アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

宇宙全体と無、なにもかもなし

2024-07-15 06:16:46 | 覚醒のアーキテクチャー

◎すべての人々を愛するとは、誰も愛さないのと同じ

 

第六身体アートマンを宇宙全体と置いているが、それでは無とは何か。

OSHOバグワンも宇宙全体は無、なにもかもなしだと言っている。これを一言で言ってのける人(一休、至道無難ダンテス・ダイジ)もいて、それで納得できない人は傾聴すべきだろう。

 

『存在と非存在、無とすべて、そうしたものは一見反対だが、実際は同じものを意味している。

すべてと無は、同じものを意味する。 辞書上では反対だが、生においては反対ではない。たとえ ば、「私はすべての人々を愛する」というのと、「私は誰も愛さない」というのは同じ意味だ。特定の誰彼を愛して初めて、違いが現れる。すべての人々を愛するとは、誰も愛さないのと同じだ。 そこに違いはない。

 

違いというものは、つねに程度問題であり、相対的だ。両極端には程度がない。 「全」と「零」 には程度がない。全を零と呼ぶこともできれば、零を全と呼ぶこともできる。だから内なる空間 の呼び方は、悟った人間それぞれによって違っている。たとえば、空、シュンニャ、無、非存在、 アナートマ、と呼ぶ人もいれば、絶対的存在、梵(ブラフマン)、アートマン、至高我、と呼ぶ人もいる。 どちらでも同じだ。一方は肯定的で、他方は否定的だ。片やすべてを包含し、片やすべてを排除する----そのどちらかしかない。 相対的な用語では叙述できないから、絶対的な用語が必要となる。この相矛盾する両極端は、どちらも絶対的な用語だ。』

(ヴィギャンバイラブタントラ(10空の哲学)OSHO P293-294から引用)

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