PTボートを戦後有名にしたのは、映画「コレヒドール戦記」とともに
のちの米国大統領、ジョン・F・ケネディが船長をつとめ、さらにはその船が
日本の駆逐艦に撃沈されてなおかつ生きて帰ってきたということでしょう。
この一連の物語については以前お話ししましたので今回は割愛します。
PTボートについて各部の詳細が説明されていますので、
今日はこれについて紹介しておこうと思います。
1)40ミリボフォース
スウェーデンのボフォース社が開発した有名な対空銃撃システムです。
ここで見学した「マサチューセッツ」にも「ケネディ」にもあったように、
第二次世界大戦中における最も有名な銃の一つであり、現在でも
いくつかの国ではまだ使用されている名作です。
2)オリコン銃
オリコン20ミリ銃はブローニングよりもレンジが広く、
破壊力があるとして対空銃として重宝されました。
最終的にはボフォース40ミリに置き換えられましたが、
この驚くべき性能の武器は今日でも多くの海外の海軍で使用されています。
3)ブローニングM2重機関銃
現地の説明には『.50 Cal』(フィフティーキャル)とありました。
calはキャリバー、口径を意味します。
「1920年から2008年まで」(このボートができたのが2008年らしい)
戦車や装甲車、トラックやジープなどの車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、
対空用の背の高い三脚銃架、連装、または四連装の動力付き対空銃架、
艦船用対空銃架、軽量銃身型の航空機用固定機銃、航空機用旋回機銃架、
動力付き航空機用旋回機銃架など、様々な銃架に載せられ
陸・海・空軍を問わず広く配備されている銃です。
4)魚雷
PTボートの主流武器で、最も重量があります。
アメリカのPTボートは三種類の魚雷を搭載しましたが、それは
Mk8、Mk14、そしてのちにはMk13などでした。
5)37ミリ機関砲
墜落したPー39が搭載していたこの銃をPTボートに流用したのが始まりで、
より一層強力な火力が、日本の舟艇を攻撃するのに役立ちました。
終戦前には全てのPTボートに最初からこの銃が搭載されていました。
この写真の人はどうやら
「自分がこのアイデアを思いついたのに、
今は一部の作家(ペンシルプッシャー)がそれでお金を儲けている」
と言っているような・・。
ここんとこどうも翻訳に自信がないのでどなたかお分かりの方教えてください。
7)レーダー/IFF
PTボートのオペレーションは基本的に夜行われることが多く、
そのためレーダーが大きな役割を果たしました。
ターゲット追尾、ナビゲーション。
しかしながら、それは慎重に使用されなければ、敵のRDF
(ラジオディレクションファインダー、探知機)に探知される恐れがありました。
PTボートはさらにIFF(Identification Friend or Foe、敵味方認識)を搭載しており、
これで同士討ちを防ぐことにしていました。
(んが、前にも『フレンドリーファイア』について書いたように、実際には
同士討ちで戦没したPTボートは何隻かあったようです。合掌)
6)パッカード船舶エンジン
アメリカ軍のPTボートは、パッカードpdk4M−2500エンジンを搭載していました。
空冷式のガソリンパワーエンジンです。
パッカードは今は亡きアメリカの自動車製造会社です。
高級車の代名詞となったパッカード車は、日本でも皇室、華族の御用達になるほどで、
一時は一世を風靡しましたが、大恐慌の後凋落の一途を辿り、戦後消滅するに至りました。
戦争中は自動車業界が一斉に軍用エンジンを手がけたこともあり、パッカードも
大恐慌で体力が落ちていたところ、これ幸いと仕事を引き受けたのでしょう。
余談ですが、ソ連のヨシフ・スターリンがこのパッカードの大ファンだったため、
(繰り返しますが、ハリウッド俳優や富豪が好む高級車です)
ルーズベルト大統領は対枢軸国(つまり日独伊ですね)戦略上機嫌をとるために
大型パッカードのプレス型をソ連に売却させるということをしています。
このためソ連ではパッカードそっくりの高級車が生産されるようになったとか。
1945年:
さて。第二次世界大戦は終わりました。
生き残ったPTボートは全て破棄処分になってしまいました(T_T)
写真は海上で焼却されるPTボートの最後の姿です。
1960年:PTボーター、ジェームズ・ニューベリーがPTボート同期会を結成
のみならず、そのための会社を作ってしまう
幸い、元PTボート関係者の中に、財力と実行力があり、PTボートをこよなく愛する
ニューベリーのような人物がいたことで、歴史の片隅に忘れ去られようとしていた
PTボートのことが世間の注目を集めることになりました。
戦後の1946年、彼は海軍博物館を含む公式の海軍の情報源が、
PTボートに関する情報をほとんど保持していないことを憂えて、
その年のクリスマスにかつての仲間にクリスマスカードを出すところからはじめ、
PTボーターの組織を結成することから始めたということです。
今日わたしたちがほとんどかつてのままの姿のPTボートを見ることができるのも、
おそらくはこの人がいたからこそです。
1967年:マサチューセッツ出身のトーマス・ケリーさん(だれ?)が
ベトナム戦争でのガンボートでの戦闘を指揮したとかで叙勲される
かつてのPTボーター、若い時に乗り込んでいた経験を生かし、
ベトナム戦争では昔取った杵柄(違うかな)で類似のガンボートを指揮し、
その結果戦果をあげたということではないかと思われます。
1976年:ニューベリーの作ったPTボート社がヒギンズ型のPT796を修復
バトルシップコーブに展示される
1985年:PTボート社、今度はエルコ型のPT617を修復
このPTボート社というのが、先ほどのニューベリー氏の作った会社です。
調べてみたところ、この会社は未だに存在しており、非営利組織として、
PTボートの偉業を後世に伝える使命を持った人々によって運営されています。
2001年:同時多発テロ発生後、沿岸警備隊のパトロールボートが
重武装してアメリカ沿岸の警備に当たった
2003年:ナショナルジオグラフィックの撮影隊が、海底に沈んだ
PTボート109の撮影に成功
他ならぬJFKが艇長であったPTボートである
これは驚きました。
JFKが乗って『天霧』に沈められたPTボートが海底から発見されていたとは。
やはりJFKが乗っていたということだけで、プライオリティが高かったということです。
2009年以降:ネイビーシールズのマークVボート特殊任務艇は
50ノット
人体に20Gがかかるため、乗員はあざ、足首捻挫、
歯を欠損するのは日常茶飯事
しばしば首と背中のジョイントを骨折する
なんてことが書かれているわけですが、これに16人も乗るんですと。
どんなバケモノ、いや鍛えられた屈強の戦士にその栄誉が与えられるのでしょうか。
ていうか首とか背中骨折したらその時点でもう使い物にならないのでは・・・。
「この技術のおかげで僕はオスカーがもらえたのかも」
とパッカード製のエンジンを前に言っている海軍士官姿の俳優は
モスキートフリートの一員だったロバート・モンゴメリー。
この人が映画「コレヒドール戦記」の主人公に抜擢されたのは、
彼が当事者、つまり大戦中に他ならぬPTボーターだったからに他なりません。
先日の映画「ペチコート作戦」で「奥様は魔女」の二代めダーリン役だった
ディック・サージャントが少尉役をしていたのを紹介しましたが、
こちらは同番組サマンサ役の女優エリザベス・モンゴメリーのお父さんです。
エンジンとオスカーは、はっきりいって直接関係ないですが、
彼が戦死せずに無事に帰って来て映画に出ることができたのも、
優秀なエンジンのおかげだったといえないこともありません。
ところで海軍出身の俳優といえば有名なのが
ダグラス・フェアバンクスJr.。
彼は開戦になったので予備士官に志願しました。
1941年にはソ連に物資を送るPQ17船団に加わる第1巡洋艦隊の
巡洋艦「ウィチタ」に乗り組んでいます。
その後、俳優だからというわけではないでしょうが、欺瞞作戦に従事し、
ビーチ・ジャンパーという名前のユニットの作戦隊長を務めました。
サービス画像
この海軍士官姿、さすがは美男俳優でならしただけあって、美しい!
フェアバンクスは戦前、俳優としても第一線の、しかも大富豪でしたが、
海軍軍人としても大変評価されており、この作戦中PTボートに乗り、
あげた功績に対してシルバースター勲章を授与されています。
というわけでPTボートシリーズ、小さくとも勇敢で強かったボートの
ヒーローだった人々を紹介して終わります。