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映画「水兵さん」〜入団

2022-02-09 | 映画

松竹映画が海軍省の後援で昭和19年に製作した国策映画、
「水兵さん」をご紹介します。



横須賀鎮守府の検閲も行われていますが、これは、
物語の舞台が横須賀海兵団であるからです。



昭和19年5月5日完成、とありますが、この頃、米軍は飛び石作戦で
アドミラルッティ諸島を占領しており、海軍乙事件で古賀峯一大将が殉職、
民間では疎開が始まるなど、戦況の不利が目に見えてきた頃です。

この時世に戦地に送り込む対象をより引き下げたい海軍としては、
海兵団への志願を募るために絵に描いたような宣伝映画を製作しました。

それが本作「水兵さん」です。

軍艦行進曲に乗って連合艦隊の勇姿が現れたかと思うと、
それに万葉集の和歌が字幕で重ねられます。


於保吉美能 美許等可之古美 伊蘇尓布理 宇乃波良和多流 知々波々乎於伎弖

万葉集の原文が振り仮名つきで最初の画面に現れます。
防人であった丈部造人麻呂の歌で、

「大君(おほきみ)の、命(みこと)畏(かしこ)み、磯に触(ふ)り、
海原(うのはら)渡る、父母(ちちはは)を置きて」

意味は、

天皇陛下の命令に従い、磯づたいに海原を渡ります。父母を故郷に残したまま

となり、それはそのまま国のために軍隊に身を投じ、
海軍軍人となって海に出ていく防人のことばとなっています。

つまり、主人公である海兵団の少年たちの未来ということになります。

横須賀海兵団といえば、昨年当ブログでご紹介した
映画「海軍特別年少兵」は、まさにこの横須賀海兵団が舞台でした。
戦後に反戦をテーマに作られたこの映画は、言うならば
「水兵さん」の「その後」ということになります。

両作品を見比べてみると、後者には前者の表現や設定流用したものが多く、
明らかにいくつかのシーンは前者を参考にしていることがわかります。

「特別年少兵」は、つまり戦後の「反省の立場」に立って、
「水兵さん」に釣られて海軍に志願した純粋な少年たちが、
その後どうなったかを糾弾した映画、とでも言ったらいいでしょうか。

あからさまな宣伝を目的にされた本作は、それゆえ綺麗事すぎて
そこに描かれる世界はいかにも作り物めいており、喩えは変ですが、
アメリカの原爆実験でネバダの実験地に作られた家の中に配された
マネキンの家族のように、不気味ですらあります。


■ 志願


さて、それでは始めましょう。
軍艦が描かれた少年誌を熱心に眺めている少年森村新八、それが本作主人公です。


実に素朴で当時としては普通の、その辺にいくらでもいそうな少年ですが、
演じているのは子役出身の星野和正という俳優です。

ちなみに星野は1930年生まれですから、この頃14歳と
ちょうど海兵団の入団資格年齢であったことから抜擢されたようです。
子役として騒がれ、この頃が俳優としての全盛期で、
同じ年に「君こそ次の荒鷲だ」という航空兵徴募宣伝映画、
「陸軍」という陸軍省後援映画に立て続けに出演しましたが、
戦後は数えるほどの作品のチョイ役のみで、いつの間にか映画界から消えました。

演技も上手いとはお世辞にも言えず、この容姿では
失礼ながら当時でも宣伝映画の少年兵以外役はなかったでしょう。


少年は悩んでいました。
海兵団の願書の締め切りが迫っているのに、父親の許可が得られないのです。

彼は母親に父の説得を頼み、母ははいはい、とまるで
ボタンつけを頼まれたように軽く請け負っております。

普通母親ってもう少しこういうことに慎重じゃないのかな。


父親は表具師で、自分の後を継いでほしい一方、息子がとにかく弱虫なので
海軍なんぞでやっていけないだろうと決めてかかっています。


やはり海兵団を受験する友達は、
「君のお父さん、笑ったことある?いつも怖い顔してるね」

この手の映画で興味深いのは、合間に映る当時の街並みです。
ほとんどの地面が当たり前ですが舗装されていない地道です。



その夜、母親が「石頭」の父を説得している間、彼は
なぜか瓢箪に紐を巻きつけています。
この瓢箪が何のためにあるのかも謎ですが、これも表具師の仕事とは・・。



そしてこの母親。
当人が23で嫁いできたと言っているので、すぐに子供ができたとして
せいぜい38歳〜40歳のはずですが、ものすごく老けて見えます。



ここで突如登場した眼鏡っ娘、近所に住む新八くんの従姉妹ですが、
戦時中のこととて、セーラー服にモンペという当時のスタンダードスタイルです。


彼女は新八が友達と海軍に入る約束までしたのに、
いまさら志願を辞めるなんて卑怯者だといきなり責め立てます。

「だって親の承諾がないと応募できないんだよ・・・」(´・ω・`)



眼鏡っ娘としちゃんの母である新八の叔母は、父親の妹。
近所で床屋さんをやっています。
あの父親の妹がこれ?というくらいの美人です。


夫婦は息子の受験について、「近所の御隠居」とやらに相談に行きました。

「近所の御隠居」というワードが普通に存在していた時代。
夫婦はお互いが「内内」のつもりで息子の海兵団受験について
相談に来たのですが、御隠居宅でバッティングしてびっくり。


二人にお茶を運んできたのは、御隠居の家の嫁で、
彼女は海軍軍人である御隠居の息子と結婚したばかり。
夫婦が御隠居に相談に行ったのは、息子が海軍士官だからでした。

「(夫が)家に帰ってくるのは月に一度か二度でございますの」

海軍士官が見染めた美人妻という設定ですが、どうにもこの女優さん。
何やら見ていて不安になる微妙な容姿をしています。
失礼ですが、おそらく歯並びのせいではないかと思われます。



その夫である海軍軍人というのが、本作出演中当時最も有名だった俳優、原保美

当ブログで紹介した映画でも海軍」「乙女のゐる基地」
「日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声」「ひめゆりの塔」
「激動の昭和史 軍閥」
などに出演しています。
当時はいわゆるイケメン俳優枠で各映画に出演していました。



今回、この原保美が原阿佐緒の息子だと知ってカナーリ驚きました。
阿佐緒は当時一世を風靡した「美人すぎる歌人」です。



この写真は昔から原阿佐緒のバイオグラフィで知っていましたが、
左端が保美だったことも今初めて知りました。
ちなみに右端の玉木宏似は阿佐緒の長男で映画監督の原千秋(つまり千秋様)です。


さて、尺の関係なのか、近所の御隠居がどう夫婦を説得したのか、
全く成り行きが描かれないまま場面は検査会場。



検査では体力試験や健康診断などが行われます。
そしてすぐにその場で合格証書が渡されるというご都合設定。



家に帰っってきた号泣寸前の息子を見て、父親は、

「だからおとっつぁんやめとけって言ったんだ!」



「合格した・・・」
「バカ!合格して泣くやつがあるかい」



これが横須賀鎮守府の海軍水兵採用証書だそうです。
鎮守府長官の名前がないようだが。


その夜、父は息子に風呂で背中を流してもらいながら、
ごくありきたりの激励を行うのでした。(いいシーンという設定)



それからが大変です。
近所の御隠居がなんかわからん近所の人たちを引き連れてやってきて、
海軍に関する本をおしつけていったり、



眼鏡っ娘、ときちゃんから宝物の東郷元帥メダル(レアもの)を押しつけられたり。


入団の朝、親子は地元の護国神社に武運長久を祈願します。

■海兵団



ここからは横須賀海兵団での様子が活写されます。(おそらく本物)



教班の分隊長が原保美演じる山口中尉が、
入隊した水兵の名簿に、森村新八の名前と写真を見つけました。

実際は知り合いが分隊長になる確率は低いだろうと思うのですが。


教班ごとに食事の卓が分かれているというこのシーン、
全く「特別年少兵」と同じアングルですね。


ただし本作における教班長は、「特別年少兵」の、
少年たちを理不尽に扱きまくる地井武男のような鬼兵曹ではありません。

「厳しいところもありますが、とても優しいいい方です」

まあ、宣伝映画で、何かあるごとに竹刀で殴られるとか、
集合が遅い班は机を抱えて立たされるとか描かんわなあ。



新八は早速海軍の大掃除が徹底的なのに驚かされます。
海軍の清潔好きは好きというより必要からで、狭い艦内で
伝染病などの病気が蔓延することを極度に警戒することからきています。



初めて水兵服を支給され、敬礼の練習。
そういえば、どこかの海自基地でこんなシールが貼られた鏡を見たことがあります。



相撲の教練には、本物の力士が部屋ごとごっそり稽古をつけにやってきます。
これは兵学校でもそうだったし、何なら水泳の教師として
オリンピックの選手レベルが来たという話もあります。



お次は伝令訓練。
報告を受けて別部署にそれを伝えるという訓練なのですが、



この山鳥という訓練生、何度やり直しても伝達が復唱できません。
「特別幼年兵」にも若き日の中村梅雀演じる落ちこぼれがいましたが、
どうやら本作におけるそういう少年がこの山鳥くんのようです。



銃を持って小走りに走る訓練生たち。
銃は本物で、本当に海兵団の訓練施設から借りているのだと思われます。


山鳥がどうしても復唱できない時には笑っていた教班長が、
色をなして激昂する出来事がありました。



訓練生の小山田が銃を収納する時安全装置をかけ忘れたのです。

「バカっ!貴様それでも軍人か!中は軍人の魂だ!
貴様来い!軍人魂を教えてやる」



二人がどこかに行ってしまったので彼の班は昼ごはんが食べられません。
山口中尉が見回りに来て脚を止めます。



「小山田の銃の取り扱いが悪かったんであります」
「銃か・・」


ところが黙っていればいいものを、森村新八、わざわざ

「小山田もわざとやったんじゃないので許してやってください」

などとでしゃばり、こっぴどく中尉に叱られるのでした。

自分が山口中尉の知り合いだということで、
取りなせば多目に見てもらえるとでも思ったのかもしれません。


道場に連れて行くといったとき、流石に銃に関わる失敗とあっては
鉄拳制裁発動やむなしとわたしも思ったのですが、なんと海軍、
この後に及んで宣伝の妨げになるような実態描写を避けてきました。

教班長の下した小山田への罰直。

それは道場でただ正座して、無言の時間を過ごすことでした。
んなあほな、と戦後この映画を見た人は誰もが思うでしょう。
しかも、教班長である鈴木軍曹、実に悲痛な様子で、



「お前の不注意は俺の教育が足りなかったためなんだ!俺の責任だ」


「・・・・教班長!」

うーん、これは気持ち悪い。じゃなくて、いたたまれない。
鉄拳制裁よりある意味こたえるかもしれんね。

■ 父の転職



次のシーンでいきなり造船所での作業が映し出されます。


当ブログが、プロパガンダ映画で大した筋でもないとわかっていながら
本作をあえて取り上げたのは、こういうシーンがあるからです。
海軍工廠のものか、民間の物かはわかりませんが(この写真は民間船?)。


三菱や玉野などの造船所の内部を歩いたことがありますが、
それでいうと、基本的にいまの造船所とあまり変わらないような・・。

なぜこういうシーンが現れたかというと、それは新の父が、
息子の海軍入りに触発されて、いきなり妻に内緒で
造船所で働くことを決めてきたからでした。

妻も妻で、全く驚きもとがめもせず、むしろそれを大喜びします。
たしかに戦時中は表具屋よりは軍需工場の方が身入りも良さそうですが、
問題はこの1年半後です。

こ敗戦を待たずおそらく父親は軍需工場での仕事はなくなっただろうし、
下手したら空襲に遭うことになっただろうし、無事に終戦を迎えても
戦後は表具の仕事に戻ったところでそんな仕事はなかっただろうし・・。



さてこちら新八くんには、海兵団に入って最初の試練が訪れていました。
マスト上りです。


下を見るなと言われるのについ見てしまい、怖くて体が動きません。


一方造船所に勤め始めた父ちゃんも頑張っています。
作業に入る前に研修?として、皆で槌を振るうポーズの練習。

「イチ、ニ、イチ、ニ!」


こっちも「イチ、ニ、イチ、ニ!」と平泳ぎの陸練習。
何と横須賀海兵団には室内プールが完備していた模様。


続いてはおなじみカッター漕。



ここで海に落ちる生徒が出てくるのも「特別年少兵」と同じ。
場所を交代しようとして落ちるのは、案の定要領の悪そうな山鳥です。
そして、落ちる生徒は必ず泳げないというお決まりのパターン。


「年少兵」とちょっと違うのは、この山鳥、櫂に捕まらず、
「山鳥泳げます!」
を連呼して自力で泳ごうとしてそれに成功するところです。



「嬉しかったー!」
とりあえず何とか泳げたことを皆に自慢する山鳥。



教班長もまた、彼の班のカナヅチの一人が泳げるようになったので、
他の教班長に自慢したりしております。


そんなある日、新八の父が山口中尉に手紙をよこしました。
かれは、父が軍需工場に転職したことを山口中尉の口から聞かされ驚きます。


山口中尉はついでに新八の成績がいまひとつであることをやんわりと説教します。

「お父さんはいつもお前のことを自慢しているというが、
それにふさわしいと自分で言えるか?」

山口中尉は要するに、先日森村がでしゃばったことを含め、
自分たちが知り合いであることで勘違いするな、と釘を指しているのです。

それどころか、教班長にもわざわざ、
「分隊長の知り合いであるからと言って特別扱いは決してせぬように」
と言い含めるのでした。

海軍は、宣伝映画を通じて、海軍の知り合いがいたからといって、
特別扱いはしませんよ、と警告しているように見えます。


山口中尉の叱責を受けたその次の自習時間、森村は姿を消しました。


心配した教班長が探すと、苦手なことからとりあえず克服しようと
一人でマストに登って行く森村新八の姿がありました。




続く。