ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ボヘミアン・ラプソディ〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-06 | 音楽

オープニングに続き陸海自衛隊音楽隊の演奏が終了しました。
第一章のテーマは

トラディションー伝統と継承の響きー

なので、続く外国バンドも日本に長らく駐在している
米海軍軍楽隊もそういう意味ではここにカテゴライズされるでしょう。

ところでわたしは夏前に映画感想エントリをまとめて作成したのですが、
その中に團伊玖磨の自伝を基にした「戦場にながれる歌」という
陸軍軍楽隊ものがあります。

音楽まつりが終わったら関連テーマとしてアップする予定なのですが、
この映画、後半に当時の在日米軍軍楽隊が大活躍?するのです。

映画では終戦直後の外地における捕虜収容所の専属バンドという設定でしたが、
撮影に参加していたのはまさしく1952年からキャンプ座間に展開した
米陸軍軍楽隊のメンバーでした。
(そのため色々と映像とストーリーに矛盾が生じていたのですが、
そのツッコミも含めてどうぞアップをお楽しみに)

わたしはその制作の過程で映画のためにキャプチャした写真を観ながら、

「ここに写っている軍楽隊員のほとんどは下手したら生きていないかも」

という感慨を持ったものですが、つまり在日米陸軍はそれほどに
今日まで長きにわたって根を降ろしてきたということでもあります。

Selections From Queen

海上自衛隊が楽聖ベートーヴェンのメドレーを行った後に、
こちらはロック界のレジェンドであるクィーンのメドレーです。

昨年はなぜかクィーンがフレディ・マーキュリーの自伝映画、

The Untold Story 

リリースとともに大ブレイクし、そのおかげで全世代に彼らの音楽が
懐メロという位置づけではなく浸透しました。

「ボヘミアン・ラプソディ」の冒頭アカペラの導入部分を
トランペット奏者がソロで演奏し、それにトロンボーンが絡みます。

ハイトーンのメロディはトランペットには難しそうですが、
わたしの観た回は3回のうち2回はノーミスでした。

その部分をイントロとして、曲は

「Crazy Little Thing Called Love」
(愛と呼ぶところのクレージーで些末なもの)

に代わり、ボーカルが加わります。

 

東京音楽隊がピアニストありきで今回ベートーヴェンメドレーを選んだように、
米陸軍音楽隊も彼がいるからクィーンをすることにしたのではないかと思いました。

マイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーなんて、そもそも
似ているとか以前にまともに歌える人そのものが滅多にいない気がします。

白人、東南アジア系、東洋系、アフリカ系。
同音楽隊リズムセクション+キーボードは多様性に富んでいます。

もう一度「ボヘミアン・ラプソディ」に戻り、ラストの4拍3連部分、

「So you think you can love me and leave me to die?」

のところではリズムに合わせて全員で腰をアップダウン。

総じて米陸軍音楽隊のマーチングはラフな部分多めで、
全員でライトスライドでぐるぐる回るけど全く整列しないとか、
ただ上半身揺らしてるだけとかいう状態から、いつのまにか
高速移動してちゃんと整列しているというようなのがお得意です。

アフリカ系の年齢は他民族からはわかりにくい(そう思うのはわたしだけではなく、
アメリカの法廷ドラマ『グッドワイフ』でもそんなセリフがあった)のですが、
彼の場合袖の洗濯板は6本あるので、勤続18〜21年未満のベテランです。

階級は二等軍曹(スタッフサージャント)、自衛隊でいうと普通に二曹となります。

曲は「Somebody Loves Me」

日本語のタイトルはなぜか「愛に全てを」なんだそうですが、どう考えても
「誰かがわたしを愛してる」ですよね。
ジャズのスタンダードに同名タイトルの曲があるのであえてそうしたのかな。

Queen - Somebody To Love (Official Video)

 

実際に映像を見ていただければ、このヴォーカルが持っているマイクのスティック、
フレディのトレードマーク?だったことがおわかりいただけます。

これについてはなんでもフレディがまだ学生の頃、当時のある日のステージで
スタンドマイクを振り回しながら歌っていると継ぎ目のところで半分に折れてしまい、
本人はなぜかスティックだけになったそれをえらく気に入って、
その後自分のトレードマークにしてしまったという伝説があります。

ところでこのスティック、いったいどこで調達してきたんでしょうか。
ネットを検索すると「100均でなりきりスタンドマイクの作り方」
なんてのが出てくるんですが、まあ陸軍なら、いくらでも金属加工くらい
施設科かどこかでやってもらえるかもしれませんね。

ちなみに100均で作ると、ポールはプラスティックになりますので念のため。

「 Find me somebody to love」のリフレイン部分になると、
全員が楽器をお休みし、自分たちも歌いながら客席に向かって

「一緒に歌え」

と手振りで強要してくるのでした。

ボーカルも

「エブリバディ!」(歌え)

とか言ってるし。

だがしかしここはジャパン。
このフレーズをこの場で一緒に歌える人は、おそらくこの代々木競技場の
五千人の観客の中でクィーンのコンサートに通ったレベルのファンとかの
一人か二人、せいぜい三人くらいだったとわたしは断言します。

というわけで皆手拍子はすれども歌は歌わず。
ユーフォニアムのおっさんが

「あ?聴こえねーぞコラ」

ってやってますが、歌えんものは歌えんのだ。わかってくれ。

というわけでクィーンの曲で最後まで押し通した在日米陸軍、
エンディングはもう一度「ボヘミアン・ラプソディ」で締めます。

あくまでもフレディスタイルでフィニーッシュ!

指揮はリチャード・チャップマン上級准尉。
今回米陸軍はドラムメジャーが出演しませんでした。

そういえばアメリカ軍の軍楽隊隊長は必ず上級准尉です。
軍楽隊に士官はいないということなんでしょうか。

米陸軍の退場は王道の「星条旗よ永遠なれ」に乗って行われました。

 

続いては米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊の登場です。

「伝統と伝承」といえば、海兵隊音楽隊の歴史は古く、
独立戦争中に創設された海兵隊が1797年に再建されたとき、
歴史上初めて大統領の前で演奏できる軍楽隊として生まれたものです。

彼らの制服が詰襟なのも、大航海時代「首を刃物から守るため」
カラーにレザーを使用していたことからで、一般的に今でも
海兵隊のことを「レザーネック」という慣習は残っています。

音楽まつりに出演する海兵隊部隊は沖縄のフォート・コートニーに駐在し、
アメリカ以外に本拠地を置く唯一の海兵隊音楽隊として活動しています。

演奏タイトルは「Peace Across The Sea」

ブルース風のリズムを持つ曲ですが、検索しても同名の曲は見つかりません。
もしかしたら隊員のオリジナルだったりして・・・・。

ピースマークを全員で描いて、解散したところ。

彼らは海外に展開する唯一の音楽隊として、日本を中心に
アジア全域で活発な演奏活動を行なっており、
年間300くらいのコンサートをこなしているそうです。

ところで音楽まつりのとき彼らはどこに寝泊りしているんでしょうか。

ゆったりしたピースフルな曲がワンコーラス終わると、続いては
海兵隊名物、ドラムセクションの乱れ打ちが始まりました。

ステップしながらの演奏では隣のドラムを叩いたり、
時々スティックをクルクル回してみたり。

映像をご覧になることがあったら、ぜひこのときのシンバルの人の
謎の動きにも
注目してみてください。
この奏者、後半演奏がない時もシンバルを振り回して目立っております。

そして時折このようにニッコリ笑いあったりしているわけですな。

「お、ボブお前やるじゃん」「まあな」

みたいな?

ちなみに彼らは全員三等軍曹です。

ところで大変不甲斐ないことに、わたしはこのパーカッションの後、
前半とは雰囲気をがらりと変えたハンス・ジマーの映画音楽風の曲の題名が
どうしても思い出せず、アメリカにいるMKにSkypeで尋ねたところ、

Two Steps From Hell - High C's 

であるという答えとともに即座にYouTubeを送ってきました。
何度も聴いた覚えがあると思ったらわたしアルバム持ってました。

いやー、便利な息子を持ったものです。

前半のゆるふわなままで終わるわけがないと思ったら、
やはり後半は雰囲気を変えてきました。
構成としては前半がピースで後半が「地獄の戦い」ということになりますが。

それにしてもどうしてプログラムに曲名を載せてないんでしょう。
英語のタイトルが長すぎてスペースに収まらなかったからとか?

海兵隊名物、怖いドラムメジャーは今年も健在です。
軽々と回しているようですが、バトンって重そうですね。

ドラムメジャーはロバート・ブルックス一等軍曹。
これは何人かやってる顔ですわ。

新兵に「サー、イエス、サー!」とか言わせてるんだろうか。
それとも黙って一睨みするだけで泣く子も黙るみたいな?
先ほどの「地獄からの二歩」のミュージックビデオに出てくる人みたいな?

海兵隊は例年「アメリカ海兵隊賛歌(Marines' Hymn)」で退場します。
海自の「軍艦」陸自の「陸軍分列行進曲」みたいなものですね。

 

というわけで、在日米陸軍と米海兵隊、伝統のアメリカ軍楽隊のステージが終わりました。
楽しかった〜!

 

続く。


ピアノソナタ「悲愴」〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-05 | 音楽

令和元年自衛隊音楽まつり、第一章の一番手である陸自中央音楽隊が
第302保安警務中隊と競演した最初のプログラムが終了しました。

すると、ステージに迷彩服の演技支援隊がアクリル製の
透明なピアノを設置し始めました。

うむ、東音は今回主力武器としてピアノを投入するつもりだな?

わたしは初回だけは何も知らない状態でステージの進行を見守り、
何が起こるか同時進行でワクワクしたいので、前もってプログラムを見ません。
そしてこの光景を見たとき胸が高鳴るのを感じました。

しかもどこから調達してきたのか、カワイのアクリル製透明ピアノ。
昔一度この透明ピアノで演奏の仕事をしたときに、
鍵盤を全く見ずに指を置こうとしたら蓋が閉まっていた
(透明なのでうっかり)という冗談のような体験をしました。

また、この日の同行者に

「音はいいんですか」

と訊かれて、ビジュアル重視なのである意味良いわけがない、
と答えましたが、今日のような用途だときっとマイクを使うはずだし、
そのレベルの音質などまず関係ないとも思われます。


それにしても、このピアノと迷彩の集団というビジュアルのインパクトよ。

演奏部隊がスタンバイを始め、ピアニストが席についてからも
支援隊のセッティングはぎりぎりまで行われています。

場内アナウンスが、

「2世紀半経っても色褪せることのない至高の音楽」

と呼んだのは、そう、楽聖ベートーヴェンの作品のことでした。

Beethoven Collage

と題された作品メドレーをピアノ中心に行うとわかり、この
素敵な企みに対し、わたしは内心快哉を叫びました。

ピアノ協奏曲第5番 作品73「皇帝」第一楽章

の最初の音が響き渡りました。
原曲はもちろんオーケストラですが、ブラスによるこの最初の
変ホ長調の和音は一層輝かしく迫力に満ちて体育館を満たしました。

先日来日したベルリンフィルでついに聴くことが叶った「エロイカ」と、
この「皇帝」は、第5番「運命」と並んでわたしが愛する
ベートーヴェン作品のベスト10には入っています。

「英雄」と違い「皇帝」は作曲者本人が名付けたものではありませんが、
そのタイトルはこの曲のイメージそのものです。

写真をアップにして初めて気づきましたが、弦のところに
マイクロマイクが2基仕込まれていますね。
あまりに小さいので会場にいたほとんどの人には見えなかったはずです。
しかし技術の進歩はこんなことまで可能になったんですね。

一昔前なら、ピアノにスタンドマイクを噛ますしか増幅の方法はなく、
それに必要なコードがマーチングの邪魔になるので、
そもそもこんな計画は最初から不可能とされたでしょう。

さらに、武道館ではグランドピアノを配してその周りで
マーチングをするスペースもここほど十分ではないはずなので、
このチャレンジは代々木競技場ならではだったのではないでしょうか。


東京音楽隊が今回このような企画を打ち出したのは、前述の
条件が満たされたことはむしろ後付けで、最初から

「ピアノ奏者ありき」

であったことは明らかです。

何しろ東音には、コンサートピアニストとしての経験と実力を持った
「技術海曹」が在籍しているのですから。

皆が意表を突かれたとすれば、ホールのステージで行う定演とかではなく、
マーチングと競演する音楽まつりでこれをやってしまったということです。

アレンジによる「皇帝」が盛り上がる中、まず前方に
カラーガード隊とバナー隊、ドラムメジャーが整列。

最初の敬礼(実際に敬礼しているのはドラムメジャーのみ)です。

広報ビデオで海自迷彩を着て練習していたカラーガードは、
自衛艦旗を中心に、東京音楽隊の旗、女性隊の旗(紫)などを掲げます。

 これまでは前方だけ向いていたカラーガード隊も、
ここ代々木競技場では後方を向いて姿を見せてくれます。

交響曲第7番イ長調 作品92第1楽章

あまりにピアノの音とマッチしていたので、

「はて、これピアノ協奏曲だったっけ」

と一瞬勘違いしそうになりました。

上半身正面を向いたまま横(左)に動くレフトスライドという歩き方。

そうして全体がピアノの形になりました。

もちろんこの間も場内スクリーンには音楽に合わせて
海自の広報映像が映し出されています。

ちょうど先日日本から任務に出発したばかりの「しらせ」の姿が。

音楽に合わせて、といえば、音楽と完璧にシンクロさせて魚雷や
P3CのIRチャフフレアが炸裂しているのが凄かったです。

ピアノソナタ第 14番嬰ハ短調 作品27−2
『幻想曲風ソナタ』第3楽章

というより「月光」第3楽章といった方が通りがいいかもしれません。
テンポが速くなるのでステップも超高速です。

このときとても目立っていたのがパーカッションの皆さん。
この曲ににタカタカタカタカ、とスネアドラムを合わせるアイデアは斬新です。

このベートーヴェンコラージュのアレンジをした隊員に心からの賛辞を贈りたい。


「エリーゼのために」

この曲に移行するときにちらっと「運命」が聴こえてきたのですが、
クラシック通というわけではない人もこれには気づいたのではないでしょうか。

ピアノソナタ8番ハ短調作品13「悲愴」

ヴォカリーズの「悲愴」第二楽章が、ピアノの調べに乗って
甘やかに聴こえてきました。

おりしもフォーメーションはハート型。

「悲愴」というタイトルの三楽章からなるソナタの中で、
激しく激情を滾らせるかのような第一楽章に続き、優しく、切なく、
慰めと祈りを思わせる第二楽章のメロディに合わせたのでしょう。

歌うのは現在東京音楽隊所属の歌手、中川麻梨子三等海曹。

去年は三宅由佳莉三曹とのデュエットを行いましたが、
現在
三宅三曹が横須賀音楽隊に転勤になっているため、
今年は
彼女がソロで出演となりました。

今年は中部方面音楽隊の出演がなかったので、同隊所属歌手の
鶫真衣三曹も顔を見せることはありませんでした。


今年の音楽まつりは全体的に歌手の出演ボリュームを減らし、いつもの
「歌姫競演」とはちょっと違う方向性を目指したのではないかと思われます。

三音楽隊で歌手を採用していたのも海自だけでしたし、しかもそれが
器楽的なヴォカリーズ(歌詞なしの旋律)であることからそう思ったのですが。

兼ねてから中川三曹の安定した歌唱力には定評がありましたが、
今回写真に撮ってみて、歌手としてのステージングもビジュアルも
以前と比べて段違いに磨かれてきたように思われました。

やはりセントラルバンドの歌手という重責を経験することによって
研ぎ澄まされてくるものがあるのかもしれません。

彼女の本領であるドラマチックな高音も遺憾無く発揮されました。
難なく響かせたラストのEs音ではまたしても全身に鳥肌が(笑)

 

指揮は東京音楽隊副隊長、野澤健二一等海曹。
呉地方隊隊長から同隊副隊長に転勤するとご本人に伺ったとき、

「それなら音楽まつりで指揮をされることになりますね」

とお声がけしたのを思い出しました。

そして恒例の行進曲「軍艦」(または錨を回せ)です。

今年はピアノがあるので、あれどうするんだろうと思っていたら、
何のことはない、ピアノを中心点に錨が回転しております。

「軍艦」にピアノのパートがあったことにこの日初めて気がつきました。
なぜなら、ピアノコンチェルトモードで音量もそのままになっていたため、
「軍艦」なのにピアノの音が無茶苦茶聴こえてきたのです。

やっぱり海自の音楽隊は最後に「これ」がないと。

そういえばこのステージも、

第一章 トラディションー伝統と伝承の響きー

でした。

前半はどこよりも斬新な企画で、かつ圧倒的な才能ある人材(編曲者含め)
を繰り出し、いつもよりさらに進化したステージを見せてくれた同隊、
最後はやはり伝統墨守に倣い本来の姿で終わり、というこの心憎い対比。

米海兵隊のドラムメジャーは演奏中何もしないことで有名ですが(笑)
自衛隊のドラムメジャーは一般的に大変よくお仕事をします。

時々は指揮者の反対側で裏指揮をしているくらいです。

ドラムメジャーは藤江信也三等海曹。

「軍艦」のエンディングはいつもとちょっと違いました。
ここでもちょっと洒落を効かせてベートーヴェン風に華々しく終了。

ところで皆さん、ステージ左に迷彩服の集団が潜んでいるのに注目!

代々木競技場は広いので、どの音楽隊も、エンディングとは別に
退場の時の
テーマソング的な曲が必要になります。

陸自中央音楽隊の退場は、入場の時に演奏した「陸軍分列行進曲」
中間部に当たる「扶桑歌」が選ばれました。

海自が選んだのは「錨を揚げて」(Anchors Aweigh)です。

これには会場に招待されて来ていた第七艦隊関係者も喜んだのではないでしょうか。

指揮者とピアニストが並んで退場。

音楽まつりでは歌手であっても個人名は紹介されず、
プログラムにも載りませんが、この日太田沙和子一等海曹は
最後に指揮者、ドラムメジャーとともに名前がコールされました。

敬礼をするのかと思ったら、お辞儀したので一瞬?となりましたが、
よく考えたら彼女は正帽を着用していなかったので当然ですね。

演奏中ステージの影で待機していた演技支援隊が飛び出してきて
皆でピアノを移動し始めました。

こんなシュールな光景が見られるのは世界でも自衛隊音楽まつりだけでしょう。

 

続く。

 

 


陸軍分列行進曲〜令和元年度自衛隊音楽まつり

2019-12-04 | 音楽

 

例年ならまだ音楽まつり全日程が終了しないうちから、我慢できずに
写真をアップしてしまうわたしが、今年はなぜエントリアップまで
実質2日かかってしまったかといいますと、それはパソコンのトラブルでした。

トラブルと言っても何のことはない、大量にRAW画像をアップロードしていると、

「もうHDに空き容量がなく読み込めません」

ということをPCから宣言されてしまっただけなんですが。
しかしここでわたしはよせばいいのにせっせといらないデータを捨てたりして
自力で何とかしようと格闘を始めてしまったのです。

同じことになった方はもしかしたら経験がおありかもしれませんが、
(わたしだけかな)手作業でそんなことをしてもほぼ焼け石に水。
それどころか必要なファイルを見分けることもできず、作業は行き詰まり、
もはやこれまで、と専用アプリを導入したら一瞬で仕事が終わりました。

これが本当のタイムイズマネーです。

しかし、今回、驚いたのは自分で撮った写真の多さでした。
たかだか一回のイベントで、
わたしはRAW画像1400枚、
1時間につき700枚、1分間に70枚、つまり

1秒毎にかならず一回以上シャッターを押していた

ということになります。
・・実際に目で見るよりファインダーを覗いていた時間の方が長かった?

 


さて、オープニングが終わり、音楽まつり、次はセレモニーです。

第302保安警務中隊の儀仗隊が入場してきました。
隊長を入れて28名、全国から推薦されて入隊試験を受け、
それに選ばれたその中からの選りすぐりのメンバーです。

保安警務中隊の写真を見ていつも思うのですが、どんな訓練をしているのか
彼らの動きは写真というコンマ秒の瞬間においても常に完璧に揃っています。

肉眼で見た音楽隊の行進やマーチングは、もちろん一般レベルで言うと
段違いに訓練された団体のそれですが、やはり写真に捉えた瞬間は
この「肉体と規律のスーパーエリート集団」に敵うものではありません。

第302保安警務中隊は役職で言うと「ミリタリーポリス」ですが、
国家行事の際に国賓を迎えるという「日本の軍隊の顔」であるので、
ロンドンのバッキンガム宮殿の近衛兵さながら、容姿チェックがあります。

ただ厳密には個々の目鼻立ちというより、全体的に並んで立ったときに
規格から外れていないかが選考のポイントなのではないかと思われます。

眼鏡をかけることも許されないようですが、視力の悪い人は応募できないのか、
それともコンタクト着用と言うことで許されるのか、どちらでしょうか。

純白に日の丸レッドのパイピングが施された制服に身を包んだ
カラー(国旗)ガード(護衛)に運ばれて入場してきました。

国旗入場の前に観客には起立を要請するアナウンスがかかります。

第302保安警務中隊の制服は昨年度刷新されました。
52年間着用されていた前の白いスーツ襟のも好きでしたが、わたしはこの
「日の丸カラー」の新しい制服は近年にない名作だと声を大にして言います。

コシノジュンコ氏は間違いなくこのカラーガードをイメージして
この制服のデザインを行ったのに違いありません。

そして、詰襟にベルト、斜めのパイピングというデザインも
世界的に見ると華奢な日本人にはよく似合うと思います。

去年、武道館で行われた音楽まつりで、よりによって
大臣展覧の招待公演で国旗旗手が台から足を踏み外し、
万座が息を飲むという「事故未満」があったのを思い出しました。

あの後、おそらく警務中隊全員で(参加してない人も)正座して(しらんけど)
徹底的な反省会になったと思われるのですが、それにしてもあのとき
足を踏み外しても旗手がバランスを崩さず、もちろん国旗を落とすことなく
瞬時に体勢を立てなおしたのには驚嘆させられたものです。

あの咄嗟のリカバーこそが、彼らが日頃行っている
厳しい訓練の賜物だったといまでもわたしは思っています。

しかし、自衛艦旗事件のように、しばらくの間は音楽まつりで
同じ光景を見るたびにあのシーンが脳裏をよぎってしまうのは、
あれを目撃した人にとって、もうこれはどうしようもないことです。

やっぱり一緒に目撃した人とはその後何度かその話をしましたし、
何よりも当の旗手は二度と同じ徹を踏まない覚悟で臨んでいることでしょう。

続いて国歌斉唱が行われました。
去年は前奏に続いて斉唱となっていたと記憶しますが、今年は

「前奏はありませんので」

にまた戻っていました。
うーん・・・・なぜに?

前奏がないと最初の「き」を誰も歌わないんですよね。
わたしは指揮者の動きを見て歌おうとしたのだけど、
体育館は広いので指揮のタイミングより音が聞こえてくるのが
遅くて、
やっぱり最初からは歌えませんでした。

ステージ前のスタッフもこと自衛隊行事とあって全員が起立しています。
カメラマンは自衛官であっても敬礼しなくてもいいんですね。
これは「任務中」と言うことなんだと思います。

昔練習艦隊の艦上レセプションで案内してもらっていたら
喇叭譜君が代が始まったのですが、

「立ち止まって敬礼しなくていいんですか」

と聞いたら、

「任務遂行中はしなくていいことになっています」

と言っていました。

わたしごときを案内する任務なんてどうでもいいから
立ち止まって敬礼してくれ!と内心思っていましたが。

第302保安警務中隊は国家吹奏中捧げ銃をします。
訓練ではこの足の開き方の角度まできっちり測られるそうですよ。

選ばれたメンバーの中からさらに選抜された28名、
その指揮官になるというのは一体どういう自衛官なのでしょうか。

階級は三等陸尉ですが、これはつまり、彼らは防大卒ではなく
陸曹から選抜され、その隊長が任官すると言うことだと思います。

流石にそんなメンバーを率いる隊長だけあって動きが美しい。
剣の敬礼動作から鞘に収めるまでの一挙一動も全て絵になっています。

序章とオープニングの指揮を行ったのは航空中央音楽隊隊長、
松井徹生二等空佐です。

この後、

「東京オリンピック ファンファーレ」

が陸海空4名のトランペット奏者によって演奏されました。

 

このファンファーレはオリンピック委員会とNHKの公募に
寄せられた作品から選ばれたアマチュア作曲家の作品です。

初演は1964年10月10日、東京オリンピックの開会式において、
陸上自衛隊音楽隊の副隊長玉目利保三佐指揮による
隊員総勢30名によって初演されました。

このファンファーレとセットで想起される古関裕而作曲の
「(東京)オリンピック・マーチ」とともに全隊が退場すると、

東京音楽隊のハープ奏者演奏による、坂本龍一作曲
映画「ラストエンペラー」のテーマが暗い会場に流れます。

モニターとナレーションでは、自衛隊音楽隊の歴史が紹介されました。
警察予備隊、海上保安庁において式典などの必要性から
音楽隊が発足するまでの経緯を説明したものです。

この時初めて知ったのは、航空中央音楽隊の発足時、
音楽隊準備要員として陸上自衛隊中央音楽隊からまず三人、
移籍して2年後、「臨時航空音楽隊」がその三人をコアに発足し、
現在の名称になったのは昭和57年になってからということです。

ということは最初の三人は陸自から空自にコンバート?
したということになるんですね。

最初の出演は陸上自衛隊中央音楽隊です。
「陸軍分列行進曲」が会場に響きわたったとき、全身に鳥肌が立ちました。

 

同じブルーと白のセレモニー用制服を中央音楽隊が世間に披露するのは
おそらくこれが初めての機会だったのではないかと思われます。

陸自中央音楽隊には、陸自だけが保有する第302警務中隊とともに
国賓等の歓迎行事における演奏を行うという同隊だけの任務があります。
その特別任務のためにこの度衣装も誂えたということなのでしょう。

手前のモニターに総火演のヘリの映像が見えていますが、この間
会場には土をけたてて進む戦車や水陸機動車、レンジャー訓練など
次々と広報映像が流され、音と視覚が多面的に織りなす効果は
それはもうとてつもなく効果的でした。

今回も観艦式と同じく、募集対象者を中心にチケットを捌いたそうですが、
わたしがもし入隊を考えている対象者だったら、これを見ただけで
陸自に入隊を決めてしまったかもしれません(笑)

右肩にはホルンを模した金糸のマークが見えます。
音楽隊の制服としてもなかなかいいものです。

ただ夏の公務にはまさかこれを着ることはないと信じたい。

曲は渡辺俊幸作曲 祝典序曲「輝ける勇者たち」です。

渡辺俊幸氏というと、わたしはNHKの「大地の子」のテーマを思い出します。

中央音楽隊が行う第302保安警務中隊のドリルとの競演は、いわば
「陸軍分列行進曲」に象徴される「ミリタリースタイルの追求」そのものです。

そういえば、第一章のテーマは

「トラディションー伝統と伝承の響きー」

でした。

従来の武道館での演奏の違いで言うと、圧倒的にマーチングが
動きのある、ダイナミックなものになっていたということです。

ブラスバンドの本質から言うと、広い体育館であるここは
彼らにとって見せ甲斐のあるフィールドとなったのではないでしょうか。

三方向に音楽隊を配して中央で儀仗隊が一糸乱れぬドリルを行います。
このシーンは、銃を持ち替えたり構えたり、左脇に抱えて
パートごとに敬礼をしていくというドリルをしているところ。

敬礼の角度のシンクロ具合がすごい・・・。

クライマックスでカンパニーフロント(一列になって全員が前進)
を行うのが音楽隊ではなく儀仗隊とドラムメジャー。

後ろから一線になって進み、前方でドリルを行ったのち、
銃剣を下に向けるポーズでエンディングに備えます。

 

ラストサウンドで銃剣を空に向け、フィニッシュ!

陸自中央音楽隊と第302保安警務中隊、
相変わらず期待を裏切らない質実剛健ながら花のあるステージでした。

 

続く。




ワールド・イン・ユニオン〜令和元年度 自衛隊音楽まつり

2019-12-02 | 音楽

 

自衛隊恒例の秋の音楽イベント、自衛隊音楽まつりは
今年令和元年、いつもの武道館から場所を国立代々木競技場に移し、
予行練習を含めて三日の日程を無事終了しました。

各方面からのご好意のおかげで今年も参加して参りましたので、
しばらくの間ご報告させていただきたいと思います。

何度か武道館での音楽まつりに参加して、順番待ちのタイミングとか
駐車場とかどこから入場するのがいいかなどにすっかり詳しくなり、
それなりに場所取りのエキスパートを自負していたわたしですが、今回は
全く勝手がちがうので、どうなるか見当もつきません。

澁谷という世界一駐車場が高いこの地域で、車をどこに停めるかからして
まったく未知数です。

本番を明日に備え、そういったことどもに気をもんでいたら、

「今日の晩(11月29日)の予行演習のチケットがあるんですが、
わたしは行けないのでいかがですか」

と知人からいきなりメールが入りました。

すぐさま用意をして、都内でチケットを受け取り、駆けつけたときには
会場のほとんどが埋まっている状態でしたが、そんなことがあったので、
結局わたしは今回合計三回音楽まつりを観ることになったというわけです。

このNHKの写真は、二日目の朝、1日目にタクシーの運転手さんに
教えてもらった上限2000円の超穴場パーキングに車を停め、
歩いて代々木競技場に向かうときに撮ったものです。

真ん中に写っている得体の知れない物体はドーモくんです。

NHKホールの横の並木道を通り、競技場裏にあるフットサルのコートの
ゲートから入って行くという道で現地までたどり着きました。

これは同じ並木道の昨夜の様子です。
今この道は「青の洞窟」と称するライトアップをしています。

競技場の駐車場にはOD色のトラックがずらりと並んでいました。

代々木競技場の中に入るのは初めての経験です。
昔漫画の背景にこれを描いたことがあったなあ(遠い目)

外側がアシメトリーなのに内部は長方形で富士山を象った天井が
両側にシンメトリーになっていることを初めて知りました。

会場には武道館とは比べ物にならないくらい最新型の大型モニターが
真上からのカメラ映像を放映していました。

今年のテーマは「EVOLUTION 変革の響き、進化への除幕」です。

これは三日目の開始前で、防衛大学校の儀仗隊が練習をはじめました。

キャップ、トレーニング用ジャージ、ジャンパー全て儀仗隊のネーム入り
ユニフォームをあつらえているんですね。
トレードマークは交差させたガーランドです。

練習ですが皆の表情は真剣です。

これは11月30日の第三回公演が始まる前ですが、すでに彼らは
今日二回の本番をこなした後であるはずなのに、合間に
体育館の横で練習をしているのです。

彼らの演技は今回も完璧でしたが、その影にはこのような
努力の積み重ねがあってこそなのです。

ちなみに、練習が終わったあと、スタミナドリンクのような
小さい瓶が配られ、皆がそれを飲んでいるのも目撃しました。

自衛隊オリジナルドリンク「元気バッチリ」かもしれません。

二日目に席についた時の場内の様子です。
どんだけ早く来てるんだ、と思った方、あなたは鋭い。

とにかく二日目だけは気合入れました。

その甲斐あってこの日は、早く来た黄色チケットの人に限り、
VIP用の赤いソファーを
独占できるという嬉しいサプライズがありました。

席に着くとすぐに自衛官が、

「この席では飲食は禁止となっておりますのでご注意ください」

と言いにきました。
絨毯にジュースや食べ物をこぼされては敵いませんからね。

次の日は招待席で選択の余地なく反対側に案内されましたので、
1日だけでもそんな場所から鑑賞できてうれしかったです。

最終日はここに偉い人が来ることになっているので、
SPのみなさんが打ち合わせ(談笑?)をしています。

赤いシートの周りは国会議員などの招待席となっていたようです。
最前列に有村治子議員(東郷平八郎の縁戚にあたる)、そのうしろに
佐藤正久議員の姿が見えました。

あれにみゆるお姿は彬子女王殿下ではございませんでせうか。

開始前のステージ、台上には各音楽隊のリズム隊楽器が整然と並びます。

招待日、席には出口海将がご挨拶に来られました。
この日、こちら側は陸海空幕僚長招待席となっていました。
気のせいか陸幕長招待席に一番たくさん人がいたように思います。

音楽まつりは実は陸自が主体で運営しているそうですが。

左のブロックは海外駐在武官や大使館などの招待者席。

モニターではいつものように広報ビデオも繰り返し放映されていました。
このときに一緒に行った人に聞いたのですが、AAAVに乗る水陸機動団、
隊員に特別(危険当ては出ないそうですね?

「陸自はお金がないんですよ」

陸に限ったことではないとは思いますが、こんなものに乗るのに
特別手当てなしとはちょっと非道くないですか。

ビデオを見ていて、某所でお世話になったことのある方が
TACOだったと知ったときの驚き(笑)

音楽まつりの練習に励む隊員たちの素顔も紹介されます。
海自のカラーガード隊ですが、この海自迷彩の映像からは、
ミニスカートで白いブーツ、キラキラのついた舞台メイクをしている
あの華やかな一団と同じ人たちとは思えません。

ステージ上ではいつものようにハープ奏者が調弦を始めました。
ハープというのはとてもセンシティブな楽器で、気温と湿度によって
音程が変わってしまうので、しょっちゅう面倒を見なければいけません。

「ハープを持っているというのは赤ちゃんがいるのと同じ」

とも言われています。
あるオケの演奏者は、

「ハープ奏者の良し悪しは調律の上手い下手と同義」

ともいっておりました。

開始前に防衛省の代表として防衛大臣政務官が挨拶しました。
自民党の渡辺孝一氏です。

誰もいない会場に最初のセレモニーを指揮する
航空中央音楽隊隊長が登場しました。

武道館との大きな違いは、出演者の出入口が長方形のエンドに
二箇所あることです。
そして、武道館が一面に向いていればよかったのに対し、ここは
会場の両側に向かって「見せる」ステージにしなくてはいけません。

オープニングセレモニーの入場からして、これまでとは全く違う構成です。
陸海空音楽隊が右側と左側に整列を行いました。

さあ、いよいよ音楽まつりの開始です。

いつも心湧き立つような曲がオープニングに選ばれますが、
今年は「アベンジャーズのテーマ」でした。

 

いきなりかっこよさにゾクゾクしてしまいました。

スクリーンでは「平成」とが「平和」になり、そして
「令和」に変わるという誰が上手いこと言えと、な文字が浮かび、
三自衛隊音楽隊は人文字を描いていきます。

これは「乙2」ではありません。
どちらから見ても「2」が見えるようになっています。

ステージの両側に、陸海空の歌手が登場し、歌声がいきなり会場に響きました。
キリ・テ・カナワなども録音を残している「ジュピター」の英語替え歌、
「World In Union」です。

航空中央音楽隊からはピアニスト兼任、森田早貴一等空士。

陸自中央音楽隊の松永美智子三等陸曹。

もちろん海自東京音楽隊の中川麻梨子三等海曹もいたのですが、
三回ともライトが顔に当たってしまい撮れませんでした。

しかし、この日中川三曹は最初、中盤、エンディングと活躍でした。

It's the world in union

The world as one

As we climb to reach our destiny

A new age has begun

連帯によって世界は一つになる

運命をつかむために高みにのぼるとき

あたらしい時代が始まる

 

この曲は皆様もご存知と思いますが、今年日本中を沸かせた
ラグビーワールドカップのオフィシャルソングでもありました。

【ラグビーワールドカップ】この感動は一生に一度だ / オフィシャルソング 『World In Union』 / 吉岡聖恵(いきものがかり)

 

続きます。


喧騒のモーツァルトコンサート〜ウィーン・ムジークフェライン

2019-09-24 | 音楽

夏のヨーロッパ旅行ではヨーロッパらしさを味わえない、
とはよく言われることです。

なぜかというと、夏の間ヨーロッパはいわゆるバカンスシーズンで、
皆こぞって避暑地に民族大移動してしまい、地元はいわば抜け殻状態で
本来の雰囲気を構成する要素である地元民の数が激減するからだとか。

我が家ではアメリカ在住の間、夏が来るとパリにアパルトマンを借りて
月単位で住んだものですが、Airbnbもない時代、なぜその間家が借りられたかというと、
住人が留守の間、サブレットなる住居を貸し出すシステムが昔からあったからです。

パリ市内に住んで街を存分に味わうことができた貴重な体験でしたが、
いかんせん、お目当の飲食店に行ってみたら張り紙があって、

「バカンス中なので一時閉店しています」

ということが多く、何度もがっかりさせられたものです。


ウィーンは観光で成り立っている街なので、飲食店に関しては
そのようなことは一度もありませんでしたが、こと文化面、特に
せっかく音楽の都にきたのだからコンサートをぜひ、などと考えていると、
音楽が好きな人ほど、失望することになります。

夏はオフシーズンなので、そもそもまともな演奏会は行われないのです。
超有名どころは、ザルツブルグ音楽祭に集結してしまっていますし、
そうでない人たちもほとんどが絶賛バカンス中で地元にいません。

しかし、今回、そんな夏のウィーンのコンサートにあえて行ってきました。

ウィーンでガイドをお願いした日本人のガイドさん(ウィーン音大卒声楽家)が、
歩いてインペリアルホテルまで案内してくれた時、話の流れで、
楽友協会で行われるコンサートのチケットを取ってくれることになったのです。

ウィーン楽友協会(ヴィエンナ・ムジークフェライン)

はヨーゼフ一世の時代、音楽家の団体の請願によって爆誕したコンサートホールで、
ウィーン・フィルハーモニーのホームグラウンドであります。

映画「のだめカンタービレ」では、演奏会シーンのロケが行われましたから、
記憶にある方もおられるでしょう。

 

というわけで、このコンサートに行くことになりました。
繁華街で客引きがチケット売っているような演奏会、逆に興味が湧くではないですか。

バウチャーを見ると、そこには

「モーツァルトコンサート」

としか書かれていません。
誰が演奏するのかというと、全くのノーバディです。

つまり、寄せ集めオケであることは火を見るより明らかってことですね。

プログラムは何かも全く告知されません。
とにかくモーツァルト、なんだそうです。

もう聴く前から観光客向けの見世物コンサートであることがわかり、
いつも演奏会の前に必ず感じる心地よい緊張感など皆無の状態、むしろ
怖いもの見たさでとりあえず会場に向かいます。

この日は朝からマルクト、三つ星レストランシュタイレレック、軍事博物館、
そしてコンサートと地下鉄のチケットがフル活躍です。

ウィーンの地下鉄の優先座席のマークは・・・わかりやすい。

少し早めに現地に着きました。
買ってもらったのはバウチャーなので、これを座席表と変えなくてはいけません。

それにしてもこのコンサートホール前の人々の色彩がですね・・・・。

昔ウィーン留学中の友人が楽友協会の写真を見せてくれたのですが、
冬のコンサートということで、友人も毛皮など着込み、周りの人々にも
なにやらゴージャスでハイブロウなかほりが漂っており、当時のわたしには
大変敷居の高い場所であるようなイメージだったその同じ場所が、
幾星霜を経て、今ではこんなチープ<チーパー<チーペストな世界に。

めげずに周りを歩いてみることにしました。

楽友協会の同じ建物の一角にはあのベーゼンドルファーのショールームが。
世界のコンサートピアノの趨勢はいつの間にかスタインウェイとヤマハですが、
ここウィーン生まれのベーゼンドルファーを支持するピアニストは多く、
あのフランツ・リストがご愛顧していたという話は有名です。

確かリストはベーゼンドルファー家の誰やらの愛人だったとか
どこかで読んだ記憶がありますが、それだけが理由でもないでしょう。

こちら、ウィーンフィルハーモニーコーナー。
もう営業?は終わっていたようですが、外側に向けてウィンドウがあり、
演奏家の写真などが見られるようになっています。

いつまでも歳を取らないリッカルド・ムーティ。
もう80歳近かったと記憶しますが・・・。
彼が現在のウィーンフィルの実質首席指揮者です。

12月のチケットをもうこの時期に発売していますね。

舗道には、ハリウッドよろしく楽友協会にゆかりのあった
著名な音楽家の肖像とそのサインが刻まれた星のプレートが。

アントン・ブルックナーは1896年ウィーンで亡くなりました。
シュタッドパークの銅像にもなっていましたね。

指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

「フルトメンクラウ」
なんて使い古されたシャレを知っている方はここにはまさかいませんね?

ベルリンフィルの指揮者だったがためにナチス政権時代、うっかり
ヒットラー総統の誕生日コンサートで第九を振ってしまって、
戦後ナチス協力者なんて糾弾されたという気の毒な経歴がありましたが、
彼はナチスに心酔していたわけではなく、むしろヒンデミット事件を境に
ナチスと対立する立場からベルリンフィル音楽監督を辞任しています。

何処かの誰かの評論で「政治的には全く無知だった」という実に無責任な
人物評を読んだことがありますが、この人物には、お前ならあのナチス政権下で
ゲッベルスに楯突いて自分の地位を投げ出すことができたのかと聞いてみたい。

最終的にフルトヴェングラーはナチスの弾圧を逃れスイスに亡命しています。

そしてフルトヴェングラーは、ウィーンフィルハーモニーにとっては命の恩人。
アンシュルスのあとナチスによって解散させられそうになったのを阻止したのは
ドイツ最高の指揮者であった彼だったのですから。

オーストリアの作曲家ゴットフリート・フォン・エイネム
この人の名前を知っている方は相当のクラシック通です。

ご存知フランツ・シューベルト
楽友協会の資料室には、シューベルトの交響曲の交響曲の自筆楽譜が
第五番以外全て所蔵してあるそうです。

そのまま建物の周りを一周してみました。

「ゲイゲンバウマイスター」はヴァイオリン職人のことで、
ウィーンフィルの弦楽器の修理などを一手に引き受けている
ヴィルフレート・ラムザイアー=ゴルバッハ氏の名前であり、
その工房がここにあるということのようです。

一周回って正面玄関に戻ってきました。
このポスターは、ムジークフェラインが建造された1870年から
ちょうど150年目の節目が来年やってくるという予告でしょう。

観客が入場を始めました。
予想通り、ウィーン在住のクラシックファンなどおそらく皆無。
観客の全てが中国人主体の観光客というこの異様な光景です。

夏のコンサートに来るのはお上りさんだけだよ、とウィーン留学組から
聴いて知っていたつもりでしたが、ここまでとは。

そのほとんどがこういう出で立ちです。
そういえば三越お得意様限定旅行で防大見学をしたとき、
ツァーで同行した三越おばさまが、このムジークフェラインで毎年行われる
ニューイヤーコンサートにやはり三越の企画で行かれた話をされていましたが、
正装でドレスアップしているヨーロッパ人や日本人の中で、
(わたしの知り合いの銀行会長の奥様はとっておきの着物で臨んだらしい)

「中国の方達だけがラフな格好で来ますのよ。ジーンズとか」

とえらくお怒りでした。

かのごとくTPOをわきまえないのが中国人の中国人たるところですが、
最近は
SNSの発達もあって少しは彼らも自覚があるのか、たまには
コンサートらしくドレスアップしたつもり
で来る人もいました。

ただし、彼女らのほとんどが残念ながら「ツーマッチ」。
ロングドレス、結い上げた髪にシルバーのパンプスとか。

いや、これはニューイヤーコンサートではありませんから・・。

まあ、ヨーロッパからの観光客も似たようなものです(写真参照)
観客をできるだけ詰め込むため、ステージの両後ろ側に、観客からも見られる
特別席がありましたが、どうもここは安い席らしく、そこに座る客は
服装はもちろん態度がラフすぎるのが気になりました。

別名「黄金のホール」とも言われているこの大ホール、開演前は写真もOK、
とホールの係員に確かめ、
わたしも安心して内部を撮影しました。

「黄金の」という言葉には、あのブルーノ・ワルターも絶賛したという
音響の素晴らしさへの賛辞が込められているということです。

東京オペラシティのタケミツメモリアルはここと同じシューボックス型ですが、
まさにムジークフェラインをお手本にしたのではないでしょうか。

全く確かめていませんが、おそらくそう間違ってないと思います。

ここではバルコニーですら音響を計算して設置してあるのだそうです。
高い天井の裏にも空間が設けてあり、床も木でできていて、まさに
巨大なヴァイオリンのなかで音楽が奏でられているような感じです。

こういう、人間が柱の役目をして頭でエンタブラチュア
(柱頭の上部へ水平に構築される部分)を支えているような装飾を
カリアティード(caryatid)といいますが、ここではこの
女神たちもまた、音波を理想的に反響させるために存在しているのです。

そういえば、日本は明治時代に西洋風建築の手法を取り入れて
各地に趣のある建物を作りましたが、西洋と決定的に違うのは、
この「人体および頭部使用率」であろうかと思われます。

日本は神話の根付いた土壌ではないので、西洋風の人間は
建築の装飾としてフィットしないと判断されたのでしょう。

何もかもが金色。オケの譜面台も椅子も全て金です。

始まる前には皆会場の中を撮ったり、記念写真を撮ったり、自撮りしたり。
そして、いくら観光客向けのお手軽なコンサートといえども、
コンサートが始まったら撮影禁止、と各国語で放送されました。
携帯電話の電源を切るように言われるのも世界共通です。

そして、オケが入場してきました。

これはS席チケットを買った人にもれなく付いてくるCDジャケですが、
出演者は全員、男性はもちろん女性も、モーツァルトのようなカツラをかぶり、
この写真と同じようにあの時代の服装に身を包んでおります。
コートの色は一人ずつ違い、全体で見ると実に大変華やかで目を楽しませる趣向です。

プログラムは怒涛のモーツァルト攻撃。抉りこむようなモーツァルトのラッシュです。

観光客相手ということでその選曲もポピュリズムモーツァルトの極地で、
例えば「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」なども一楽章だけ。

たとえ有名でも緩徐楽章をじっくりやるというようなかったるいこともしません。
そして何をやっても速い。超速い。

なんでも速すぎと言われていたカラヤンもびっくりの超スピードで、
もはやそれは速さをサーカスのように見せびらかしているだけの演奏でした。

メンバーにはこの道一筋、みたいな年配の奏者もいましたが、見たところ、
各首席は固定メンバーで、後はほとんどエキストラで固めた感じ。
そのトラは一夏の契約でウィーン音楽大学から学生がバイトで来ている、
というような若い人が多く、そのせいか女性の混入率が大変高かったです。

しかし、「のだめカンタービレ」でのだめもやっていましたが、若い女性が
モーツァルトの格好をしているのはとても可愛らしいものでした。

 

ただし彼らの名誉のために言及しておくと、彼らはある意味プロ中のプロなので、
エンターテイメントとしての質の良い
音楽を景気よく提供するという姿勢は
ビシバシ伝わってきました。

トルコ行進曲をオケに編曲してやったり、男女の歌手がちょいちょい現れて
おなじみのオペラのアリアを歌ったり、素人を飽きさせない工夫満載です。

次から次へと矢継ぎ早に(本当にそうとしか言いようがなかった)演奏される
全ての曲はこの日の観光客にとっても馴染みのあるものばかりだったのではないでしょうか。

いかにモーツァルトがその短い人生で名曲を書きなぐったかということですね。

 

さて、わたしたちの座ったS席の前列の通路前の席は、
楽友協会の係員に案内されてくる特別招待客用だったのですが、

そのど真ん中の二席の客が二、三曲遅れて入って来ました。

男性は高級そうな黒スーツを着ていましたがものすごい猪首のプロレスラー体型で、
女性はモデル並みに背が高くすらっとして真っ黒黒助に日焼けしており、
側頭部の髪の毛を剃り込んだアバンギャルドなヘアースタイルに、
むき出しの肩には見事な刺青がびっしりと入っているという、どう見ても
カタギではない人々に思われました。

「どういう人たちだろうね」

「マフィアの用心棒とその情人(おんな)」

「またそんな身も蓋もないことを断言する」

特別席の客は休憩時間に特別なご招待があるらしく、案内されて
どこかに消えていましたが、帰ってきたとき、わたしの予想は
当たらずとも遠からずではないかというちょっとした出来事がありました。

帰ってきた用心棒は(決めつけてるし)なんとさっきまで自分が
どこに座っていたかわからなくなったらしく、しばらく椅子を黙視していましたが、
二つ隣の席に間違えて腰を下ろしたのです。

彼の情人も彼の間違いに全く気付かず、間違った席に腰を下ろしたので、
本来の席の人が係員に連れられて帰ってきたときに、

「あの、お客様の席は一つ向こうなんですが」

と注意されて二人で席を移動する羽目になっていました。
さっきまで自分が座っていた席を忘れるほどの知能って一体・・・。

というわけで、やっぱりマフィアの用心棒(レスラー出身)というのは
間違いないところでは、と内心勝手に決めつけてうなずいていた次第です。

 

休憩時間にトイレを利用しましたが、そこでは案の定中国人が
人の頭越しに大声で会話するといったような喧騒を繰り広げており、
日本のコンサート会場での
整然とした静かな列が本当に懐かしかったです。


そして、中国人といえば!

わたしたちの左隣は中国人の一家(小学生の女の子二人)でした。
S席前列を4席取るくらいですので富裕層に属するらしく、
全員が見るからに高価な衣服を着用し、奥方は美人でセンスもよかったのですが、
こいつらが、演奏中大人しくしてないんだよ。

女の子二人はトルコ行進曲が始まると自分が知っている曲だとはしゃぎ、
母親に話しかけて母親はそれに答えてやり、情操教育に余念がありません。

てか演奏中にしゃべるなよ。情操教育は後にしようよ。
一緒に歌ったり指揮のふりをするのもやめさせてくれ。

それでなくても、禁じられているのに入場してきたオケの写真を撮ったり、
演奏中喋ったり、お菓子の袋を開けたりという聴衆に囲まれて、
一体なんなのこの人たちは、と呆然としていたわたしたちですが、
この中国人一家には演奏中ずっとかなりイライラさせられました。

しかし、もっと驚いたことに、休憩が終わって後半が始まったら、

その一家は戻ってこなかったのです。

「戻ってこなかったし」

「多分飽きたんでしょうな」

「しかし勿体無いことをするねえ」

どんなお金の使い方をしてもそれは人の勝手ですが、いくら観光コンサートとはいえ、
S席のチケットは決して安くもないのに、散々騒いだ上、飽きたから後半はもういいや、
と帰ってしまう、こんな浪費をしてはばからない人の心は実に貧しく下品に思え、
他人事ながらなんだか情けない思いをしました。

いくらお金を落としても中国人が嫌われるのは、こういうところなんだろうな。

というわけで、ほとんど動物園を見ているような観客席模様でしたが、
エンターテイメントとしてのモーツァルトコンサートが終わりました。

「いやー、なかなか面白かったよね。いろんな意味で」

というと、MK、

「でも俺、自分がモーツァルトが好きじゃないことはよくわかった」

と身もふたもないことを・・・。

まあ、よく考えたら、わたし自身、モーツァルトはもちろん嫌いではありませんが、
そもそも好きか嫌いかなんて、
この人生で考えたことはなかったかもしれません。

何故なら、モーツァルトとは太陽や月のように「そこに在る」ものだから・・?

「死とはモーツァルトが聴けなくなること」

といったのはアインシュタインですが、そのアインシュタインだって、
モーツァルトが好きで好きでしょうがないっていう意味でいったんじゃないと思う。
知らんけど。


しかしMK、この日のモーツァルトをもってモーツァルトを語るなよ(笑)

 



 


海上自衛隊呉音楽隊 第49回定期演奏会

2019-02-28 | 音楽

2月から3月にかけては音楽隊の定期演奏会シーズンです。
残念ながら陸空自音楽隊とは全くご縁がなく行ったことがないのですが、
おそらく他の音楽隊でもこの時期に定演が行われているのでしょう。

先週末は、呉地方音楽隊の定期演奏会に行ってきました。

今回の訪問も、演奏会のためだけに滞在して日帰りです。
行きの飛行機はいつも右舷窓側を選択し、富士山を見ようとするのですが、
いつも気がついたら通り過ぎていて、これが見えます。

「今日もわれ大空にあり」でセイバーが飛んでいた日本アルプスの一端、
静岡、山梨、長野にまたがる赤石山脈だと思われます。

左上の雲の上に見えているのが中央アルプスかもしれません。

会場はいつもの呉文化ホール。

朝8時の飛行機に乗ったので、空港で朝ごはんを食べて時間を潰し、
その上で会場近くには早めに到着したのですが、前を通りかかると
会場前には列を作って開場を待つ人たちの姿がありました。
わたしたちはご招待なので、受付をすると二階に上がり、
決められた席に案内されるのですが、招待でない人は早いもの順で
好きな席に座れるのかもしれません。

呉文化ホールでの招待客は、必ず二階に上がって、そこで金屏風の前にいる
呉地方総監にご挨拶をすることになります。

わたしたちも、12月に退官された池太郎海将の後任になられた
杉本孝幸海将に初めてご挨拶してから席に着きました。

杉本海将は鹿屋の第一航空群の司令であったこともあるそうで、
つまり固定翼パイロット。
呉地方総監部は二代にわたって航空畑の総監ってことになりますね。

プログラム写真転載なので画像が粗くてすみません。

♪ 祝典行進曲(Celebration March)團伊玖磨

第一部の指揮は、呉音楽隊副長の田中孝二二等海尉が行いました。

祝典行進曲は、昭和34年4月10日に執り行われた皇太子殿下、今生陛下の
ご成婚を祝して作曲された華やかなマーチがオープニングに演奏されました。

先日行われた東京音楽隊の定期演奏会にも

「天皇陛下御在位30周年記念」

と銘打たれていたように、呉音楽隊もまた、御在位30周年にして
今年で平成が終わるということを記念する曲をオープニングに選びました。

音楽だけでなく、海上自衛隊では、天皇陛下御在位三十年を記念し、
慶祝行事の一環として2月24日から28日までの間、自衛隊基地の艦船が
満艦飾又は艦飾及び電灯艦飾を実施されていますので、近隣の方はぜひご覧ください。

「祝典行進曲」は最初にiPodが発売された頃、iTunesで購入した
陸上自衛隊の行進曲集に入っていたせいで、とても馴染みがあります。

さすがは團伊玖磨先生、軽やかで明るく、皇室の慶事に相応しく
気品が感じられる典雅なマーチで、その年の秋に行われた
東京オリンピックでは入場行進曲に使われたそうです。

ところで、わたしが東音のコンサートに行った日、いつも写真をくださる
Kさんは陸自中央音楽隊の特別演奏会に行って来られたそうで、
パンフレット画像を送ってくださったのですが、これによると
中央音楽隊でも最初に三善晃の「祝典序曲」を演奏したようです。

ただしこちらの祝典は大阪万博のために作られたものだとか。
それよりも注目したのは

「ヘイル・コロンビア」(アメリカの初代国歌)
「君が代」(フェントン)
扶桑歌(ルルー)雪の進軍(永井建子)

という一連の作品群でした。

この日のプログラムは、このようなもの。
この妙香寺は地元では「君が代発祥の地」と言われており、
昔ここで行われた横須賀音楽隊の演奏会でフェントン版君が代を聴いたことがあります。

ああ、この演奏会、聴きたかったなあ・・・・残念。

 

さて、呉音楽隊の演奏に戻ります。

♪ ごんぎつね〜音楽と語りのための〜 福島弘和

続いてはなんと珍しい、新美南吉の「ごんぎつね」の朗読に
音楽をつけて音楽劇仕立てにした作品が演奏されました。

この形式の音楽で最も有名なのは、セルゲイ・プロコフィエフの

「ピーターと狼」

だと思うのですが、作曲者が劇音楽の題材にこのお話を選んだのは、
「オオカミ」→「狐」という連想からだったとか・・まさかね。

 

自分がやらかしたいたずらのせいで、病気の母親に、今生最後の
うなぎを食べさせてやれなくなった兵十に対し、ごんぎつねは
償いのつもりでせっせと栗や松茸を運んでやるのですが、
そうとは知らない兵十は、ごんを銃で撃ち殺してしまう。

いつも呉音楽隊の演奏会には司会を務める、おなじみの
丸子ようこさんが皆が知っているこの悲しい結末の話を朗読しました。

ごんがいたずらをする様子、川のせせらぎ、夜の道の匂い・・。
こんな物語の情景がありありと浮かぶような、主に和風の旋律からなる
描写的な音楽が、あるときは朗読に絡み、時には独立して
あの「ごんぎつね」の話を紡ぎあげていきます。

わたしとしては、最後に兵十が銃をどんと撃つ瞬間、
ごんがばったり倒れる瞬間をどう音楽に乗せるのかに興味がありましたが、
意外とそこは普通?に、流れる音楽の上に物語を語らせておいて、
その後壮大に盛り上がり、ことばの余韻を味わっている人々に
駄目押しの感動を与える、という構成になっていました。

恥ずかしながらこのわたしも、こんな一語一句覚えている話で何を今さら、
とたかをくくっていたら、曲終了後、右頬に涙が流れ、
(わたしの右目の涙管は事情があって閉塞しているので)
なぜか鼻詰まりを起こしていたのでちょっとびっくりしました。

帰りの車の中でわたしがTOにそのことをいうと、

「なんで『ごんぎつね』なんかしたんだろう」

「どうして?よかったじゃない」

「何もコンサートであんな悲しい話を取り上げなくても、って思った」

TOは「火垂るの墓」を最後まで観ることができず、
(清太が鉄棒をするところでやめてしまった)さらには、

「にいちゃん、なんで〇〇死んでしまうん?」

と何かに引っ掛けて冗談を言っただけで

「やめろおお!」

と嫌がるというくらい悲しい話に弱い人なので無理もないのですが、
そもそも音楽とは、楽しいも悲しいも人の世に起こりうる普遍的なものや
それらを含む森羅万象を音で表すことを目的にしている芸術なのでね。
悲しいからやらないとかいうわけにはいかんのですよ。

「それと、プログラムに書いてあったごんぎつねの解説が嫌だった」

「何それ。わたし読んでない」

「えーと、
『悲しい、悲しいけど美しい。そして死という最大の悲劇が

起こらなければ通じ合わない人間の愚かさを、新見氏は見事に
芸術作品として結晶させています』だって」

「・・・うん・・それはわたしもいやだわ」

新美南吉がこの話を書いたのは若干17歳の時だったそうですが、
おそらく彼はアネクドートとしてこの話を書いたつもりも、
ましてや何かの教訓を示唆するつもりもなかったでしょう。

わたしがこのテーマについて三行で書くならこうかな。

改悛の気持ちから、相手に決して知られずに行う償いという
「善」に報いる「神」はこの時世界にたまたま不在だった
兵十は今後の人生においてごんの死という十字架を負って生きていく

「十字架」はあくまでも観念的な意味ですので念のため。

ここでふと興味を持って調べてみたところ、すごいページが見つかりました。
学校教師のための参考(アンチョコ?)サイトで

「ごんぎつね」で新美南吉は何を伝えたかったか

なぜ悲劇なのか、作者について知ることで、どうして彼が
こんな話を作ったのかを子供達に考えさせようというのですが、
新見の生い立ちが悲惨で、子供時代は孤独だった、に始まって

中国との15年戦争がはじまっており、「ごんぎつね」は
世の中が戦争ムードへと大きく傾き始めている中で書かれている

といったいかにもな日教組的誘導があって、なかなか香ばしいです。
ここには子供から出された意見も列挙されていますが、

「早まって人を殺したり傷つけたりしてはいけない」

「いたずらや火縄銃では決して幸せになれない」

など、こちらもほとんどが先生の喜びそうなお利口さんばかり。

作家が作品に投影させるのは必ずしも教訓とは限らないし、
17歳の少年、新見がただ

「なんとなくそんな話を描きたかったから書いてみた」

どいうだけだったかもしれないのに。

閑話休題、音楽とは全く関係なかったですね。


さて、「ごんぎつね」のあと、早々に休憩がアナウンスされました。

昨年12月に交代した音楽隊長のお披露目となる日だったので、
第二部以降に
ボリュームを持たせることにしたのでしょう。

新隊長は石田敬和一等海尉。
呉音楽隊の構成メンバーは全員が海曹海士からなり、
隊長と副隊長だけが尉官となります。

石田一尉は音楽大学ではなく、江田島の幹部候補生学校を卒業し、
初任幹部として東京音楽隊に勤務をしていた経歴を持ちます。
専門はオーボエ。

ちなみに前半の指揮者田中二尉は、最初の任務が駆潜艇「くまたか」だったそうで。
さすがは海上自衛隊の音楽隊、こんな経歴の人もいる。

昨年の12月まで、大湊、横須賀音楽隊の副隊長を歴任してきた石田一尉は
この度呉音楽隊で初めての隊長職就任となります。


♪ 「軽騎兵」序曲 フランツ・フォン・スッペ

 

最初のステージでどんな曲を振るかというのは、指揮者にとって
「自分はこういう指揮者です」ということを知らしめる意味もあって
非常にこだわりを持つところだと思うのですが、その最初の曲がこれ。

名前を知っているかどうかはともかく、誰でも聞き覚えがあって
広く親しまれている曲を選んだあたりに、新隊長の好みと方向性が窺えます。

その傾向は、次の曲にも表れていました。

♪ 弦楽合奏のセレナードop.48 ペーター・I・チャイコフスキー

 

わたしはこの曲を「弦楽セレナーデ」という名前で認識していたのですが、
吹奏楽編曲版はこの名称として知られているようです。

本来はオーケストラの4楽章からなる構成ですが、吹奏楽バージョンは
それらの主要部分をメドレーにして12分の曲にまとめてあります。

実家の母は、

「わたしのお葬式にはチャイコフスキーを流して欲しい」

というくらいチャイコフスキーの旋律を愛しているのですが、
その中で彼女が特に好きなのが、3楽章の「エレジー」。(4:10から)

練習の合間にピアノで弾いてあげるとうっとりとしていたものです。

第一楽章は、おそらく皆さんもこれでご存知のはず。

 

♪ チャルダッシュ ヴィットリオ・モンティ

なんと珍しい、チャルダッシュをコントラバス独奏で聞いたのは初めてです。
音楽隊唯一の弦楽器であるコントラバス(あ、ハープも弦楽器か)を
吹奏楽全員が伴奏に回ってのこれもかつてない組み合わせで。

ニコニコ動画で演奏しているのはベルギーのコントラバス奏者、
ディース・デ・ボーヴェという人で、とにかくテクが凄い。
コンバスは大きいので、音程をこれだけ正確に取れるのはほとんど「神」です。

特に3:14からのフラジオレット(倍音、ハーモニックス)の部分、
これ、抑えるところも普通と全く違うし、音程とりにくいんですよ。

この曲ソリストを務めたのは中串誠海士長。
ハーモニックスのメロディも見事でした。

広島の音楽高校から京都芸大に進んだという経歴で、
自衛隊に入隊したのは平成29年の3月ということです。

実は、プログラムに書かれた彼の「先生」のなかに一人、
わたしが知っている奏者がいるのですが、中串士長が楽器を抱える立ち姿が
後になって思えば記憶に残るその人にそっくりだったような気がして・・・。
教師のスタイルというのはやっぱり弟子に受け継がれるものなんでしょうかね。

「チャルダーシュ」も世間一般に有名で、誰が聞いても楽しく、
さらには
コンバスによる超絶技巧を目でも堪能できるということもあって、
皆演奏を終えた奏者に惜しみなく拍手を送りました。

日頃はベースを支えるという「地味」な仕事をしているベース奏者ですが、
クラシック、ジャズ、その他を問わず、彼らが実は

「俺がいなければ音楽は成り立たない」

という強烈な自負を持っていることは、関係者なら誰でも知っています。

そのベース奏者をフィーチャーし、主役に据えたこの選曲は
皆にその存在をアピールする意味でも大成功だったといえましょう。

 

♪ SEA OF WISDOM〜知恵を持つ海〜 清水大輔

 

東京音楽隊の高音質の動画が見つかりました。
音楽に興味のない方もぜひ聴いてみて欲しいのですが、
題名を全く言われずに聴いても、クラリネットのマウスピースを使ったカモメの声、
出航に際して聞こえてくる鐘の音など、海をテーマにしている、
とわかる効果があちこちに散りばめられていて、これはもう
海上自衛隊が取り上げるのは当然、という内容となっています。

作者によると、この曲は和歌山県の吹奏楽コンクールのために書かれ、
ここで表現されている海は和歌山県白浜なのだそうです。

朝の海、荒々しい岸壁、そして波を切りながらも進んでいく船・・。
そこには人類の叡智の源である海への敬意が込められています。

この曲が終わった時、まだ時計は開始から1時間半経った3時半をさしていました。
隊長がコールに応えて現我「行進曲 軍艦」を、若い指揮者らしく
少し早めのテンポで演奏し始めた時、もう終わり?と誰もが思った(はずな)のですが、
ここからが大フィナーレだったのです。

 

指揮者が合図をすると、会場から制服の高校生がステージに上がってきました。

呉音楽隊は地元の中高ブラスバンド部の演奏指導もその任務の一環として
恒常的に行なっているのですが、今回はその「生徒」たちを呼んで、
日頃の練習の成果を一緒にお披露目しましょう、というわけです。

♪ 宝島 和泉宏隆  真島俊夫編曲

東京音楽隊が昨年昭和女子大の人見記念講堂で演奏会をした時、
付属中高、昭和女子大の吹奏楽部と合同で演奏した
「宝島」の演奏が見つかりましたので貼っておきます。

この曲をやったことがない吹奏楽団体は日本には存在しない、
と言い切ってもいいくらい人気の高い曲なので、合同演奏には便利。
やってよし、聴いて良し、会場を最後に盛り上げるのにも最高の曲です。

帰りに話したところ、TOがこの曲を知っていたので、

「知ってたんだ」

とちょっと驚いたのですが、なんでもフュージョン全盛の頃、
Tスクエアの演奏がTDKのコマーシャルに使われていたらしいですね。

わたしもこの曲の、

ファ ミードーレドーレドシ♭ラー ソッラシ♭ードー
ラーソッファミーレードー(F)

が来ると、いつも太腿(なぜか必ず左)に鳥肌を立ててます(笑)


さて、ここで終わるかと思ったら、まだまだ。
サーカスを思わせる「大急ぎのマーチ」が演奏されました。
わたしはこの曲のことを知らなかったので、帰りに、ホールに立って
いつものように観客をお見送りしてくれている隊員の方に曲名を聞きました。

♪ マーチ「一度っきりの人生」 伊藤康英

題名を聞いた時、

「はて、一度っきりの人生、というような曲調には聞こえなかったけど」

と少し違和感があったのですが、作曲者によると、

コンサートの一週間ほど前に、アンコールになにかもう1曲足りないなあと思い、
午前中に作曲、午後のリハーサルに間に合わせたクイックマーチで、
予定された編成のために書いたので、おそらく「一度っきり」しか演奏できないだろう、
とこんなタイトルをつけてみた。

だそうで、納得しました。

これは一緒に演奏した中高生たちも楽しかったことでしょう。

 

耳に馴染みのある誰でも知っている曲、音楽童話、そして地元の学生との合同演奏。
地方音楽隊の役割をしっかりと果たしつつ、良質な音楽を提供してくれる
新生呉音楽隊のこれからの活動に期待したいと思います。

またコンサートの参加にあたりご配慮をいただきました関係者の皆様に
この場を借りてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。


 

 


海上自衛隊東京音楽隊 第58回定期演奏会 @ サントリーホール 後半

2019-02-14 | 音楽

サントリーホールで行われた東京音楽隊定期演奏会、
当日のプログラムにはロビーにあったような
自衛隊の広報写真が掲載されていました。

訓練のシーンや災害救助活動の写真など。

左はRIMPACでのスポーツ交歓でしょうか。
映画「バトルシップ」で主人公とナガタ2佐が喧嘩になった
サッカーの試合のシーンを思い出しますね。

右ページは音楽まつりの東京音楽隊おなじみの「錨」フォーメーションと、
下はよこすかYYフェスタでの艦艇の一般公開でしょう。

上の「ニコニコ超会議」って何をしたのかな?

 

昔、プログラムには楽曲解説のページもあった記憶がありますが、
いつの頃からかそれらはなくなり、自衛隊広報一本!という感じの
プログラムになりました。

コンサートのMCが、必ず

「今こうしている間も、日本の至る所で日本を守る為に勤務についている
自衛官がいることを思い出していただければと思います」

というようなことを付け加えるようになったのも、近年になってからです。

♪ 華麗なる舞曲 クロード・トーマス・スミス

【世界最速】華麗なる舞曲/C.T.スミス -Dance Folatre-

後半の最初に演奏されたのが、前回わたしが「やる気ですね」と
ここでも書き、この日一番聴くのを楽しみにしていた難曲、
クロード・トーマス・スミスの「華麗なる舞曲」でした。

インターミッション中、二人でお昼がわりのサンドウィッチをつまみながら
わたしはTOにこの曲について「聴きどころ」を解説しておきました。

「技量の高いアメリカエアフォースのバンドに『挑戦』するという意味で
作られた難度の高い曲で、一人一人にソリストの技量が求められる。
東京音楽隊が今日どんな速さでこの曲に挑戦するのか楽しみ」

 

そして、始まった瞬間・・・・!

は  や  い (  )

この時の演奏がいつか動画にアップされることになったら、
アップした動画の「世界最速」タイトルは剥奪か、あるいは
控えめに言ってもタイになるだろう、と大予言しておきます。

動画のように大人数での演奏ではないので、最初の部分はまるで、
全体的にスモークがかかったように滑らかな音形の上下降を、
要所でティンパニがピリッと引き締める、というような印象の出だしです。

この動画でわたしがあまり評価できない緩徐部分への急激な転換部分ですが、
この日は指揮者の統率によってごく自然にテンポが制御され、
実に気持ちのいい減速だったことに、いきなり唸らされました。
そして、それに続いて現れるクラリネットソロの清冽なまでの美しさ。

そのクラリネットが導くトゥッテイ(全員での演奏)は、出だしと対比を見せて、
くっきりと、かつ力強い低音を刻み、曲に尋常でないメリハリを与えていました。

後半のフーガ風の部分でもスタミナ切れすることなくテンションを維持していたのは
やはり一人一人の技量の高さの賜物であったといえましょう。

速度に関していえば、作曲者がバンドに要求する速さは

♩= 146 - 152

上に挙げた動画は168くらいと、かなり常識外れの部類なのですが、
この日の演奏も指揮者の要求を上回っていたのは間違いありません。

ただしこちらはそれでいて粒の揃い方が半端なく、一人一人が
完璧に(ここは実に自衛隊らしく)仕上げてきていると思われました。

曲が終わってから、あちらこちらでブラボーの声が上がりましたし、
司会の村上氏が改めて、

「この曲で皆さんの技術の高さがおわかりいただけたと思います」

というようなことを言ったとき、一斉に拍手が起こったことからも
当日の演奏が耳の肥えた人が多い聴衆の心に響いたことがわかります。


前に指揮者樋口二佐が横須賀音楽隊で同じスコアを振ったときには

「速ければいいってものではない。
その点今日の演奏は音を認識するのにちょうどよかった」

という感想を述べたものですが、今回、同隊長は東京音楽隊という「名器」で
あえてこの常識はずれのテンポに挑戦されたのに違いありません。

演奏後のコールでは、ミュート楽器を持ち替えてソロを行なった
トランペットの奏者がメンバーからも喝采を受けていました。

とにかくすごかったです。
この夜、この曲の世紀の名演に立ち会った気がしました。

 

♪ 歌劇「椿姫」より ヴィオレッタのアリア
不思議だわ! 〜ああ、そはかの人か〜花から花へ  ヴェルディ

ここで「華麗なる舞曲」で一仕事終えたバンドに休憩を取らせる為か、
歌手の三宅由佳莉三等海曹がピアノ伴奏だけであまりにも有名なオペラ、
「椿姫」のアリアを披露しました。

音楽隊に続き、音楽隊歌手にとってもこれは大変な「挑戦」だったと思います。

 

「椿姫」は実際のオペラでは二度見ています。
ご存知かと思いますが、原題の「ラ・トラヴィアータ」の意味は、
「道を誤った女」。

ドミモンド(高級娼婦)として裏社会を渡ってきた主人公、
ヴィオレッタのことで、昔一度、このオペラを

クラブ「つばき」のママ「菫」と、彼女を好きになってしまう
おぼっちゃまの有人(アルフレード)が、男の父(会社経営者)に
別れさせられるが、菫が癌で病死する時になって再会し、死を看取る
(ただし社長が会うのを許したのは菫が死ぬとわかったから)

と現代に設定を変えてストーリーを解説したことがあります。

享楽的な水商売の世界に生きてきたヴィオレッタが、
おぼっちゃまのアルフレードを愛しかけている自分を否定し、

「やっぱせっかくの人生楽しく過ごさなくっちゃだわ!」

と思い直して、これからも花から花へ飛び回る蝶のように
男を手玉に取って生きていく、という部分を、清楚な三宅三曹が歌いました。

 

華やかだけれどエキセントリックな主人公を表す、
コロラトゥーラ唱法を駆使した曲は普通に難曲です。

わたしが観に行ったNHKホールでの引っ越し公演で、本番をキャンセルした
歌手(ゲオルギュー)のピンチヒッターが、この曲で音を盛大に外し
その後ステージを降りてしまったことがありましたが、それも
このアリアを歌いこなすことがいかに重圧であったかということでしょう。

 

三宅三曹の場合は、この曲をマイクで歌うという時点で
すでにオペラ歌手と同じ土俵に立たせて語るべきではないので
テクニカルな点は抜きにしても、ヴィオレッタが、

「馬鹿げてるわ!こんなわたしにできるのは楽しむことよ」

と自暴自棄になって自分を嘲笑う部分など、ヴィオレッタになりきって
たった一人のステージを作り上げ、聴き手を楽しませてくれました。

椿姫・花から花へ/森 麻季

色々上がっている日本人歌手が歌うこのアリアで、
一音も装飾音を外さず、最後のEs音が完璧だった唯一の歌手、
森麻季さんの動画を上げておきます。
ご本人も会心の出来だったのか、ガッツポーズしてますね。

 

♪ 交響曲4番 「イエローストーン・ポートレイト」ジェイムズ・バーンズ

イエローストーン国立公園はアメリカ中西部、モンタナ、
アイダホ、ワイオミングの三州の境の広大な地帯に属します。

東京音楽隊は、

「SALUTE TO JAMES BARNES」(ジェイムズ・バーンズに敬礼)

というトリビュートアルバムを出したことがあり、そこには

I .Down on the Yellowstone River (イエローストーンを下る)

II. Pronghorn Scherzo(プロングホーンのスケルツォ)

III. Inspiration Point(霊感の湧く場所)

というこの交響曲が全て収められていますが、このライブ録音で
指揮をしているのは、バーンズ本人です。

CDのクレジットは2005年となっていますから、
実際に作曲者の指導を受けた隊員もまだ現役のはず。
指揮者の樋口二佐もその一人だったかもしれませんね。

彼は親日家で、数多くの日本の吹奏楽団から委嘱作品を発表していますし、
度々来日して自作の指導や指揮などを行なっていることで知られています。

この曲は、いわばバーンズ直伝の演奏を経験した東京音楽隊、
つまり「本家」ならではの演奏であったと言えるのかもしれません。

ところで、そうと知って聞くと余計に思うのですが、親日家というのは
日本的なものが琴線に触れることもあるらしく、
例えば動画の12:58からのメロディは実に日本的です。

和風、というのではなく、日本人の作った曲みたいに聴こえます。

 

イエローストーンといえば余談ですが、スーパーボルケーノ、
地球全体を変えてしまうほどの威力を秘めた巨大火山が存在します。

これが噴火を起こせば、付近一帯を大地震が襲い、続く超巨大噴火によって
イエローストーン国立公園が完全に消失するだけでなく、
火山灰によって空の便をまひさせ、世界的な食糧危機になるそうです。

つまり地球は終わるってことですね。

これを防ぎ地球を救うべく、NASAはマグマまで掘り進んで
火山の根元から冷却するついでに地熱を利用することも考えているそうですが、
うまく行っても何百年単位のプロジェクト、うまくいくものでしょうか。

イエローストーンの噴火は約60万年単位で起こっていて、
今はちょうど前回から60万年目くらいに当たるらしいですが、
これ、時差が1万年どころか千年単位でも、カスリもしないってことになるよね。


プログラム終了後、ステージに現れた司会の村上新悟さんですが、
前回は俳優の平幹二朗氏がカンヌ映画祭で着たタキシードを着用していたのに、
今回はなぜか最初から音楽隊(三等海佐の階級章)の制服を着ていました。

いつそれについて説明があるのかわたしとしては楽しみにしていましたが、
最後までそれについての釈明はなし。
つまり前のタキシードが何かの事情で着られなくなって、
用意していた服に何か問題が(ラフすぎるとか)あったため、
急遽音楽隊が制服を貸したのかと邪推されます。

制服については、

「自衛隊の制服をお借りしていますが、いいものですね。
今日はこのまましれっと着て帰ろうと思います」

と言って皆を笑わせ、さらに、

「去年の『西郷どん』で山県有朋の役をしたので、
旧陸軍の制服を着たのだが、時代や他の違いがあっても、
国を守ろうとする人の制服(つまり軍服ね)を着ると、
身も心も引き締まるような気がします」

「だから今日はこのまましれっとこれを着て帰ろうと思います」

「しれっと」・・・・。
この言葉が海軍発祥だということは村上さんご存知だったかな?

そして、アンコールはその大河ドラマ「西郷どん」のテーマソングでした。

♪ 西郷どん メインテーマ 富貴晴美

昨年12月22日にアップされていた東音の演奏で、
この日の演奏と同じように、三宅三曹のボーカルが部分的に参加です。

♪ 行進曲「軍艦」 瀬戸口藤吉 

アンコールの「軍艦」については、いつも何かしら
ちょっと違う演出を見せてくれる樋口隊長です。
例えば、観客を「指揮」して拍手の場所を指定したり、
歌手に歌わせたり・・・。

いつも通り始まった「軍艦」、今回は「観客指揮」なし、
歌手も出てくる様子がありません。

珍しく普通に始まり普通に終わるのかな、と思っていたら、
サントリーホールのあのステージ後方席、(P席と言います)
パイプオルガンの下の通路に、先ほどの「イエローストーン」で
ファンファーレの演奏を行ったトランペットのバンダが、
再び現れて、最後の「守るも攻むるも」からのメロディを
高らかに吹き鳴らしたのでした。

「軍艦」の生演奏をこういうホールで聴くと、わたしはしばしば
得体の知れない感動が込み上げてきてしまうのですが、
トランペット6本によって演奏される「軍艦」の輝かしい響きは
またしても一瞬瞼の奥が熱くなる現象を生み、
その感動の余韻は、サントリーホールを出て、買ったばかりの
我が「527」に乗り込むまで続きました。

コンサートの後の感動というのはどんな演奏であっても
それなりなのですが、音楽隊の演奏は、彼らが属する自衛隊という
組織に対し、一段と好感が深まるという余禄が加わります。

自分たちの磨きあげた演奏技術を国民のために、工夫を凝らして
披露してくれる自衛隊音楽隊に対し、いつもながら
深く、そして熱く心から賞賛と賛辞を送ったこの日の演奏会でした。

 

最後になりましたが、演奏会参加にお気遣いいただきました
関係者の皆さまがたに対し、心より御礼を申し上げます。

 



 

 


海上自衛隊東京音楽隊 第58回定期演奏会 @ サントリーホール 前半

2019-02-12 | 音楽

昨年12月にお知らせを頂いて以来、楽しみにしてた
海上自衛隊東京音楽隊第58回定期演奏会、
シンフォニックコンサートに行ってまいりました。

今回頂いたチケットは二枚。
いつも誰と一緒に行くか悩むのですが、途中で寝てしまいかねない人は
問題外なので、予定されていたプログラムが「難しい」と思われる場合
それなりに音楽に興味のある人を誘うことになります。

今回予告されていたプログラムはスミスの「華麗なる舞曲」とバーンズの曲。
ちょっと難易度が高めなので、「イ・ムジチ」のバッハプロで寝るという
許し難い前科を持つTOには、当初戦力外通知をしておりました。

ところが、コンサート当日の朝、買い替えた車の納車が行われることになり、
我が家にとって最初のドライブとなるのが、外でもないサントリーホール、
となれば、やはりここは、初乗りがてら参加させてあげるべきかと。

本人も力強く、

「東京音楽隊のコンサートなら寝ないと思うよ」

と言い切るので安心し、新車に乗ってアークヒルズの駐車場までやってきました。

車種を隠すために相変わらずの陸自カモ使用です(笑)

(実はこの加工をした後、イメージホースの柄を変えられることに気づき、
冒頭写真のマスキングはその中から「渡り鳥」を選択してみました)

皆さんに見ていただきたいのはこのナンバープレート。

「次のお車のナンバーは何番にされますか」

とディーラーに聞かれて「(海軍記念日の)527!」と即答したものです。
車体はこれまで頑なネイビーブルーにこだわってきたのですが、
新しく出たこのシリーズにネイビーはなく、メタリックブルーのみだったのと、

「白ならディーラーにストックがあるのですぐにご納車できますし、何より・・」

結構な値引きがあるということで、久しぶりの白い車になりました。

今回楽しみにしていたのは会場がサントリーホールであったことです。

全盛期を知る者にとっては特に、今でも行くたびに華やかな時代の記憶が蘇り、
今より「サントリー」が特別な場所だった頃の高揚した気持ちが思い出されます。

バブルの終りかけの頃、ホール前のカラヤン広場で
ロングドレスにタキシードの人々が笑いさざめく、などという
今ではちょっと考えられない光景を見たこともありました。

到着後、その頃にはなかったスターバックスでコンサートまで
ゆっくり過ごし、心の準備をしてから会場入りしました。

ホールの一隅には海上自衛隊の宣伝ポスターが貼られています。

「GODSPEED」というわたしの好きな言葉がポスターに使われていて素敵。

「ゴッドスピード!」という(アメリカ海軍軍楽隊出身の人が作った)曲を
かつて東京音楽隊がコンサートで取り上げたこともありましたっけね。

このポスターの「ゴッドスピード」は、「祝福」から転じた
「ご安航を」という意味でこのように使われているのだと思われます。

ゴッドスピードの語源は

「GOD」+「SPEDE」(繁栄するという意味の古語SPEDENの仮定法)

で、その意味は

“may God cause you to succeed”

なのだそうです。
ちなみに英語の「スピード」には、実は「速さ」だけでなく
成功、繁栄、幸運という意味も含まれるのだそうですが、これも
「SPEDE」が語源となっている言葉だからでしょうか。

 しかしこの「ゴッドスピード」という言葉、海上自衛隊の印象にぴったりですね。

左は横須賀教育隊の紹介ポスター。
呉教育隊が海軍時代には「呉海兵団」だったように、ここもまたかつては
「武山海兵団」の名で新兵教育ならびに予備士官育成教育を行なっていました。

現在では関東以北の出身者の新入隊員の教育、予備自衛官の教育ですから、
つまり昔とほとんど変わらない機能を持っていることになります。

RIMPAC、環太平洋軍事演習のことですが、2016年の写真です。
我が国の自衛隊は1980年以降のすべてのRIMPACに参加しています。

ちなみに、アメリカ主催で行われるRIMPACには、オバマ政権時代の
4年間の間にわたって中国海軍が招待されていたのですが、
堂々とスパイ艦で諜報活動を行なったり、自衛隊だけレセプションからハブったり、
オープンハウスで自衛官を追い返したりして、
自衛隊への無礼を働いた
ので、現場から偉い人まで業を煮やした米海軍が、政権交代した去年からは

もうあんなやつら招待しねえ!ということになったようです。

南シナ海でのあれやこれやと、トランプ政権の意向で完璧に
敵となった(海軍も)ということなんだと思います。

ちなみに、RIMPACにおける韓国についてですが、アメリカは主催者として、
韓国が日本に何かやらかさないか、いつも懸念し注視し続けており、
これまでのところ韓国海軍と自衛隊は良好にやってきています。
今年あたりからどうなるかはちょっとわかりませんけど・・・。

 

おっと、肝心のコンサートの話の前に、何を寄り道してるんだか。

いつの頃からか、東京音楽隊のコンサートはチケット発行の段階で全席指定です。
来場した順番に席を割り振るやり方や、招待者以外自由席、ということにすると、
下手したら朝早くテント持参で並ぶ人が出てくるので、こうなったのでしょう。

それだけ昔より音楽隊ファンが増えているということになりますが、
それもこれも三宅由佳莉三曹以降の歌手採用効果だと思われます。

 

さて、いよいよ第一部が始まりました。

♪ 喜歌劇「天国と地獄」序曲 J・オッフェンバック

【フル音源】喜歌劇「天国と地獄」序曲/オッフェンバック(八木澤教司)

途中まではともかく、途中からは知らない人のいないオープニングです。

夫が冥府に死んだ妻を取り戻しにいく、という話が、結果の違いはあれど、
洋の東西に昔から伝わっているというのは偶然でしょうか。

この「天国と地獄」の原題は「地獄のオルフェ」

「オルフェオとエウリディーチェ」というグルックのオペラのパロディで、
愛するがゆえに妻を地獄に迎えに行く原作とは違い、実は妻の死後
愛人など作っている夫が、世間体のために冥府にいやい妻を取り戻しにいく
(ふりをする)というドタバタ喜劇に変えてしまいました。

司会の俳優村上新悟さんは、

「この曲を聴くとカステラを思い出します」

と言っていましたが、わたしは関西育ちなのであまりピンとこず、
どちらかというと小学校の時の運動会を思い出します。
今は運動会で「天国と地獄」なんかやらないかもしれませんが。

ついでに言えば、当時は「クシコスポスト」なんかも運動会の定番でしたね。

 

村上新悟さんは、以前も一度東音のコンサートの司会をされたことがあります。
樋口隊長が飲んでいたお店で村上さんが隣に座っていて知り合ったのがきっかけ、
という話が忘れられません(笑)

♪劇的物語「ファウストの劫罰」より ハンガリー行進曲 
ヘクトル・ベルリオーズ

吹奏楽 ラコッツィ行進曲 L.H.ベルリオーズ作曲 陸上自衛隊第1音楽隊

前半のプログラムは、「今年で何周年記念」という節目に当たっている曲ばかりが
セレクトされたそうで、オッフェンバックは生誕200周年、
そして今年はベルリオーズ没後150年に当たります。

この企画は、今回のコンサートのタイトルにある

「祝天皇陛下御在位三十年」

にかけたものだと思うのですが、それにしては
一曲目が地獄行きの妻を救う話、二曲めが悪魔(メフィスト)に
魂を売り渡した男の話、となかなかエッジの効いた出だしです。

 

この「ハンガリー行進曲」(ラコッツィー行進曲)も、「天国と地獄」
ほどではないにせよ、「どこかで聴いたことがある」と皆が思うでしょう。

ちなみに「ファウスト」の舞台はハンガリーではないのですが、
ベルリオーズは最初にこの地方特有の旋律を使った曲を使いたいがため、
無理くり原作から舞台をハンガリーに変えてしまったという経緯があります。

動画で陸自の司会が説明しているように、「ラコッツィー」とは
軍隊を率いたハンガリーの英雄の名前なんですね。

♪ 交響詩「フィンランディア」ヤン・シベリウス

Brass of the Royal Concertgebouw Orchestra - Finlandia

コンセルトヘボウの吹奏楽演奏が見つかりました。
ロシア帝政下のフィンランド大公国で作曲された「民族の歌」で、
帝政ロシアによって演奏禁止処分にもなっていた曲です。

動画の4:42秒から始まる美しいメロディの部分は

「フィンランディア賛歌」

と呼ばれ、歌詞がつけられて作曲者本人が合唱用に編曲しました。

この部分に入ると、それまで椅子に座って待機していた三宅三曹が
立ち上がり、メロディを歌い始めました。
彼女が参加すると分かったとき、ヴォカリーズ(歌詞なし)かと思ったのですが
なんと日本語の歌詞でした。

残念ながらマイクを通しても歌詞は全く聞き取れませんでしたが、
もし堀内敬三の訳詞であったのならこのような内容です。

雲湧く静寂(しじま)の森と 豊かに輝く湖(みず)
野の花 優しく薫る スオミよ 平和の里
野の花 優しく薫る スオミよ 平和の里

幾たび嵐に耐えて 過ぎ越し 栄えある都市
新たな 文化は薫る スオミよ 清(さや)けき国
新たな 文化は薫る スオミよ 清けき国

スオミよ 平和の里 

「スオミ」とか歌詞で言われても聞き取れなくて当然かもしれません。
日本のことを「大和」「倭国」「瑞穂の国」「扶桑」というように、
フィンランドを表す言葉が「スオミ」です。

 

わたしにとって自衛隊音楽隊の歌手投入については、大変興味のあるテーマで、
音楽隊のコンサートを鑑賞するときには、歌手をどんな曲に、どんな形で、
さらにどういうパートを担わせるのか、その点をいつも注目しているのですが、
今回の「フィンランディア」でのヴォーカルの使い方は実に適宜適切であり、
バンドと歌手、どちらをも生かしきる「巧いやり方」と思えました。

「フィンランディア賛歌」の後のフィナーレ最終 IV-I の部分では
原曲にはないハイトーンで歌手の「見せ場」をちゃんと作っており、
これがまたなかなか心憎い演出だったと思います。

「フィンランディア」は、日本とフィンランドの国交樹立100周年、
ということで選ばれました。

♪ 二つの交響的断章 ヴァーツラフ・ネリベル

 

生誕100年(つまり最近の作曲家)であるネリベルはチェコの生まれ。
近現代的な技法で作られている曲ですが、吹奏楽シーンでは有名で、
日本ではコンクール課題や、中学生でもレパートリーにするくらいおなじみです。

司会が最初に、

「この曲はレ、ラ、ファ、シ(正確にはシ♭)に支配される」

と前もって説明してくれるので、聴きならがらまるで宝探しのように
「レラファシ」を探すという楽しみ方ができます。

低音で執拗に繰り返されるクラスターのような「レラファシ」、
「♪ フォ〜フォフォ〜〜〜」(サックス)「レラファシッ!」(グロッケン、シロフォン)
みたいに使われたり、ときには順番を変えてでてきたり。

フルートやオーボエなどのソロも堪能できますが、何と言っても
ティンパニをはじめとする打楽器陣の大活躍が見た目にも痛快な曲でした。

そして、前半が終わったとき、意外やTOが、

「一番面白かった」

と言ったのがこの曲です。

うーん、わたしは彼を少しなめていたかもしれん。

 

 

続く。

 

 


海上自衛隊 東京音楽隊 第59回定例演奏会「ハートウォーミング コンサート」後編

2018-12-17 | 音楽

東音の定例演奏会が行われるのはいつもクリスマスが近づき
街がイルミネーションで彩られ、華やぐ頃です。
冒頭写真は表参道を通り抜けたら全ての街路樹がライトアップされていたので
iPadで撮ったもの。
こんな時に限って信号が赤になってくれず、これが撮れたのは青山通り手前ですが、
表参道ヒルズあたりの車道からの眺めはもっとすごかったですよ。

すみだトリフォニーホールのロビーにもツリーが飾ってあります。

この、ピアノを弾いているらしい人の彫刻、なぜピアノがないんだろう?
てっきりわたしは、ピアノと一緒に飾ってあるのが本来の姿で、
今ピアノが貸し出されるかなんかで出払ってるのだと解釈していたのですが、
何回来てもこの状態なので何の気なしに調べたところ、
ピアノは最初からなかったことがわかりました。

船越桂という彫刻家の作品で、作品名は「エアーピアニスト」。
・・・・じゃなくて「彫刻」だそうです。

この人の作品、「永遠の仔」の表紙に使われてましたよね。

船越桂 作品

見る人に想像してもらうために床にピアノの影だけがあります。

 

ジングル・ベルズ in Swing ピアポイント/ヘンデル

さて、第二部からはぐっと楽しい雰囲気に。

Jingle Bells in Swing / James Pierpont, George.F.Handel  龍谷大学吹奏楽部

ジングルベルで始まり、「もろびとこぞりて」「赤鼻のトナカイ」(部分)
の合間に各パートがソロを披露するというお祭りっぽい盛り上がりで始まりました。

音楽隊長の樋口二佐はパーカッションセクションの中に紛れ込み、
クリスマス仕様の(多分違うけど)赤いスティックで演奏に参加です。

第2部からは「司会業」に復帰した荒木三曹が、

「日本で最初にクリスマスを祝ったのは1551年、山口県で
宣教師が日本人信徒を招待してミサを行ったのが事始め」

と紹介して演奏されたこの曲、ジングルベルはピアポイントという人が
なんと1857年には作曲していたんですってね。

ちなみにピアポイントは牧師で、あのモルガン財閥の創始者、
ジョン・ピアポイント・モルガンの叔父さんです。

プログラムに「G・F・ヘンデル」と書いてあるのは、途中でてきた
「もろびとこぞりて」の作曲者という意味だと思うのですが、
正確には「もろびとこぞりて」の作曲者はヘンデルではなく、
アメリカ教会音楽の第一人者、

ローウェル・メーソン Lowell Mason (1792- 1872)

であることをちょっとお知らせしておきたいと思います

確かにヘンデルのメサイアにはイントロ・ドンをやったら間違えそうな
出だしのものがあり、これから取られたのではないかという説もありますが、

Handel Messiah: Lift Up Your Heads

これぐらいで作曲者呼ばわりするのだったら、童謡『春が来た』は
「トランペットヴォランタリー」を参考にした!とか、
「上を向いて歩こう」はベートーヴェンのP協奏曲「皇帝」!とか、
「北の宿から」はショパンのピアノ協奏曲とか、ドラえもんは
チャイコの交響曲5番!とかいうのはどうなるのって話ですよ。

これは元々の編曲者がクレジットにヘンデルと書いているようですね。
ここでこっそり訂正を要求しておきたいと思います。

 

デイ・バイ・デイ / ストーダール&ウェストン サミー・カーン

このクレジットもプログラムには間違いがありました。
プログラムには作曲者の
「ストーダールとウェストン」しか名前がなかったのですが、
このメンツで
一番有名なのは作詞のサミー・カーンだったりするわけです。

えー、どれくらい有名かというと、ディズニーのピーターパン挿入歌の
作詞をしたとか、「ダイハード」で有名になった「Let it snow×3」とか。


それにしても東京音楽隊というのはなんたる人材の宝庫、と唸ったのが
このデイ・バイ・デイの演奏でした。

「宇宙戦艦ヤマト」や音楽まつりでの「海をゆく」「軍艦」「われは海の子」
などを歌ったホルンの川上亮司海曹長、そして去年は三宅三曹と「美女と野獣」を
披露し、音楽まつりでは海自代表で冒頭の「消灯ラッパ」を吹いたトランペットの
藤沼直樹三曹、この東音専属男性歌手二人に加え、いずれも管楽器の二人が加わり
合計4人で「男性コーラス」を披露してくれたのです。

ここで絶賛してもその素晴らしさは到底伝わらないと思いますが、
とにかく軽快なラテンのリズムに乗せた四人のハーモニーは完璧。
流石に全員管楽器奏者だけあって、ピッチが気持ちいいくらい合う合う。

「Day by day  I’m fallin' more in love with you」(日に日にあなたへの愛は増してゆく)

で四人がドライブ感満載のリズムに乗ったコーラスで歌い出し、続いて川上海曹長が

「There isn't any end my devotion」(私の献身は終わることがない)

と渋い低音でキメるわけです><

Jazz Vocals with Swing! The Four Freshmen- Day By Day

世界一有名な男性4人コーラスといえば?
そう、ダークダックス・・じゃなくてフォーフレッシュメンですね。
今回のアレンジに一番似ていると思われる彼らの演奏をお聴きください。

しかしこんな素敵な男性コーラスが手持ちのメンバーでさらりとできてしまう、
これほどお得でかつ応用自在の音楽団体が他にあるでしょうか。
(あったら是非教えてください)

個人的には『I find that』の前の休符の時、真ん中の人が
いちいちビシ!っと宙を指差すイケメンポーズにシビれました(笑)

 

ところで「人材」で思いだした余談ですが、隣に座ったミスター元将情報によると、
東京音楽隊にはシエナ・ウィンド・オーケストラから来た人もいるんですね。
誰だろうと思って調べてみると、Wikiには「シエナの創設メンバー」とありました。

こういう人も普通に学科試験を受けたんだろうか?と不思議な感じがします。

見上げてごらん夜の星を / いずみたく 永六輔

このクレジットにも作詞者の永六輔が書かれていなかった件。
坂本九の不朽の名曲を三宅三曹が歌いました。

素直で、人の心に真っ直ぐに届く歌声。
こういう曲を歌うときの三宅さんは自然で微塵も外連味がなく、
彼女のキャラクターともあいまって最高に素晴らしい。

君の瞳に恋してる Can't Take My Eyes Off You 

いくら原題が日本人には覚えにくいからといって、「君から目が離せない」を
「君の瞳に恋してる」という解釈はないだろうと思うのですが、

とにかくそういう題で日本でもヒットしたボーイズタウンギャングの曲です。

元曲はもっと古くからあったのですが、BTGがディスコ調でリバイバルさせました。
吹奏楽バージョンもyoutubeで見つけましたが、この日の演奏は
こんなにネムい感じじゃなかったなあ。(でも一応貼っておきます)

《吹奏楽ヒット》君の瞳に恋してる


チム・チム・チェリー シャーマン兄弟

(Richard M. Sharman/Robert B. Sherman)

メアリーポピンズの原作ではあまり出てこない煙突掃除屋の
バートが、ディズニー映画では思いっきり主人公っぽくなって、
この歌をメアリーと並んで歌うわけです。

メアリーポピンズの原作、小さい頃大好きで何度も何度も読んだものです。

この東京佼成ウィンドの演奏はとにかく熱田公紀氏のアレンジがよろしい。
この夜の演奏も同じ楽譜で行われていたと思います。

後半に選んだ曲はヴォーカルの二曲以外は、随所で奏者がアドリブソロや
ソリ(複数の同種楽器がソロを取る)を発揮できる曲ばかりで、この曲も、いかにも
ビクトリア朝時代のロンドン!(原作の舞台はもう少し後ですが)といった雰囲気の
「ドンぱっぱ」な三拍子からいつの間にかジャズワルツになり、
そこで何人かが、ここぞ!と立ち上がりソロを聴かせていく、という構成です。


しかし、自衛隊の音楽隊って、(一般のオケもそうですが)ー〜二昔前とは
個人の技術が段違いに高くなっているよなあとこれを聴いて思いました。

わたしが持っているCDの奏者のソロなんかと比べても、
その技術何よりセンス
には明確な差があります。


アヴェ・マリア グノー

再び三宅三曹の歌声でクリスマスならではの「アヴェ・マリア」。
この曲はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1集ハ長調の前奏曲の上に、
それを伴奏となるようにシャルル・グノーという19世紀半ば、
フランス音楽の基礎を築いたという噂もある作曲家がメロディをつけたものです。

バッハが聴いたらどう思うかは謎ですが、このアイデアは秀逸です。
音楽界のアイデア賞です。

どうしてもメロディとバッハの原曲が合わないところを1小節、
原曲の方を削ってごまかしていますが、それはさておき、

グノーの「アヴェ・マリア」はシューベルト、カッチーニのとともに
「三大アヴェ・マリア」と言われるくらい有名です。

ちなみにわたしは聴きすぎて好きも嫌いもないシューベルトとグノーより
カッチーニの「アヴェ・マリア」に心惹かれます。
この作曲者が実は実在したバロック時代の作曲家カッチーニの作品ではない、
という逸話も含めて。

寺井尚子(Naoko Terai)  Ave Maria /Caccini ( Vavilov )

実はこの曲、近代どころか最近の1970年、ソ連の作曲家
ウラディーミル・バビロフという人が、すい臓がんで困窮のうちに没する
死の直前に作曲した曲だということがわかっています。

道理でこんないい曲なのについ最近まで聴いたことがないと思った。
なぜかいつも自作を古典作曲家の名前で発表する癖のある人だったみたいですね。

なぜそんなことをするのかほとんどの人にはわからないと思いますが、
彼の専門が古楽器であったこと、「作曲家」が近代において
古典風の作品を発表するのは第一線では認められていないという
音楽界の風潮がさせたことではなかったかとわたしは思っています。

 

閑話休題、ところで隣のミスター元将と音楽まつりの話になり、

「海自のステージでの三宅さんと中川さん(横須賀音楽隊の中川麻梨子三曹)
のデュエットは素晴らしかった」

という意見で二議一決を見ました。

「中川さんはとにかく上手い。三宅さんは可愛い感じ。
二人とも全く違うタイプだからこそいい」

また、これもこっそり聴いたところ、この日は三宅由佳莉三曹の
誕生日だったそうです。
帰りに駐車場のエレベーターに同乗した人たちも
関係者に聴いたらしく
この話をしていました。

「でもお誕生日おめでとう!とかはなかったね」

まあ・・・色々考えてもそれはしないでしょう。

アレルヤ!ラウダムス・テ A・リード

吹奏楽に興味がある人でアルフレッド・リードの名前を知らない人はいません。
1960年以降日本で行われるようになった吹奏楽に道筋をつけたのは
リードの作曲した卓越したコンクール曲の数々であり、そのほかにも来日して
洗足音楽大学で教鞭をとり、アマチュアバンドを指揮した功績により、
「現代日本の吹奏楽の父」といっても過言ではない働きをしたからです。

「エル・カミーノ・リアル」(カリフォルニアに同じ名前の道路がある)
「アルメニアン・ダンス」「春の猟犬」など、名曲を多く残している彼も
また陸軍航空隊軍楽隊で副指揮者やライブラリアンをしていた経験があります。

アルフレッド・リード/アレルヤ!ラウダムス・テ


「アレルヤ!ラウダムス・テ」とはラテン語で
「ハレルヤ、我ら主をほめたたえん」という意味。

ファンファーレの後はクラリネットのソロによって
内省的な祈りを感じさせる美しいメロディが続きます。

ところでこのダラス・ウィンドシンフォニーの演奏のyoutubeが
パイプオルガンの写真であることにご注目ください。

オリジナルスコアでリードはそのクライマックスに
パイプオルガンを指定しているのです。(4分少し前から)

この日のステージに電子ピアノが置かれているのでわたしは
何に使うんだろう、と注目していたのですが、
曲のクライマックスで突然パイプオルガンの音が聴こえてきたので、
合点がいきました。

しかし同時にこのすみだトリフォニーホールの立派なパイプオルガンを
なぜ使わないのかと一瞬ですが非常に残念に思ったのも事実です。

まあ簡単に言いますが、パイプオルガンは昨日も話に出たように、
各種ストッパーの操作など、わかっていないと音も出せない楽器ですし、
第一ホールを借りる料金にオルガン使用料まで含まれていないとなれば、
キーボードでパイプオルガンの音を出すしかなかったのでしょう。

ただなあ・・・これ実際のパイプオルガンで聴いてみたかったなあ・・。


さて、プログラムの曲が全部終わり、聴衆がアンコールをリクエストすると、
なんといきなり

行進曲 「軍艦」瀬戸口藤吉

が始まってしまいました。
はて、海上自衛隊的にはこの曲が演奏されたらそこでも今日は終わり、
ということになるはずですが・・・?

スミスとリードで練習時間を使い果たしてアンコールの余力がなくなったのか、
とわたしが失礼なことを考えていると、「軍艦」が終わってから
ジングルベル in Swing調のジャズっぽいクリスマスソングが演奏されました。

イントロとかまるで「Sing、Sing、Sing」(ただしメジャー)なので、
なるほど、これと引っ掛けたのか、と思ったら、ロビーのボードに

「本日のリクエスト」

軍艦  シング・シング・シング

と書いてあって目を疑いました。
そ、そっちがメインだったの〜?

ちなみにこの日ご一緒したのは某携帯大手会社勤務という方で、

「御社はFウェイ大丈夫なんですか」

と一応聴いてみると

「うちは大丈夫です。わたしが過去入り込むのを撃退しました」

「おおすごい。もしかしたら今正義は勝つ!って思ってます?」

「いやいやw」

「もしかしてザマーミロとか」

「いえいえw」

こちらの方も本日の演奏会には大変感動されたようで、口々に

「相変わらず楽しいコンサートでしたね」

と言い合いながら外に出ました。


ところで今日、郵便物の中に、来年二月にサントリーホールで行われる
東京音楽隊定期演奏会のお知らせを発見したので、プログラムをチェックすると、
なんと予定曲に

「華麗なる舞曲」C・T・スミス

の曲名が・・・・・。

うーん、やる気ですね、隊長!

今から俄然楽しみになってきました。


というわけで、ハートウォーミングな今年の定例演奏会のご報告を終わります。
最後になりましたが、演奏会参加にお気遣いを頂きました皆様に、
心よりお礼を申し上げます。

 

 


海上自衛隊 東京音楽隊 第59回定例演奏会「ハートウォーミング コンサート」前編

2018-12-16 | 音楽

平成という時代の最後の年末、異常な暑さのあとにいきなりやってきた
信じられないくらいの寒さに関東一円が震え上がった12月の週末、
第59回東京音楽隊定例演奏会に行ってまいりました。

この時期「ハートウォーミングコンサート」と銘打って行われる
すみだトリフォニーホールでの演奏会は、例年時節柄、
クリスマスの曲を交えて観客を楽しませてくれるのが慣いです。

最近東音関係の印刷物で見る、八分音符の連符が
可愛らしい音楽隊員で表されているロゴのように、
今回も心温まるハートウォーミングな演奏会となりましたので
ご報告させていただきたいと思います。

 

入場すると、パイプオルガンの演奏席のあるデッキに譜面台が
セッティングされています。

「ファンファーレ的な曲で始まるんだな」

と予想していたら、案の定そこに並んだ金管楽器奏者によって

トランペット・ヴォランタリー(J・クラーク)

を演奏するという幕開けになりました。

中世イギリスのセントポール大聖堂のオルガン奏者、ジェレマイア・クラーク
アン女王の夫だったデンマーク王室のジョージ王子の行進のために作曲したものです。

Jeremiah Clarke, Trumpet Voluntary-Trompeta Voluntario.

この題名についてちょっと説明させてください。

「トランペット」と題名にあり、その通りトランペットで演奏されている曲ですが、
元々はクラークが自分が演奏するために書いたオルガンの曲なのです。

それにしても「ヴォランタリー」というこの題名、「ボランティア」と同じ
「自発的に」という意味ですが、不思議なタイトルだと思いませんか?

 

超どうでもいい知識ですが一応説明しておくと、ヴォランタリーとは音楽用語で、

礼拝の前後に演奏されるオルガン曲の総称なのです。

「ご詠歌」みたいなもんですかね。ちょっと違うか。

とにかく、英語圏では元々の題名に関係なく、そうした曲を全て
「ヴォランタリー」と呼ぶことになっているのです。

そして驚くことに「トランペット・ヴォランタリー」も元々は固有名詞ではなく、
パイプオルガンの専門用語です。
詳細はこのエントリ全部紙面が必要なので省略しますが、とにかく、

「パイプオルガンのトランペットというストップ(音色を選択する装置の一つ)
を使って、礼拝前後に演奏するオルガン曲」

という一般名詞であり、この曲の本当の題名は「デンマーク王子の行進」とそのまんまです。

元々トランペットの曲でもないのに、なぜ現在この「デンマーク王子」という
トランペット・ヴォランタリーだけが独立して、しかもそういう題名になり、
オルガンでなくトランペットで演奏されているかと言いますと、
後世になってヘンリー・ウッド卿という指揮者が、トランペット、弦楽、
そしてオルガンでこの曲をアレンジしたからなのです。

 

同曲は、チャールズ王子とダイアナ妃の結婚式にも使われ、
また現在でも、従軍牧師ばかりからなる陸軍部隊、

イギリス王立陸軍牧師部隊

の公式曲とされています。
同じ曲ですが貼っておきます。

Royal Army Chaplains' Department March (British Army)

編曲がより軍隊調な行進のテンポであることにご注目。

しかしさすがはキリスト教国家、英国には牧師さんの部隊があるんですね。
日本でも「救世軍」がありますが、元々はこの「サルヴェーションアーミー」も
聖職者の軍隊から派生している組織です。

ロイヤル・チャプレンズ・アーミーの司令官は将軍位であり

「チャプレン・ジェネラル」

という階級が与えられています。

というわけで、音楽解説をしているつもりが、ついつい
ミリタリー系の方向にそれてしまいましたが、次行きます。

 

ところで冒頭写真は、わたしの座っていた席から撮ったのですが、
2階席のど真ん中という絶好の場所でした。
おまけに隣には旧知のコアな音楽隊ファンである元将官。
音楽隊の「中の人」しか知り得ない情報も教えていただけるという、
超スペシャルお得なお席です。

『近年自衛隊音楽隊には、普通に音楽大学を出て入隊を希望する人が
オーディションを受けに来るのだけど、とても残念なことに
日本の音大には得てして専門が良ければ学力は大目に見るところもあるらしく、
オケは落ちたけど自衛隊なら就職楽勝!とばかりに意気揚々と受けにきた音大卒でも
一般学力が基準に達しない場合にはお帰りいただくことが結構ある』

という笑えない話を聞かせてくださったのもこの元将官です。

そのミスター元将が、

「今日はハープの荒木さんが協奏曲をやりますよ」

とおっしゃるので改めて舞台を見ると、ステージ中央に
神々しくも美しい楽器、ハープが燦然と鎮座しています。

音楽まつりで開演前に調弦しているその様子を、今まで
せっせと写真に撮ってご紹介してきたところの荒木美佳3等海曹は、
東京藝術大学を卒業後、自衛隊初のハープ奏者として東京音楽隊に入隊しました。

今回は彼女が協奏曲のソリストとしてステージに乗った最初の日だっただけでなく、
ハープ協奏曲が行われた自衛隊史上初の出来事だったのではないでしょうか。

ハープ協奏曲 変ロ長調 G・F・ヘンデル

世の中にハープ協奏曲はそんなにたくさん残されていませんが、
この「音楽史上初めて作曲されたハープのための協奏曲」は、
誰でも一度くらいはどこかで聴いた事がある、と思うかもしれない、
というくらい有名な曲です。

Marcel Grandjany - Handel Harp Concerto

2:10からはカツラをかぶっていない「ありのままのヘンデル」のお姿がみられます。
なんでわざわざこんな絵を描かせて後世に残しちゃったかね。

さてそのヘンデルやバッハ、モーツァルトなどの時代、
協奏曲というのは、終始の直前、カデンツァと言いまして、

「演奏者が自分で作曲し、自分の卓越したスキルを見せびらかす

という聴かせどころを持っていました。
この伝説のハープ奏者グランジャニのカデンツァを、8:15から聴いてみてください。


指揮者が指揮をする手を降ろし、ハープのソロになる部分からは
全て奏者が作曲したオリジナルなのです。

荒木三曹のカデンツァは典雅ながら華やかな聴かせどころを持ち、
緩急のバランスの取れたものだったと思います。

そういえばわたしは生でハープ協奏曲を聴くのは初めてでした。
会場のほとんどの人もこの楽器が真ん中にあり、後ろには
ハープシコードが通奏低音(これも通常奏者の’裁量’で演奏される)
が奏でる様子を見るのは初めてだったのではないでしょうか。

ちなみに冒頭写真は休憩時間に撮ったもので、真ん中にあった
ハープシコードを皆で片付けているところが写っています。

残念だったのは吹奏楽でアレンジされていたため、
ただでさえ聴こえにくいハープシコードの通奏低音が
増幅させてもほとんど聴こえてこなかったことでした。

そもそもハープシコードは広いコンサートホールで演奏するのには向きません。

 

ヴォカリーズ セルゲイ・ラフマニノフ

荒木三曹が「一仕事」(本人談)しなくてはいけない前半は、
彼女がいつも担当している司会のお仕事を、男性隊員が行いました。

その司会によって「ラフマニノフの作品で最も有名な曲」と紹介された
「歌詞のない歌」=ヴォカリーズを、三宅由佳莉三等海曹が歌いました。
おそらく彼女がこの曲を取り上げるのは初めてだったのではないでしょうか。

知らない方のために、同じ吹奏楽アレンジの本田美奈子バージョンを貼っておきます。

Vocalise / 本田美奈子. (Vocalise / Minako Honda.)

高音が出なかったのか、吹奏楽のアレンジなのでそうなったのかはわかりませんが、
原曲の嬰ハ短調を半音落としてハ短調にしており、キリ・テ・カナワやフレミング、

キャスリーン・バトルのような声のビブラートを駆使したB#音のトリルには
トライしていないようですが、そういうことは差し置いても十分美しいと思います。

この人、上手かったんだなあ・・・。惜しい人を亡くしたものです。

三宅三曹のヴォカリーズは低音がアンサンブルにかき消される瞬間も
あるにはありましたが、編成を考えるとそれもまた宜なるかなと。

おなじヴォカリーズを太田佐和子二等海曹のピアノ伴奏でぜひ聴いてみたいものです。

 

ルイ・ブルジョワの讃歌による変奏曲 C.T. スミス

Variations on a Hymn by Louis Bourgeois : Claude Thomas Smith

クロード・トーマス・スミスというアメリカの作曲家は、
陸海空、夜戦陸軍軍楽隊のために必要以上に難しい曲を書いています。
別名難曲メーカーと異名を取っている(かもしれない)ことと
若い時に陸軍軍楽隊に所属していたこととの間には何か関係があるのでしょうか。

いや、ないと思いますが、作る側の立場になって考えてみると、
初見ですらっと合わせられてしまう曲を書くことはプライドが許さない、
みたいなことを考える人だってね、いるわけですよ。

「演奏者いじめ」みたいな超絶難しい曲を書いて、

「ふひひひ、皆苦しむがいい、特にホルンとトランペットな」

と内心ほくそ笑むような人だってね。いるわけですよ。
スミスがそうだったとは言いませんけどね。


ところで同じスミスの難曲シリーズ「華麗なる舞曲」Danse Folâtre
東京音楽隊隊長、樋口二佐はかつて横須賀音楽隊長時代にチャレンジしており、
個人技難易度C続きのともすればカオスで終わってしまいかねないこの曲を
打楽器奏者らしいキレのいい棒で見事にすっきりと聴かせていたのを思い出しました。

本作は「華麗なる舞曲」のようなパワー系の出だしでまさにスミス節ですが、
0:58から、変奏のテーマとなるルイ・ブルジョワの詩篇が始まります。

詩篇ってナーニ?という方向けに、一応貼っておきます。
キリスト教のご詠歌ってところですね。これも。

Old Hundredth-Bourgeois All-Parts.wmv

わたしはこの曲を生で聴くのは初めてだったのですが、
2:19から始まるオーボエのソロとそれに続くアンサンブルが好きすぎて・・・。

スミスの曲は、個々の楽器の見せ場が多く、(しかもそれが難しい)
特にこの曲もトランペットが大活躍。

6:09からのトランペットソロはよくよく聴いていただくと
二人で掛け合い演奏しているのがお分かりになると思います。

クライマックスは「詩篇」のメロディが各楽器に現れ、
フーガのように聞こえる壮大なもの。

しかし賛美歌を素材に使いながらこれほどアメリカーン!な色で仕上げてしまう、
やっぱりアメリカ人の作った曲だなあと思いました。

それと普通のメロディを普通にやればいいのに(笑)
あえて随所に不協和音を多用することについては、
ある評論家も

「スミスは晩年になればなるほど不協和音を使用する頻度が増えていったが、
この側面は彼の音楽のより広範な特徴になっている」

と書いています。


前半のプログラムはファンファーレ的「トランペット・ヴォランタリー」
に始まって、全て個人の演奏をフィーチャーしたものが続きましたが、
最後のこの曲こそ、東京音楽隊みんながソリスト!な曲だったというわけ。

曲が終了後、頑張ったトランペット、ホルンセクション、オーボエなどは
指揮者にコールされて盛大な拍手を受けていました。


そうそう、この曲を依頼したのは英語ウィキによると
米海兵隊音楽隊指揮者、作曲家であった

ジョン・R・ブルジョワ大佐

だったそうです。
フランス系のブルジョワ大佐、もしかして、詩篇を作曲した
ルイ・ブルジョワが自分のご先祖だった、なんて事情でもあったのかな?

 

後編に続く。

 

 

 


「S・E・A」海の護り〜平成30年 自衛隊音楽まつり

2018-11-30 | 音楽

平成30年度音楽まつりはここでだいたい約半分が終了し、
「繋がる、希望の海」と名付けられた第2章は、外国招待バンドに続き
愈々海上自衛隊東京音楽隊の出演となりました。

朝、外で列に並んでいたとき、後ろの中年女性が、

「今日もほら、あの歌の人出るの?」

と話していました。
早くから並んでいる割に音楽隊のことについて何も知らない風でしたが、
そういうレベルの人でも存在くらいは知っているのが、
三宅由佳莉三等海曹です。

彼女が前代未聞の自衛隊音楽隊専属歌手として活躍を始めてから、
メディアが一時大きく扱ったこともあり有名になって以降、
自衛隊音楽隊の歴史は彼女の存在によって大きく変わることになります。

専属歌手としての彼女の好評を受けて、いくつかの音楽隊が専属歌手を採用し
コンサートやイベント、自衛隊の儀式などにも歌を披露することになったのです。

今回三宅三曹と共演した横須賀音楽隊所属の中川麻梨子三等海曹も、
そのようなムーブメントの中で採用されたヴォーカリストでした。

海上自衛隊に存在する二人の歌手の初共演。
曲は「この星のどこかで」

今回音楽まつりでこの曲を聴かれた方、これが
この映画のテーマソングだということをご存知でしたか。

映画ドラえもんのび太の太陽王伝説 主題歌「この星のどこかで」

作曲は今ニューヨークでジャズピアニストになってしまった
大江千里、歌っているのは由紀さおりと祥子姉妹です。

歌い方も発声も全く違う二人の歌手の共演。
選曲の妙もあって、うっとりするようなデュエットです。

ただあえて言わせていただければ、三宅三曹が本格的に
クラシックの声楽を学んだ中川三曹との違いを明確に出そうとしたのか、
声を可愛らしく作りすぎているようだったのが残念でした。

個人的には2年前の「アフリカン・シンフォニー」の時のような、
ああいうまっすぐな歌い方でもいいような気がするのですが。

ただそれは瑣末なことで、二人の声は完璧に溶け合い、
素晴らしいハーモニーとなって会場を魅了しました。
(ここだけの話ですがオリジナルの二人より良かったと思います)

二人の歌はプロローグで、ここからが海自のマーチング開始です。

「海峡の護り〜吹奏楽のために」

この曲は今年の二月に行われた東京音楽隊の定期公演でも行われました。

 

現音楽隊長の樋口好雄二等海佐が横須賀音楽隊の隊長だった頃、
作曲された委嘱作品だということです。

いつものカラーガード隊が東京音楽隊のバナーを先頭に行進を行い、
総員が敬礼をしてからいよいよマーチング開始。

演奏の間、会場スクリーンにはこのような映像も現れました。
海の上で見る旭日旗、こんな美しい軍旗は世界のどこを探してもありません。

海上自衛隊の音楽まつりでの「定番」に、ドラムラインのソロがあります。

例年音楽まつりの後に「東京音楽隊のドラムラインが神!」とかいうタイトルで
動画が上がるおなじみのシーン。

今年もご覧のようなかっこいいセッションが聞けました。
バッテリーはバスドラムとシンバルそれぞれ1、スネアドラム6という陣容です。

スネアドラムの真ん中の人が掛け声をかけているっぽい。

曲が終了したとき、人文字で「SEA」が描かれました。

これにはちょっと深い意味があって、演奏した「海の護り」という曲は
海を意味する「SEA」の綴りを音名にした、

S(Es)=ミ♭

E   =ミ

A =ラ

という連続音が音群として表れ、曲のモチーフになっているのです。

海上自衛隊の委嘱作品ならではの「仕掛け」なんですが、
ここまで知っていると、より一層演奏が楽しめるというわけです。

ドラムで隊列を組み替えると、いつもの錨のマークが現れました。
行進曲「軍艦」です。

錨の頭の丸い部分を形作るのはカラーガード隊です。

ステージの最後の錨が半回転するこのステージは、おそらく
これも昔から変わらず引き継がれてきたものではないでしょうか。

20年前の音楽まつりをご存知の方にぜひ聞いてみたいものです。

本日の指揮は副長(さすが海自、副隊長じゃないんだ)、
石塚崇三等海佐

ドラムメジャーは田村二朗一等海曹でした。

東京音楽隊が退場するとき、退場する隊員に帽子を渡して
無帽になったトランペット奏者が一人、会場に残りました。

ソロで次の曲「なんでもないや」のアカペラ部分を演奏します。
「なんでもないや」は映画「君の名は。」の劇中歌でRADWIMPSの曲です。

 

ところで今回冒頭に「シン・ゴジラ」の曲が演奏されていたので思い出したのですが、
この両映画は同時期に封切られ、興行成績は「君の名は。」が少し上でした。

かつて岸恵子&佐田啓二の「君の名は」が昭和28年に公開され、
この時も同時に初代「ゴジラ」が上映にされていたそうですが、
「ゴジラ」は「君の名は」の集客数にはやはり及ばなかったという話です。

もっとも当時の「君の名は」の人気は凄まじいもので、三部作目は
黒沢の「七人の侍」をぶつけても勝てなかったとか・・・・・。

現在の映画そのものの評価が当時の人気の通りではないことは
後世の知るところですが、半世紀後、「君の名は。」と「シン・ゴジラ」、
どちらが歴史の評価に耐える作品として残っているでしょうか。

という話はともかく、トランペットソロにシンガポール軍楽隊が加わります。

そこにバガドウ・ラン=ビウエのバグパイプソロとドラムがソロで。
なんとバグパイプで演奏する「なんでもないや」です(笑)

バグパイプの仕組みは簡単にいうと袋に溜めた空気を押し出して音を出すもので、
息継ぎのために音が途切れることがありません。

この演奏を聴いていた方は、ずっとメロディの他に下の方で音が鳴っている
(通奏低音・オルゲルプンクト)のを覚えておられるかもしれません。
これもまたバグパイプらしさですが、バグパイプの何本かあるパイプのうち、
この通奏低音を奏でるパイプを「ドローン」といいます。

メロディの他に通奏低音も鳴らすためには、
常にバッグの中を息で満たしている必要があるので、
バグパイプの演奏にはそれはそれは大変な肺活量を必要とします。

全出演部隊の合同演奏をリードするのは東京音楽隊隊長、
相変わらずキレのある指揮ぶりを見せてくれる樋口好雄二等海佐。

 

ドラムのブレイクの後曲調はアップテンポに転じ、
まず陸自合同部隊が参加します。

曲はやはり「君の名は。」から「前前前世」

ワンコーラス終わったとことで、在日米軍グループが舞台右袖から登場。

左からはまだ出演していませんが、空自中央音楽隊が。
先頭を歩いているクラリネット奏者はこの後ソロを取る予定です。

その音の性質上他の楽器と一緒に演奏できないバガドウにも
ちゃんと単独で演奏して活躍させてあげるという配慮に満ちたアレンジです。

樋口隊長は指揮台を降りてバガドウの指揮者と日仏友好状態。

指揮をしていた人はジェローム・アラニックPO3(三等兵曹)
プログラムには「ペン・ソノール」と紹介されていましたが、
ブルターニュオーボエ「ボンバール」奏者のことをソノールというからです。

もう演奏者が国境をこえて友好しまくり。
東京音楽隊とシンガポール軍楽隊が入り乱れております。

会場はリズムに合わせて手拍子を取り、楽しさ最高潮。

いつの間にか、ステージ両側には東北方面音楽隊のカラーガードと
ステージを影で支える演技支援隊の迷彩服の隊員たちまでいます。

 

ステージ奥のピットには東京音楽隊の打楽器セクションが、
よくよく見ると一部ノリノリで演奏しているではないですか。

マリンバと鉄筋奏者が特にハジけておられました。
楽しそうで何より。

エンディングにはバガドウのバグパイプが最終音を取りました。

この特殊な楽器を吹奏楽の中でどう扱うかは難問だったと思うのですが、
それをクリアしかつ彼らに花を持たせて盛り立てる素晴らしいアレンジです。

ン=ビウエの隊員たちは、おそらくそんな心配りを含め、音楽まつりを、
そして日本でのステージを楽しんでくれたのではないでしょうか。

第二章、「海の挑戦」はこのステージをもって終了。
続いて、お待ちかね、防衛大学校儀仗隊、そして自衛太皷のステージです。

 

続く。

 

 

 


スタンウェイ製「G.I ピアノ」〜サンディエゴ メイキング・オブ・ミュージック・ミュージアム

2018-03-16 | 音楽


サンディエゴに行ったとき、お宅に泊めて頂いた現地の知人、
ジョアンナとそのボーイフレンド(夫婦ではない)は、海事博物館に続いて
どうやら航空博物館を案内してくれるつもりだったようなのですが、
わたし一人ならともかく、年配の二人に案内をさせるには
野外の航空博物館はあまりにも申し訳ない、それにわたしたち自身も疲れているし、
ということで提案したのがローカル情報で見つけた音楽博物館でした。

これなら室内で空調も効いて快適だろうし、彼らにとっても負担にならず、
わたしも息子も皆がハッピーだろう、と考えたのです。

果たして、彼らはサンディエゴに住んでいながら、ここのことを知りませんでした。

フリーウェイ沿いでいつも目につくすごいデザインの教会。
この角度から見ると一棟しか見えませんが、同じ形の塔が
対になっている設計で、実に豪壮な感じがします。

モルモン教の末日聖徒教会だそうです。

この日も焼け付くように暑かったサンディエゴ、建物に入るとホッとします。
エントランスに入ると、ピアノが・・・・。

本物のピアノを利用して作った受付デスクでした。

展示はアメリカにおける楽器の歴史を現物を見て学んでください、というもの。
実は、スーザの使っていた指揮棒とか楽器が最初にあったのですが、
写真を失敗していました。

右側はそのスーザフォンですが、もともとこれはジョン・フィリップ・スーザが
海兵隊のバンドで使われていた低音楽器のヘリコン(今は使われていない)に
不満を持ち、代わりとなるものを楽器店に依頼して作らせたものです。

「スーザフォン」で調べると、まさにこのスーザフォンが1893年に製作された、
として写真が出てきます。

前の変な形のギターはクヌッセンという楽器会社の

「ロウワー・バス・ポイント・ハープ・ギター」

奥のマンドリンのお父さんみたいなのは1912年製作、

「マンド–バス」

ということなので、マンドリンの低音楽器みたいですね。

雲型の弦楽器は「マンドリンとギター」。(どっちだろう)

奥の縦型ピアノは、ロールを仕込んだ自動演奏ピアノです。
このパンチに録音されたガーシュウィンの演奏があるそうですね。

残されているロールはミスタッチを修正してあるものが多いそうです。

スタンウェイの初期の装飾ピアノ。
ピアノの蓋の裏には、ヘンリー・スタンウェイのサインがあるそうです。

この「メイキング・ミュージック博物館」をその昔立ち上げたのは
どうやらヘンリー・スタンウェイその人だった模様。

ペダル部分は竪琴を象ってあり、全体に彩色画が施されています。

ドイツ系移民のヘンリー・エンゲルハルト・スタンウェイがアメリカでピアノ製造を始め、
1853年に「スタンウェイ&サンズ」社をニューヨークで立ち上げました。

写真はヘンリーの孫にあたるヘンリー・ツィーグラー・スタンウェイです。

スタンウェイ一族。
右側の立っている男性がスタンウェイ、前列は彼の祖母(つまり初代ヘンリーの妻)
あとは従兄弟と従姉妹たち。

シンバルといえばジルジャン、ジルジャンといえばシンバル。
シンバルに書かれている文字はこれかYAMAHAしか見たことない、
というイメージです。

もともとトルコのシンバル職人が400年前に興したのが祖で、
あのムスタファがその仕事に感謝してシンバル職人の称号「ジルジャン」
(Zildjian、アルメニア語で"Zil"はシンバルやベルの意味、"dj"はメーカーとか職人の意味、
"ian"は息子もしくは継承者・家元の意味で、シンバル職継承者という意味の名前)
と製造許可を授桁のがその名前の由来です。

ジルジャンがアメリカに渡ってそこで会社を作ったため、
本社は今ではマサチューセッツにあるということです。

写真はジルジャンのシンバルができていく過程を示したもの。

再生器も展示されていました。
大きなラッパが木製というのが迫力ですね。

ヒズマスターズボイスのマークを思い出します。

「Jazz It Up!」と題されたノーマン・ロックウェルの作品。

「Jazz up」は「盛り上げる」というイディオムですが、このバイオリン弾きのおじさんは、
これからはジャズなのかなあ、とサックスへの転向を考え出しているようです。

1930年ごろの作品です。

自動演奏の仕掛けが鍵盤の下に引き出しのように仕込まれた例。
蓋の上に置いてあるのはピアノロール、データを打ち込んだ巻き紙です。

ロール式の再現機械の限界というのは

「同音の連打が再現できない」

ということだったのですが、驚くことにデジタル式となった現在でも
同音が連なるパッセージは再現できないことがわかっています。
ピアニストの指使いを機械が完全に再現することは今の科学でもできないのです。

電子オルガンの先駆はレスリースピーカーを伴うハモンドオルガンです。

1934年、ローレンス・ハモンドが発明したこの電気式のオルガンは、
当初パイプオルガンの設置できない黒人の教会などが導入し、そののち
ジミー・スミスのようなジャズオルガニストが採用して新しい世界を開きました。

しかし、大きくて持ち運びできないハモンドオルガンは、軽量・小型していく
鍵盤楽器の隆盛に押されて、次第に衰退していくことになります。

音色そのものが飽きられた事もあり、1980年代には生産も終了しました。

なんとエレガントなアコーディオン、と思ったら、これは
女優のジンジャー・ロジャース専用。

この人アコーディオンなんて弾けたんだろうか、と思ったら、
映画「Shall We Dance?」(日本では『躍らん哉』)に使われた小道具とか。

本当に演奏したのかどうかはわかりません。

さて、本日タイトルの「GIピアノ」です。
ピアノの塗装は今まで木目と黒の他に白、赤(紅白で使ったらしい)、
アクリルの透明と見たり触ったりしたことがありますが、オリーブ・ドラブカラー、
カーキ色は流石に初めてのような気がします。

実はこのピアノ、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争の間を通して、
スタンウェイ&サンズ社が

「ビクトリー・ピアノ」

として何千台も戦地に送ったのと同タイプなのだそうです。
その目的はというと

「 Boost morale  and entertain the troops」
(士気高揚と兵士たちの慰撫)

OD色の塗装は戦場におけるカムフラージュを目的にしており、まるで箱の様な
本体のデザインは、軍隊での少々の荒い扱いにも耐えるための仕様でした。

ピアノの上の楽器も戦地仕様で、トランペットはプラスチック製です。

「アント・ルウ」という戦地歌手がキャンプで慰問演奏を行うの図。
こちらは外地ではなくノースキャロライナのキャンプだそうです。

戦時中のミュージックショップ店内。
スタンウェイ、キンボール(今も時々アメリカでお目にかかる)などのピアノメーカー、
ビクター、デッカのレコード製造会社、ギブソンはギターですね。

アメリカのお店の店員さんが皆スーツを着てネクタイを締めていた頃。

戦争が始まって、音楽業界も戦争協力をアピールし始めました。

シュミットミュージックカンパニーが、中古のプレイヤーを
戦地に送るために修理業者を派遣している写真です。

レコードショップが自分で商品を探してレジに持っていくという
セルフサービス形式になったのは、第二次世界大戦中からです。
人手を補うための策がその後もスタンダードとなりました。

戦争中もレコードは製造されましたが、新しく製造されるものについては
物資は制限されたので、カリフォルニアのあるレコード会社は
一枚3セントで中古のレコードを引きとり、それで新譜を出すことにしました。

この方法は好評で、6ヶ月の間に4万枚のレコードが出せたそうです。

同行してくれたジョアンナさんのボーイフレンドの後ろ姿。
この人くらいがエルビス世代かもしれません。

左はミュージックショップで使われていたレジスター、
右はお店のショーケースで、マウスピースや管楽器のリード、
弦楽器の弦やロージン、 金管楽器のオイルなどが収められています。

さて、ここで我々日本人にはちょっとびっくりする展示がありました。

ローランドというメーカーを知っていても、

梯郁太郎(かけはしいくたろう)1930〜2017

という個人名をご存知の方はあまりいないのではないでしょうか。

日本人でハリウッドのロック・ウォークに手形を残し、さらには
テクニカル・グラミー・アワードを受賞、バークリー音楽大学からは
長年にわたって電子楽器の発展および普及に努めた多大な功績により、
名誉音楽博士号を授与しているにも関わらず、あまり個人名が出てこず、
日本よりアメリカで有名なのはなぜかと思ってしまいます。

”1960年にエース電子工業を設立し、最初の電子オルガンをデザインした。
1972年、ローランドコーポレーションを設立、革新的な製品を世にだす。
世界初のプログラミングできるドラム、リズムコンポーザー。
そして最初のデジタルシンセサイザー(エフェクト搭載)D-50、
そしてこれも世界最初のコーラスエフェクトペダル搭載、BOSS CE-1である。

1930年日本に生まれた梯は様々な逆境のうちに成長した。
孤児として生まれ、祖父の手で育てられ、10代には結核を罹患している。
療養しているときには来る日も来る日も一日中ラジオを聴いて過ごし、
このことが彼に音楽の癒しの力を確信させる事になった。”

本当は、療養所でも梯さんはラジオどころかテレビを作ってしまい(!)
それを見るために人々が彼の部屋に押すな押すなだったんですが、
その辺りはさっくりと省略してあります。

しかしとにかく、日本よりはずっと評価されていることがわかりました。

あとは歴史的なギターのいろいろ。
左のお花型のは

「デイジーロック プロトタイプ」

右側は見てその通り、

「リックターナー プレッツエルギター」

見ただけで凝りまくっているのがわかるギターの数々。
奥のなんて、まるでカメオみたい。

楽器が置いてあって、好きに触って楽しめるコーナーもあります。
一枚でドラムセットの全ての音が出るドラムマシーン。

学校ではドラムもやっているMKが早速叩きまくり。

小さなエレクトリックドラムのフルセットも。
子供に「はえ〜」って感じで見つめられておりました。

パネルに映し出される世界の楽器シリーズ。
日本はもちろん「Taiko Drum 」です!

東京オリンピックではぜひグラウンドを埋め尽くしての太鼓演奏を見てみたい。

低周波の音を体験できるコーナーがありました。

低周波音の定義は100 Hz以下。
また、20 Hz以下は超低周波音と呼ばれます。

ここではダイヤルを回せば、周波数を低くしていくことができ、
それがどんな音なのか体験することができます。

さて、というわけで展示を見終わり、お土産ショップで五線柄の傘、
ジョアンナさんがわたしに音符柄のスカーフを買ってくれました。

見学を終えて出てくると、受付のピアノデスクの裏がこんなだったことを知りました。

この日は併設されている音楽ホールでヴァイオリンのコンサートがあったので、
その受付が始まってこれだけ人が多かったようです。

サンディエゴに来て時間があれば、ぜひ見学をお勧めします。
音楽に興味のない方でもそれなりに楽しめますよ。

 

 

 


海上自衛隊 横須賀音楽隊 第52回定期演奏会@横浜みなとみらいホール

2018-03-03 | 音楽

3月の声を聴いたとたんいきなり春めいた先週末、
横浜のみなとみらいで行われた横須賀音楽隊の定演に行ってまいりました。

東京音楽隊、呉音楽隊、そして横須賀音楽隊と海上自衛隊の音楽隊の
定期演奏会を続けて聴く機会を得たわけです。

会場はみなとみらいホール。
ホワイエやロビーに広がりこそありませんが、ルーシーというオルガンを
中心に備え、大変重厚感のある好きなホールです。
写真を見てお分かりのように、ちょうど二階の真正面の席でした。

この日は少し事情があって席に着くのが開演ギリギリになってしまったのですが、
始まるまでにステージではジャズっぽい曲のミニコンサートがあったようです。

これがあるから、自衛隊音楽隊のコンサートは早く行くべきなんですよね・・。

拍手に迎えられて、ステージに人が乗りました。
(オケの人は出演することを『乗る』といいます)
最初に思ったのが、制服を着ていない、つまり民間のエキストラが多いなということ。
念のためプログラムで調べてみたら6人。
それだけでなく、東音、呉音、佐世保、大湊(!)からのトラは12人でした。

音楽隊の人事についてよくわからいないのですが、通常このように
各音楽隊に応援を要請することになっているものなのでしょうか。

ダンス・セレブレーション 建部知弘

 
華やかにオープニングを飾ったのは邦人作品。
わかりやすくて楽しい、打楽器が活躍する曲です。
 
詩的間奏曲 ジェームズ・バーンズ
Poetic intermezzo : James Charles Barnes
 
「これはずるい」
 
と主旋律を聴いて思いました(笑)
いわゆる「文句なしにいい曲」です。
 
ミーファレードレー レーーミドーシドー
ドーレシーラ ドレシーラシ〜〜〜
 
このゼクエンツ系メロディがホルンのソロで始まるんですよ。
(”遠すぎた橋”と全く同じ音形ということは言いっこなし)
それで壮大に盛り上がっていきます。
 
2:58くらいから始まるオーボエは、まるで雲間から光が差してくるよう。
とにかく魅力的な曲でした。

 
エクストリーム・メイクオーヴァー〜チャイコフスキーの主題による変容
ヨハン・デ・メイ
 
アンサンブルリベルテ吹奏楽団
 
チャイコフスキーの名曲を極端に(エクストリーム)メイクオーバーしたものです。
 
最初はがっつりと「アンダンテ・カンタービレ」。
1:57から、交響曲4番の第1楽章のテーマ。
3:20ごろもう一度「アンダンテ・カンタービレ」。
3:45に交響曲第6番第1楽章。
4:00に交響曲第4番冒頭のファンファーレ。
(中略)
 
ところどころにアンダンテ〜のかけらがちりばめられたりして、
色々と混ぜ込まれ、最後は序曲「1812」で終わります。
 
いずれも有名なメロディなので、知っているメロディを探すだけで
ワクワクするという曲ですが、全てのエレメンツがオリジナルそのものの形で
出てくるわけではないので、ちょっと高度な宝探し気分です。
 
技量に定評のある横須賀音楽隊ならではの、粒の揃った音が、
このややもすると散漫になりがちな変容していく曲を
集中を途切れさせずに聴かせていました。
 
ここまで前半の演奏は副隊長の石田敬和一等海尉が務めました。
 
 
 
演奏会用序曲「スラヴァ!」レナード・バーンスタイン

 

最初は「序曲」と言いつつも華やかで派手で、
そこはかとない退廃を感じさせるバーンスタインの曲で始まりました。
最初の部分を指折って数えながら聴いたところ7拍子でした。
うーん、いいねえ7拍子。

バーンスタインは今年生誕100年なので、盛んにその作品が取り上げられています。
みなとみらいホールのロビーにも記念コンサートのポスターがありましたし、
記念のアルバムも発売されているようです。

「スラーヴァ」というのは司会の説明によると、ロシア語の感嘆詞ということでしたが、
スラヴ言語で言うところの「栄光」、日本正教会では「光栄」と訳しているそうです。

そういえばカウンターテナーの歌手スラーヴァという人がいますが、
スラーヴァは本名「ヴャチェスラフ」である彼の愛称です。

「スタニスラフ」「ヤロスラフ」「スヴィヤトスラフ

など、後ろに「スラフ」の付く人は「スラーヴァ」が愛称になるそうですね。
実はこの曲、バーンスタインの友人でもあった偉大なチェリスト、

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

の愛称をタイトルにしたのだそうです。
ロストロがナショナル交響楽団の指揮者に就任したお祝いに書かれたそうですが、
サービス満点というか、最後に団員がみんなで

「スラーヴァ!」

と叫んで(3:25)終わります。
実は原曲にはロストロの飼い犬の名前(Pooks )を叫ぶという指示があるのだとか。
絶対これふざけてるよね。

蛇足ですが、ロシア海軍には「スラーヴァ」という軍艦が過去3隻ありました。

スラヴァ (戦艦) - ロシア帝国で建造された戦艦(艦隊装甲艦)
スラヴァ (軽巡洋艦)(ロシア語版) - ソビエト連邦で建造された軽巡洋艦
スラヴァ級ミサイル巡洋艦 - ソビエト連邦で開発されたミサイル巡洋艦
スラヴァ (ミサイル巡洋艦) - その1番艦で、現在はモスクワに改名し黒海艦隊の旗艦

ご参考までに。ってなんのご参考だ。


「烏山頭」〜東洋一のダム建設物語 八木沢教司

休憩時間に隣に座った元海将が

「(元東京音楽隊長の)谷村(政次郎)さんの肝いりで作られた曲です」

と教えてくださったのですが、これが驚いたことに台湾の
八田與一が取り組んだ通称八田ダム、烏山頭ダム建設をテーマにした新作で、
この日が世界初演となるとのことでした。

当ブログを読んでくださっている方なら、もしかしたら何年か前に
わたしが台湾旅行をした際にこのダムを見学し、その時に
八田與一の銅像を守った台湾の人々のことや、八田その人のこと、
さらには乗っていた船が攻撃されて沈没し、戦没したこと、そして
あとを追うようにダムに身を投げて自死した八田夫人のこと・・・、
様々なことを書いたのを覚えてくださっているかもしれません。

八田が心血を注いだダムの姿と、そのダムによって今日も青々と
水を湛えた嘉南大圳を実際にこの目に焼き付けたわたしは、
この曲をおそらく会場にいる人たちの中でも特に感慨を持って
聴いていた一人ではないかと自負しています。

気宇壮大なダム建設への意欲とその取り組み、そして

「ああ、ダムが敷かれて今大地に水が流れ出した」

と確かに感じる部分や、中国風のメロディが少し顔を出すなど、
思い入れがあってもなくても、その輪郭はくっきりと、
作曲者の意図を音を通じて伝えることに成功しているように思いました。

ところで、司会が八田與一の功績について説明するとともに、
夫人の死にもわざわざ触れたので少し不思議な気がしたのですが、
あとでライナーノーツを見ると、
それが曲に織り込まれていたからでした。

その部分とは、具体的に女声で表され、横須賀音楽隊歌手の
中川麻梨子三等海曹(昇進されたんですね)が歌詞のないヴォカリーズで
その「悲しみの歌」を歌い上げました。

曲に先立って来場していた八木沢氏とともに、この曲を作曲するにあたり
八田ダムについてインスピレーションを与えた谷村氏も紹介されました。

詳細についてまでははわかりませんでしたが、この曲はそのうち
台湾でも演奏される予定だということです。


「シンフォニック・ダンス」ウェストサイド物語より
レナード・バーンスタイン

この日のプログラムに書かれていたので初めて知ったのですが、
ウェストサイド物語の
主人公のカップルは、当初

「ユダヤ系移民の青年とイタリア系カトリックの少女」

という設定だったそうです。
バーンスタインがこの案に消極的だったのは、この現代版「ロメオとジュリエット」を
宗教対立の上に描くことをユダヤ人である彼自身がよしとしなかったからでは、
と今更のように考えてしまいました。

結局この二人がプエルトリコ系とポーランド系という設定になったのはご存知の通り。

偶然というか、やはりバーンスタイン生誕100周年ということで、
メインの曲が東京音楽隊と被り、同じ曲をこの関東在住の精鋭音楽隊で
聴き比べることができたのは素晴らしい体験でした。

みなとみらいホールは管楽器全体をまろやかに包み込むように響き、
オペラシティはどちらかというと輪郭がはっきりと聴こえてくるという
ホールの特性の違いも楽しめたと思います。

「サムウェア」のホルンのソロは感情表現含め素晴らしかったです。

 

ムゼッタのワルツ オペラ「ラ・ボエーム」より
ジャコモ・プッチーニ

 


前回の定演では同じくプッチーニの「ある晴れた日に」を歌い上げた
中川麻梨子三曹ですが、今回も超有名なアリアを聞かせてくれました。

youtubeは「オーケストラの少女」だったディアナ・ダービンが
立派に成長した姿を見ることができます。
どうもこの男性は、ディアナ・ダービンと訳有りですね(小並感)

画像には字幕がついているので見ていただければわかりますが、
ムゼッタは昔の恋人ロドルフォの前に金持ちのパトロンとやってきて、
「私が街を歩けば皆が振り向くの」とモテ自慢に始まり、盛んに
ロドルフォを誘惑しようとするというのがこの歌の内容。

・・・ディアナ・ダービンのは清純っぽすぎるかな(笑)

行進曲 軍艦 瀬戸口藤吉

みなとみらいホールの「軍艦」の響きが好きです。
低音がずっしりと重く、全体的に音色に厚みが出るので、
ここで聴くとすごく立派な感じがします。

始まった途端、会場では拍手が起こりましたが、わたしの周りでは
元海自の偉い人が多かったせいかほとんどが拍手なしで聴いておられました。

 

この日同行した自衛隊音楽隊のファンの知人が、盛んに

「さすがですねー」

と繰り返していたように、昔からその実力には定評のある横須賀音楽隊、
この日もプログラムの構成を含め、大満足の一夜となりました。

個人的な収穫は何と言っても「烏山頭」の世界初演を聴いたこと、
それから「詩的間奏曲」を知ったことだったでしょうか。

最後に今回の演奏会参加にご配慮いただきました皆様に感謝いたします。
どうもありがとうございました。

 

 


呉音楽隊第48回定期演奏会(おまけ 呉地方総監の恋ダンス)

2018-02-26 | 音楽

週末、わたしは朝一番の広島行きの飛行機に乗っていました。
海上自衛隊呉音楽隊の定期演奏会を聴くためです。

自衛隊音楽隊の定期演奏会は同じ時期に微妙に日をずらして行われるので、
東京音楽隊、呉音楽隊と重なることなく参加することができます。

呉音楽隊は呉地方総監部を本拠地として、自衛隊音楽隊としての
公式の任務を行うだけでなく、地元呉を中心に広く活動範囲を持ち、
人々に親しまれる演奏を通じて自衛隊の広報を行なっています。

少し前には大ヒットした映画「この世界の片隅に」をテーマとした
コンサートでコトリンゴさんと共演したり、世界的ジャズ奏者
日野皓正氏、それからついにAKB48とも共演を果たしてきたそうです。
(当日の呉地方総監の説明による)

東京音楽隊とも、横須賀音楽隊とも違う音楽への独特な取り組みが
何度か聴くうちにある明確な形となって見えてきたように思っていたところ、
研鑽の集大成とも言える定期演奏会を聴く機会をいただきました。

朝一の飛行機で演奏会を聴き、終わったらすぐトンボ帰りというハードさですが、
呉音楽隊の演奏を聴くためなら、強行軍もなんのそのです。

いつものように金屏風前で(だったかな)お迎えしてくださる
地方総監夫妻にご挨拶し、席まで案内してもらいます。

少し到着が早いかなと思ったのですが、早くきただけいいことがありました。
ステージでは打楽器奏者二人が大変珍しいマリンバのデュオによる
ミニコンサートを行なってくれていたのです。

到着した時周りには誰もおらずわたしだけでしたが、時間につれて
周りの「名札組」(なぜか招待客は入り口で名札をつける仕組み)
のお歴々が到着し始め、周りでは挨拶や名刺交換が行われ、
そのうち中央席には国会議員や呉市長なども着席されました。


♪ スラブ舞曲 アントニン・ドボルザーク

Dovrak Slavonic Dance op.72 No.7 Filarmonica TCBo Hirofumi Yoshida

本日の演奏会、第一部のテーマを一言で言うなら「ヨーロッパの舞曲」。
民族色濃い短めの舞曲を集めた「スラブ舞曲」の中から、
アレグロ・ヴィバーチェ、ハ長調4分の2で華々しくコンサートは始まりました。

ドボルザークはブラームスの「ハンガリー舞曲集」に影響を受け、
この曲を最初はピアノ連弾として作曲したそうですが、それより、
わたしはこの二人が知り合いだったことを今回初めて知ってびっくりしました。

ドボルザークがオーストリア政府主催の奨学金審査に応募した時に、
彼を選んだ審査員がなんとブラームスで、この後ブラームスは
彼の才能を認めて生涯支援を続けたそうです。

ブラームスってドイツ3Bとか言われてたのに、ウィーンに住んでたってこと?

ところでスラブってどこのことかと言いますと、スラブ民族の住む地域、

ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、スロバキア、チェコ、
ポーランド、スロベニア、クロアチア、セルビア、ブルガリア

この辺りのことです。

♪ ルーマニア舞曲 ベラ・バルトーク

お次はルーマニア。
バルトーク(1881〜1945)は近代の作曲家らしく、民族的な雰囲気に
近代的なリズムとちょっと斬新なコードづかいを施したピアノ曲は
子供のピアノ教本となっていて小さい時にこれで練習したと言う
ピアノ学習者もいるかもしれません。

わたしがこの曲で最も好きなのは出だしのメロディ。
これさえ聴けば後はもうどうでもいいと言うくらい(笑)好きです。

♪ バレエ「眠れる森の美女」よりワルツ P.I.チャイコフスキー

 

吹奏楽でいいyoutubeがなかったのですが、どんな曲か
知らない方のためにせめてもと思い、踊り付きの映像を貼っておきます。

ソロはシルヴィ・ギエム。

前衛的なピエロの衣装とかエグザイル風や、
体操風とか
でんぐり返しとか、はっきり言って全然音楽と合ってませんが、
普通のより見ていて面白いのは確かです。

眠りの森の美女の舞台は「ヨーロッパのどこか」。
ワルツは舞曲なので、第一部のテーマそのものですね。

あまりにも有名で何度も聴いてきた曲ですが、吹奏楽は初めてでした。

♪ バレエ「恋は魔術師」より火祭りの踊り M.ファリャ

題名を知らなくても聴いてみたら知っていた、と言う曲、ありますよね。
もしかしたらこれなどもそんな曲の一つかもしれません。

画像のように、呉音楽隊のクラリネットセクションが
バスクラリネットなど音域の違う楽器に持ち替えて8重奏を行いました。

この曲ももともとジプシー舞踊家の依頼で作曲されたもので、
この「火祭りの踊り」は当日司会の丸子ようこさんの説明によると、
「除霊のための踊り」と言う設定なんだそうです。

と言うわけで、民族的な舞踊音楽として選ばれたこの曲、
クラリネット8重奏で聴くのはこれも初めてですが、
低いクラリネットのトリルが唸りのように響き、呪術的な雰囲気そのもの。
このアレンジはプログラムによると未出版ということですが、
もしかしたらクラリネットセクションが独自にアレンジしたのでしょうか。

♪ ゲールフォース P.グレアム

Gaelforce - Swiss Army Brass Band

スイス陸軍バンドの演奏が見つかりました。(うまい)
なんとスイス陸軍バンド、今時女性が一人もおりません。
黒地に赤いストライプのスーツとあまり軍楽隊らしくない制服です。

それはともかく、この「ゲールフォース」、演奏会前に
「予習」のために聴いたときには、カタカナのこのタイトルから、
「ゲール」=フランス語の「戦争」かなと勝手に思い込んでいました。

実はゲールはブリテン諸島(アイルランド、スコットランドなど)における
ケルト人の一派のことで、ゲールフォースとは、

「ゲール人のちから」「ゲール人だましい」

みたいな意味だったようです。
で、これが実にいい曲でした。
曲は3つの曲からなっており、

「ダブリンへのロッキー・ロード」ジーグ

「ミンストレル・ボーイ」1:50〜

「羽を投げる」リール 4:07〜

ジーグもリールも舞曲の名前でいずれも輪になって踊る
速い曲というイメージです。

「minstrel」というのは中世の宮廷音楽家や吟遊詩人のことだったり、
あるいは顔を黒塗りにする白人のショー(浜ちゃん?)だったり
いろんな意味がありますが、とにかくアンサンブルが美しい!

ちょっと「命を捨てて」を思わせるしみじみとした曲調です。

そして「羽を投げる」では最初にケルト風の旋律を
ユーフォニアムが超絶技巧で(多分)提示し、クライマックスへと。

スイス陸軍のこの演奏では最後に全員が立ち上がっていますが、
呉音楽隊はドラム奏者を二人、マーチングの時の出で立ち(着帽)で
ステージ両側に配し、最後のドラムの聴かせどころ(5:14〜)で
二人が歩み寄り中央に立つという痺れるような演出を見せてくれました。

ここまでが第一部です。
ここまでの指揮は副隊長である田中孝二二等海尉が行いました。
エネルギッシュでキレがあり、見ていてとてもワクワクする指揮でした。

♪ てつのくじら 天野正道

呉音楽隊の委嘱作品で、本邦初演です。
てつのくじらとはもちろん海上自衛隊呉資料館てつのくじらのことです。

ありがちな雰囲気、ありがちなメロディかなと思ったら、突然
音楽理論的に腑に落ちない和声や解決しないメロディが出てくるので、
はてな?と思いながら聴いているとそのまま終わってしまいました。

あとで作曲者のコメントを読むと、どちらも通常のパターンではないとのこと。
頭では納得はしましたが感覚的には腑には落ちないままです(笑)

潜水艦の推進力や質感を表現されたというメインの部分については、
わたしはなんとなく「潜水艦は潜水艦でも進水式の描写だなあ」と・・・。

確かに潜水艦が海上を波を分けて進む感じはあっても、海底に潜む、
あるいは深海を進む潜水艦は今回描写されていないような気がしました。


♪ もののけ姫ハイライト 久石譲

「もののけ姫」セレクション-久石 譲

呉音楽隊は久石嬢がお好き?
結構よく取り上げている気がします。


ただし今回はまるで映画の伴奏のような編曲スコアでした。
この編曲を行なったのも「てつのくじら」の天野正道氏だそうです。
ここに貼ってあるアレンジよりももう少し効果音っぽい部分が多かったと記憶します。

呉音楽隊には歌手もピアニストもいませんが(ハープは打楽器兼の男性奏者がいる)
必要に応じて出動できる戦力が常時備蓄されていると見え、「もののけ姫」では、
クラリネット奏者(前回”アイガットリズム”でソロをした人)が大変重要な
(というか目立つ)ピアノパートを演奏していました。

 

第二部からは明確にテーマと雰囲気が変わりました。
「てつのくじら」は委嘱作品なのでその範疇には入っていませんが、
第二部のテーマは「神話」です。

もののけ姫が神話なのか?という向きもありましょうが、
劇中でもしょっちゅう「荒ぶる神」とか「オッコト主」とか出てくるので、
「神々」がテーマであることは間違い無いでしょう。

♪ プロセルピナの庭 アルフレッド・リード

プロセルピナって何だったかしら。サプリメント?
それはプロポリスや。
と自分で突っ込んでしまうわけですが、実はギリシャ神話の
ペルセルポネーという春の女神のことなんだそうです。

リードは有名な「アルメニアン・ダンス」「エル・カミーノ・レアル」
を始め、名曲を残し吹奏楽シーンで神と言われる(かもしれない)作曲家です。

アンサンブルがとても美しく、春の女神の庭で
色とりどりの花が咲き乱れる情景を彷彿とさせる佳曲です。
特に

「♪ ミソ↓レ〜 ミソ↑シラソミソー ミソレ〜」(移動ド)

のメロディがしみじみと心に沁みます。

♪ 吹奏楽のための神話〜天の岩屋戸の物語による 大栗裕

(Legend for band - After the tale of AMA - NO - IWAYADO : Hiroshi Ohguri)

ご存知天岩戸に天照大神が閉じこもってしまったので、困った八百万の神が
岩戸の前で宴会を開き、力持ちの神様が岩戸を開けてこの世に光が戻る、
という神話を情景描写的に表した曲。

おそらく本日の第二部のテーマ「神話」というのは、
この曲をコアにして決まってきたのではないかと思われました。

3:35から現れる8分の10拍子が、いわゆる天宇受売尊の踊りと、
周りで宴会に興じる神々の狂騒なんだそうです。
宴会というよりも、どちらかというと神々の内心の焦燥が強い、
不安を感じさせる描写が延々と続くのですが。

天照大神が引きずり出された後?の喜びのテーマもなにやら暗く、
最後まで緊張感を保ったまま終わり、これも作曲者の解釈なんだろうな、
と思うしかありません。

という具合に曲そのものに対しては色々と思うところはあったものの、
後半にタクトを振った野澤健二隊長はこの難解な構成をうまくまとめ、
最後まで緊張感を維持して音楽を作り上げておられたと思います。

♪ 目覚めよと我らに呼ばわる物見らの声 J.S.バッハ

第一部、第二部いずれのテーマとも違う宗教曲がアンコールです。
バッハのカンタータから、有名な第1曲コラールが演奏されました。

 
 
ここで普通ならセオリー通り軍艦行進曲が最後に演奏され終わるのですが、
前回「呉氏」が登場してきた衝撃を考えると、ただで終わるはずがない。

ましてやお行儀よく?バッハの宗教曲で終わる呉音楽隊ではない。

とわたしはこの時点で次に起こることをワクワクしながら待っていたのですが、
登場したのは呉氏ではなく、呉地方総監池太郎海将でした。

呉音楽隊の活動について冒頭のように紹介されたのですが、自己紹介として

「”愚直たれ”の池太郎です」

とおっしゃったので会場は笑いに包まれました。
わたしの近くに座った人たちが、

「(呉地方総監は)伊藤さん(伊藤俊幸海将)のあとの人も
伊藤という名前だった(実際は池田徳裕海将)」

などと事実とは全く違うことを話し合っていたのを小耳に挟みましたが、
それも無理はありません。
退官後テレビで活躍されている伊藤元海将の知名度があるのは当然としても、
普通の人は歴代
地方総監の名前など全く気にせずに生きているものです。

しかし、現地方総監については割とそうでもないようです。
現役でこれほど地元に知名度のある地方総監もないのでは、
と会場の反応を見て改めて思ったわたしですが、流石にこの日、
その伝説が上書きされることになろうとは、神ならぬ我が身では
全く想像するべくもなかったのです。

 

♪ 恋

その後地方総監がステージ上で自らリクエストをするという暴挙に出たため、
衝撃のデビュー以来「指揮者も踊るんかい!」で有名になった
「呉音楽隊の恋ダンス」が二曲めのアンコールとして演奏されました。

そうそう、こうでなくちゃ。
「ネタ」がわかっている人たちは、いつ野澤隊長が踊り出すかと
息を呑んで(嘘)待ち続けていました。

「恋」 海上自衛隊 呉音楽隊『たそがれコンサート2017』

あれ以来キレのいい自衛官と(特にこの映像右から2番めのホルン奏者さん)
キレの中にも一抹の哀愁漂う野澤隊長のダンスは大反響を呼び(多分)
youtubeでもいくつか動画が上がっています。

どのバージョンでも隊長はサプライズとして最後のワンコーラスだけをキメます。
そしてこの日も恋ダンス、いよいよ最後に差し掛かりました。

(来るぞ来るぞ来るぞお!)←脳内
と指揮者を注視していたその時、舞台の袖から突如現れた人影。

それは呉氏、ではなく、ダンス用に白手袋をはめた池海将の姿でした。
会場はどよめきました。
わたしも思わず「うそっ・・・」と口に出して言ってしまったくらいです。

あとは言うまでもありません。
きっと仕事の合間に呉地方総監庁舎二階奥の総監室で密かに、あるいは
奥様の前でも何度も練習したに違いない完璧主義の(知りませんが多分)

地方総監の恋ダンスは、すっかり主役の座を隊長から奪ってしまいました・・。

もし万が一、呉音楽隊がこの定期演奏会の様子をアップしたら、
日本国海上自衛隊現役アドミラルの見事な踊りっぷりは全世界の人々に
衝撃を与えると思いますが、
いかがでしょうか。

呉地方総監部広報の皆さん、難しいかもしれませんがぜひご一考を。

そしてこれも呉音楽隊恒例、最後にコンサートホール内を
「蛍の光」に乗せ、会場の皆さんに手を振りご挨拶しながら総員退館
そのままホールに全員が立って、観客と触れ合うというサービス付きです。

 

地方隊音楽隊の使命は何と言っても地域と自衛隊の親和を図ること。
メンバーは地元の学校吹奏楽部にも頻繁に赴き、演奏指導をしているそうですが、
そういう熱心な取り組みやこの日に見せてくれた観客との触れ合いを見ても
呉音楽隊はその役目を十二分に果たしていると感じました。

練りに練った緻密なプログラム構成と、日頃の錬成の成果に加え、
楽しいサプライズと硬軟取り混ぜての定期演奏会。
地方総監の体を張った協力もあって、呉音楽隊の魅力を存分に満喫した一日です。

 

最後に、当日の演奏会参加に当たって、
お気遣いいただきました皆様に
心よりお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。

 

おまけ:たった今知り合いの方にyoutubeで「恋」が出ていたことを教えていただきました。
ちょっと遠目ですがご参考までに。(消される可能性がありますのでご了承ください)

星野源の「恋」 海上自衛隊 呉音楽隊 第48回定期演奏会  

 

 


海上自衛隊東京音楽隊 第57回定期演奏会「シンフォニックコンサート」

2018-02-21 | 音楽

 

去る2月18日、東京オペラシティコンサートホールで
海上自衛隊東京音楽隊の第57回目になる定期演奏会が行われ、
タイトルでも「シンフォニックコンサート」と銘打たれた通り、
特に交響的な色彩を感じさせる楽曲を心ゆくまで楽しんできました。

 

会場は例年通り新宿東京オペラシティのタケミツメモリアルホールです。
数ある都内のコンサートホールの中でもわたしがダントツで好きなホールで、
ここで東京音楽隊が定演をしてくれるのをいつも楽しみにしています。

備え付けのパイプオルガンはスイスのオルゲルバウ・クーン社製。
ホール竣工20周年をライティングによるデコレーションでアピールしています。

 

この日割り当てられた席は二階の正面席。
開演の合図から程なく、後ろから物々しく一団がやってきたと思ったら、
その中心は何と我らが小野寺防衛大臣でした。

大臣をエスコートしていたのは村川豊海幕長夫妻で、周りをSPが固め、
真後ろの席は空け、周囲に自衛隊現役幹部を配すという気の配りよう。

こんなに大臣の近くに座らせてもらったということは、
一応身元が確かと思われてるってことだよね、と
妙なところで安心するわたしたちでした。

 


この日、開演に先立ち、君が代斉唱が行われました。
音楽まつり以外で君が代を斉唱するコンサートはなかったように思うのですが、
これはやはり日本国防衛大臣が臨席しているからということでしょうか。
それともわたしが忘れてるだけ?

この君が代斉唱で気づいたことがありました。

例年武道館で行われる自衛隊音楽まつりでは、演奏前に君が代斉唱が行われます。
舞台にいる音楽隊の演奏と一緒に歌うのですが、いつも事前に

「前奏はございませんので演奏に合わせてお歌いください」

と断ったうえでいきなり演奏が始まるというのが通例になっていました。
もちろん最初の音を始まりと同時に出せる人など会場にはほとんどおらず、

「・・・・・・みーがーよーはーー」

とほとんどの人が最初の音をミスしてしまうわけです。

わたしも何だかなあといつも思っていたのですが、これに対して
心を痛めていた人はわたしだけではなく、第11代東京音楽隊隊長であった

谷村政次郎氏が、水交会の会報で連載しておられるエッセイで

「前奏なしで皆で頭から歌えるわけがない。
出だしを歌わない国歌斉唱なんて国歌に対する敬意が全く感じられない。
斉唱の時には前奏をつけるべきである」

ということを音楽まつりの後主張されました。
それを読んだわたしはよく言ってくださったと内心喜んでいたのですが、
今回はちゃんと前奏として2小節が演奏されたのです。

東京音楽隊が元音楽隊長の苦言を受け入れて前奏を加えたのか、
全く偶然、樋口隊長がそのようにすることにしたのかはわかりませんが、
何れにしてもこの「小さいことだけれど大事な問題」が解決したことに違いありません。

会場にもし谷村氏がおられたとすれば、きっと我が意を得たりと
会心の笑みを浮かべておられたことと思われました。

 

さて、無事に?国歌斉唱が終わり、前半のプログラムが始まりました。

■ 舞踊詩「ラ・ペリ」のファンファーレ ポール・デュカス

La Péri Fanfare- Paul Dukas

 

「魔法使いの弟子」という曲が有名な(魔法使いの弟子ミッキーが箒と戦うあの曲)
ポール・デュカスのファンファーレでコンサートは始まりました。

 バレエ音楽「ラ・ペリ」に後から書き加えられたファンファーレで、
金管楽器奏者にとっては大変やりがいのあるレパートリーではないでしょうか。

デュカスという人は、後期フランスの、ドイツロマン派風の構成に加え、
フランス風の鮮やかな色彩を感じさせるオーケストレーションを特徴とし、
この次の演目となった

■ 牧神の午後への前奏曲 

のドビュッシーとともにフランス印象派の代表的な作曲家です。
その点この最初の二曲の選曲は好カップリングというべき組み合わせでした。

 

この曲の「主役」は何か?というと、それはフルートです。
フルート奏者にとっては主役になれる協奏曲のような曲かもしれません。


皆さんは「パンの笛」という言葉を聞いたことがありますか?

パンというのは半獣半人の「牧神」のことで、出だしのフルートは
もともと「パンフルート」という楽器で演奏することになっています。

「牧神の午後」はドビュッシーがマラルメの官能的な詩にインスピレーションを受けて
書いたもので、半音階を使った怪しげなフルートのメロディから始まり、
この半獣半人が昼寝しながらニンフたちに懸想するという、それだけのお話。

ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」カルラ・フラッチ&ローマ歌劇場バレエ団
Carla Fracci, Debussy, L'après midi d'un faune

せっかくなのでバレエの舞台の動画をあげておきます。
牧神の「牛柄」タイツは初代ダンサーのニジンスキーと同じものとなっています。

10:40(最後)で腕立て伏せを始めるかと思ってドキドキしてしまった(笑)

そして、そのエロチックな内容にくわえ、ニジンスキーが当時の倫理コードを
ぶっちぎって「行きすぎた表現」をしたため、警察が出動するという
大騒ぎになってニジンスキーも流石に自重したという曰く付きの音楽でもあります。

どの部分ででその’行き過ぎ’があったのかちょっと気になるのはわたしだけ?

 

パンフルートの代理ということもあり、この曲はフルートが主役と言いながら、
楽器の構造上響きにくい
C# から半音階の下降から始まります。
あえて響きの地味な中音域で奏でることで霞のかかったような気だるい雰囲気を表し、

半獣半人の好色なおっさんがデレデレと睡を貪りながらけしからん妄想をしている、
という内容にふさわしい隠微な音色を作り出しています。

ただ、フルートを中心に聴かせたい場合、例えばゴールウェイなどは、
音程を上げた録音を残しているようです。
これだと全体の雰囲気は作曲者の意図と違うものになってしまいそうですが。

もともと管弦楽の曲ですが、本日の吹奏楽による演奏においても、
この中間色のようなまったりした色彩は損なわれていなかったと思います。

 

♪NHK大河ドラマ「真田丸」のテーマ

 

フランスの印象派の、エスプリ溢れる色鮮やかな楽曲が続いたと思ったら、
いきなり大河ドラマのテーマになるのが自衛隊らしいですね。

曲が始まる前に司会の俳優村上新悟さんと、いつもは司会役のハープの荒木美香三曹が
楽しいトークを繰り広げて、雰囲気もすっかり変わりました。

村上新悟さんは大河ドラマ「真田丸」で直江兼続役が大変好評だったということで、
敬意を表して?この曲が選ばれたようです。

どうして村上さんが司会をすることになったかという経緯も説明がありましたが、
なんと隊長の樋口二佐と行きつけの飲み屋?で隣同士になり、

そこで(多分)意気投合し、隊長にスカウトされたのがきっかけだったとか。

荒木三曹が、

「上司が無茶振りしまして(汗)」

と謝っていましたが、本当にそんなことが、というか、
音楽隊の隊長ってそんなこともできるのか、と驚きました。

 

村上さんはその後荒木三曹におだてられ?て、時代劇喋りで

「皆の者、用意はできたでござるか。
しかし・・・軍師殿(隊長のこと)がおらぬではないか?どこじゃ?」

などと低音の美声で演じ、

「この後も兼続さまに司会をお願いしてよろしいですか」

という荒木さんのお願いに

「それは・・このままだとこの後の進行に何かと不都合が出てきてしまうのでな」

と返すなど、会場はすっかり笑いと暖かい雰囲気に包まれました。

ちなみに、この日村上氏は所属していた無名塾主催の仲代達矢氏が、
若き日にカンヌ映画祭で着たタキシードを着ていました。
仲代氏にそれをもらったという人から借りてきたそうです。

 

「真田丸」のテーマは本来ヴァイオリンのソロで始まりますが、
吹奏楽編曲ではその部分はクラリネットに置き換えられていました。


♪ 悲しくなった時は 中田喜直 

海自の音楽隊らしく海をテーマにした日本の歌曲を三宅由佳莉三曹が歌いました。

いくつか動画を探してみたのですが、気に入った演奏がなかったので、
寺山修司の書いた歌詞だけあげておきます。


悲しくなったときは 海をみにゆく
古本屋の帰りも 海をみにゆく
貴方が病気なら 海をみにゆく
心貧しい朝も 海をみにゆく

あぁ海よ 
大きな肩と広い胸よ
おまえはもっと悲しい
おまえの悲しみに
私のこころは洗われる

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も いつかは終わる
人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ

悲しくなったときは 海をみにゆく
ひとりぼっちの夜も 海をみにゆく


三宅三曹の歌はこういう曲の時にピュアな声質が歌詞の淡々とした調子と
とてもうまくマッチする気がします。

 

ところで、オペラからアニメソングまで、なんでも歌わなくてはならないという
「宿命」から逃れることはできないのが自衛隊の歌手というポジションです。
ある意味、どんなプロの歌手より過酷で難しい現場であると言えるかもしれません。

だからこそ、東京音楽隊でも横須賀音楽隊でも、歌手を大事にしてあげてほしい。
歌手の特質と音域を踏まえて、選曲だけは慎重にして欲しいと思います。

 専属歌手が常駐している音楽団というのは世界広しといえども
自衛隊音楽隊をおいてないと思うのですが、歌も楽器の一パートとして
「適宜使いこなす」ことがこれからの自衛隊音楽の鍵になるでしょう。

くれぐれも「何にでも挑戦させようとしないであげてほしい」と、
老婆心ながら聴衆の一人としてここでこっそりと呟いておきます。


♪ 海峡の護り 片岡寛晶 A Strait Defense for Wind Orchestra

東京音楽隊の演奏が見つかりました。
樋口二佐が横須賀音楽隊の隊長だった頃、委嘱作品として作曲されました。

海の「SEA」を音名にした「Es-ミ♭E-ミA-ラ」という音が、音群として表れるという
海上自衛隊の委嘱作品ならではの「仕掛け」のある曲で、最近ではコンクールなどでも
各団体に取り上げられているようです。


海峡の護りとはそれこそ海自や海保のためにある言葉ですね。

会場では司会の村上氏が

「今この瞬間も遠い海域で多くの自衛官が昼夜を問わず活動していることに
想いを寄せていただければ大変嬉しく存じます」

というようなことを言っておられました。

自衛隊音楽隊のもっとも大事な活動は「広報」でもあるのです。

広報といえば、プログラムにも活動記録が紹介されています。
これを見て大相撲の千秋楽にも音楽隊が出演していたと知りました。

そうそう、村上氏の司会起用には、東音がニコニコ超会議に出演した時、
村上氏が別に出演していたという奇縁もあったと聴きました。


♪ キャンディード序曲  Candide Overture

後半はバーンスタインをトリビュートしたプログラムで、まずは
オペラ「キャンディード」の序曲です。

♪ スリー・ダンス・エピソード オペラ「オン・ザ・タウン」より

このブログでもご紹介したことがありますが、3人の水兵
(シナトラとジーンケリー含む)ニューヨークで24時間の休暇の間に
巻き起こす出来事を描いた映画「踊る大紐育」の原題は実は

「オン・ザ・タウン」

つまりこのミュージカルが映画化されたものです。
途中で「ニューヨーク・ニューヨーク」のフレーズも現れます。

今回検索していてこんな映像を見つけました。

ON THE TOWN performs ON LOCATION in New York, New York!

昔の録音にパフォーマンスを現代のニューヨークで行なっているものですが、
まず、水兵が出てくるのが博物艦「イントレピッド」。
アップルやハリーポッターが出てくるのが「今」です(笑)

♪シンフォニックダンス ミュージカル「ウェストサイド物語」より

 

東京音楽隊の48回定期演奏会の映像が見つかりました。
見覚えのあるメンバーの今より7年前の演奏が見られます。
その後呉に籍を移した団員さんもいますね。

この組曲の2番目「サムウェア」というアダージョの曲は、独立して
歌詞もついてバラードとして歌われる大変美しい曲です。
原曲のメロディはチェロで始まり吹奏楽ではそれをホルンが受け継ぐのは同じ。

ところでホルンというのは跳躍の難しい楽器と言われていて、
木管楽器のようにオクターブキイもないので、素人ながらこの最初の
「B-A」の跳躍、「C#-C#」の1オクターブ跳躍、そして
ハイDへの跳躍は緊張するものではないかと思います。

東音のこのyoutubeでもDでミスってますが、バーンスタインの
NYフィルの演奏でさえ
最初の「B-A」でちょっと危ねー、な感じです。
やっぱり難しいんでしょうね。

個人的には、バーンスタインのオーケストラ版原曲にはない、
「チャチャ」の時の「マンボ!」という掛け声をかけるかどうかが気になりましたが、
東京音楽隊では(口の空いている人が)することになっているようです。

そういえば、時期をずらして行われる横須賀音楽隊の次回定期演奏会では、
やはりこの「シンフォニック・ダンス」を行う予定だと聴いています。

両者の同じ曲を聴き比べられるのが楽しみです。


♪ トゥナイト

アンコールに、「ウェストサイド物語」の「トゥナイト」を
三宅三曹とトランペットの藤沼直樹三等海曹がピアノ伴奏で歌いました。

クリスマスコンサートで「美女と野獣」を歌い、満場を感動の渦に引き込んだ
ゴールデンコンビによる現代版「ロミオとジュリエット」のアリア。

吹奏楽のアレンジがなかったのかピアノ伴奏だけというのが少々残念でしたが、
初々しい雰囲気がとても見ていて微笑ましい「トゥナイト」でした。

藤沼三曹は最後のハイトーンも原曲通り歌い切り、歌手ぶりを魅せてくれました。

パンフレット掲載のすみだトリフォニーホールで撮られたらしい全員の写真。
今回のパンフレットにはメンバー表がありませんでしたが、
演奏している人の名前を見たい人も多いと思うので、ぜひご配慮をお願いします。

演奏会が終わってロビーを通り過ぎる時、パンフレットがあったので
一部取ったところ、中にCDが挟まれていました。
そのうちCD付きであることをを知った人たちが群がって?きて、
一人で何枚も持っていこうとする人(主に中年女性)が現れ出したため、
自衛官が「一人一枚でお願いします!」と叫ぶ事態になっていました。

このミリタリータトゥーの写真はそのパンフに掲載されていたものです。
CDは昨年度行われたすみだトリフォニーでの定例演奏会と、
オペラシティでの第56回定期演奏会のプログラムからのセレクトで、

「ファッシネーション」「アメイジング・グレイス」「アヴェマリア」

「天国の島」「斐伊川に流れる櫛名田比売の涙」「交響的レクイエム」(バーンズ)

そして三宅三曹の歌う「アヴェ・マリア」などが収録されていました。

帰りの車で聴きながらこの日のステージの余韻を楽しんだのですが、
この、ファンに対する素敵なプレゼント含め、去年の定期演奏会と比べても、
幅広く一般の人が心から楽しめる内容となっていることを確認しました。

常に真摯に技術を研鑽するのみならず、毎回新しいものを取り入れて
わたしたちを心から音楽で感動させてくれる東京音楽隊。

今回、音楽には素人であるTOの感動ぶりを見て、
改めてその万人に訴える魅力を確認した次第です(笑)


最後になりましたが、コンサートの参加にあたりまして
ご配慮いただきました皆様に
心からお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。