ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

エクストリーム・ウェイトロス再び

2016-02-22 | つれづれなるままに

先日熱があるのに9時間飛行機に乗って、滞在時間のほとんどを
ホテルのベッドで寝て過ごしたアメリカでのことです。
熱はあっても一応テレビを見ながらシャッターを押すくらいに回復した頃、
人の家の内幕を覗き見るような番組ばかりをやっているTBCで、
またもや「デブ更正番組」を見ました。

前にも一度ここでお話ししたことのある「エクストリーム・ウェイトロス」です。

これは、悩めるデブの前に、ある日突然守護天使ならぬウェイトロス・トレーナーの
クリスが現れ、何ヶ月もかけて手取り足取り、励まし慰め、
時には叱咤し、時には心の痛みに一緒に泣いてくれながら、
痩せさせてくれるというビフォーアフター番組です。

番組を見つけた時にはすでに本日の主人公の前にクリスが降臨したあとで、
どんなシチュエーションで本日のおデブの前に現れたのか、
結局分からなかったのですが、まあとにかく参りましょう。



EXTREMEというのは極度の手段、とか過激なやり方という意味で使われ、
もし日本でこういうノリをタイトルにするならば、

「そこまでやるの!?究極のダイエット」

なんていう感じになるような気がします。 (たぶんね)



本日の悩めるデブは、ナイラさん。
クリスが目の前に現れた時には435lbs、つまり197キロでした。
先日ご紹介した、「My 600lbs life」よりかなり軽度で、
少なくとも自分で立って歩けるというレベルの人が、この番組の対象です。

「軽度で200キロ」って一体どういう世界なのかと呆れ返ってしまうわけですが、
歩けないデブよりも、こういう「元気なデブ」がゴロゴロいるのが 、
アメリカの震撼すべき肥満人口のすそ野の広さを表しているといえましょう。

最初から見ていたわけではないので、この写真はすでに97パウンド、
つまり43キロくらいは減らしたあとの姿だったのです。
日本人の成人女性の細い人一人分の体重を減らしたというのに、
全く毛ほどもそんな様子は伺えません。

ちなみに、冒頭の写真は本日のビフォーアフターの「アフター」、
つまりダイエット成功後ですので、念のため。



わたしが見始めたころ、彼らは一通りの、
浜辺でタイヤを引きずって走ったりシャドーボクシングしたり
というお約束のキビシイ特訓を一通り終えており、次の段階、
すなわち、彼女の心の問題を明るみに出すという段階に入っていました。



抱き合っているところを見ると、問題は解決したようです(笑)
どうもウェイトロス専門の医者にかかることを、
ナイラさんはためらっていたようです。

クリスはやっとこれで一歩踏み出せるね、などと言っています。



そこでドクターに診察を受けることになりました。



そこでこんなことを言われてしまうわけですが、
テレビの字幕が酷いので、肝心の「何が見えているか」がわかりませんでした。

苦心して、これがどうやら

「 Heart rate variability (HRV)」(心拍変動)

ではないかという予想をしたのですが。
日本では略語の「エイチ・アール・ブイ」といわれるこれは
自律神経の乱れによる不整脈だとこれも予想します。
(どなたか詳しいかたおられましたら間違っていた場合だけ教えてください) 

まあこれだけ太っていれば心臓に変調をきたしてもあたりまえですね。
ドクターには、

「心臓のことを考えればこれ以上体重を増やすのは自殺行為です」

みたいな、当たり前のことを言われてしまいます。
当たり前のことを言われるのが嫌で、つまり現実と向き合うのを
避けていたってことなんですかね。
 


次に番組としてはこれもお約束の、被験者の心の闇をえぐる、
というか、問題を明るみに引きずり出す試みを行います。

ここまで太るからにはきっと心の問題も抱えているに違いない、
という決めつけですが(笑)、よくしたもので、大抵のデブには
番組的におあつらえ向きの心的問題があったりするのです。

もしなくても、テレビスタッフが無理やり問題にしてしまうので大丈夫。



実は彼女の亡くなった父というのは、刑務所に入っていたことがあり、
父の死に様というのを彼女は定かに知らないのでした。
(というか、こういうのテレビでやりますかね普通)

そのことが書かれた封筒というのをお節介にも番組は用意して、
「それを見るのも見ないのも彼女の決断」として渡すのですが、
ナイラはこの段階では中身を見ることができず、封筒を置いて立ち去ります。



その次の撮影で、何があったのか、(多分スタッフが説得)彼女は
封筒をちょうだい、とスタッフに要求し、受け取って中を見ます。





えーと・・・・・。(絶句)

ムショを出た後は「行いをクリーンアップした」ということなので、
どうも薬かなんかで収監されていたみたいですね。

 

「まさか彼女が封筒開けるとは思わなかったよ」

って、全く予想してなかったってかクリス(笑)



ナイラさん落ち込み中。
相変わらず何を言っているのかわからない字幕です。



次の企画は、彼女の親族一同で父のお墓詣り。
それはいいけど、どれがナイラかわかりません。
この一族の太り方はほぼ全員が同じです。

この子供も近々同じ体型になってしまうんだろうなあ。


 
今更、って気もしますが、感極まって天を仰いで泣くナイラ。
サングラスはどうもお母さんである模様。

想像したよりずっとお父さんは不幸だったってことですかね。



そこでお父さんのお墓に花を・・・・・・・
って、これお墓じゃなくね?
地面に石の棺桶がただ置きっ放しになっているだけのような・・。

いやー、アメリカでいくつも墓地を見てきたのですが、
こんなオープンな置きっ放し仕様は初めて見たわ。

いいたくないけどこれ、かなりの貧困層地域の墓地なのでは・・。
この辺じゃ父親がムショ出身なんて、結構普通のことだったりして。

日本の国会議員が大統領が昔奴隷だったといって大騒ぎになりましたが、
(何時もの通りマスコミと野党が大騒ぎして)
あれはもうヒエラルキーの頂点の特殊なであって、黒人の多くは
いうたらなんだけど、こんなのばっかりだったりするんです。

これは差別でもなんでもなく、現実です。



クリスはそんな彼女の心の葛藤をトレーナーとして理解し、
さらなるウェイトロスに勇気を持って挑戦させるのでした。



というところで270日、つまり9ヶ月が経過しました。
これだけ痩せました、というビフォーアフターの写真ですが、
右側があまりに太っているのであまり痩せたように見えません。

右側だけでも「ビフォー」の貫禄充分です。



ある期間、(それは大抵心の問題解決以降)、この番組では
トレーナーと被験者は離れて過ごし、久しぶりに会った時に
たいてい被験者が以前よりダイエットがうまくいってやせているので、
トレーナーはびっくりして喜び、被験者をほめるというお約束があります。



「わお!ゆーるっくぐれいと!」

これも毎回のほぼお約束の言葉。



ま、まあ、かなり痩せていることは確かですけどね。
左の写真に人面瘡が見える気がするのはわたしだけ?

そこで、番組から彼女にご褒美というか、今後の励みにもなる
サプライズがあります。



アメリカのスターにダンスの振り付けをしている有名な振付師、

トニー・ドボラーニ

ジェニファーロペスの出演した「シャルウィダンス?」で振り付けをした、
といいますから、我々日本人にも親しみがわきますが、とにかくその
すごい振付師が彼女の前に現れたのです。



実はこう見えて(失礼)彼女はダンスが大好きなのでした。
ってまじかよ。
200キロの体重のデブが軽やかに踊るなんて、怖いんですけど。



しかし、アメリカという国にはそういう人もいるんですねえ。
彼女はトニーと一緒にダンスを踊れるというクリスの説明を聞いて
喜色満面。
しばらくトニーの振り付けで練習した後、本番です。

 

驚いたことに、ナイラさん、踊るのが実にうまいんですよ。
なんといってもリズム感がまったく違う。



これだけ踊れるのに、どうして太るのか、不思議なくらいです。
まあ、理由は体を動かす以上に食べているってことでしょうけど。

さて、ご褒美で素晴らしい体験をしたナイラ、より一層
ダイエットに弾みがつくんでしょうか。

ここで番組では、医師の診断を受けた上で、可能な人には
脂肪切除の手術(文字通り余分なところを切ってしまう)を
行うのですが、今回は。



背骨の模型が出てきたら、あまり良い結果ではありません。



脂肪切除できるほど痩せなかったってことかもしれませんが、
どうも膝の神経がどうにかなっていて押されているそうです(適当)



手術はしないまま、成果をお披露目する日がやってきました。
これではあまり「アフター」が期待できそうにないですが・・。



そんなことはおかまいなしに勝手に盛り上がるナイラの知り合い。



写っている人が全員太っているというのも突っ込みどころですか。



そこでスクリーンに映し出されるダイエット開始前の
ナイラさんの堂々たる立ち姿。
なんでわざわざ腰に手を当てて写真を撮るかね。

まあ、今場所が期待できそうというか、強そうではあります。



そこで現れるご本人。
いくら痩せたのか、指を折って数えております。
この日だけはプロのメイクがついて綺麗にしてもらえます。



そこで非情にも繰り返し映し出される以前の姿。
あまり変わりないといってしまえば身も蓋もありませんが、
こうしてみると、目の大きさまでかわって綺麗になっているような。



本人の回顧をバックに、白黒で辛かったトレーニングの思い出が
まるで走馬灯のように放映されるのでした。

というか、トレーニングでモールのエスカレーター逆行するなよ(笑)



エレベーターの上では知り合い(全員デブ)が総出で応援していますが、
彼女が逆行してかけ上げることができたのを喜んで、
みんなで盛り上がっております。



トレーニングの思い出の間にしつこく現れる過去の姿。
もうええちゅうに。



もしかしたらおちょぼ口したりしてますか。



提供はウォルマート。
ダイエット成功者には生鮮食料と(ウォルマートの野菜なんかいらない)
5000ドル分の商品カードがもらえます。
彼女が最も喜んでみせたのがこれを受け取る時でした。



というわけで、435lbs(197キロ)の人が・・・、



278lbs、126キロに体重を減らしたのです。
なんだ、それでも100キロ超えてるじゃん、などと言わないように。



これが彼女の自信と生きて行く勇気になったことには違いありません。
表情がビビッドになり、アヒル口をするまでに(笑)



そして現在。

200キロだった時にも「踊れるデブ」だった彼女、

スポーツクラブでダンスエクササイズのインストラクターとして
クラスを持って教えているのですから、たいしたものです。

120キロのインストラクター。
日本ならこういう人にはまず仕事は回ってこないと思いますが、
このあたりがさすがはアメリカです。



ジムの同僚によると、彼女はたいへん生徒からの評判もいいそうです。
恋人募集中の彼女は、もしかしたらこの人とうまくいくかもしれませんね(適当)



という番組のコマーシャルには、ザントレックス3!

日本でも輸入されていて買えるそうですが、本当に効くと思います?
たしかこれ、強力なカフェイン配合の錠剤だったと思うのですが、
カフェインで体重が減らせるなら、アメリカ人は誰も太ってないと思うぞ。

でも、この薬、わたしが住んでいた頃からずっと売っていて、
今でもドラッグストアには鍵付きのケースで売られていたりするので
(多分万引きが多いんだと思う)デブの多いアメリカでは、
効くかどうかわからないけど一応飲んでみよう、というような
「藁をもすがるデブ」が多いってことなんだろうと思います。

太った人の数だけ、それをあてにする商売(この番組も含む)が
後を絶たないってことなんですね。

前にも結論付けたところの「デブの経済サークル」は健在です。




 


防衛団体賀詞交換会と靖国神社参拝

2016-01-24 | つれづれなるままに

年明けからいきなり降下始めシリーズに突入してしまった当ブログですが、
一段落したので少しさかのぼってお正月の話からです。
年末の台湾行きが李登輝元総統閣下のお加減が悪く中止になったため、
元旦を自宅で過ごし、2日目になって初詣に出ました。



今年はウェスティンホテル東京の和食「舞」でおせち料理をいただきました。



お雑煮はすまし仕立て。
「すまし汁に角切りの餅」は関東風です。



ウェスティンからすぐ近くの渋谷金王神社に初詣に行きました。
元海上自衛官の禰宜(女性)が神職を勤めている歴史的に由緒ある神社です。 



次の日は靖国神社で昇殿参拝を行いました。
神殿にあがったとき、参拝者の一人が、なんと、
本殿御神体と神職を携帯で撮影したのには驚きました。
静まり返った本殿にシャッター音が響き渡り、次の瞬間神職がピシャリと

「撮影はおやめください」

と制しました。
思わず振り返ってシャッター音の方向を見てしまったのですが、
いい年配の女性だったのにはさらに呆れかえりました。



この日から20日後、防衛団体の参拝でわたしはもう一度靖国に上がりましたが、
皆をご案内くださった靖国神社の小方權宮司が、

「今ではあまりの騒がしさに注意しなければならない参拝者もおられるが、
昔は神殿に上がった後皆が涙ぐんでいることも少なくなかった」

とお話しされたとき、この携帯撮影事件を思い出しました。
權宮司はまだ夫や子、兄弟が靖国の御霊となり、ここに彼らに会いに来る
という世代がたくさんいた頃をよくご存知です。

「悪気はないが所詮他人事の人々」が増えるにつけ、携帯で神殿の写真を撮るような
悪意のない非常識を行う人間も現れてくるということなのでしょう。

靖国神社の存続に反対する人で、その歴史について詳しく勉強している人を

わたしは中国・韓国の国民を含め見たことがないように思いますが、
(神殿に位牌があるとか、酷いのになると遺骨があると思っていることもある)
崇敬奉賛会で持たれる勉強会に参加しろとまでは言わないので、
せめてネットで調べれば出てくる程度の創建の意義とその歴史くらいは
日本人として知ったうえで参拝してほしい、とこの一連の出来事で思いました。



話はガラッと変わり(笑)お正月には映画を二本見ました。
「スターウォーズ」と、「杉原千畝」です。
エルトゥールル号の映画「海難1890」も観たかったのですが、時間が合いませんでした。
どちらも六本木ヒルズで見たので、夕ご飯はロビュションでいただきました。



お皿が来たときには気づきませんでしたが、銀杏とお皿の模様、
さらにはスナップエンドウの丸い形がリフレインしています。



コースではなく単品の魚料理を注文したら、これにもエンドウが。
ムース仕立てのソースが白身の単調さを救っていました。



息子のデザートを横から撮影。
チョコレートの穴から上に乗っているものを落として食べます(多分)



帰りにヒルズの横(右側ルイヴィトン、左側某テレビ局)を通ったら、
イルミネーションが綺麗でした。
東京タワーがちょうど正面です。



スターバックス前もこの通り。
親の仇のように?枝の一本一本全てにイルミネーション。



松が明けてから、防衛団体の賀詞交換会に出席しました。



廊下で中谷防衛大臣とすれ違いましたが、こちらの会合に来たのではなく、
本宴会の主賓は若宮副防衛大臣でした。



自民・公明の政治家も勢ぞろい。
宇土議員は国会審議出席のため途中で退席されました。
一番向こうは相変わらずな笑顔の公明党・前防衛大臣政務官の石川博崇議員。
小池百合子元防衛大臣(だったんですよね)は、こういう席で初めてお見かけしました。
ところで、ここに佐藤正久議員も写っておりますが、



小池姐御と和気藹々でお話ししているこの人は・・・!



「もしもし」発言でその佐藤議員を国会質疑中噴かせた、
あの、田中真紀夫こと、
第10代防衛大臣、田中直紀議員では・・・。
うっわー、初めて見たよ。
このおっちゃん、わたしは漫画に描いたくらい当時から注目していたのよね。



自分で描いた漫画のネタ本人を目の当たりにする、これって盛り上がるわ~。

しかし、こういう場で政治家の先生たちの様子をうかがっていると、たとえ
不倶戴天の政敵のように国民に思われていても、案外お互い友好的でらっしゃる。

安保法案の乱闘国会中、仲良く語らっていた福山議員と佐藤議員の姿が目撃されましたね。

わたしの知人も結婚式で呉越同舟だった前川議員と自民議員が和気藹々だったと
大変驚いていましたし、言い方は悪いですが国会ってプロレスみたいなものなのかも。

一番右の小川淳也議員は、圧倒的に政府自民党支持が多いと思われるこの席で、

「わたくしは民主党です、それでも国の安全を願う心に変わりはありません」

と挨拶して、会場に大受けしていました。 
質疑を聞いたことのある国民の一人としては、それでもこの議員は全く支持できませんが。



きっと自分が行きたくないので代理人をよこしたにちがいない、民主党の
クイズ王、小西博之議員の代理人がなんとわたしの前にいたことが判明。
まあ、コニタンは来られんだろうなあ。この会場には。

真紀夫は、能力はともかくあの嫁に付き合ってきた人格者で、
この時の様子を見ていても良い人っぽかったけど、こちらは
国会での乱闘もさることながら、外交防衛委員会でいきなり

「ふざけるんじゃないよ!」

とテンションあげて怒号を飛ばす単なる咬ませ犬だったりするから、
この場で
うまく溶け込む大人の対応などとてもできますまい。
まあ政治家の老獪さを身につける前に、政界からも退場願いたいものですが。




自民の高橋比奈子議員を見る小池さんの目が怖い・・・。



さて、賀詞交換会の後、防衛団体の主催で昇殿参拝に参加しました。
境内の舞台ではこういう普通の格好をした若者が、舞の稽古をしていました。
神職も、皆私服でいるとあまりにも普通で少し驚きます。



權宮司の計らいで、遊就館の見学もさせてもらえました。
わたしは会員でなんども見ているので、今回は展示は見ず、上映されていた
70年前32歳で戦死した夫に当てたラブレターの朗読に一人嗚咽しておりました。
最後にこれをご紹介します。

天国のあなたへ 

秋田県 柳原タケ

 

娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。

たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。

三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。

私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。

あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。

おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。

よく来たと言ってあの頃のように寄り添って座らせてくださいね。

お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。

あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。

そしてそちらの「きみまち坂」につれていってもらいたい。

春のあでやかな桜花、

夏なまめかしい新緑、

秋ようえんなもみじ、

冬清らかな雪模様など、

四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。

私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。

もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。

力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。

 




年忘れ人物ギャラリー

2015-12-31 | つれづれなるままに


冒頭絵はフランス空軍でエースパイロット(フランス語でア・ジャポネ)
と呼ばれレジオンドヌール勲章を受けた、飛行家、滋野清武男爵

第一次世界大戦時、唯一のエースだった日本の男爵。
しかも彼はフランス娘を妻に伴って帰国し、飛行機の操縦を日本に広めるために
尽力した人物ですから、もう少し名前が一般に膾炙しても良さそうなものです。

しかしながら、現在、航空の歴史に通暁してでもいないと、
バロン滋野という名前を知っているものは滅多にいません。

この人物の、特に帰国してからは順風満帆とはいえなかった
薄幸の晩年が影を落としているからなのでしょうか。

飛行家列伝「バロン滋野」~As Japonais (ア・ジャポネ)
 

 

女流パイロット列伝~木部シゲノ「男装の麗人」

飛行機の免許を取るために、飛行学校をだけで世間の話題になり、
本人が好んで男装をしていたことから「男装の麗人」として一斉を風靡した、
この時代の申し子のような一飛行家について、著書で彼女を取り上げていた
あるフェミ作家への非難を兼ねて書いてみました。

はっきりいって、飛行家としては突出した実績を残したわけでもない彼女が、
どうして当時世間にこれだけもてはやされていたかについては、

「男装した時に初めて魅力を発揮する女」

に属したからではないか、と推測してみました。
いずれにせよ資料がなさすぎて、なんとも言えません。




女流パイロット列伝~セシリア・アラゴン「空飛ぶサイエンティスト」

コンピューターサイエンティストで大学教授でアクロバット飛行家。
世の中にはこんなとんでもない「リケジョ」(死語?)がいたんですね、
ってことで、オマージュの一頁を捧げました。




女流飛行家列伝~ジーン・ティンズリー「ウィリー・ガール」

女性として初めてオートジャイロの免許を取り、その後も
世界初のティルトローター(ご存知の通り大変難しい)の操縦資格を持ち、
VTOLの・・・・・・。

とにかく回転翼にかけては右に出る者のない女性飛行家。

ところで、わたしはここ何年か、夏の間、加州シリコンバレーで過ごしていますが、
車でとんでもない豪邸の(アメリカ基準で、いずれも広大な前庭とバックヤード付き)
立ち並ぶ、「アサートン(ATHERTON)」という住宅街を通り抜けることがあります。

彼女について調べたとき、彼女の住んでいる町であることを知りました。


「アサートンにある快適な住まいの、花の咲き乱れるバックヤードののデッキチェアで、
退院した78歳のお婆ちゃんが空を見ながら考えていたのは、
翌週サンカルロスのヒラー航空博物館で行われる
「ヴァーチカル・チャレンジ・エア・ショー」で乗る、
「スカイクレーン」、
シコルスキーS−64のことでした。」


日本のいわゆる高級住宅街などではとても望めないような、豊かな緑をたたえる

その一角を通るたびに、まだ健在であるらしい彼女のことを思うわたしです。



女流パイロット列伝~キャシー・チャン「Great Expectations」

2014年末の掲載ですが、その年の年忘れギャラリーには載せなかったので、
ここであらためて登場です。
初の中国人女性として、彼女はアメリカの飛行界には受け入れられましたが、
白人の男友達(そもそも友達だったのか?)に必死の思いで貯めたお金で買った
愛機を壊され、弁償もしてもらえなかったため、失意のうちに帰国しました。

彼女のGreat Expectationsは、その瞬間全て消えたのです。




天空に投錨せよ~アメリカ海軍航空隊事始め


アメリカ海軍航空史の黎明期に名前を残した二人の人物を取り上げました。
まず、初めて船の甲板から飛行機で飛び立ち、初めて着艦し、そして初めて
着艦事故で死亡したユージーン・イーリー。



天空に投錨せよ~アメリカ海軍航空隊事始め


海軍軍人として初めて自分の操縦する飛行機で空を飛んだ、
セオドア・”スパッズ”・エリソン。
彼は単身赴任中のアナポリスから、重病の娘の身を案じて夜間単機で飛び立ち、
事故を起こし、その体はイーリーが人類最初に離艦を行った同じ海で発見されました。 


東京裁判のアメリカ人弁護人たち~ベン・ブルース・ブレイクニー少佐

東京裁判で日本人被告の弁護をしたアメリカ人弁護人については、
ずっと一度扱ってみたいと資料を集めていました。
参考にした本の中にやはり弁護人であった清瀬一郎博士の「東京裁判」があります。

そこに、あの、戦勝国による「見せしめ」のための裁判の論告中、
アメリカの原子爆弾投下について言及したブレイクニー少佐の「その後」、
つまり、裁判後日本に残り、弁護士として活動していたところ、
飛行機事故で死亡した、と書かれていたことは当時大変なショックでした。


東京裁判についてネット上にログが立つと、当エントリが取り上げられることもあるようです。



「ルーズベルト」ニ与フル書~市丸利之助少将


靖国神社の遊就館にいくといつも目にする、硫黄島の戦いの際
戦死した士官の体からアメリカ軍によって発見された英語の遺書。
それが、第27航空隊司令官、市丸利之助少将の書いた
「ルーズベルトに与うる書」でした。

大国アメリカのみならず、欧米諸国の人種的奢りを追求し、そして
彼らの虐げてきた有色人種の人権を取り戻すために立ち上がった
日本という国の「理」と、正当性を訴えてやまない
この手紙は、ルーズベールトが死去した後に、アメリカの新聞に掲載されました。 



「ザ・デストロイヤー」~駆逐艦「濱風」と前川万衛艦長


海軍兵学校同期会の江田島訪問に、卑怯な手を使って紛れ込んだわたしは()
そのツァーの行程で海軍墓地を訪れました。

この項は、そのときに慰霊碑を紹介しながら、帝国海軍の艦艇について

あらためて思いをはせる、という形であげたうちの一つで、
俊英艦であったのみならず、人命救助に類い稀な実績を上げた駆逐艦「濱風」の
きっと男前であったに違いない艦長、前川万兵衛海軍中佐を、
写真が見つからないのをいいことに
妄想と、
こうあって欲しいという勝手な願望を込めて描いてみました。。





沖縄県民斯ク戦ヘリ~太田實中将


掃海隊を暮れに見学したことで、またなんどかペルシア湾の掃海について
触れることにもなったのですが、その指揮官であった落合二等海佐(当時)は 
この太田實海軍中将(戦死後昇進)の息子でした。

昭和20年、米軍の上陸に追い詰められた海軍陸戦隊の司令官として、
壕の中で他の幕僚とともに自決した太田司令。
撤退命令が出たにもかかわらず、持久戦を行うことを選んで後の死でした。

このときの「命令拒否」を、わたしは「住民を少しでも巻き込まないため」だと
このエントリで推測しましたが、太田中将の最後に残した遺書の内容からも、
おそらくその通りだろうと誰しもが納得することでしょう。

「沖縄県民斯く戦ヘり 県民に対し後世特別の御高配賜わらんことを」 


ところで、わたしは先日、ある人物から、初めて太田中将自決の跡を訪れたときに、
そこがいつもそれまで夢に見ていたのと同じ場所であると思った、という話を聞きました。

その夢というのは、爆音の後、石段を血が流れてくるといったいつも同じもので、
その人は、なぜ自分がこんな夢を何度も見るのか不思議だったということですが、
壕をみたとき、太田中将と共に自決した幕僚に、自分と同じ名を持つ軍人がいたことを
初めて知り、衝撃を受けたのだそうです。


輪廻転生を頭から信じているわけではありませんが、もしかしたら自決した幕僚の意識が、
何かのきっかけで、時空を超えて血族に受け継がれるなどということもあるかもしれない、
とわたしはこの不思議な打ち明け話を聞いて思ったものでした。



別の項で使用した太田中将の息子、落合元海将補。
太田中将とほぼ同じ顔です。



米海軍アイスクリーム事情~ハルゼー提督とアイスクリーム艦

ちなみに、当ブログの記事がいくつか掲載されているNAVARのまとめが、
その他の情報も含めて大変参考になったので、最後に挙げておきます。


アイスクリームとアメリカ海軍 潜水艦

特に同じサイトの記事、変態兵器伊400型」というのにウケました。



それではみなさま、よいお年を。





 


Nikon1の専用望遠レンズ70-300mmを使ってみた

2015-05-12 | つれづれなるままに

わたしのようにもともと写真が趣味でもなんでもなく、単純に
ブログに載せるためのちょっとばかり見栄えのいい写真を撮りたい、
という程度のものが写真の話をするなどおこがましいのですが、
牛歩のようなレベルではあってもとりあえず昨日より一歩前進しているはず、
と信じて、またそう思うためにも試行錯誤しているわけで、
その過程をここでご報告するのも、意味のあることかなと思うしだいです。



というわけで、先日コメント欄でmizukiさんに教えていただいたニコンの新製品、

COOLPIX900を見にニコンショップまで行ってきました。



レンズでかっ(笑)

こちらの売りは超望遠高画質。
離れたところにあるものを撮ることが多いので、もしかしたらこれはいいかも、
と思ってわざわざ見に来たわけですが、ニコンの人に話を聞いてみると、まず、

「動きのある被写体にはあまり向いていないかもしれませんね」

まあどんなレンズを搭載していても、所詮はコンデジですからねえ。
わたしの腕ではもしかしたらあまり関係ない話かもしれないけど。
お店の人は、サンプル写真を指して、

「どの写真もじっとしているものばかりでしょう」

ふむ。お月さま。そうですね。フクロウ。むちゃくちゃじっとしてますね。

「今Nikon1のV2ですが、飛行機や船を撮ろうと思ったら、どっちがいいんでしょうか。
望遠は一眼の300mmをマウントして使ってるんですが」

「一眼レフという選択肢がおありでないならそれがベストだとわたしは思いますが」

「あ、そうなんですか(拍子抜け)」

「ニコン1は最近専用の望遠レンズが新発売になりましたし」

場所を移動して70-300mmのレンズを触らせてもらいました。
いいかもしれない。
なんといっても小さくて軽く、今のレンズと取り回しやすさは変わらないくらいです。

お値段は今持っているのの約2倍ですが。
インターネットで購入者の評価を当たってみたところ、そちらも上々です。

超望遠でありながら手ブレ補正機能も優れていて、圧縮効果(被写体群において
離れている被写体間の距離感が少なくなるという効果)も実現、さらに
ナノクリスタルレンズ採用でゴーストやフレアも少なくなりましたとのこと。

もう少し早く出していてくれれば、マウントして使うレンズ買わずに済んだんだけどな。


クールピクスを見に行ってレンズを買う気になるという、いつも通り
直感的すぎる判断によって、今年の誕生日プレゼントはレンズに決定いたしました。


ところで、ニコンショップの人と話をしている時、報道用に使われる大きなレンズを見ながら
ふとあることを思い出したので、話題にしてみました。

「去年のアジア大会で水泳選手がカメラを盗んだという話がありましたね」

「ああ、あんなのはですね」

打てば響くように彼はきっぱりと

「もしカメラのことをよく知っているのなら、レンズを外して本体だけなんか盗みません。
高いのはレンズで、本体なんてたいした価値はありませんから。
しかし、もしカメラのことを知らなかったとすれば、カメラ本体からレンズを外すことすらできませんよ。
水泳選手がこんなレンズ(とレンズを指して)を外せるわけないと思いますね」

「・・・ということはつまり?」

「やらせがばればれですよ」

はあ、カメラに詳しい人からあの事件を見るとそういうことになるわけですか。
そもそも、今のカメラはシリアルナンバーで出元がわかってしまうので、
盗難品を市場に出すこともできないのだそうですね。



そんな話はともかく(笑)、お店の人の言葉に意を強くして、レンズを購入するという
方向に話がまとまったわけです。
一眼レフは・・・まあ、もう少しNikon1で修行してからってことで(笑)

Amazonで購入すれば確かに少し安いのですが、ここはぐっと我慢して
ニコンダイレクトで直接買うことにしました。
保証とか売る時とかにちょっとその方が得かなと思っただけですが、
届いてみれば3年保証つきでこんなレジャーシートがオマケに付いていました。



下取りに出そうと思ったら箱の類は捨ててはダメだそうです。
ただ、たとえば今持っている一眼レフ用の望遠レンズですが、もし箱が全部揃っていたとしても
(そして案の定わたしは箱を次の日には捨ててしまいました)下取り価格500円だということで、
査定してもらったり梱包したり、なんてことをやる手間を考えたらバカバカしいという気も。



いよいよレンズとご対面~。
ちゃんとフードもついてます。



早速部屋の中で試し撮り。
おお、なかなかいいボケではないかい?



かなり離れたところに置いてある譜面台の上の楽譜を撮ってみました。
すげー!



早速外に出て試し撮りです。
動き回っている鳩をまず撮ってみました。



ドラマを感じる(笑)



超望遠レンズですが、こういう「近寄せる」写真もいい感じに撮れるみたいです。



かなり遠くにいる鳥さんと、その向こうの人のシルエットを撮ってみました。



これもかなり遠くの対象です。
後ろのツツジが綺麗に写り込んでいますが、こういうのを圧縮効果っていうんですか。



どのくらい遠くを取れるか限界を試してみた写真。
こちらを向いている女性が、撮られていることに全く気付かない距離からです。
ちなみにぼかしてありますが、彼女の顔のディティールまではっきりと写っていました。




ここでもう少し植物の大アップにこだわってみました。





これは、一面蔦に覆われた建物。



蔦が覆っていない部分はこんなのです。



動き回る鳩はシャッタースピードを上げて撮りました。
構図にドラマを感じます(笑)



さらに歩いていると、捕食中のすずめ発見。
青虫をとらえて、地面にびったんびったん叩きつけていました。
新鮮な食材をタタキにして食す、グルメなすずめさんです。



階段を登っているときに気づいたのですが、すずめが逃げないように
一歩づつ近づいて行きました。
かなりの距離から捉えることができて、望遠ならではの写真が撮れました。



青虫も必死で体をよじりますが、なすすべもありません。(-人-)ナムー
しかしこうしてみるとすずめも結構獰猛な顔をしています。



すずめもう一枚。



バスケットコートでは外人さんの一団がゲームに興じていました。



緑の人の表情は何枚か撮った写真のどれもが大変ビビッドでした。




再び植物。思い切り引きよせてみました。



ツツジの花ですが、これだけ拡大してみるとツツジに見えません。



かなり遠くの景色を撮ってみました。



再び植物。こういうものの撮影のためにあるようなレンズだと思いました。



このころはフォーカスリングを使って手動でピントを合わせる使い方で撮っています。



飼い主はベンチに座っているのに道の反対側に立って道を塞ぐ犬。
すごく変わった毛並みなんですが、なんて種類の犬でしょうか。



池のカモを撮ってみました。
水鳥は動きがゆっくりなので撮りやすいです。





カモのくちばしだけに注目してください。
ここに黒い犬の顔が見えますね?



カモが鳴くと、犬も一緒に鳴きます(笑)



鳩給水中。





ここには鯉も大きな亀もたくさんおります。



公園の真ん中で白い花をつけている木を撮ってみました。



思いっきり近づいて、花をアップ。
日が暮れてきて、少し画面が暗くなってしまっています。



タイトル「お家に帰ろう」。

女の子はシャボン玉を飛ばしながら歩いているのですが、さすがにそれまでは写りません。



というわけで、家に帰ってきてからも近所の植物を接写。





カメラを向けたらたまたまハチが蜜を吸っていました。
遠くからはわからなかったのですが、ファインダーを覗いた時初めて気づきました。



家に帰ってきたら、自宅敷地にいつもベランダに遊びに来る猫がいました。
遠くから狙ったので彼はこちらに気づいていません。



入って行っちゃった。



ツツジの生垣で何をしているのかな。



尻尾の先大アップ(笑)



ふと気づくと、彼の相棒である黒猫さんがこちらを見ていました。
サバ猫の尻尾の先とわたしを見比べているのでもっと撮ろうと思ったら、
電池切れとなってこれでおしまい。

そうそう、ニコンショップの方に、夏いつも写真を撮りに行くカリフォルニアの
ペリカンの生息地でペリカンの飛来写真を一発で上手に撮りたいんですけど、というと、
彼の答えは明快でした。

「連写して後からいいのを選ぶんですよ。プロでもそうやってます」

なるほど、そうだったのか~。
これは動くものを撮るのが楽しみになってきました。





年忘れ人物ギャラリー(付・坂の上の雲シリーズ)

2014-12-30 | つれづれなるままに



年忘れギャラリーシリーズ、人物編です。
まずは、映画「マリリン七日間の恋」の為に描いた
マリリン・モンロー本人の絵。
この映画はマリリンを演じた女優がいまいちだったので、
というか演じられる女優は今後も決して現れないということを
証明するだけの映画になってしまった感があります。
キャストを引き受けた女優さんの勇気もさることながら、
の女優にマリリンを演じさせようとした制作も大概だと思います。

この映画のことをチェックするために検索したら、その後、
実写フィルムと証言と女優がマリリンの書き残した日記を読む、
という構成で作られた映画、「瞳の中の秘密」というのが
制作されていたことを知りました。


  『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』[HD]映画予告編

観るならこっちでしょうね。 
ついでにわたし的に不評だったこちらのトレーラーも。


  映画『マリリン 7日間の恋』予告編(120秒版)

今トレーラーを初めて見たのですが、イギリスでの記者会見で、記者が

「マリリン、夜は何を着て寝るの?」

とあえて二番煎じの(最初はあの『シャネルの5番よ』だった)質問をし、
彼女はそれに対して、

「ヤードレイ(イギリスの石鹸会社)のラベンダーだけよ」

と答えていたのに気がつきました。
字幕は「あなた好みの香りよ」になっていてがっかりです。



鄭成功。


と言いながら実は某公共放送局が当時脚本家に、
皇室のことを「王家」と乱発させて日本人視聴者に挑戦していたので()
それに当てつけというかパロディをしてみました。

鄭成功は台湾中興の祖で、オランダに統治されていた台湾を
取り戻すために台湾人を率いて戦った国の英雄です。

台湾旅行をした時にこの人物の名を冠した南部の名門大学、
成功大学の横のホテルに泊まったことから名前を知り、
調べてみたところ、近松門左衛門が「国姓爺合戦」の主人公にしたのが
まさにこの人物で、しかも彼の母は日本人であったことがわかりました。
「日本を取り戻す」どころか、


「日本を売り渡したがっている」

としか言えないような反日的、売国的な放送内容が今でも目につく
この某公共放送。
鄭成功が目指した「国を取り戻す」をテーマに、

日本と関わりの深いこの人物を金城武に演じさせる大河ドラマ、
こんな番組はおそらく天地が裂けても制作されないだろう、
と確信を持ってパロってみました。

でももしやってくれたら絶対観ます。(監視するためにな)
NHK制作の方、もし見ていたらご一考を。





台湾旅行の後で、現地で吸収したことが多くネタになっています。

これは、台湾のいたるところにある蒋介石像の秘密から、
蒋介石とその妻宋美齢の悪行を主に暴くことを目的にしました。

わたしは日米戦争が起こったきっかけの一つに、この悪女
宋美齢が米国高官たちを色仕掛けで(これ本当)味方につけ、
大衆の前で泣いたりしてアイドルになり、世論を動かした、
という可能性があることを今でも疑っています。

アメリカでもこの人物は決して英雄扱いされていないらしく、
(ルーズベルトは抱き込めたけど、トルーマンは毛嫌いしており、
毀誉褒貶が激しいのはアメリカにとっても同じであった模様)
夏に息子のサマースクールで滞在したボストンのウェルズリー大学では、
こんな有名な卒業生であるにもかかわらず、大学としては全くそのことを無視、
別にメモリアルを作るわけでもなくスルーしていたので、
日本人のわたしとしてはこの大学の見識に感謝した次第です。

アメリカ人から集めた寄付金を夫婦で自分のために使い込んでいた
(特にヨメの方は身なりの贅沢に服やら宝石やら)とか、
戦後台湾での悪行のこともバレていたのかもしれません。

蒋介石と忠烈祠

フライングタイガースと宋美齢とシェンノート

フライングタイガースというのも結局宋美齢が作ったようなもんです。
シェンノートに媚びて、どうも息のかかった女性を斡旋していたのでは?
(シェンノートは糟糠の妻を離縁して若い中国人女性と再婚した)
とわたしはこの辺りも疑っております。

一言で言って日本の天敵、稀代の悪女というやつですね。


 台湾総督総監 後藤新平



「匪賊」「風土病」「阿片」「生蕃(原住民)」


これらの問題が山積していた化外の地、台湾を統治した時、
児玉源太郎と後藤新平の黄金コンビは、実に見事な
『生物学の法則に則ったやり方」(by本人)でその問題を解決し、

「日本は台湾に偉大なことをした」

と李登輝元総統に言わしめる善政を布きました。
台湾にとっても日本にとっても、真にこの人物の功績は彼を
偉人と称えるにふさわしいものだと私は信じるのですが、
戦後日本の自虐史観はそれを決して許さず、従ってこの人物の名は
教科書に載るどころか、媒体で取り上げられることもありません。

特にNHKでは(笑)

なぜそうなのか、ということを、たとえば台湾という国と
日本との関係を語るとき、必ず「植民地支配は悪いことだった」
と当の日本人が思い込んでいることについて、その見えない
束縛を少しでも解いてくれる人がいればいいなと思って、
この項を作成しました。 

当ブログを読む人なら釈迦に説法というやつだったかもしれませんが。 
 

「明日地球が滅びようとも今日君はリンゴの木を植える」 




エントリの内容自体は、石原慎太郎の国会での質疑(というか演説)
をそのまま聞き書きしてその内容に補足しています。

石原氏がホーキング博士の講演に行った際、博士が

 『地球並みの文明をもった惑星は非常に自然の循環が悪くなって、
宇宙時間で言う瞬間的に生命が消滅する』

といい、さらにその地球時間とは100年であるともいった、
ということから、冒頭の言葉

「明日地球が滅びようとも」

を引用して、環境問題への日本の取り組みとその覚悟について
提言したというものでした。

その中で石原氏はこの言葉を

「開高健が色紙に書いていたので誰のかと聞くと、
ゲオルグの言葉だと答えた」

と言っていたのでそのまま書いたのですが、
コメント欄で、この言葉はコンスタンチン・B・ゲオルギウが著書で紹介した
マルチン・ルターのもので、さらに石原氏はこのゲオルグを
ゲオルグ・トラークルという全く別の詩人と勘違いしている、
ということを教えていただきました。

どなたか石原氏に話の通じる方がおられましたら、ぜひ
この勘違いに対して訂正をして差し上げてください。



リーツェンの桜~ドクトル肥沼を知っていますか




何かの検索をしていてふとしたきっかけで知った人物です。
ドイツに留学しそこで堂々と日本人の優秀性を説き、
自身はポーランドのリーツェンというチフスに乗っ取られた街に
一人とどまり、時には無報酬で彼らの診療にあたり、
そして自らがチフスになって客死した日本人医師がいました。

肥沼信次

です。
日本人である街の恩人の顕彰のために、リーツェン市では「肥沼杯」という
柔道大会が毎年行われ、さらには日本からその後贈られた桜が
街の通りに毎年花を咲かせているのだそうです。 


「秋山真之」



坂の上の雲シリーズのためにとりあえず秋山真之と、
演じた本木雅弘を並べて書いてみました。


このNHKのドラマには、司馬史観への突っ込みも
色々とさせていただき、ネタ元として猛烈に感謝する次第です。




「ニコライ二世の憂鬱」

ニコライ二世、ボリス・ビルキツキ、そしてアリアズナなど
「ロシア関係」について語ってみました。(←自信作)



「坂の上の雲」の二人の女たち

このドラマで秋山真之をめぐる幼馴染みの律さんと、
妻の季子の間に起こった(であろう)女同士のさや当て。
こんな創作をするNHKってどうよ、という抗議の意味も込めて
突っ込んでみました。(←ある意味自信作)



義和団事件は大国の謀略 by NHK」

ついでにNHKの自虐史観炸裂した場面について
こまめに突っ込んでおきました。
義和団事件という、清朝末期の秘密結社が大国に宣戦布告し、
それを西太后が利用した事件を、NHK、なんと大胆にも

「大国がかわいそうな中国国民を弾圧した」

ということにしてしまっています。

ええ加減にせーよ、ええ加減に。(怒)

今絵につけたキャプションを見て気づいたのですが、
小学4年生を騙って解散を批判した民主党つながりの奴といい、
「父はあの日から帰ってこなかった」と蹲る子供を使った社民のポスターといい、
集団自衛権全般でも沖縄でも同じような構図を見るのですが、
一体左翼というのは、どうして常に子供を盾にするのでしょうか。

このシーンだって・・・・あっ(察し)




「語られない歴史」

なぜか東郷司令長官がロジェストビンスキーの見舞いをしたことや、
水師営の会見など、日露戦争を描いたもので日本人が見たい!
と思うシーンをことごとくカットして、幼馴染と妻の女の戦いやら、
主人公のPTSD(ポストトラウマチックストレスディソーダーズ)
やら虐げられた中国人の人権やらを強調してくれたNHK「坂の上の雲」。

なぜこれをカットしたか?

そういうことにこだわると、
この放送局が目指す方向が、自ずと見えてくるような気がしました。

ついでに、日露戦争についてかなり詳しくなりました。
防衛省の戦史資料によって、
新たに分かった
(というか司馬良太郎に騙されていたと分かった)こともあり、
大変な勉強をさせていただくことになったと感謝しております。


いや、決して皮肉ではなく。


続きます。

 


2014年度 年忘れ漫画ギャラリー

2014-12-27 | つれづれなるままに



さて、今年もあっという間に残り少なになってまいりました。
ブログ創設当初は1年に一度「ネイビーギャラリー」として、
その年にアップした海軍軍人の絵をまとめて展示していたのですが、
最近はブログの内容そのものが変化してきて、その頃ほど
絵をアップすることが少なくなってきたので、去年はお休みさせていただき、
今年は2013年度、2014年度に描いた絵をまとめてみました。

というわけで、2013年の自民政権奪回直後に描いた「ジミンガーシリーズ」から。
これはそのときのテーマによって微妙な違いがあって、

まず「日本は日本人だけのものじゃない」バージョン。



この当時の国会質疑から色々とネタを拾ってます。
そしてブーメラン刺さり隊バージョン。

 

そして冒頭のせいけんこうたいバージョンへと続きます。
懐かしいですね(棒)

ブーメラン戦隊ジミンガー『特命!民主予算を執行停止せよ』



ちなみに冒頭ジミンガーでは「ジミンガーピンク」を辻元清美にしましたが、

その後、元大臣のもう一匹のピンクが(ヒーロー戦隊は基本人間ではないので匹扱い)

「民主政権時代に自分たちが下したパチンコ屋への予算を、
無駄なのになぜ停止しないのか」

と噛み付くという大ブーメランをかましてくれたので、そのときに

また改めてジミンガーシリーズを加筆させていただきました。

先般の選挙で、もう少し民主党が殲滅されるであろうと
予測をしたのですが、なぜか不思議な力が選挙に働いたらしく、
民主党のほとんどの上層部はあれだけ総スカンだった菅直人含め、
どうやら「抹殺された」らしい海江田万里を除き全員当選。

不思議でしたねー。

あちらこちらで次世代の党の票がなくなったり、
選管が勝手に「日本」という票を共産党にしていたり、
田母神閣下の立候補した選挙区の選挙開票では、
明らかに無茶苦茶に票を重ねて一番上に
共産党立候補者の票を乗せて集計所に提出してましたね。

東京都の開票は機械による自動読み取りを職員が拒否した地域が
多かったということですが、どうして手間のかかる開票作業を
自分たちの手で何が何でもやらなくてはいけなかったのか。

選挙が公正に行われなくなるなんて、
日本っていったいどこの後進国なんだろう、と実のところ
肌が泡立つような恐怖を感じた選挙結果でした。

個人的な見解ですが、共産党は自民には太刀打ちできないので
次世代を「狙い撃ち」したのではなかったのでしょうか。




「水野義人と操縦適正」











飛行機というものが我が国に導入された当初、操縦適正を
「金槌で殴って15秒で失神から覚めれば合格」
としていた、という信じられない話を漫画化してみました。

ついでに、大西瀧治郎長官が海軍に雇い入れた「霊能者」
水野義人氏の不思議な能力についてお話ししています。


秋山参謀の「奇行」










天才と紙一重の変人と誉れ高かった?秋山真之の奇行を、

日本海海戦シリーズのエントリー制作の息抜きとして
楽しみつつ描かせていただきました。

食事の後のテーブルで水虫の足に薬を塗っていたのを
大変嫌な顔をしていたのが、あの「船乗り将軍」
といわれた上村彦之丞大将でした。

喧嘩っ早くて手も早い上村大将が、部下のこんな所業を目にしても
ろくな文句も言えなかったというあたりに、秋山真之の
海軍での実力というか、いかに皆が普段の秋山には
まるで腫れ物に触るような扱いをしていたかということが
うかがい知れますね。 



「その2」















出物腫れ物ところ構わず、というのも秋山のモットー?でした。
あまりというか、全く人の目を気にしていなかったといえます。
しかし、この天才参謀の軌跡を知れば知るほど、その知恵は
日本海海戦の勝利となって結実したというほかないのに気付きます。

秋山真之がいなかったら、日本海海戦の勝利はなかったのではないか、
と思われるのですが、また近いうちにお話ししてみたいと思います。


元陸幕長とお会いした~「歩兵の本領」







もう退官されたある陸幕長の壮烈鬼隊長時代の逸話。

元副官の1佐がご本人を目の前に話していたので
まず間違いなく実話であろうかと思われます。 

 



小型の海防艦でありながら、ソ連との警備海域の第一線にあったため、
交渉をすることを踏まえて菊の紋章をいただいていた占守型海防艦。

そのため艦長は中佐以上大佐となっていて、他の鑑より上位でしたが、
艦隊の小ささと無名が仇になり、欠礼されることも多かったそうです。

本当は二番鑑の「国後」ですが、駆逐艦「子日」に

貴艦ハナニユエ本艦に敬礼サレザルヤ」

 といちゃもんつけられた国後の艦長(中佐)はたった一言

「我国後ナリ」

と返答し、子日の艦長は慌てて謝りに向かったというお話。


 

さて、こうして集めてみると、特に本年度は
4コマ漫画をあまり描かなかったなあと反省しております。
イベントへの参加とそのご報告が忙しかったせいです。
来年はもう少し絵入りでお届けできればなあと思っていますが、
果たしてどうなりますことやら。




 


クリスマスのターキー バージョン2014

2014-12-25 | つれづれなるままに

皆様、サンタ・トラッキング、ご覧になってますか?



わたしが見たときにはサンタは「ホニアラ島」を通過していました。
・・・・ホニアラ島?
どこかで最近すごく聞き覚えがあるような・・・。

そう、海上自衛隊練習艦隊が、ここに寄港し、その際、
現地で遺骨収集団が採取した日本軍将兵のご遺骨を乗せ、
晴海埠頭にそれを迎えにいくということがあったのでした。

サンタは何しろ戦闘機の100倍のスピードで飛翔するので、
たまたまわたしがこのトラッキングを除いた瞬間、
そこがホニアラ島であったことがとても不思議な偶然に思われました。

次に見たとき、ちょうど日本にいたので、スクリーンショットを
撮っておきましたよ。



名古屋。琵琶湖が見えます。



富士山上空。



東京湾の上。




ぐるりと向きを変えて、相模湾。
左下にある「配達されたプレゼント」
の数はすごい勢いで増えていきます。




紀伊半島。



淡路島と四国。



そして九州・・・・あれ、北海道って行ったっけ?

軍機扱いで公開できなかったコメントで、

「これでは速すぎて迎撃できません!」

と泣きを入れてきた基地司令がいましたが、そらあなた、

HPによるとサンタのスピードは戦闘機の100倍だってんだから。

というか、サンタを迎撃せんでよろしい。迎撃せんで。


さて、それはともかく、今年も我が家ではターキーディナーを
イブの夜に楽しみました。
去年一昨年と朝から料理を始めランチにいただいていたのですが、
今年は平日なのでTOが夜にしかご飯を一緒できなかったためです。



今年のターキーはもとまちユニオンで購入。
念のため行く前に電話であるかどうかを確かめたところ、

「年中置いています」
 
とのこと。
幾つかの種類の中で、去年と同じ、ベビーターキーを選びました。
小さいので解凍も1日あれば十分。

まあ、本当は冷蔵庫の中で1週間くらいかけたほうがいいのでしょうが、
何しろ買うことを思い出したのがイブの2日前だったもので・・・。

そのまま冷蔵庫に入れず、室温で1日置きました。

 

ご対面~。
去年のと違って、ネックの皮が残されています。



横を向いてもらいました。
血を落とすために中も水洗いしてしまいました。
今年はレシピに頼らず、自己流でやる覚悟です(笑)

去年一昨年とmizukiさんのレシピを参考にしてやってみて
少しは全貌がわかってきたつもりなので。
要は相変わらずのいい加減料理ですがどうなることやら。




体の中から内臓を引っ張り出します。
去年のはこれらがパッキングされて入っていましたが、
今年は一つ一つ引きずり出さなくてはいけません。



塩胡椒。
アメリカ滞在中に買ったヒマラヤンソルトをたっぷり。



脇の下にも忘れずに。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」では、顔にクリームを塗った後、
次の部屋で「耳にも塗りましたか」というメモと小瓶があって、
迷い込んだ紳士二人は塗り残しに気づきましたが、
ふとそれを思い出しました。



今年は、塩胡椒のあと、オリーブオイルを表面に塗って
皮がカサカサになるのを防止します。

去年のように無印良品の「ローストチキンの外側に塗るもの」
があれば楽だったのですが、なくても別に問題はありません。



ネックは硬くて刻めないので切れ目を入れるだけ。
内臓の類を細かく刻みます。



玉ねぎと人参をみじん切り。
本当は一番先にニンニクをオイルで炒め、香りが出たら
玉ねぎを先に炒めることになっていたのですが、
うっかり混ぜてしまったので、もうこのまま炒めてしまいます。

料理なんて結果が良ければいいのよー。



オリーブオイルで炒めます。



内臓を入れて炒め、香り付けにバターを少し投入。
このあと適当な量水を入れて適当な時間煮込みます。(圧力鍋で)



煮込んでいる間、お茶を一杯。
というか、この深川製磁の自衛隊カップを自慢するためだけの画像。



自慢といえば、わたしにはこんな自慢のカップもあるのだった。
海上自衛隊の錨のマークに・・・・・三ツ桜。



ふっふっふ、これが一体何を意味するかおわかりかな?



といいながら説明しないで次に行ってしまう。
今年は初めてスタッフィング(ターキーのお腹に詰め物をする)を
やってみようと思い立ったので、



お米をまずオリーブオイルで炒めます。
このお鍋は、バーゲンで購入してこの日届いたビタクラフト。
ビタクラフトは鍋界のメルセデスみたいなものです。



お米に圧力鍋で炊いた野菜と内臓を投入。
混ぜてこれも適当に水を加え、(本当に適当だなあ)



適当に蓋をして弱火で煮込むのだった。
この画像は単なる鍋自慢。
そして適当な時間に覗いてみると出来上がっていたので、詰めます。



ここに・・・・・うーん、なかなかグロ、いやなんでもない。



詰めました。
スタッフィングには味をつけていませんが、
まあそんなものだろうとやはりいい加減にそのまま。



脚を針金やタコ糸で縛るのが本当なのだと思いますが、
どちらもなかったのでホイルでまとめてあげました。
そしてオーブンに投入。



途中でオーブンを開けてジャガイモを隙間に押し込みました。
わずか22分で焼き上がります。
誰でも失敗なく焼ける火加減コンピュータ任せ。



付け合わせはインゲンとブロッコリー。
インゲンをバターで炒めているお鍋は、フィスラー。
フィスラーは鍋界のBMWといったところ。
最近、たまたま人と待ち合わせたところにフィスラーの専門店があって、
しかもバーゲンをしていたので買いました。

しかし買って二日目に油断していて焦げ付かせてしまい、
涙目で磨きまくって復活させたというかわいいお鍋です。

さて、わたしの腕とは全く関係なくオーブンが仕事をしてくれたため、
ターキーは見事に焼き上がりました。
ありがとうヘルシオ。



肉汁が思ったより受け皿に垂れていなかったので、
少しだけのその汁を全体的に注ぎかけて出来上がり。

その頃帰ってきたTOが、切り分けてくれました。



本人曰く「去年よりうまく切れた」とのこと。
わたしはブレストをいただいたので、これは息子に。
息子はこの後ペロリとブレストも食べてしまいました。



息子がココアを入れるというので、そのために
生クリームを泡立てて作ってやりました。

「ケーキ食べるんだからココアはどうかなー」

とわたしはカロリー的にかなり逡巡したのですが、
息子が悲しそうな顔をするので

「じゃ少なめで・・・」



そして今年のクリスマスケーキ。
これも毎年宅配の「地球人倶楽部」でお願いしている
レジオンというパン屋さんのケーキです。



漂白していない小麦を使っているので、
スポンジの台そのものに大変旨味があります。
今や家族全員のクリスマスの楽しみになっています。



これは今年の夏、サンフランシスコ空港のMOMAショップで
見つけて買ってみたケーキカッター兼サーバー。
ホールのケーキを食べることが滅多にないので、本日、
初めて使用することになるのですが、これがすごい!
くさび形の部分をケーキにさっくりと上から落とし、



そのままお皿に運んで少し広げるだけ。
ナイフで切ってサーバーですくって、というアクションを
一瞬でやってしまえる優れものでした。



こんな形をしています。
こんなにお役立ちだったとは・・。




クリスマスのツリーは今年は飾らなかったのですが、
馴染みのお菓子屋さん(パリ帰りの女性パティシエがお母さんとやっている)
に行った時にジンジャーブレッドのヘクセンハウス(魔女の家)
があったので、買ってしばらく飾って楽しんでいました。

すごく凝っていて、時間もかかるので少ししか作っていないそうです。

セロファンでカバーしてあったのですが、外すとジンジャーの
いい香りが漂ってきました。

息子はクリスマスプレゼントに念願のiPadAirをもらってご機嫌。
わたしは・・・・皆の感謝の言葉だけで十分。
一緒に食卓を囲めることが何よりのクリスマスプレゼントです。

それではみなさま、よいクリスマスをお過ごし下さい。




 


呉の「2014イルミネーションくれ」

2014-12-17 | つれづれなるままに

今、訳あってまたもや先日来たばかりの呉に来ております。
3年ほど前、江田島見学をするために初めて呉に来たわけですが、
それから何度もの、しかもそのことごとくが旧海軍・海自関係の
目的による訪問を重ねて今回に至ります。

つまりこのブログをやっていなかったら来ることもなかった街。
しかし今やすっかり心の故郷(海軍的な意味で)である街。

今回の目的についてはまた別の日にお話しすることにして、
今日はここ呉で見た年末イルミネーションの写真をご紹介します。

またまたひょんなことから呉に用事ができたわたし、
いつものようにフットワークも軽く、呉阪急ホテルに投宿するや、

空いた時間を利用して「大和のふるさと」の山手側にある
「歴史の見える丘」と観光的には名付けられている、
なんのことはないただの石碑のある一角に同行者を付き合わせ、
さらに先日行ったばかりの呉海軍墓地に、撮り損ねた写真を撮りに
これも無理やり同行者を付き合わせました

「歴史の見える丘」はそれこそいくつかの碑があるだけの一角で、
5分あれば全部写真を撮っておしまい、なところだったので、
そこから海軍墓地に移動するのに、電話でタクシーを呼びました。


やってきたのは中年の気さくなおばちゃん運転手で、
車中ちょっとした呉の案内もしてくれたのが嬉しかったです。
車に乗ったのがちょうど5時だったのですが、


「イルミネーションが今ついたから」

と、この「2014イルミネーションくれ」の横を通ってくれました。



「イルミネーションって、神戸のルミナリエみたいなのですか」
「あんな立派じゃないですけど・・・」

横を通った時車窓から見えたのは・・

「ああ~!大和だ」
「さすがは呉。イルミネーションに大和とは」

運転手さんは

「零戦もあるんですよ。
でもね、昨日乗せたお客さんが『あれは零戦違う』てね。
なんか別の飛行機やいいましたよ。
あれはなんてゆうてたかな・・・し・・・とかせ・・・とか」

そのときちらっと緑色の飛行機型のイルミネーションが見え、
わたしたちは

「零戦でいいんじゃないですかー」

と適当なことを言っていたのですが、そのあと車がどうみても

空母

に見えるイルミネーションの横を通った時、それまでのいい加減さをかなぐり捨て、

「空母だ!」
「あ、飛行機が飛び立ってる!」
「何?あの空母、何?」
「赤城じゃないと思う」←

と盛り上がり、わたしは、

「じゃわたし、ホテルからこの後歩いて確かめにきます!」

と相手に宣言したのでした。
で、そのあと、カメラを片手に寒空を歩いて撮りに行きましたよ、写真。
冒頭写真がその「しとかせとかの飛行機」なのですが、

これ、イルミネーションで何か分かる方いますか?

そう、紫電改なんですね。
「し」というおばちゃんの記憶はそこだけは確かだったということです。



こんなものをイルミネーションにするのは呉を置いて他にあるまい。

ところでなんで紫電改だったんでしょうか。
紫電改というのはご存知のように川西航空機の製造で、
工場は呉とは関係無い兵庫県西宮市にありましたし、
今は以前ほどではないとはいえ零戦ブームみたいなものですから、
零戦を作るのが王道といえば王道だったと思うのですが。

呉と紫電改の関係、と強いて言うのなら、これを使っていた
源田実司令の343航空隊が、呉の空襲の時に邀撃に出て、
隊長の鴛渕孝大尉と、先日NHKでもドラマ「撃墜 三人のパイロット」
で主人公だった武藤金義少尉が戦死している、ってところでしょうか。

なんか無理があるなー。

二人の竟の地は呉ではなく豊後水道付近だったわけだし。



まあ、大和、赤城ときたらあとは戦闘機を作りたかったんだな。
そう思うことにしました。



で、問題の空母。

これはもしかしたらこのイルミネーションでわかってしまうという
信じられない能力を持った人もいるのかもしれませんが、
正解は

航空母艦赤城

でした。



ちゃんと写真まで載せた説明がなされてます。
呉海軍工廠で建造進水しているので、これはわかる。

呉は海軍を語らずして語れませんからね、
この下には海軍工廠の説明があります。

1889年、呉鎮守府創設と同時に造船部が設置される。
当初造船は神戸にあった造船所に頼っていたが、
徐々に呉での設備を拡充。
1903年に日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生。
その後は東洋一と言われるまでに設備を充実させた。

工員の総数は他の三工廠、横須賀、佐世保、舞鶴の合計を
超えるほどで、ドイツのクルップと比肩しうる世界の
二大兵器工場であった。
戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、
日本海軍艦艇建造の中心となった。



車窓から見た発艦する飛行機の図。
イルミネーションなので本当に飛び立っているようです。
いいなあこういうの。



なぞの部分。
これなんのつもりですかね。



砲座も極限までデフォルメされているものの、ちゃんとそれとわかります。
このイルミネーションのポイントは「青色LED」でしょうやっぱり。



艦載機も丁寧に作られています。
さすがは呉。こういうところに手を抜きません。
この製作は呉の商工会議所が中心になっているようですが、
きっと楽しんで企画したんだろうなと思います。



甲板部分横から。
艦載機は飛び立っているのも含め4機います。

ちなみに「赤城」の説明もあり、

1920年12月巡洋戦艦「赤城」としてくれ海軍工廠において起工
1925年4月進水
1927年航空母艦として竣工
1942年6月ミッドウェー海戦にて大破、駆逐艦の雷撃により処分
同9月25日除籍

と淡々と艦歴が記されています。


さて、他にもクリスマスのとか平清盛とかのイルミネーションもありましたが
興味がないので写真も撮らずにホテルに帰ってくると、
「海軍さんのコーヒー」やら「海軍カレー」やらが売っているロビーの、
エレベーターの横に、



なんと当ホテル調理スタッフ作成による戦艦「大和」が!

まさか、まさかとは思うけど製菓担当がケーキを作るノリで?



素材は・・・マジパン(製菓材料)ではないよね?
しかしこれもよくできてるなあ。
さすがは呉、海軍お膝元のホテル。

そういえば昔「海軍士官コスプレ企画」をやっていたのもココでした。



キャプスタンと錨鎖みたいなものも見えます。
菊の御紋は少し手抜きかな。



主砲が・・・主砲が折れている!
そして主砲上部にあったらしい砲座も紛失した模様。



後方の4,6ミリ砲は無残にも全滅。
誰だ大和の主砲を折ったやつは。



ところでこの写真は、呉大和ミュージアムにある、
産業遺産にも指定された10分の1大和なわけですが、これをよく見てから



こちらをご覧ください。
頑張ってるよね、呉阪急ホテル製菓部スタッフ。

イルミネーションといい、戦艦をお菓子作りのスタッフが作って
ロビーに飾ってあることといい、今さならがら

「他の町ではあり得ない」

と驚いてしまいますが、そういえばタクシーの運転手さんも
イルミネーションの説明をしながら言ってましたっけ。


「呉はほら、海軍さんあっての街だったからね」




 



 


「雪風」進水!

2014-12-05 | つれづれなるままに


とある当ブログ読者の方に、東京模型ショーの入場券を、
例によって名前を明かさずにアドレスだけで物をやり取りできる 
便利な宅配を使って差し上げたことがあります。

今までのやり取りから模型がお好きなのだろうと思い、
それまで裏米でのお付き合いで知っていたメールアドレス宛に
送らせていただいたのですが、そのお礼に、なんと

組み立て前の模型が

送られてきたのです。
東京模型ショーで「たまごヒコーキ」シリーズに萌えまくり、
これが欲しいとお星さまにお願いしたところ、たまたま近くに
模型を作れるお星さまがいたので作っていただけることになった、

ということを模型ショー体験記に書いたら、ちびつながりで
こちらの方は「雪風」を下さったというわけです。



そしてある日我が家に届いた宅配便。
何も考えずにびりりと包装を破ってから気がつきました。
それが「要冷蔵」であることに。

宅配便は冷蔵扱いで配送されていなかったので、

「これはネタとして扱え、とそういう意味であるな」

と送り手の意図を鋭く察知したエリス中尉、カメラを持ってきて
その破いた包装の状態から記録することにしました。
「中山道宿本舗」が一体なんの会社であるかまでは
面倒なので調べませんでしたが、何しろこれも大事なネタです。



要冷蔵の包み紙の下からは、畏れ多くも軍艦旗が!
思わず台所の隅で冷凍庫の上に置かれたその物体に対し
威儀を正し海軍式敬礼をするエリス中尉。

というのは嘘ですが、心の中で敬意を表しつつ、
ついでに

「ネタのためにここまでやるか」

と心底呆れながら、中身を取り出したのでした。



ちび丸艦隊シリーズはフジミ模型というやはり静岡の会社が発売していて、

「大和」「金剛」「赤城」「榛名」「霧島」「武蔵」


という、超有名どころの種類があります。
(今見たら大和は売り切れてました)

ところで、模型の会社がどうして静岡に集中しているのかというと、

その理由らしきことを、先日模型ファンから伺いました。
模型会社というのは、大抵が学校教材の製作会社から出発していて、
今のような素材がなかった時代は、木を使っていたというのです。

静岡といえば、ヤマハ、カワイなどのピアノメーカーが、
ことごとく浜松にあるわけは、浜松が

「比較的木を扱うのに適した気候」

ということもありますが、なんといってもヤマハの創立者、
山葉寅楠が会社を構えたのがここだったという理由が大です。

カワイの創立者河合小市は11歳でヤマハの技術者だった人(!)
ですから、会社をその近所に作ったわけですしね。
ちなみに、戦時中、ヤマハもカワイも、ご時世柄ピアノを作れず、
その間木製のプロペラなんかを作っていた時期があって、わたしは
「河合」と名前の入った軍用機プロペラの写真を見たことがあります。


もひとつついでに、ヤマハの歴史のコピペを貼っておくと、

ヤマハの歴史 
・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る 
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る 
・DSPを他に利用しようとして→ルータ作る 
という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。 

発動機・家具製造の歴史

・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る 
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」
といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る 

・エンジン作ったから→バイクも作る 
・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る 
・FRPを利用して→ウォータスライダー→ついでにプールも作る

つまりこのような会社がひしめき合う浜松には木材が集まる

→小さな木材を使う教材制作会社は便利→そこで営業しているうち
模型が専門になる→教材をやめても会社はそのまま←イマココ

という理由なのだろうと思われます。
多分間違ってないと思いますが、違ってたら誰か訂正してください。

さて、届いた「ちび丸艦隊_雪風」ですが、蓋を開け中を見て、
瞬時にわたしには自分がこれを作る技術も時間も根気もないということを
悟ってしまったのです。
あまりにも絶望したせいで、部品の写真を撮るのを忘れましたが、
今ネタのためにも撮っておけばよかったと激しく後悔しています。

「もしかしたらこれは何かの嫌がらせだろうか」

お礼にもらっておいて、(しかも今改めて値段を見たら結構高い)
この言い草はなんだ、と思われそうですが、そのとき
脳裏をかすめたのがこんな考えでした。


ところで「たまごヒコーキ」を作ってもらえることになった方から
ちょうどそんな時に連絡が入りました。

「たまごヒコーキと普通のバージョンのブラックバードできました」



というわけでうちに嫁入りしてきたブラックバーズ。
たまごヒコーキの方はピトー管ありません(笑)

ピアノの黒の上に置くと、あんまりブラックバードの黒が映えませんね。どうも。



部隊マークや機体ナンバーは実在したものでしょうか。



ついでにこのとき遊びに来ていた、こちらはブラックキャット。

ところで、このブラックバードのやり取りをしている時に、
「ピコーン」と閃いた考えがありました。

「ついでに『雪風』も作って貰えばいいのではないか」

たかだかこんな小さな模型くらい、比較的器用なわたしにできないはずはない。
作ってみれば案外簡単かも?しかも失敗
したらしたでブログネタにもなるし。

という考えもあったのですが、面倒臭さがチャレンジ精神を凌駕しました。
その依頼を快く引き受けてくださった件の「お星様」は、
制作の途中経過として、

 

「あなどれません」

というメールを送ってきました。
それによると

「このフジミというメーカーはタミヤやハセガワに比べると、

パーツの合いが甘いのですが、ちび丸艦隊はなかなかしっかりしています。
デフォルメで武装や電探(レーダー)が強調されていて、
これらのパーツはもっと大きなスケールのキットよりメリハリがあり、
面白いキットです。侮れません。」

それはともかく、わたしはこの説明書に書いてあることを読んで

「自分でやろうなんて早まった考えを起こさなくてよかった」

と胸をなでおろしたのです。

「説明書の番号の部品をニッパーで丁寧に切り取ります」

こんな小さなニッパーなんてわたし持ってませんし。
さらには

「海面に苦労しています」

ということでした。
一応海面模型にもなるので、海面を作って下さろうとしたようです。



ちなみにこんな感じですね。
力作だ~!
思わずボートの中で中腰になっている要救助者もいいですが、
それよりこの湖面のような海面に立つ白い航跡がいいですわー。
こんな海面を作ってくれるのかな?
わくわく。



そして、製造元からは完成した「雪風」と製造元所有の「大和」を並べて
「最後の出撃!」と遊んでいる様子が送られてきました。
ちょっとアスペクト比がおかしいですが、実際の対比も
1キロくらい離れればこれくらいになったのではないかと思われます。
 


というわけで、「雪風」が届きました。
思わず白黒にしてしまったのですが、どうやら製造元では
海面の出来上がりに満足がいかず、妥協を許さない職人気質は
そういうものを人に渡すわけにいかん!ということで、
プラスチックの海面板を送ることにしたようでした。



画像をソフトで加工してみました。



他に海面らしいものはなにかないかと探したところ、「MIKIMOTO」の
ブルーの紙箱が
色といい波といい、ちょっといい感じだったので使ってみました。
ブラーで海面をぼかしたのが冒頭画像です。



ここでふと「水に浮かべられる!」というのを思い出し
ガラスボウルに水を張って浮かべてみました。
よく考えたらこれがこの「雪風」にとっての進水式です。
進水方法は海面に直接進水する「投げ込み式」です。

まっすぐ進まないのでよく見たらなんだか右舷側に傾いております。


 

よくよく見たら、ちゃんとパーツがはまっていませんでした。
それでも全く問題なく浮いているのでバランスとか大したものだと思いました。

武蔵だって進水式の時は最終的には左に触れましたよねー。(←覚えたての知識)

 

しばらく見ていたらだんだん沈んできたのでやめました。
「雪風」は決して沈まず。



他に何かないかと思って部屋を見回したら、昔息子が宿題で
ジオラマを作ることになったとき、その「予行演習」として
買ってきたジオラマキットがあったので、無理やり
川を航行させてみました。

川の真ん中に大きな岩があって、座礁しているところです。



ここまでやって来れたのが奇跡。
「雪風」が船頭多くて山に登るを体現しているの図。

ところで、この「雪風」のとき、わたしは厚かましくも、
別口でもらっていたけどどうしたらいいのかわからない
飛行機の模型がもう一点あったのを思い出し、これも
また託して作っていただいたのでした。



それがこれ。
滑走路がなく、道路に不時着したところです。

複葉機で「報国号」と機体にあることから、
戦時中の寄付で作られた飛行機であることだけわかりましたが、
これがなんであるかは作った方もわからないとのことでした。
ちなみに二枚羽は前後に少しずれている仕様です。

海軍機か陸軍機かもわかりません。

これ、なんだかご存知の方おられますか?



今から不時着するというこの飛行機が、山の頂上に
機体をこすりながら突っ込んでいく様子。

これ、「あゝ陸軍隼戦闘隊」の特撮よりはいい線いってないか?




なぜ墜落させたし。

というわけで、散々楽しませていただきました。
関係者の皆様、本当に有難うございました。
模型の世界って楽しいですね!

自分自身は何一つ作らずにこんなことを言うのもなんですが。

 


エリス中尉、パープルハート勲章を授かる

2014-03-29 | つれづれなるままに

ちょっと息抜きの雑談です。
息抜きの雑談ついでにお礼を言うというのも失礼な話なんですが、
このエントリは読者の皆様へのお礼も兼ねております。

先日 負傷、もとい不肖エリス中尉が落馬して手首を骨折した際には、
常連の皆様には暖かいお見舞い、激励のコメントないし裏米(越前屋御主も悪よのう、ではない)
をいただき、まことにありがとうございました。

人の世の、うたかたもうたかた、所詮インターネッツの世界に仮の姿で
あれこれと愚にもつかぬエントリをほぼ毎日書き散らし続けているだけの存在に対し
このようにお気にかけていただけるとは、まことひとの情けが身に沁みまする。

というわけで、その読者のお一人でおられるある方から、エリス中尉、
このたび名誉の負傷に対してパープルハート勲章を叙勲せられたのであります。

当方に叙勲するからには相手はやんごとなき身分のお方であらせられると拝察しますが、
冒頭写真のいただいた勲章に刻印されたその神々しいお姿は、

・・・・・・ん?どこかで見たことあるぞ、と思った当ブログ読者の方、あなたは正しい。






しかも、この勲章は「海軍軍人」に対して授与されたものなので、ちゃんと錨のマークが。
これ、拡大してますが凄い小さいんですよ。
ちゃんと糸で縫い付けたのは彼の奥さん、じゃなくて皇后陛下でしょうか。

しかも勲章だけでなく、一緒に副賞として



ピアノを象ったのとかハートとか、



ペコちゃんのチョコとか、送っていただきました。
本当にありがとうございます。
この場をお借りしてお礼を申し述べさせていただく次第です。


ところで、わざわざこのこのやり取りをエントリにしたのにはわけがあります。
わたしは今回、お互いアドレスさえ分かっていればこのように
ものを送ったりできるサービスがあることを知り、心から驚いたのでした。

つまり、このブログを通じて知り合った方と、本名を知らせずに、たとえば、
「エリス中尉」「婆沙羅大将」のままでやりとりができるってことなんですよ。


メルアド宅配便



つまり、こういうことです。
「婆沙羅大将」が業者にインターネットで宅配を申し込む。
そのときに、婆沙羅大将は自分の住所と本名を登録する。
インターネット宅配業者が、エリス中尉のメールに連絡をしてくる。

「婆沙羅大将から品物が送られますが、受け取りますか?」

はい、と返事をしたら、業者に自分の住所、名前を教える。
業者はあくまでも婆沙羅大将から、ということで荷物を預かり、
エリス中尉を名乗る人間の住所に配達をする。

そんなことをしてくれる業者があるというのです。
お互いの名前を隠し合った状態でもののやり取りをする、というのは
一昔前では考えられなかったことなのですが、今ではインターネット上の名無し同士で
現実的なもののやり取りを行うというような場面も多く、このような需要が生まれ、
それに答える業者も出て来たということなのでしょう。

「HNファビアン三世こと山田恒男と申します」というような種明かしをせず、
ファビアン三世のまま相手に深紅の薔薇を贈るということが(どんなシチュエーションだ)
可能になったというわけですね。

何気にこれは人類が初めて得た通信の形で、わたしたちはその画期的な
歴史の転換点を見ることになった記念すべき世代といえるのではないかしら。

仮面舞踏会とか匿名の手紙とか、そういう限られた、あるいは一方向の匿名性ではなく
今や皆が普通に「本当の自分の名を名乗らずに生きる世界」に生きることができる時代です。
そのバーチャルな社会は実社会とは別に、しかしながら微妙に重なりながら存在し、
そこに仮の名を持つうたかたの存在同士が会話し、楽しみ、ときには憎み合ったりしているのです。

そこに生じているのは現実社会と全く同じ数だけの仮想の関係です。







ところで話は変わります。
怪我した当初は車の運転もできなかったのですが、先日久しぶりに運転することになりました。
注文していた新しい車が到着したのです。

これが・・・・・賢い。





初乗りの日、運転席から写真を撮ってみました。




これ、今度の車に搭載されているヘッドアップディスプレイです。
平常左の速度表示だけなのですが、このときはナビゲーションを試しています。
運転席左のパネルには地図が出ていますが、このように窓ガラスにも道順が映るのです。

このときは家族を乗せて走ったのですが

「すごーい」「かしこーい」「頭いい~!」

皆の口から出てくる言葉は順番にこればかり。

だって、たとえばハンドルについているボタンをピッと押して

「電話をします」

と言えば

「誰に電話をしますか」

相手の名前を言えば、Bluetoothでベアリングした電話をかけてくれ、
全く運転を中断することなく会話ができます。
相手の音声は室内のスピーカーから流れ、音楽を聴いていれば
その音はしばしストップして通話を妨げないというのもすごい。
去年の冬、外で待っている息子に電話をしていて見張っていた警官に捕まり、
罰金を取られましたが、もうこんな悲劇とはお別れです。


まあ要するに車がコンピュータを搭載することができるようになったので、
パソコンでできることは車で何でもできるようになったというわけですね。

駐車するときはノーマルなリアビュー、つまり後ろの映像と切り替えて、
車を真上から見た画像(タイヤの上のカメラで撮った画像を合成してある)で障害物を検知できます。
変なところに思わぬ障害物のある某タイムズパーキングで、左車体をこする悲劇とはもうお別れです。

インテリジェントキーで鍵を出さなくてもエンジンがかかる仕様はもちろんのこと、
今までと違い鍵をバッグから出さずしてただドアに手をかけるだけで鍵が開き、
指で取っ手にちょんと触れればロックしてしまいます。
車から出るたびにいちいちバッグの中をかき回す面倒とはもうお別れです。




前の車を購入してから5年が経ちますが、この5年で、車の世界は
やはりコンピュータが人々の生活に普通に入り込んで来たのと同じく、
当たり前のようにコンピュータで全てが指示できるようになっていました。

「この5年は『走る停まる』以外の車のシステムが激変しました」

ディーラーのナカガワさんは言っていましたが、
中でもそれをひしひしと感じたのは、オートクルーズとセンサー機能です。

今までのオートクルーズは、夏にアメリカで乗ったメルセデスもそうでしたが、
一定のスピードを継続して出してくれるだけで、ブレーキを踏めばそのつど解除されるし、
問題は遅い車にすぐ追いついてしまうことで、前との車間距離をいつも注意しなくてはいけません。
よって渋滞の多い都市部の高速でこれを使うことはまずありませんでした。

しかし、今度のオートクルーズ機能は、前を走行している車をセンサーで感知し、
たとえば90キロで走っていても、70キロで走る前の車に追近づくと
前との距離を詰めないようにスピードを落とし、速度をぴったり70キロに落とします。
渋滞でうっかり前の車に追突してしまう、などという悲劇とはもうお別れです。
さすがにわたしもこれはやったことないですけど。




先日岡山で車に乗せていただいた会社社長は、実に慎重な運転をする方でしたが、
車間距離の空け方は、まるで最新式のセンサーでも搭載しているかのように広めでした。
(全国的にその業界では有名な会社の社長ですが車は10年落ちのホンダでした)
しかも、新車の機能に着いているリミッターでも使っているかのように、
どんな空いた道路でも90キロ以上は決して出しません。
その方に我が新車のオートクルーズ機能について話したところ、

「いや、たとえ車がなんでもやってくれたとしても過信しちゃいけません。
いきなりその機能が効かなくならないという保証はどこにもありませんよ」


たしかにクルーズ機能についてはわたしも心のどこかではそういう不安があるので、
いつも前方を凝視し、右足はブレーキの上に待機させている状態で走っています。

逆に自分で運転するよりもさらに注意深く慎重になっているのです。


さらに、わたしの車は声をかければこまめに返事はしますが、
少し自分のデータに無いことを聞かれると

「それをWikipediaでお調べしますか?」

挙げ句の果てには

「おっしゃることがわかりません」

と逃げられます(笑)
どんなにぼーっとした人でも、言葉が通じる人間なら理解できるような簡単なことなんですが。



実際の世界とバーチャルの世界が重なったり離れたりしながら存在し、
そのどちらもに自分が存在することがもはや当たり前のようになってしまった世界。
しかし、今のところ、コンピュータにできることにははっきりと限界がありますし、
その機能に全幅の信頼を置くことも憚られます。


ところで先ほどの話に戻りますが、くだんのパープルハート勲章は、
わたしにとってインターネットの中だけに存在する相手から、
エリス中尉というわたしのアバターに向けて送られてきました。

しかし今までバーチャル世界上で交流してきた実在の人物からのプレゼントである、
という前提あらばこそわたしはこれを安心して受け取ることができたのです。

バーチャルを泳ぐ存在もつまりは個々の実在の人間であり、だから我々は
その文章からその人間性を確かめ、好意を持ち、心を許すのです。
実際の世界で会話や行動からそれを計ろうとするのと全く同じように。


信じられないようで信じられるインターネット上のバーチャルな関係。
信じられるようで信じられないコンピュータ主導の世界。
逆もまた真なり、でしょうか。









 


雪の日の退院と怪我人ファッション

2014-02-21 | つれづれなるままに

皆様の地域では雪はいかがでしたでしょうか。

退院して来た日、わたしの住む地域は大雪になりました。
金・土と降り続ける雪を部屋から眺めていましたが、不思議なもので、
都会の大雪というのは大変大変と口では言いながらも、どこか子供の頃のような
ワクワクする気持ちが沸き起こってくるものです。

いつもとは全く違う、まるでスキー場の宿から見るような外の景色に、
「一年に一度くらいならこの景色と引き換えに不便を耐え忍ぶのも悪くない」
などと、豪雪地帯の住人が聴いたらさぞ気を悪くしそうな考えも浮かんだりします。

しかしながら、今回の雪はわたしにとって痛恨の一撃ともいえる骨折への言わば追い打ちで、
おかげで大変重要なイベントを二つ逃すことになったのでした。

まず日曜日、つまり2月17日ですが、この日に

海上自衛隊東京音楽隊定期演奏会

が新宿で行なわれ、これにわたしはご招待をいただいていて、
聴きに行くのをそれはそれは楽しみにしていたのです。

何としてでもこの演奏会に行かねばならなかったそのわけとは、
音楽隊長である河邉一彦二等海佐が、 新曲を発表すると共に、この日の演奏をもって
自衛隊を退官されるという重要なコンサートであったからでした。

ゆえに、たとえギプスを装着していても、家からタクシーに乗ってでも、
何としてでも駆けつける意気でいたのですが・・・・この雪です。

当日はすっかり雪は止み、空はまるで河邉隊長の今後を祝福するかのように快晴でしたが、
いかんせん一歩外に出れば道路はガチンコに固まっていてギプスをした腕をかばいながら
歩くことはさすがのわたしも躊躇われました。

しかしコンサートホールにたどり着いたら今度はホールの階段という難関が待ち構えている。

かの佐村河内さんは杖を付きサングラスをかけてホールの階段をを鮮やかに降りていましたが、
あのコンサートホールの階段というのはどこのでも大抵急で、ハイヒールだと怖いくらい。
杖をついた人があんなにさっさかと降りられるわけがないのですが、まあその話はさておき。


そして二つ目は本日武道館で行なわれるエリッククラプトン来日公演。
ギプスも外れているので、こっちは何とか行けるかと思ったのですが、
一人で行くつもりをしていたので、付き添いを連れて行くこともできません。

「骨折して手術をした人が武道館のロックコンサートなんてとんでもない」

とTOには一蹴されてチケットを取り上げられてしまいました。
たしかにコンサートホール以上に武道館の階段は怖い。

「絶対に転んだりしないでくださいね」

先生に言われるまでもなく、そうなったときはわたしの音楽人生、ブロガー人生、
乗馬人生、ついでに益体もないその他色々な人生が終わります。
何としても転ぶわけにはいきません。

しかし馬から落ちたのも不可抗力だったように、どんなに注意をしていても
事故というのは起こるときには起こる。
つまりこれはどう考えても無理ゲーというやつです。

河邉二佐の現役最後の公演。
そしてクラプトンも日本に来るのは今回が最後になるだろうと言われており、
そのどちらをも聴きのがしたのが今回の事故でもっとも悔しく悲しかったことでした。

(本人)

さて、前回「窓から覗かれていたら怖いと思う女性の髪型の一例」として
この写真を挙げたわけですが、月曜日の再診のあと、
ヘアサロンに立寄り、カットとシャンプー、ヘッドスパをしてきました。
やっとなんというか「人間らしい」気分になりました。

何しろ、事故発生以降、それどころではなかったとはいえわたしの風体は酷いもので、
ろくにブロウしていないザンバラ髪をまとめもせずに振り乱していたのでございます。
 女性の皆様のためにお教えしておくと、片手が使えなくて地味に困ることは

「髪の毛をまとめることができない」

ってことです。
バレッタやピン、ゴムで留めることすらできないって知ってました?
おかげでこんな貞子さんヘアーに病院では時節柄着用必須のマスク、手には包帯。
不審人物過ぎる。
まだ曇りの日でサングラスが必要なかったのが幸いだったといえましょう。
着ている服だって、セレクトするもしないも、

●袖がギプスを通す程度に太い
●前が空いている
●自分で脱ぎ着できる

この条件を満たすものがこれしかなかったというだけのこと。
このカーディガンに去年買ったエトロのマフラーを合わせてみたら、
同じピスタチオグリーンの織り糸がぴったりマッチすることがわかったのは
嬉しい収穫と言えましたが。

明けて月曜、再診に出かけることになってクローゼットを開けたら、あらうれしや、

落ち着いて探せば、七分の筒袖のシャネルのセーターなどというアイテムが見つかりました。
診察のときにまくり上げる必要もなく、これに大判のスカーフの端を結び、

三角巾がわりにして腕ごと包帯を人の目から隠し、
さらに上からバーバリーのケープタイプのマントを羽織れば完璧。

怪我しているのに病院に行く服装にお洒落をするなんて、と思われた方、
そういうときだからこそまともな外見を整えるだけでかなり気分はよくなるものだと、
わたしは今回あらためて認識したような気がします。

たとえ男性の方でもおそらく同じだと思うんですけどいかがなものでしょうか。

(この部分ファッションタグ)



さて、手術は3時に終わり、部屋で夜を過ごしました。
iPhoneでHULUを観たり、ネットを見たり。

一昔前の入院なら本が読めない今回の入院はただ苦痛を耐えるだけの
不毛で無為なものとなったに違いありませんが、いい時代になったものです。



ただ、こういう袋に腕を入れて、ずっと腕を吊られているのがつらかったです。

麻酔が切れてくると同時にビリビリした痺れ、それに続く鈍痛。
見てもお分かりのように、指がパンパンに腫れています。
おまけに肘が回転しないようにがっつりとギプス固定され、
そのギプスの端が肉に食い込んで痛い・・・。


しかし。

手術中も考えていたことですが、麻酔もないのに手術を受けなくてはいけなかったり

そもそも手当も受けられず苦痛に耐えつつ亡くなっていった旧日本軍の将兵のことを思えば、
これしきの痛みでへこたれていては罰が当たる。

レイテのブラウエン挺進について調べ、彼らのカンキポットでの篭城における

壮烈な最後について知ったばかリだったので、どうしても考えはそちらにいってしまいます。

最先端の高度な治療を安全で清潔な環境で受けられるという、
いわば「平和の恩恵」を被ることのありがたさ。
それを思うだけで痛みはどこかに行ってしまったような気がしました。


と無理矢理ブログテーマに絡めたところで続く。


次回更新は明日、丹波哲郎主演の映画「パレンバン奇襲作戦」を取り上げます。

 


入院していた病室を公開する。

2014-02-19 | つれづれなるままに

 

昨日手術後の初検診でギプスを外しました。

その間何人もの読者の方々からお見舞いと激励のコメントをいただき、
励まされたり勇気づけられたりするにつけ、mizukiさんのおっしゃったように
怪我したのが「頭でも、首でも、背骨や骨盤でも」なかったことに
今更ながら我が身の幸運を信じる次第です。

このエントリは、軽い打鍵ならなんとか出来るようになった右手指で
同時にキイを押さえることができるようになったため、
「行間が空いてしまう問題」だけは回避しつつ打っていますが、
いかんせん仕事率は当社比で従来の5分の1になってしまっているため、
今までのように毎日更新することは当分無理でしょう。

三月に当ブログ的には最大級ともいえる大事な自衛隊イベントがあり、
その参加において取りあえず写真を撮るまでに復帰することが目標なので、
無茶をせず養生したいと思っています。

この場をお借りして、お見舞い下さった皆様方にお礼を申し上げる次第です。

ありがとうございました。
 

 


さて、メールでやり取りしている読者の方に、

「負傷しています、と言いながら大して普段と変わらぬように見えるブログ運営・・・
どこまで得体が知れないんだこの上官」

と畏れおののかれてしまったエリス中尉でございます。

右手首骨折して入院手術したばかりの状態でも
その辺の更新しない人よりはずっとこまめに更新しているというこの事実。
詐病を装って同情を買っていると思われても仕方がありますまい。

まあ、音楽家の詐病というと、今流行の話題だったりするわけですが、
わたしがここで詐病を装っても何の得にもなりませんし、
せいぜい毎日の更新締め切りに追われることも無く、家事も放棄して

「銃殺 226」「愛機南に飛ぶ」「海軍」「あゝ零戦」「白痴」(黒沢)
「水兵さん」「南海の花束」「今日も我大空にあり」「12人の優しい日本人」
「あゝ海軍」「間諜未だ死せず」「SEX&ザ・シティ」(テレビ3シリーズ全部)
「プリンセスダイアリー1&2」「 君こそ次の荒鷲だ」「ブラックホークダウン」

これだけを中断せずに全て鑑賞することができたというのが、
メリットといえばメリットでしたでしょうか。 

というかこうして見ると無茶苦茶なラインアップですな。 


さて、手術で入院した日、たまたまデジカメをバッグに入れていたため、

病室の写真を撮ってきました。

決してブログに載せようとかそういうことを考えていたわけではありません。
あくまでもそこにカメラがあったから撮ってみただけです。

 

わたしたちの第一声。

「広ーい」
「すごいね、応接セットと日本製()テレビがある」 

「キッチンと冷蔵庫も・・・冷蔵庫何か入ってる?」
「ホテルじゃないんだからホテルじゃ」

「お風呂まであるよ!」
「品川プリンスのツインの3倍は広いな」
「しかしただの個室にしては豪華だね」

するとナースさんが

「ここは特別室です」

紹介者のご威光と担当医がここの院長代理であることから、
病院側が気を利かせてアップグレード
(?)してくれたのかと思ったら

「今日はここしか空いていなかったんです」

わーい、ラッキー!・・・っていうのも何か違うな。
ここに泊まってる時点で十分アンラッキーってことだし。

本来特別室にお入りになるべき万俵家の一族などと違って我が家の付き添いは一人。
見舞いは息子だけ。
無駄に広い部屋ベッドにたった一人。

だいたい病院に寝るのがただでさえ怖いのに、広すぎるのは困るんだよ。

しかも、二面もある窓のカーテンが、一つレールから端が外れていて、
夜になって閉めても20センチくらい空いたままなの。
家でも怖いのに、病室でこれは怖い。怖過ぎる。 

(本人)

ふと窓を見るとこんな髪の毛の人が外から覗いていたら、
(ここはちなみに8階)もうわたしそれだけで泣く自信ある。


というわけで恐がりのわたし、結局枕灯を点けたまま寝たわけですが(笑)
「万が一何か見たら話のネタに・・」という下心から枕元にカメラを置いておいたので、
その浅ましいブロガー根性に幽霊も呆れて、出るものも出なかったのではないか。
という気がしないでもありません。


 続く。

 


右橈骨遠位端骨折の手術

2014-02-15 | つれづれなるままに

レントゲン写真を晒すなんて恥ずかしいのですが、

お約束しましたので手術前の状態を公開します。

右橈骨遠位端単純骨折で、プレートを埋めました。

不幸中の幸いは単純骨折で破片がめり込んだりしていなかったことでした。

 

M24さんのコメント通り、ヘラのような形をしたロッキングプレートを

骨のカーブに添って固定しネジで数カ所留める手術を受けることになりました。

術前、ヨードでの消毒を見ようと目を開けたら

「目に入ったら大変ですのでつぶっていて下さい」と注意され、

顔の右側にブロッキング麻酔手術のとき専用らしい衝立てを置かれました。

左にシャウカステンのような画像板があり、刻々と右腕の骨に起こっていることを

リアルタイムで見ることが出来ます。

ただ、麻酔が効いている右腕の肩から先は、感覚としては、

まるで肘を曲げて指先で肩に触れているような感じしかしません。

確かに指があるという感じはするんだけど・・。

こういうのも幻肢というのかしら。

医者の指示でiPhoneの音楽をイヤフォンで聴いていたので、

どんなことをしているのか詳細には聴き取れませんでしたが、

無影燈にちゃんと伸ばした腕と術野が小さく映っていたのでそれを見ていました。

こんな機会でもないと自分の腕を開けたところなど見る機会はありませんからね。


「気分はどうですか」

ナースに聞かれたときにはぐいぐい腕を肩に向かって押されているような感覚があり、

「変なんですけど、なんだか腕全体を肩ごと押されているような気がします」

というと先生が

「押してます、今押してます。変じゃありませんよ」

先生、何してたんだろう・・・・。


左の画像にいつのまにかがっつりネジが留められ、骨が串刺しになったのが見え、

「これだけ金属が入っていたら自衛隊イベントと空港の金属検知器は・・」

とつい心配になりました。

再手術でチタンを取り出すのは半年後です。


取りあえず手術は成功し、神経の損傷も全くないと太鼓判を押していただきました。

ただ、リハビリは慎重に、決して腕を急激に捻らないこと、とのこと。

ピアノを弾くのは勿論、タイピング動作も御法度です。

エントリ製作できない間、本も読めないので、HULUと今までに買い貯めたDVDを見て、

せいぜい再開に備えて知識を貯えておきます。

左手一本ならタイプも可能なので、現状報告くらいならできそうです。

時間もかかるし実に不本意ではありますが・・。

(おまけに両手が使えず行が詰められないので、

まるで『行間空ける系ブログ』みたいになっていて我ながらキモい)

 

次回書き溜めていたエントリからのアップは明後日、

テーマはパレンバンの次のブラウエン挺進です。


どうか


お楽しみに

 

お待ち下さい

 

 


明日は手術です

2014-02-12 | つれづれなるままに

読者の皆様方へ

乗馬クラブオーナーの運転で自宅まで帰って来て、

生まれて初めて119にコールし、自分でも初めて救急車に乗ったエリス中尉です。

救急隊員に状況を聞かれたものの、全くそのときの記憶がないのに愕然としていたら

同行してくれたオーナーが代わって説明してくれました。

「ヘイリー(そのときのコーチ)が言ってたんですか」と聞くと、

なんと馬場まで乗り入れた車に自力で乗り込んだわたし自身がしゃべっていたとのこと。

こわい。

人間の脳っていざとなると痛みとか恐怖をすっぽりそこだけ排除してしまうんですね。


次の日レントゲンで要手術かどうか判断していただき、侍医、じゃなくって主治医に

「手の外」専門医、つまり音楽家の手の外科手術をおやりになる先生をご紹介いただきました。

これでピアノが弾けなくなるのは当方ちと、ではなくかなり困りますので。

最近話題の偽作曲家みたいに障害を売り物にする方も世の中にはおられますが、

(わたしは今回騒動になって初めて知りました。テレビで見ていたら大笑いしていたでしょう。

ゴーストライター以前に、いかにもNHKのやりそうな感動お涙頂戴の胡散臭い番組じゃないですか) 

ピアノが弾けなくなるくらいは世間的には障害とは言えないし、

そもそもピアノがはなから弾けない作曲家はわたしの恩師始め結構いますしね。(ちょっと時事ネタ)


というわけでエリス中尉、外科手術で完璧に折れてスライドしてしまっている骨を元の位置に戻し、

切断部をチタンで留める手術を受けることになります。

これも生まれて初めての外科手術体験で今からワクワク、とまではさすがのわたしもいいませんが、

せめてブログネタくらいにはしてやろうと転んでもタダでは起きない構え。

転んでもっていうのが文字通り過ぎてシャレになってませんけど。

とか書いていたら早速コメント欄でmizukiさんに叱られました。


手術は明日です。

それでは皆様方、往ってきます。


♪ 讃えて送る一億の 歓呼は高く天を衝く 

いざ往け つはもの 日本だ~ん~じ~ ♪ (BGM 出征兵士を送る歌)

 

業務連絡:次回ブログ更新は2月14日、バレンタインデー記念として、

陸軍落下傘部隊のパレンバン降下作戦をテーマにお送りします。 

 


 


御礼ならびに事故ご報告少しだけ

2014-02-09 | つれづれなるままに

当ブログ読者の皆様方へお知らせ 続き

音声入力での書き込みをしております。

皆様に暖かいご心配のお言葉をいただき、決して修辞的表現ではなく涙にむせんでおります。

諜報部からの情報の錯綜により、先日の雪で転倒し、骨折に至ったと一部では伝えられているようですが、

腐ってもエリス中尉を名乗る身、

転んで骨折したことが年齢とともに新聞沙汰になるような日に

わざわざ好んでそのような危険な作戦を展開する愚は犯しません。

簡単に申しますと乗馬中の事故で、手綱なしの練習中、

馬が自然現象に驚き、立ち上がって暴れたそうです。

直後は気を失っていたせいで記憶がなく、後から聞いた話ですが。