大していく。この神事はこうした争乱騒擾の中での出来事だが、決定的なシーンである。

 

国津神から天津神に昇格したのは、フツーのまじめにやっている人である野槌彦だが、「とてもじゃないけど一人では、ご神業遂行できない」と追加で4柱の国津神を昇格させることを乞う。合計5柱でも少ないが、これまでのように一人の傑出したリーダーが指導するのでなく、アクアリアン・エイジ(宝瓶宮時代)として集団指導であることを示している。

 

霊界物語第78巻

『第一七章 天任地命

 

 茲に葦原の国土の守り神と生れませる葦原比女の神は、天体に現はれし月星の奇現象に三千年の天地の時到れることを、鋭敏なる頭脳より証覚し給ひ、大勇猛心を発揮して、天津神等を一柱も残さず地に降し、また地に潜みたる神魂の清き国津神を抜擢して、天津神の位置につらね、国土の政治一切を統括せしめ給ふ大英断に、朝香比女の神は感激し給ひ、諸神に向つて宣示的御歌を詠ませ給ふ。云々』

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吉岡発言

2023-01-25 17:00:21 | 古神道の手振りneo

◎神は(人に)持ちきりにさせない

(2013-01-21)

 

吉岡発言とは昭和20年12月、鳥取県吉岡温泉での出口王仁三郎談話で、重大なエポックとなるものである。

 

『新しい世をひらく

 

自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで、囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を、全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は、再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会は、どこにもたてない考えだ。

 

治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という、浜口内閣時代の暴政をうたったものを持ち出し、「これはお前が天皇になるつもりで、信者を煽動した不敬の歌だ」といい出し、「黒雲とは浜口内閣のことだ」といったが、どうしても通らなかった。

 

自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 

これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。

 

しかし大和民族は、絶対に亡びるものではない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

 

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として、尊い使命が含まれている、本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。』

(大阪朝日新聞昭和20年12月30日付)

 

「火の雨が降るぞよ」も、実は型出しに過ぎなかったことは、実は後に明かされている。

 

「官国幣社の祭神が神様でなく唯の人間だったこと」は、いろいろと差し障りがあるせいか、世間できちんと評価されてはいない。私はクンダリーニ・ヨーギではないので、その辺のパワー・バランスのことはよくわからないが、そういう神社が広く国民の崇敬を受けるようなことがあれば、反作用は、ろくなことにならないだろうことは察しがつく。

そういうのは神道だけのことでもないし。

 

何が正しくて何が邪かわからない人ばかりの国を、「神は、(人に)持ちきりにさせない」ということなのだろう。

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立替立直しと霊界物語の余白歌

2023-01-25 16:43:31 | 古神道の手振りneo

◎立替の経綸の奥は沢あれど 人に言はれぬ事の多かり

(2021-03-13)

 

肥田春充ばかり読んでいると、パワー系、マッスル系の根源が丹田であるかのように思えるが、出口王仁三郎説では、鎮魂においては、令義解に「離遊の運魂を招きて身体の中府に鎮む」とあるように冥想のrootでもある。更に言霊では、言霊を息吹くのは臍下丹田からであり、神人合一して現界霊界に活躍する根幹でもある。

 

霊界物語の余白歌は、あまりにも分かりやす過ぎるがゆえに、出口王仁三郎が、まとめての出版を嫌っていた。だが、何だか今は余白歌集まで出ている。出口王仁三郎没後は霊界物語があまり読まれぬ時代があったので、余白歌も当然に読まれなかった時代が長かったのだろう。

 

立替立直しを教義の軸に据えるというのは、この世の終わりが明日にでも来るように唱えるということで、イエスの幻視もそういうところがある(世の終わりには云々)。教団への弾圧が予見されていても、立替立直しという広汎な文明破壊が見えていても、それでも自らの行うべきことを行い続けるというのは、誠に丹田ができていなければできないのではないかと思う。

 

余白歌は、その篇の内容を神の立場から評価しているものばかりであって、人間の立場から解釈すると誤解する。

 

逆立ちした人間とは神の立場から見ているということだが、それは必ずしも人間にとって都合のよいことばかりではない。人に言はれぬ事の多かり、なのだ。

 

 

以下霊界物語第七巻の余白歌から

『国所家々(くにところいえいいえ)のみか人草の

    心の内も立替ゆるなり

〈第6章〉

 

月の光昔も今も変らねど

    遙(はろ)の高峰(たかね)にかかる黒雲

〈第7章〉

 

高山の嵐は如何に強くとも

    渓間(たにま)の木草倒されもせず

〈第7章〉

 

世を救ふ神は渓間に現はれて

    深き心の経綸(しぐみ)を遂げつつ

〈第7章〉

 

世の人に普(あまねく)く好かれ世の人に

    またそねまれむ神の宮居は

〈第12章〉

 

海津見(わだつみ)の深きに潜む曲神も

    浮びて神代を讃美なすらむ

〈第14章(校)〉

 

久方の天津空より鳴き渡る

    鳥の叫びに眼を覚ますべし

〈第17章(校)〉

 

世の元の神の心は急ぐらむ

    立替の日も迫り来れば

〈第17章〉

 

神は世に出る道つけて出でませり

    誰も此の道安く歩めよ

〈第17章〉

 

立替の経綸の奥は沢あれど

    人に言はれぬ事の多かり

〈第17章〉

 

身も魂も月日の神の与へたる

    賜物なればおろそかにすな

〈第19章(三)〉

 

この度のふかきしぐみは惟神(かむながら)

    ただ一息も人ごころなし

〈第20章〉

 

天の時今や到りて諸々の

    罪に満ちたるものは亡びむ

〈第20章(校)〉

 

久方の天の鳥船かずの限り

    舞ひつ狂ひつ神代は到らむ

〈第21章(校)〉

 

あら鷲は爪研ぎ澄まし葦原の

    国の御空に世を窺がへり

〈第21章(校)〉

 

常磐木の弥栄えゆく足御代(たるみよ)を

    神の心は松ばかりなり

〈第23章〉

 

神人(かみびと)の夢にも知らぬ立替は

    生ける昔の神の勲功(いさおし)

〈第23章〉

 

この度の世の改めは万世(よろづよ)に

    ただ一度(ひとたび)の経綸(しぐみ)なりけり

〈第23章〉

 

常暗(とこやみ)の世を照らさむと東(ひむがし)の

    空より落つる火弾のかずかず

〈第23章(校)〉

 

驚きて逃げ惑ひつつ諸人は

    神知らざりし愚をかこつらむ

〈第23章(校)〉

 

葦原の瑞穂の国は世界なり

    中津御国は日の本の国

〈第28章〉

 

天地(あめつち)の神の稜威(みいづ)は現はれて

    上下睦(かみしもむつぶ)ぶ神代となるらむ

〈第28章〉

 

日の本の国に幸(さち)はふ言霊(ことたま)の

    稜威に亡ぶ百(もも)の曲神(まがかみ)

〈第31章〉』

 

このように結構な内容な予言歌が続々と並んでいる。

聖徳太子未来記を読んでモンゴル遠征に出発し、ごくわずかな人数しか生還できなかった出口王仁三郎。

終戦後の最晩年に吉岡発言で今後のリアルな見通しを述べた出口王仁三郎。

生涯に六度死に、その都度神人合一を果たしたであろう出口王仁三郎。

27歳、高熊山での1週間の水も飲まない断食での修行で世の終わりと新時代を幻視し、見たビジョンが出口ナオと合致したので、共同戦線を張った出口王仁三郎。

 

この余白歌にあるように、最後まで渓間での活動を強いられる。それでも神人合一が世人(よびと)の目標。

 

最後はまた米軍の火弾ですかね。

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ノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)

2023-01-25 16:37:12 | 古神道の手振りneo

◎神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ

(2021-05-15)

 

海幸彦、山幸彦で、現代日本をみろくの世に渡してくれるのは、意識の極限状況を無事に通過させてくれる『目無堅間の船』であると知った。

 

パニック映画でよく出てくるように、善人も悪人も取り混ぜて巨大宇宙船兼潜水艦みたいな母船に動物ともども乗り組んで、天変地異をやり過ごす。

そして天変地異が終わったら、方舟に乗り組んだ善人悪人取り混ぜて、今みたいな科学の発達した地獄的時代を再建にかかるというのは、どうも違うのではないか。

 

ヨハネの黙示録21章では、

『第21章

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

(中略)

 

わたしは、この都の中には聖所を見なかった。(中略) 汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。』

宗教のない時代が到来するが、その理由は万人が神を知っているからである。

 

さて全人類を千年王国に渡してくれるノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)。最後の審判、立替立直しにおいて、ノアは破壊(修祓)、ナオは再建(復興)なので、ノアとナオとが揃わないと方舟にはならない。

 

ノアだけだと、パンミックやら、飢餓やら、核戦争やらで、地上は荒れ果て人口は激減し、技術文明はほとんど喪失するだけとなる。ナオがあってはじめて、人口が激減し「さびしく」なった新時代の初めに復興の萌芽を残すことができる。万人が神を知ってナオ。

※暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよ(伊都能売神諭)

 

以下は、『出口王仁三郎全集第5巻随筆(一)ノアの洪水と方舟』から引用。

『ノアの神勅を受けて大なる方舟を造り、世界の大洪水来ることを予言し、万民を救はむとした。然れども其時代の人は一人も信じなかつたのみならず、愚弄軽侮し、其方舟を見て散々に嘲笑したのである。(方舟とは神の誠の救ひの教の意也)

 

段々大洪水の日は近づけども、多くの人民は益々放逸、強情、無頓着、破廉恥漢ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであつた。今日の社会は恰もノアの方舟建造当時と少しも変らぬのである。不信悪行、利己の濁流は、天地に漲つて居るのである。

 

今日は最早山麓まで浸水して居るなれど、ノアとナオとの方舟(一名目無堅間船)に乗る事を知らぬ盲目や聾者ばかりである。

 

 天地の元の御先祖なる生神は、至仁至愛に坐ますが故に、世界の人民を一人でも多く救ひたいと思召し、先にはノアの方舟を造りて世人に警告せられ、今又茲に大神は下津磐根の地の高天原に出現して、明治二十五年の正月から、変性男子の御魂の宿り給ふ神政開祖、出口直日主命の手と口を以て前後二十七年間、懇切に世人に向つて日夜警告を与へ給うたのである。

 

然れど今も古も人の心は同じく、邪悪に充ち頑迷にして天来の福音を聞かず、神の救助船を見て散々に嘲笑する者ばかりで、神様も今の世界の人民には改心の為せ様がないので、誠に困つて居られるのである。

 

どうしても改心が出来ねば、已むを得ず大修祓が執行されるより外に途は無いのである。実に今の人民くらゐ暗愚にして頑固な不正直な、身勝手な者は無いのであるから、吾人は世界の前途を案じて心配するのである。

 

神界から堪忍袋の緒を切らして、弥々最後の日が来るにしても、神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ。』

 

マスコミも政府も予告などしない。

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古事記をいつ書くか

2023-01-25 16:29:43 | 古神道の手振りneo

◎今再びの中国の日本占領の企てが見える

(2021-05-13)

 

たまにはSLも走る秩父鉄道に乗ると、和銅黒谷という駅があり、ホーム真ん中に直径2メートルはあろうかと思われる巨大和同開珎のレプリカに驚かされる。このレプリカは最近新しくなった。

 

和同開珎は、708年、古事記は、712年成立。

日本一国の伝統文化が唐様になっていくには、まず中国による軍事占領の如きものがあって何十年か経ってほぼ完成する。

 

621年 日本への中国文化移入を推進した聖徳太子没

645年 乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)

646年 大化の改新

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦いで大敗し、日本は事実上唐に軍事支配を受ける。 

666年 高句麗滅亡。王族の王若光らが武蔵国に亡命移住?

671年 唐国の使人郭務悰等2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。

671年 天智天皇崩御

672年 壬申の乱

673年 天武天皇即位

681年 稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞(帝紀と旧辞)を詠み習わせた。後に筆録されて『古事記』となる

686年 天武天皇崩御

708年 和同開珎

712年 古事記

 

こんな具合で、唐の文化的影響が深刻化する中で、文化遺産としての“古神道”を保持する目的で古事記が編纂されたのであろう。

要するに古神道が滅亡の危機に瀕したので、古事記が編纂されたのだ。

 

同様の流れは、アトランティス滅亡前夜にもあった。一万二千年後の現代に向けて、エジプト、ギリシア、中米、北欧、日本などに向けて、アトランティス文明の精神科学の精華を携えた伝道グループが散って行った。

 

そして彼らが、それぞれの地で、旧約聖書、北欧神話、オリジナル古事記、マヤ神話など、古伝承、神話などの形でアトランティス当時のあるいはそれを上回る精神文明の開花が、フロリダ沖にアトランティス大陸が再浮上することを合図に、現代において起こるだろうことを予言したということ。

 

この文明には神の息吹をダイレクトに感じられる象徴は多くはないが、一般に滅亡と喪失が眼前に迫ると、文明の精華を次代へ残そうとする動きが出る。切羽詰まらないとやる気にならない、非人間的な悪夢が現実化し始めないと改心しないのは、人間の常とは言え、何生も輪廻転生を繰り返してきた人間なら、教訓を学んでいるはずではある。

 

そして今再びの中国の日本占領の企てが見えている聖徳太子未来記。

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海幸彦と山幸彦

2023-01-25 15:41:05 | 古神道の手振りneo

◎無間勝間(めなしかたま)の神船

(2021-05-14)

 

海幸彦と山幸彦は古事記に出ていて、いじわるな兄海幸彦を真面目な山幸彦が見返すという物語。

 

ところが出口王仁三郎の講演録によれば、

海幸彦は外国、山幸彦は日本。海幸彦は、針に餌をつけ騙した魚を取るやや卑怯なやり方。山幸彦は弓矢なので心技一体とならねば獲物を取れない大和魂。

山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針で釣りをしたが、さっぱりの結果で、釣り針まで落としてしまった。そこで、代わりの針を千個も作ったが、海幸彦はこれは貸した針ではないとして受け取らない。

 

苦悩している山幸彦のところに塩椎(しおつち)翁がやってきて、無間勝間(めなしかたま)の船をつくり、それに山幸彦を乗せて竜宮に送り込んだ。

 

無間勝間(めなしかたま)の船とは、衆生済度のことであり、神様の教えのこと。

 

古事記では、山幸彦は竜宮で妻子を得て、なくした針も見つけて、3年後に地上に戻り、針を海幸彦に返すと同時に呪いによる報復もする。

 

これは、明治維新以来、150年脱亜入欧を行ってきたが、これはつまり『三年間竜宮なる外国留学から帰国』したということで、この頃ようやく日本国にメナシカタマの船なる日本古来の宗教たる皇道が現れてきた。そして最後は、山幸彦が万国を平定されるということ。

 

目無堅間の神船は、大本神諭などにも出てくるが、大悟覚醒した聖者塩椎翁が日本に出現し、目無堅間なる冥想の奥義を招来するということだろう。

 

出口王仁三郎は、古事記上巻は、みろくの世到来前に必ず実現するイベントであり、海幸彦と山幸彦の段もそうだと太鼓判を押している。

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