◎働きながら修行できる環境と覚悟
今の時代は、よほど稀な境遇でない限り、禅道場やキリスト教修道院のような専門道場で何年も過ごすことはむずかしい。そこで現代は、勢い働きながら修行するというのが主流となる。
修行の進み具合によっては、全然働けなくなるシーンがあるもので、衣食住の面倒を見てくれる支援者(細君、愛人、友人、近親など)が、本当に真剣に取り組もうとする冥想修行者には必要なものである。
冥想の進み具合によって、そうした環境も自ずと整ってくるということはあるが、そこは考えなくてはいけない部分ではある。
ホウ居士は、師匠の石頭希遷に「出家するのか在家で修行するのか。」と問われ、在家を選んだ。その時のホウ居士の偈。
『【大意】
日常の仕事は特別なことはない。ただこれ自ずからうまく運んでいくだけのこと
何一つ選びもせねば捨てもしない。どこで何をしようとまが事は起きない。
(出家して)朱や紫の衣を着る位階にも関わり無く、ここは塵一つない山中である。
わたしの神通と妙用とは、水をくみ薪を運ぶことである。
【訓読】
日用の事は、別なし 唯だ是れ自ずから偶またま諧(かな)うのみ
頭々取捨にあらず 処々張乖(ちょうかい)を没(な)し
朱紫 誰か号を為す 丘山 点埃(てんない)を絶す
神通並びに妙用 水を運びまた柴を搬(はこ)ぶ』
ホウ居士は、箕造りで一生を終えたが、臨終時に娘に先を越された消息には鬼気迫るものがある。