アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

太乙金華宗旨の光について-1

2025-02-02 06:42:31 | 覚醒のアーキテクチャー

◎天上の光は、両目のあいだに含まれている

 

道教では光を回して、金華を得る。そこで光とは何か。OSHOバグワンの説明。

 

太乙金華宗旨の冒頭。

※性を精髄と訳。

※命を生命と訳。

※天光を天上の光と訳。

(ゴシック体は、経典本文)

 

ポイントは以下。

  1. 精髄と生命は、天上の光のなかに含まれている。天上の光は見ることができない。
  2. 天上の光は、両目のあいだに含まれている。
  3. 精髄も生命も、直に感じ取らねばならない。
  4. 両目はあなたの内側にある男性性と女性性を表している。
  5. この男性と女性があなたの内側での出会いが「天上」での内なる交合。
  6. イエスも「二つの目がひとつになると、光が現れる」と言う。

 

タオには名前もなければ形もない。それは一つの精髄、原初の精神である。

(中略)

 

精髄と生命は見ることができない。この二つは天上の光のなかに含まれている。天上の光は見ることができない。それは両目のあいだに含まれている。

 

形は見ることができるし、肉体は見ることができる――肉体は形であり、精髄を包み込んでいる物質だ。だが、精髄を見ることはできない。精髄は目では見ることができず、五感ではとらえることができない。それは何も介さず、直に感じ取らねばならない。

 

あなたは私の肉体を見ている。私はあなたの肉体を見ている――そこには器官が介在している。私の目が、あなたがここにいると告げている。あなたの目が、私がここにいると告げている。だが、本当にそうだろうか。私たちは目にだまされているのかもしれない――目には時々だまされることがある。夜、暗闇のなかで一本の縄が蛇のように見える。蛇だと思い込めば、それは蛇と同じように作用する。あなたは怖くなって走りだす。あるいは、砂漠のなかで、ありもしないオアシスを見ることもある。それはたんなる投影による現象だ。喉があまりに渇くので、あそこにオアシスがあればという願望が起こり、その願望がオアシスをそこにつくりだすからだ。目はよく人をだます。だから当てにはならない。

 

あいだにものを介在させて知られる真理は、つねに怪しく、疑わしいままだ。それは確実なものとはなりえない――絶対に確かだとは言えない。が、絶対的な確証のない真理などまったく真理ではない。真理というものは絶対に確かなものでなければならない。ほぼ確かでは通用しない。となると道はただひとつ――真理はあいだにものを介在させずに知られねばならない。人はそれを直接、端的に知らなければならない。人はそれをいかなる器官も介さずに知らねばならない。真理はまさにそのようにして知られる。

 

生命を見ることはできないが、それを感じ取ることはできる。それは主観的な体験であって、客観的な対象ではない。

 

精髄と生命は見ることができない。この二つは天上の光のなかに含まれている。天上の光は見ることができない。それは両目のあいだに含まれている。

 

人間には二つの目がある。道家の人々にとって、この二つの目にはとても重要な意味がある。現代の科学はようやくその真実を見ることができるようになった。この二つの目はたんにものを見るためにだけあるのではない。この両目はあなたの内側にある男性性と女性性を表している。

 

今や現代の科学は言う。人間の脳は二つの半球に分割することができる――そして片方の半球は男性的で、もう片方の半球は女性的だ、と。あなたの頭脳の右側は女性的であり、左側は男性的だ。だから片方の目はあなたの内なる男性を表し、もう片方の目はあなたの内なる女性を表している。そしてこの男性と女性があなたの内側で出会うときの、その出会いこそが「天上」と呼ばれているものだ――それはあなたの男性性と女性性の出会い、内なる交合だ。

 

イエスは言う。「二つの目がひとつになると、光が現れる」彼は道教の煉丹術師のように語っている。あなたの両目がひとつになると、光が現れる。あなたの両目がひとつになると――あなたの男性性と女性性が互いのなかに消えてゆくと、究極のオルガズム的な体験が起こる。女性や男性と愛を交わすときにあなたが感じるものは、その一瞥、つかの間の一瞥にすぎない。それはほんの一瞬のものなので、あなたが気づくころにはすでに過ぎ去っている。あなたは後になってようやくそれに気づく。それはあっという間に行ってしまう。だが、それは一瞥であり、男性性と女性性の出会いの一瞥だ。

 

これは外側の世界における出会いだ。たとえ一瞬といえどもそれが起こるのは奇蹟だ。が、そこには深遠な可能性が秘められている。タントラ、タオ、ヨーガをはじめとする、世界のあらゆる秘密の教えが行なってきたのはそれだ・・・・内なる男性と女性――タントラ行者が「シヴァ」と「シャクティ」、道家が「陰」と「陽」と呼んできたものにあなたが気づくのを助けること。その二つの極、あなたのなかの〈陰〉と〈陽〉、あなたのなかの昼と夜――その二つが出会わなければならない。』

(黄金の華の秘密/OSHO/メルクマールP26-29から引用)

 

「イエスの二つの目が一つになると光が現れる」という言葉は、次の新約聖書のマタイ伝6章22節と23節に由来するが、覚者が後で示唆しなければわからない。

 

『22

あなたのからだのあかりは、目である。もしあなたの目が健全であれば、あなたの全身は明るいであろう。

23

もしあなたの目が悪ければ、あなたの全身は暗いであろう。もしあなたのうちにある光が暗ければ、その暗さはどんなに大きいことか。』

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