ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

新春企画・平成30年度自衛隊参加行事〜おまけ:救難飛行艇US-2の女性搭乗員

2020-01-01 | 自衛隊

みなさま、あけましておめでとうございます。
日記のように思うがままにつづってきた当ブログも、2010年の開設から
今年2020年をもって、なんと足掛け10年になろうとしているのです。

いやもうとんでもないな(笑)

単なる趣味と言いながら10年。

10年一昔といいますが、このディケイドは、わたしにとって
まさにネイビーブルーに恋し、時々オリーブドラブとスカイブルーにも
ときめきながら、東に練習艦隊の出航あれば行って激励してやり、
西に退官する自衛官があれば、行ってその労をねぎらい、
南で潜水艦の引き渡し式があれば、行って予想した名前と違ったと言い、
北で当ブログ読者に声をかけられれば、なぜ分かったのかと必要以上に動揺し、
日照りの総火演では涙管閉塞した右目から涙を流し、寒さの降下始めでは
終わってからふらふら歩き、みんなにモノ好きと呼ばれ、褒められもせず、
たぶん苦にもされず、そういうものにわたしはなっていたという気がします。

 

最近になってgooブログがアップデートされて機能が変更になり、
(少し前に書き込みできないというメールをいただいたことがありますが、
どうやらこのとき工事中だったらしい)
昔の古い記事から見ることもできるようになったので探してみると、
わたしが最初に自衛隊の行事に参加したのは2012年。
知り合いの紹介で呉教育隊と「さみだれ」を見学したのが7月、
そして同じ年の10月に初めて観艦式に参加しています。

以来幾星霜、数々の自衛隊行事に参加してきたわけですが、
新春企画として、このお正月は、昨年1年間にわたしが参加した
自衛隊行事を振り返ってみたいと思います。

陸上自衛隊 平成30年度 降下始め

毎年1月の上旬に習志野駐屯地で行われる空挺部隊の降下始めです。

寒さの降下始めではふらふら歩き、と書きましたが、冗談抜きで
体感温度0度の草地に携帯椅子で座っていると、立ち上がったとき
体が固まってしまって足がいうことをきかないのです。

それに気づいた次の年から、わたしは必ず何分に一度かは立ち上がり、
軽く足踏みなどをしてこれを防ぐようにしています。

とにかく1年間で一番寒い時期に、遮蔽物もない原っぱで
空から降ってくる落下傘を眺めるためにじっとしているのですから、
イベントの要忍耐力の点では夏の総火演と双璧かもしれません。

毎年少しずつ筋書きというか展示が変わるのがこの降下始めです。
この前年度はとにかく降下を行う人数が大量でしたし、
全く戦車の登場しないときもあったりで同じであったことがありません。

新しくなった装備がお目見えするのも楽しみの一つです。
C-1の後継機である輸送機C-2が降下始めに登場したのを
わたしはこのとき初めて見たような気がします。

ただしわたし自身毎年必ず降下始めに行っているわけではないので、
このときが初めてだったかどうかはわかりません。

降下する空挺隊員は両側のドアから同時にジャンプしますが、
こんなふうに接近してしまうと怖いだろうなと思います。

実際、空挺降下はどんなベテランでも飛ぶ前は怖いのだそうです。

大量に降下した年、落下傘の索が絡まって、つながったまま
予備傘を出して降りてきた二人を見たことがあります。

C-2に置き換えられる予定のC-1もまだ残っています。

戦術輸送機C-130Hハーキュリーも空挺降下を行います。

アメリカ陸軍の空挺部隊の参加は最近恒例になっています。
肉眼では見えませんでしたが、写真に撮ってみて
空中でこんなドラマがあったことを知りました。

降下中、接近しすぎて傘が絡みそうになった二人の米軍降下兵。

上にいる方が思いっきり相手の頭を蹴って反動で体を離しています。

そして何事もないように並んで降下していきました。
あれは空中で接触しそうな時のマニュアルなのかもしれません。

一降下でばらまかれた落下傘の列が降りきらないうちに、別の輸送機が
別の落下傘をばらまき、さらにその上に別の落下傘の列ができていきます。
こんな光景が見られるのは降下始めだけ。

わたしが辛い寒さも覚悟の上で習志野に向かう理由です。

ヘリコプターから降り立つギリースーツの狙撃兵を見られるのも
降下始めならでは。

チヌークCH-47からリペリング降下で人が降りたり、
迫撃砲や車を降下させたりするのも恒例の展示。

一眼レフカメラを手に入れてからはこんな写真が撮れるようになり、
一層参加が楽しみになりました。

ただし、今年は年明けにアメリカに行くことになってしまったので
降下始めには参加できないことがすでに決定しています。

ヘリからのリペリング降下を撮るチャンスは一瞬です。

招待客の観覧席前では近接格闘の展示が行われました。
わたしのところからは望遠レンズでないと何もみえません。

ヘルメットを被っている人が、次々と襲ってくる敵をやっつけていきます。
うしろで立て膝している人たちは、自分の順番を待っています。

スキンヘッドの人が武器を持って襲ってきました。
このスキンヘッドも数秒後には他の人のように地面に倒れる運命です。

おっと、相手は銃を持っているぞ。

しかし、隙を見て銃を奪い相手をねじ伏せてしまう。
まるでランボーのようなヘルメット隊員です。

習志野の地元では第一空挺団というだけでヤクザも手出しできない、
という伝説を聞いたことがありますが、みんながこんな強かったら
そりゃ誰もからんだりしてこないだろうっていう。

模擬戦闘で最後に相手を制圧した陸上部隊でした。

 

「かが」体験航海

「かが」でドック入り前の体験航海が開催され、参加しました。
前日から呉入りし、「かが」に乗り込んでわずかの航海を体験します。

「かが」が呉にやってきたときから係留されている姿は見ていましたが、
乗艦するのは初めての体験となりました。

艦内での行動はグループごとにエスコートがつき、
ちゃんと決められているので、自分で行き先を考える必要がなく
ある意味とても気が楽な見学となりました。

出航作業を見るために最初に艦橋に案内していただけたのも良かったです。

ランチには乗員食堂でカレー(牛乳パック付き)をいただき、士官室で
艦長にデュテルテ・フィリピン大統領乗艦の時の写真を見せてもらうなど、

何かとお得感のある体験航海となりました。

「かが」がドックに着岸してから、艦内のハンガーデッキでは
自衛官の「宣誓式」が行われ、それに立ち会うこともできました。

 

海上自衛隊岩国航空基地訪問

何か見学したい飛行機はあるか、と訪問前に聞かれて、
瞬時に「US-2」と即答したため、岩国では
あの!救難艇US-2のコクピットに座らせていただくことができました。

 

搭乗前に、US-2については前もって予習していましたが、
現場のパイロットやクルーから聞く話は驚きの連続でした。

波打つ海面に着水するときは、どんなベテランでも、
さらに何回やっても「怖い」のだそうです。

どんな飛行機乗りも自分の乗っている飛行機を愛するのは当然ですが、
US-2乗りの愛は、相手が一筋縄ではいかないじゃじゃ馬だけに一入という印象です。


「わたしにUS-2のことを語らせたら数時間でも終わりません」

とこのとき航空隊の隊長から聞きましたし、江田島にいた
US-2出身の自衛官も片言隻句違わず全くおなじことを言っていました。

 

ところで、その江田島のUS-2乗り(今回の移動で『古巣』に戻られた)
と話していて、US-2にも女性パイロットが誕生していたことを伺いました。

週刊海自TV:海自女子】救難飛行艇「US-2」パイロット

興味を示したところ、その幹部から「航翔会」という、
海上自衛隊航空学生の「同巣会」が発行している会誌をいただいたのですが、
そこに、この女性パイロット岡田めぐみ三尉が手記を載せているので、
ここでご紹介させていただきます。

 

小学生の時に「ヤクルトレディになるのが夢」だった少女がいました。
彼女は長じて目的もなく大学にいくよりはと航空学生に出願しました。
そして救難飛行艇を見た瞬間衝撃を受け、

「これに乗りたい」

と思ったのだそうです。
しかし、自衛隊内で誰にそれを言っても、返ってくる言葉は、

「女性は難しいかもな」

 

ある日、救難飛行艇の機上救助員と話す機会があったので
救難飛行艇を希望しているというと、顔をしかめてこう言いました。

「ふざけたこというな。
俺はあんたみたいな女の子に飛び込めなんていわれても飛び込まないよ」


それでも自称「諦めの悪い」彼女は、P3-C部隊で研鑽を積み、
第71航空隊に転勤願いを出してそれが認められるに至りました。

初めてUS-2を操縦して着水したとき、海面が近づいてくる恐怖心、
1秒が数倍に感じられるような緊張感で、彼女の手は震えていました。

「着水したんだ・・・」

泣きたくなるほどの感動で言葉がでてこない彼女に、

「ボーッとしてないで早くcrewに指示を出せ!」

と叱咤する声が飛んできました。
しかしその日、飛行作業を終え、汗臭い飛行服の彼女に、
一緒に飛んだRS(機上救難員)がこう声をかけてきたのだそうです。

「あなたも飛行機乗り。仲間ですね」

冊子「航翔会」には、第71期航空学生の所感が掲載されています。
そのなかで、岡田三尉のYouTubeを見て入隊を決めたという
女性航空学生が

「US-2のパイロットである岡田めぐみさんに、
岡田特別指導官として会えたので、パイロットになるという
目標を見失うのではないかという不安は払拭された」

ということを書いていました。

世界で一人である救難飛行艇のパイロットを目指すにあたり、

「後に続く女性隊員の道を閉ざすようなことになってはいけない」

と考えていた岡田三尉の心配も、現実には払拭されたということでしょう。

PS-2の前型、PS-1が1989年退役するとき、全機で行った記念飛行。
おのおのの機体に機長が自筆でサインをしています。

このときの見学で大変ラッキーだったことのひとつは、
2017年に退役処分になって廃棄を待っているUS-1/1Aの姿を
最後にカメラにおさめることができたことです。

続く。