◎岩から湧く水から人と神の逆転へ
この時代の奇跡と言えば、万人が覚醒し、至福千年、みろくの世を作ることである。まれに一人二人が覚醒するのはいわば当たり前だが、万人が覚醒するのは奇跡である。なおのこと、いきなりある日突然同時に多数の人が悟りを開くのは、常識的には困難だが、これができれば奇跡である。
旧約聖書出エジプト記17に、その骨格を想像させるモーセのエピソードがある。
イスラエル人は、モーセが割った紅海を渡りエジプトを脱出したが、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには飲み水がなかった。 渇きのあまり民はモーセに詰め寄り、水をくれなければモーセを石で撃ち殺さんばかりの勢いであった。困り果てたモーセが神に伺うと、かつてナイル川を打って血に変えた杖でもって岩を打てとのこと。モーセが杖で岩を打つと、果たして水が湧き出した。
この奇跡が実現したのは、モーセの側と民の側のそれぞれの条件が満たされてのことである。
モーセの側には、まず民に追い込まれた切迫感がある。そして、この世とあの世の秘密を知っており、神の智恵の導きにより、岩に水脈があって、それを打ち出す杖という神通力を有していることがある。
一方民の側は、もういささかも我慢できないほどの渇きによる死の恐怖と、モーセのナイル川を血に変えたのと紅海を割ったことの二つの実績を踏まえ、神威への期待感と希望が溢れ出さんばかりになっている。
この双方が相まって岩から水が湧き出すという奇蹟を現実のものとした。
現代人の直面している“渇き”は、その本質は精神的な渇きであって、実は金や水などの物質的な渇きではない。
人間の理不尽、不条理は、結局精神の渇きを癒されねば解消することはない。ところが、そのためには奇跡的な何かが起こらねばならない。
モーセの時代は、それが岩から吹き出る水だったが、現代は人と神の逆転である。