ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

メキシコでの文化交流〜大正13年度 帝国海軍練習艦隊遠洋航海

2017-12-03 | 軍艦

 

さて、大正13年度遠洋航海もパナマ運河通過という前半の山場を無事に終え、
次の寄港地へと向かいます。

■ 艦内生活

 

「腐敗を防ぐ唯一の芳香剤は精神的純潔あるのみ」

見よ、懊悩もなく虚飾もなく只直覚と想像との
幸福なる生活の平和の微笑を。

止めどなく繰り出さるる音楽、あるいは新知識みなぎる艦内新聞、
愛嬌溢るる小鳥「ペリコ」。
さては故国よりの楽しき音信等。 

そは如何許り我等の生活に湿潤と愉快と慰安とを与えし事ぞ。

 腐敗を防ぐ唯一の芳香剤は精神的純潔あるのみ!

うーん、思わず繰り返して大きく書いちゃった


「ニコニコと読む彼、早速返事を出す我」

手紙で故郷に息災を知らせたり、その故郷から手紙を受けることの喜びは
航海中であれば何よりも心を喜ばせるものとなったことでしょう。

これぞ冒頭に言うところの「幸福なる生活の平和の微笑」です。 

上の文章にある「ペリコ」というのは緑色で頭の色だけが違うインコのことです。
この水兵さんが現地で購入した「豆インコ」を現地ではペリコと呼んでいたのでしょう。

教えこめば言葉を喋るペリコは、航海中の乗員にとって
何にも増して面白いおもちゃ(しかも可愛い)となり、彼らは夢中で
自分のペリコに誰よりも早く言葉を仕込もうとしたのに違いありません。

 つまり、ここに書いてあるように「一生懸命」なのはインコではなく・・?


大正13年度、帝国海軍遠洋練習艦隊の次なる寄港地はマンザニヨとあります。
実は、それから約100年後の2017年になっても、海上自衛隊の遠洋航海は
同じマンザニヨに寄港しているのです。

この太平洋に面するメキシコの都市は、日本語では

「マンサニヨ」「マンサジージョ」「マンサニーニョ」「マンサニージョ」

といろんな読み方をされていますが、(自衛隊はマンサニージョ)原語では

Manzanillo

で、「little apple」のスペイン語なんだそうです。

 ■ マンザニヨ

 

(自1月12日 至 1月16日)

 

バルボアを出航せし艦隊は 再びメキシコの地に航し
「マンゴウ」茂るマンザニヨに入港す。

威風堂々艦隊先ず一斉投錨すれば湾内に入りたる鯨は
岸近きのあたりに巨大なる姿を不沈せしめ、湾を繞る連山の仙人掌
かざす紅花は微笑みて我等を迎う。 

おゝ、緑鮮やかなる此の地、明快なる大日輪の炫き。
そは我等を待つ心温かき墨国人の象徴にはあらざるか。

 

今ではメキシコシティ圏にある港湾都市として物流も盛んな大都市であり、
リゾート地としても賑わっているマンザニヨですが、この頃は港といっても
大きな船が付けられるような岸壁がある港ではなかったことがよくわかります。

上陸場といいながら単なる岩を積み上げた「岩壁」です。

ところでこの「上陸場に群がる市民」ってなんか失礼な書き方じゃないですか?
歓迎してくれてるのかもしれないんだし・・・。

このような立派な市庁舎前での陸軍軍楽隊による歓迎も行われました。
この「陸軍」とはもちろんメキシコ陸軍のことです。

マンザニヨの港がメキシコに正式に参入されたのは1908年のことです。
それからこの時にはもう16年経っています。

今ではそこそこ中規模の(ホームデポもある)港町のようですが、
当時は「土人」と日本人が呼んでしまうような、家よりも椰子の木が多い
風光明媚な土地であったらしいことがわかります。

 

 

仙人掌というのはサボテンのことです。
漢の武帝の時代に作られた巨大な像で、仙人が大きな皿を持った掌を
差し伸べているのにサボテンがそっくりだということから呼ぶようになりました。

 

写真の候補生が抱きついているサボテンはトゲがない種類らしいですね。

 

 

■ グワダラハラ市見学

 

マンザニヨ碇泊中の市民の歓迎は大変温かなものだったそうです。
平成29年度自衛隊練習艦隊も同じ「マンザニージョ」に寄港し、
太平洋艦隊司令部を表敬訪問したという報告がありましたが、
この時もメキシコ側はグワダラハラ行きの特別の列車を立ててくれ、
准士官以上の乗組員が招待されたということです。

グワダラハラは現在メキシコ第二の都市であり、中米屈指のグローバル都市です。
その美しさからメキシコ人をして

「西部の真珠」

と誇らしく言わしめるほどだといいます。

 

グワダラハラ女子商業学校の見学。
グアダラハラはマンザニーニョから内陸に入っていったところにあり、
教育についても一流名門校であるグアダラハラ大学を要し、
グアダラハラ国際ブックフェアや映画祭などが行われる文化都市でもあります。

国の威信をかけた学校を作ることこそ投資を誘致し、経済発展を則し、
競争力のある専門家を育成するための経済活動であるという考え方から、
開発の段階からそれを最重要として都市部と同じレベルの教育を目指してきました。

この時に女子商業学校を見学することになったのも、当地の「誇り」であり、
自慢の教育組織を異国から来た海軍軍人に見せたかったのでしょう。

 スペイン風の豪壮な石造りの建物が残るグアダラハラ。
21世紀となった今もそれらは変わらないままです。

スペイン人が1500年から築いてきたグアダラハラは古都でもあり、
その関係で日本の姉妹提携都市は京都です。 

 メキシコ陸軍の騎兵隊の訓練を見学。 

 現地の「有力な日系人」の私宅で行われた茶話会。
日系人と言いながらも顔の濃い人たちばかりです。

百武練習艦隊指令は中列の左から3番目にいます。
背の高い人はメキシコ海軍の軍人のようです。
日系人の血縁関係だったのかもしれません。
この軍人の子供が前の三人で、妻が前列の美人だと思われますがどうでしょう。

 

グアダラハラに行く途中にある内陸の町「コリマ」。
艦隊の乗員が横一列で歩いていきますが、寒いのかマントを着ている人がいます。

 

これもコリマの中央寺院の写真です。
大一種軍服に帽子は白、なぜかマント着用の候補生が多いですね。
冬でも二十五度くらいが日中の平均気温ですが、内陸なので
夜との寒暖差が激しく、マントが必要なのだろうと思われます。

 

寄港地のマンザニーヨでは、旗艦「浅間」に現地のメキシコ人を招待し、
柔道や剣道などの武技を見せて文化理解をしてもらいました。

 「これからご馳走」(笑)

もちろん、旗艦での艦上レセプションは毎日のように行われたでしょう。

艦上における剣道の模擬試合を、現地の人を招いて見学してもらいました。

「永劫の過去より培われ来たりし大和魂の深遠さを
崇高に厳粛に思考し推察したようであった」

とキャプションがあります。
まあ言いたいことはわかりますが、少し上から目線すぎるような・・。

不鮮明なのでわかりにくいですが、真剣による居合も披露されました。
これを初めてみたらそれは確かに「大和魂の深遠さを厳粛に推察」したことでしょう。

ところで、我が日本国の練習艦隊も、90年前と全く同じことを
寄港地で行なっていたことが報告会にいってわかりました。

写真は平成29年度遠洋艦隊がハバナに寄港中行われた「文化交流」。
現地の剣道愛好家を交えて剣道の試合などが行われた時のものです。 

こちらはチリの寄港地バルパライソにて。

剣道の試合を見守るのは艦艇見学に来た現地の人たちでしょうか。

剣道ではありませんが、文化交流の一環として向こうでは太鼓演奏を披露しました。
陸自の自衛太鼓が有名ですが、海自も太鼓のクラブがあるんですね。

 

こうしてみると、自衛隊の練習艦隊における

「日本及び海上自衛隊に関する正しい理解を深め、その国に存在感を定着する」

という目標は、この頃も全く変わりはありません。
というか、この頃にそういった目的が確立されたと考えるのが良さそうです。

 

続く。

 

  


攻撃精神棒倒し〜平成29年度 防衛大学校 開校記念祭

2017-12-03 | 自衛隊

さて、平成29年度の防大開校記念祭における棒倒し、
いよいよ決勝戦となりました。

第一試合の勝者大4大隊対第二試合で第3大隊を下した第2大隊の対決です。

グラウンドで柔道の組み手や応援団の演舞が行われている間、
学生舎の屋上には決勝進出する第2大隊のブルーが見えました。

最後の試合に向けて秘策を練っているに違いありません。

そしていよいよ選手が入場してきました。
先ほどは気がつきませんでしたが、写真の手前には応急セットと
怪我人を搬送するための担架がスタンバイしています。

棒倒し責任者を先頭に拳を振り上げ、掛け声とともに入場。

棒倒し舞台の後ろには応援団が伴走してついてきます。

この大きな旗を持って走る人は大変そう。
この日は風がそんなに強くなかったのでよかったです。

後ろ姿・・・・あれ?靴を履いている人がいる。
棒の周りを抑える人は靴着用可だったのですね。

それからズボンのお尻の部分を白いテープで補修している人が・・。
破れちゃったのか、それとも裂け防止?

試合に先立ち真摯に礼。

攻撃隊が膝につけているパッドは、膝の怪我防止と、
膝そのものが凶器になることを予防するためでしょう。

交互に気合を入れて相手を威嚇する儀式です。

第4大隊の気合入れは中腰で手をぶらぶら。

わたしの後ろには防大生の一団が立って見学していたのですが、
(応援団の紹介の時に『めいも〜ん』と言っていた人たち)
口々に「第四大隊〜!」「頑張れ〜!」と声援を送っていました。

海軍兵学校の棒倒しは毎週一回、全校生で行われましたが、防大では年一度(ですか?)
だけで、参加するのは全学生の半分くらいと聞いたことがあります。



試合前のセレモニーも終わり、やる気満々で自陣のスタート地点に移動です。
ところでふと気がついて2013年、つまり4年前の棒倒しの写真を確認すると、
攻撃隊のこのニーパッドはその時にはまだ使用されていません。

この4年の間に膝が原因で何か事故でも起きたんでしょうか。

ヘッドギアも昔はもちろんなしで戦っていて、脳震盪や鼻血は日常だったのですが、
まず耳が切れるのを防ぐために布の帽子をかぶりだしたのが30年前。
しかし所詮布なので終わった時には脱げてしまっていたということです。

しかも、これはわたしの推測ですが、布の帽子はあご紐を首で結んで着用するので、
外れて喉を締めてでもしたら変危険ということになったのではないでしょうか。

もう一つついでに気がついたところをいうと、彼らのシャツのデザイン、ネックに
V字の切れ込みを入れてありますが、これは5年前から変わっていません。
いざとなると裂けてネックの輪に首が吊られるような事故を未然に防ぐためです。

棒倒しでシャツがビリビリになるシーンはもうおなじみですが、
ふつうのTシャツより裂けやすくなっているからなのです。

ディフェンスがラーの祈りをやっている間にも攻撃隊が出陣準備。
この走る順番も厳密な計画の上に決まっていると思われます。

腕の力だけで体を軽々と持ち上げる「上乗り」の人。
あっ、ズボンのお尻を補強していたのはこの人だったのか。

上乗りに続き、棒の周りを立って固める四人が準備をします。

そして競技開始!
平成29年度防大開校記念祭、棒倒しの今年の勝者を決める戦いが火蓋を切りました。

敵陣に全力疾走していく攻撃隊。
合戦ならば鬨の声を上げつつ突進するところですが、棒倒し競技は
昔から「無言で行うべし」と定められているので静かです。

しかし、無言ならではの迫力がこの瞬間からグラウンドを支配し、
人々はその空気にただ飲まれたようになって勝敗の行く末を見守ります。

グラウンド中央で攻撃隊同士がすれ違う瞬間。

サークルに近づいた途端「キラー」と呼ばれるオフェンスの先鋭隊が
カウンターをかましに出てきました。

走りながらいきなり膝蹴りをカウンターにくらわそうとしている人もあり。
(なるほど、それでニーパッドが必要になったのか)

「キラー」には武闘系のクラブに入っている者が選ばれますが、
左で構えている学生もそんな雰囲気がしますね。

上乗りは指差しで防御に注意を与えながら・・・・ってこれ聞こえるんだろうか。

正面突破するチーム、横に回り込むチーム、そして後ろから・・、
と、攻撃隊は細かく役割分担して作戦を練ってくるようです。

昔たまたま第2大隊の学生舎の中庭のようなところで、棒倒し隊が
背中からサークルに駆け上る特訓をしている光景に遭遇し、
写真を撮ってしまったのですが、別大隊の作戦を偵察するべく
スパイを送り込むことも(おそらく意図的に)行われていて、
しかももしそれが発覚したら捕まって大変なことになるとか・・。

それからこの写真で気がついたのですが、彼らが持っている布ベルトは、
腰に巻いたものを隣のディフェンスが左手に握り肘の先に巻きつけて
棒周りの結束を強めるために使うらしいですね。

つまり棒の周りの「サークル」は、その結束を解くわけにいかず、
サークルを駆け上ってくる敵の攻撃を右手だけで阻止しなければなりません。
「四天王」はその敵を棒に寄せ付けないようにする武闘派なのです。

サークルの芯に迫ろうとする攻撃隊を引き剥がそうとするキラー、
そうはさせまいと二人掛かりでキラーを抑える攻撃隊。

サークルに駆け上るための「台」を形成しようとしているようです。

うっわーわかりやすっ。

背中を踏み台に何人かで作った「人間のラッタル」を、今
4名の攻撃隊が駆け上っていきます。

次々と駆け上ってくる第2大隊の攻撃陣。
なんか気のせいかもしれないけど、今までの試合で一番作戦が
作戦として成功しているように見える。

わたしの座ったところからは向こうのサークルがこんな風にしか見えません。

第4大隊の攻撃と第2大隊の防御の様子を望遠でなんとか一枚。
サークルに駆け上る通路で捨て身のディフェンスをしている模様。

こちらではサークルの反対側にも馳けあがるための踏み台が作られてしまいました。

防御の四天王は右側からの攻撃隊によって引っ張られ、
逆側から侵入した攻撃隊が棒にたどり着きます。

二人掛かりで棒を引き倒すつもりですね。

第2大隊、棒に完全に一人が抱きつく態勢になりました。
勝負がつくのも時間の問題か?

棒に抱きつく人を肩に乗せている縁の下の力持ち。
第2大隊が勝ったら功労章はぜひ彼に差し上げて!

サークル右側では次々と駆け上る攻撃隊を引き摺り下ろそうとするオフェンス、
それを抑える攻撃隊がもみ合いに。

ついに攻撃隊の手が棒の先にかかってしまいました。

せめて棒を倒させまいとする防御の肩を掴み邪魔している攻撃隊。

棒の周りのせめぎ合いがすごい。
ついに脚をかけ、体重を思いっきりかけるところまできました。

えーと、一人ぼんやりしているように見える人がいるけど気のせいかな?

これだけ倒れたらもう勝負あった、って思うでしょ。
それがなぜかホイッスルが鳴らないんですよ。
「30度角で3秒」の3秒ルールでいうとまだダメみたいです。

ここで全体像を俯瞰してみますと・・・。

サークルの足元で倒れてる人、大丈夫なのかしら。

今度こそ!と4人がかりで棒を引き倒しにかかります。
逆摺鉢山の4人。

地面での個別戦闘も平常通り行われております。

初段からイケイケで早くから勝機を掴んだと思われましたが、
ここにきてなかなか棒を倒しきれない何秒間が過ぎていきます。

どうなる第2大隊!

と、そのとき。

勝負あったのホイッスルが鳴り渡りました。
攻めあぐねていただけにハッとして自陣の棒を確認する選手。

わたしの目には勝負はもう少し早く着いていたと思われるのですが、
ここにきて青の第2大隊の勝利が確定したのです。

万歳ではなく、終了後の「空手チェック」のため皆が手を挙げて。

サークルの下でまだ立ち上がれない人もいます。

そして平成29年度棒倒し競技、青の第2大隊の勝利で幕を閉じました。

礼が終わって初めて感情を爆発させる勝者の第2大隊。
あちこちで抱き合って喜びを分かち合っています。

確か昨年度の優勝も第2大隊ではなかったですか?
ということは、彼らは優勝旗を守り抜いたということになります。

棒倒し責任者がなんか言ってますが、溢れ出る喜びを隠すこともできず。
防御隊のシャツは切込みから裂けてしまっていますね。

帰りを急いでいたのでわたしはこの後の表彰式は見ずに家路につきました。

 

棒倒しを見ると、海軍兵学校の同窓会に参加した時に元生徒さんたちが
何かと言うと「軍歌演習を行(おこ)のう!」という一声のもとに
必ずみんなで歌っていた「兵学校数え歌」の二番を思い出します。

ニツトセ

踏んだり蹴ったり殴ったり

攻撃精神棒倒し

ソイツァ 豪気だネー

戦後も70年経ちましたが、兵学校の象徴たる棒倒しを引き継いだ
防衛大学校は、この平和の世において相変わらず

「踏んだり蹴ったり殴ったり」

の「手荒な儀式を行のう」ことによって、未来の戦闘指揮官としての覇気を養っています。

戦後社会らしい人権意識があまねく浸透し、防具の機能発達やルール改変が
兵学校時代と比べると確かに全てをマイルドにジェントルに変えてきましたが、
この日グラウンドに横溢した彼らの「攻撃精神」そのものは、
兵学校時代のそれに
全く劣らないものだったに違いありません。

わたしはその興奮の余韻を噛み締めながら小原台の長い坂を降りていきました。

 

防衛大学校開校記念祭シリーズ終わり