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新艦長ジョン・ニコルズ中佐の謎〜潜水艦「シルバーサイズ」

2022-09-27 | 軍艦

ミシガン湖沿いに現在係留展示されている潜水艦「シルバーサイズ」。

彼女が第11回哨戒において、「トリガー」(SS-237)
「スターレット」(SS-392)ともにウルフパックを組んでいた
「サーモン」の救援要請を受けて現場にかけつけ、
第22号海防艦との死闘で傷ついた「サーモン」をサイパンへ護送した。
(ただし相手との戦闘は一切していない)

ということを前回検証しました。

繰り返しになりますが、「シルバーサイズ」の艦歴には、

「シルバーサイズ」は「サーモン」「トリガー」と群狼作戦を行い、
「サーモン」が魚雷を打ち込んで瀕死の状態のタンカー、
「たかね丸」に魚雷を打ち込んでトドメを刺し、
第22号海防艦と死闘を演じて傷ついた「サーモン」を庇って、
自らが囮になり敵の目をくらまして離脱に成功させ、
無事にサイパンに送り届けた功労者である

と解釈するしかないことが書かれています。

しかしながら、それはほぼ創作に近いストーリーだったのです。


わたしのような素人が、ネットの情報を突き合わせただけでも
簡単にその矛盾点から真偽が突き止められるようなことが、
なぜ堂々と真実としてまかり通っているのでしょうか。

あまりにも事柄が瑣末すぎて誰も検証しようとしなかった?

それともベテランに配慮して戦果にケチをつけられなかった?

あの頃はよくあることとして見逃されてきた?


さて、どれでしょう。


11月3日無事「サーモン」をサイパンに送り届けてから20日後、
「シルバーサイズ」はミッドウェイ島に帰還し、第11次哨戒を終了しました。


■ 艦長交代〜ニコルス艦長という人物

第11次哨戒は、第二代目艦長、ジャック・コイJr.中佐の最後の指揮でした。
第12次紹介から、「シルバーサイズ」は新艦長を迎えることになります。

ジョン・カルバー・ニコルス中佐
(John Culver Nichols)

については、uboat.netという潜水艦サイトに名前と軍歴があるのみで、
写真などは全くネットに残されていませんでした。

しかし、その軍歴を見て、わたしはまたしても
ある歴史の「どうでもいいが不穏な真実」に気がついてしまったのです。

今日はそのことについてお話しします。

ニコルス中佐は、アナポリスの1934年クラス。
(1934年卒業。アメリカは卒業年次でクラスを呼ぶ)で
ランク昇進年度は以下の通りです。

1934年5月31日 少尉

1937年5月31日 中尉
1941年7月1日 大尉
1943年3月1日 少佐
1944年2月1日 中佐


これをみる限り、ごくごく一般的な昇進をした軍人です。
中佐を最後に軍歴はストップしており、これは、
戦争が終わると同時に退役したということを表しています。

ちなみに、「シルバーサイズ」艦長就任時の中佐のランクは、

 T/Cdr.

と記されているのですが、この「T」が何のTかご存知でしょうか。
戦争中ということで、特に付けられたタイトルかな?

そして、艦長としての職歴なのですが、これが問題なのです。
とりあえず、ご覧ください。

  USS「マーリン」(Marlin) 205 1943年5月〜1944年5月 少佐

USS「ソーリー」(Saury) 189 
1944年8月26日〜1944年8月30日 中佐

USS「スティールヘッド」(Steelhead )280 
1944年10月15日〜10月26日

USS「シルバーサイズ」(Silversides )
236 1944年11月29日〜

これを見て、不思議なことに気が付きませんか?
赤字で記した「ソーリー」の艦長就任期間はたった5日
2カ月後に就任した「スティールヘッド」艦長職は12日で辞めているのです。

そこで潜水艦「ソーリー」の歴代艦長就任期間を調べてみました。


          Commander
From
To
          1
Lt.Cdr. George Warren Patterson, Jr., USN
3 Apr 1939
Jul 1941
          2
Lt.Cdr. John Lockwood Burnside, Jr., USN
10 Jul 1941
Jun 1942
          3
Lt.Cdr. Leonard Sparks Mewhinney, USN
Jun 1942
17 Apr 1943
          4
T/Cdr. Anthony Henry Dropp, USN
17 Apr 1943
26 Aug 1944
          5
T/Cdr. John Culver Nichols, USN
26 Aug 1944
30 Aug 1944
          6
T/Lt.Cdr. Richard Albert Waugh, USN
2 Sep 1944
Oct 1945
          7
Allen R. Bergner, USN
Oct 1945

彼女が6年間の就役中、7人が艦長を務めましたが、
ニコルス以外の全員が、普通に約1年前後の任期をこなしています。


そして「スティールヘッド」を指揮した艦長は3名。
しかしニコルス中佐以外の二人の任期は、どちらも長めで約2年と1年半。
   

Commander
From
To
              1
T/Cdr. David Lee Whelchel, USN
7 Dec 1942
 
15 Oct 1944

              2
T/Cdr. John Culver Nichols, USN
15 Oct 1944
 
26 Oct 1944

              3
Robert Bogardus Byrnes, USN
26 Oct 1944
29 Jun 1946


書類上の都合でたまたま数日間艦長を充てる必要でもあったのか?

という考え方もできないでもありませんが、変ですよね。
それぞれの潜水艦の艦歴にも、ニコルス艦長のことは一切書かれていません。

その艦歴によると、ニコルスが「ソーリー」の艦長になったのは、
「ソーリー」が第10回目の哨戒から帰ってきて3日目のことでした。
次の哨戒に出た時には、ニコルスの次の艦長に代わっていたのです。

どうも、就任して5日の間に何かあったとしか思えないのです。

そして、「スティールヘッド」の艦歴によると、彼女が新しく
司令塔部分を換装する工事期間、ニコルス中佐は艦長に就任。
しかし12日で辞めてしまい、次の哨戒を指揮したのは
ニコルスの後の艦長となります。

一体この人、「ソーリー」と「スティールヘッド」で何をやらかした?


こうなると俄然気になりますよね。
ニコルス中佐ってどんな人だったのか。(どんな顔をしてたのか)

この写真には、

「1944年、コイ艦長は新たな乗員を育成する任務で艦を去りました。
ジョン・ニコルス艦長は、カメラに写るのが苦手なのに、頑張っています」

という不思議なキャプションが付けられています。


「海軍の写真撮影の法則」によれば、艦長は前列の真ん中と決まっています。

この写真は端が切れていて、誰が真ん中なのかわからないのですが、
おそらくこの三人のどれか(そして多分真ん中の人)が
問題のニコルス艦長なのではと推察されます。

ニコルス艦長は、1944年8月から11月の三カ月の間に、
3隻の潜水艦の艦長になるという不思議な経歴でここにいるわけですが、
それにしてもこのキャプションも変ですよね。

「写真嫌い」(Though he was camera shy)
「頑張って写っている」(did very well)


一体これはどういう意味なのでしょうか。

おそらくこれは、新艦長を迎えて最初の全体記念写真だったと思われます。
全員が軍服を着て、しかも、彼らの後ろに見えている
「偽装のために手作りした日の丸と旭日旗」から見て、
おそらく室内で行われた壮行会だったのではないでしょうか。

就任記念&哨戒壮行会で「頑張って写っている」艦長とは一体・・・。

■沈没潜水艦から生還していたニコルス

ここで、「シルバーサイズ」博物館のパネルに、気になる部分を見つけました。
「シルバーサイズ」乗員の一人が語っているという設定で
写真のところどころに付け加えられたキャプションです。

それには、「シルバーサイズ」がいかに優れた指揮官に恵まれたか、
ということを称揚・自賛する形で書かれていました。

戦争中、わたしたちは素晴らしい指揮官に恵まれました。
バーリンゲーム艦長コイ大尉はいずれも後に提督になりました。

(副長の)
ロイ・ダベンポートは、「シルバーサイズ」を去った後、
2隻の潜水艦を指揮し、海軍十字賞を授与された最初のセイラーになりました。

キーガンとウォーシントン(副長)も、後に艦長になっています。

「シルバーサイズ」は多くのサブマリナーにとって故郷であり、
キャリアを積むための試練の場となったのです。


さて、わたしはあえてニコルス艦長の記述を飛ばしました。
彼について書かれていたのは以下の一文です。

「ニコルズ艦長は、もちろん、
10年前の『スクアーラス』沈没を生き延び、すでに有名でした」


何がもちろん(of course)かわかりませんが、
ニコルズ中佐の艦歴に書かれていなかった、

潜水艦「スクアーラス」
USS Squalus (SS-192)

の事故についてはかなりのことがわかっています。

海軍調査局が学生と行員向けに制作した歴史書からの抜粋になりますが、
「スクアルス」事故については以下の通り。

USS「スクアーラス」(SS-192)は、ポーツマス海軍工廠で建造され、
1939年3月1日に就役したディーゼル電気潜水艦。

同年5月23日0740、ショールズ島沖で試験潜航中、
致命的なバルブ不良に見舞われ、水深40ファゾム(240フィート)で
キールダウンの状態で静止した。

海軍の潜水士と救助船が、翌日生存者を救出する作戦を行う。
当時乗員32名、民間人一人が艦前方の区画で生存していた。

5月24日11時半、USS「ファルコン」(ASR-2)が、
チャールズ・B・モムセン中佐の発明したモムセンラング潜水鐘を改良した
新開発のマッカン・レスキューチャンバーを下ろし、
その後13時間かけて生存者33人全員を救助した。

その後艦体は引き上げられて一旦退役し、1940年、
「セイルフィッシュ」と改名して同年再就役した。


引き揚げられたドックの「スクアーラス」

つまり、ニコルズはこの沈没潜水艦から生還した32名の乗員の一人でした。

「乗員の日記」は、「スクアーラス」の事故を10年前としていますが、
これがニコルス艦長就任時と仮定すると、10年前ではなく、5年前です。
これがなぜ間違っているのかが気になりますが、それはいいでしょう。

ニコルスは「スクアーラス」事故に遭遇した時、海軍中尉でした。

「スクアーラス」は乗員55名の潜水艦で、艦長は少佐だったことから、
おそらく彼は水雷長とか機関長とか船務士兼通信士とかだったのでしょう。

最新鋭のチャンバーが投入され、貴重な人命が救われたこの事故は、
当時海軍の中で知らぬ人のないショッキングな出来事であり、
生還した人たちは、おそらく海軍中の注目を浴びたことでしょう。
その冷静沈着さと幸運な生還はヒーローと称えられたに違いありません。

然は然り乍ら、「シルバーサイズ」に乗務したところの
他の歴代艦長や副長が、全員その後の出世を称えられているのに対し、
ニコルズ艦長については、このことしか言及されていないのです。

ニコルズ中佐は「シルバーサイズ」を降りてから退役し、
その後の出世はもちろん、戦時に潜水艦に乗っていたというのに
勲章の一つも叙勲されなかったので、材料がなかったのかもしれませんが、
海軍軍人として誉められる点が「沈没潜水艦から救助された」ことしかない、
というのは、何かちょっと問題です。

稀有な体験と修羅場を乗り切ったサブマリナーであれば、
それを自分の指揮官としての強みにできなかったのでしょうか。

それとも、二つの潜水艦で、あまりにも短期間に艦長職を降りたのは、
その経験が逆に何かマイナスとなって現れる出来事でもあったのでしょうか。



それでは次回、この謎の艦長ニコルズ中佐の元で、
「シルバーサイズ」がどのような哨戒活動をしたのかを見ていきます。


続く。