ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「東京帰りの俺たちGI」〜駐留軍人の「ニッポンナイズ」

2025-03-01 | アメリカ




ミサイル巡洋艦「リトルロック」のオフィサーズステートルームです。
比較的大型の艦なので、スペースには余裕があり、
二人部屋のベッドは天井も高く、執務用デスクも大型です。

現場の説明は次のとおり。

士官室(オフィサーズステートルーム)

ここバッファロー・ネイバル・パークで公開されている
3隻の艦船、どれにも展示されているように、
海軍の下士官と将校の生活スタイルには歴然とした違いがあり、
その中でも最も明白なもののひとつが生活環境でした。

USS「リトルロック」のこのエリアは「オフィサーズカントリー」と呼ばれ、
より高いランクの士官が住んでいました。

この展示は、このエリアにある士官用寝室の典型的なものです。


■ ”俺たちが東京から帰ってきた時”



今日は」士官室のデスクの上に置いてあった本に注目します。
(それどころかシリーズ化してしまうのだった)

「東京帰りの俺たち」とは、このカートゥーンの
『When We Get Back Home From Tokyo』
を当方超意訳したもので、ビル・ヒュームとジョン・アナリノの共著です。

ビル・ヒュームという漫画家は、以前ここでもご紹介した
「Baby-San」の作者です。

BABYSAN〜進駐軍の恋人

第二次世界大戦中アメリカ軍に入隊したヒュームは、
横須賀に駐留していた時、追浜にいる男という意味の
「オッパマン(OPPAMAN)」という基地新聞の編集者として、
それに「ベビさん」を掲載していたのです。

彼はその後帰国して、日本での軍隊生活を描いた本を4冊出版しました。
そのうちの一冊が、この「東京帰りの俺たち」というわけです。


読んでみましたが、日本人の我々にとって非常に興味深い内容なので、
今日は、お節介ながらこの本を翻訳してみたいと思います。



帰国した時に喜んでくれる故郷の人々に捧ぐ!

■アジアティック
”どういう意味よ?日本が奇妙で普通でない国って?”

日本駐留者にはある言葉が付きまとう。

 それは「アジアっぽい 」(アジアティック)というものだ。
彼らがニッポンに長く居過ぎたことを意味する。

つまり、彼らは帰国しても決して周りと同じようにはなれないということだ。
アメリカの習慣がタオルを投げ入れ、日本の習慣が勝者となるのである。

日本での滞在の後、GIはそれまでの自分にサヨナラ
=(So long, buster. That's it. Good-bye.)を言う。

しかし彼は日本人のように歩き、話し、食事をし、服を着、行動し生活する。
彼は確実に、そして錯乱するほどに「アジアっぽく」なっているのだ。

日本を知らない人は彼の国を奇妙で異常な国と見なしがちだが、
ニッポンに住み、ニッポンの生活を愛してきた軍人は、全くそうは思わない。

彼の視点はもはやネイティブになってしまっている。

色彩豊かで魅力的なあの国に、まるで魔法にかけられたように魅入られ、
アメリカの故郷に戻っても、その魔力から解き放たれずにいる。

■ニッポンナイズ

こんな風になっちゃうなんて・・・2年間は長いわ!!

非番の日にも、軍人は陸軍のカーキ、海兵隊グリーン、
海軍や空軍のブルーを身につけがちだ。

日本での彼らはリラックスして、日本の着物を身につけ、規定の靴を
「エアコンの効いた」靴であるところの「ゲタ」に履き替える。

彼らは兵隊用語を封印し、日本語をブラッシュアップする。

そして、魅力的な衣装に身を包んだ「真のアジア人」は、繁華街を歩き回り、
日本人の知人にお辞儀をしたり、日本語で話しかけたりする。

控えめにいっても、それは彼らにとってまったく新しい人生である。
そして、彼はそれを最大限に活用する。
運動会の日のようにそれを楽しみ、日々は猛スピードで過ぎていく。

しかし、日本に駐在するGIたちにとっての2〜3年は、
ただのアメリカ人からただのアジア人へと変わるためには十分な時間だ。

■日本で最も捨てがたいもの
"プライスレスと申告したら関税はいくらかかるかな”

日本ではアメリカ人がアジアっぽくても何の問題ないし、
軍人も東洋人のイメージの中にすっと入っていけるのは興味深い。
日本人はそんなアメリカ軍人を 「普通の男」として見るようになる。

日本人の家族はしばしば彼を養子にする。
彼らは彼のために家のドアを開け放つ。
彼らの家で、彼は多くのリラックスした時間を過ごす。
彼は訪問のたびに日本人の習慣や風習を教え込んでもらう。

家族を通じて、あるいは他の社会的な経路を通じて、
あるいは個人的な恋愛工作を通じて、彼は「ojo-san」
(「さん」は「ミス」「ミセス」「ミスター」「マスター」に匹敵する敬称)
と出会う。

彼女は東洋的な魅力で彼を魅了し、
彼の人生をより忙しく、そして確実に輝かせる。
彼女は彼の友人となり、仲間となり、通訳となり、ガイドとなる。

そのうちいつの間にか彼女は彼の恋人となり、彼は
「ワタクシハアナタヲアイシマス」と口ずさむようになる。

荷物をまとめてアメリカへ向かうときになって、
彼は日本で見つけたその魅力的なものを捨てがたいことに気づく。

実際、それはどうしても置いていくには忍びないものなのだ。

■ダイジョウブ
”イエッサーエブリシングイズ・・あー、えー、
『DAI JOBU?』って英語でなんだっけ”

日本に長くいればいるほど、アメリカのやり方は異質なものになる。

日本と日本人のやり方は魅力的であり、それゆえ、
その影響は軍人が極東の海岸を離れた後も長く続く。

彼がアメリカ本土に戻り、アルバカーキやスケネクタディ、
コロンビア、パンクスタウニー(著者の故郷)に落ち着いたとき、
彼が培ってきた日本の習慣は、アメリカの習慣に取って代わられる。

その時GIの社会生活は(彼の中で)大混乱に陥る。

帰国後、アメリカの人々が床に座るのではなく椅子に座ること、
家の中では靴を履くこと、そして「ダイジョウブ」の代わりに
「オーケー」と言ったりすることが実に不思議に思えてくるのだ。

■「ドーゾ」
”『バター取って』だけじゃダメだろ!『DOZO』を付けなさい!"

「ドウゾ」は「お願いします」という意味である。

日本人はとても礼儀正しく気持ちのいい国民なので、
「ね」という言葉と同じくらい、これは頻繁に会話に出てくる。
(例えば、「今お金を払いました”ね”?」といった具合だ)

もろくも素敵な言葉である「ドウゾ」は、この国の典型的な言語である。

日本人はよく、「ドオーオーーゾ」と転がるように発音する。
アメリカだと 「pretty please with sugar 」みたいな感じ。

GIは日本語を学ぶのに素敵で、狂おしく、そして実に滑稽な時間を費やす。

日本語は奇妙で不可解な構造に満ちている。
しかし、そのうちに、現地語で人々と話せるようになりたい彼は、
少なくとも、より一般的な単語やフレーズを覚えるようになる。

ただしこれは日本人の方も同じらしい。

サービスマンが日本人に「Domo Arigato」と言うと、
日本人は「You're welcome」と返してくる。

「Ohayo gozaimasu」と言うと、相手は「Good morning」と言うだろうし、
「Konnchi wa」と言うと、彼は「Good afternoon」と言うだろうし、
「Konban wa」と言うと、彼は「Good evening」と言うだろう。

悔しいけど楽しい。

■ 日本語の「はい」は「いいえ」?
”これで最後だ。はい、買いませんよ!”

日本人に日本語で否定形の質問をしたとしよう。
イエスかノーかのシンプルな答えを期待すると、誤解と混同は頂点に達する。

日本人の「はい」はアメリカ人のノーであり、その逆もまた然りだからだ。

例えば「まだ行っていないんですか?」と尋ねたとする。
日本人は「ハイ、行っていません」と答えるだろう。

この「ダブルトーク」はGIをかなり混乱させ、滑稽な状況に追い込む。
アメリカ人は当然、「はい」を肯定的な答えと受け取り、
「行っていません」を否定的な答えと受け取る。

英語の本には「否定が2つあれば肯定になる」と書いてあるが、
肯定と否定が重なると一体どうなるのか?

日本人にとっては否定だが、我々にとってはまったく否定に聞こえない。

しかし、遅かれ早かれGIはそれに気づく。
問題は本国に帰ってからだ。

「イエス」は「イエス」であり、「ノー」は「ノー」であるこの国で、
日本式の言葉の悪ふざけに固執しがちになる者がいる。

■なんて聞こえたんだろう
"ゴメンナサイ・ワカルカ!って言っただけなのに・・”

日本人が言っているほぼ全ての言葉を理解していることに衝撃を受けた時、
サービスマンは日本に来て長いのを実感する。

初めのうちは、日本語のごった煮にしか聞こえなかったが、
やがて言葉は別々の形をとり始め、GIは自分が
「ナンジ」と「デスカ」を使って 「今何時?」と聞いていることに気づく。

天国にいる人々の多くは日本人に違いない。
なぜって日本語には汚い言葉がないからだ。

しかし、日本語の言葉の中には、とても硬い響きを持つものがあり、
全く理解のない人には耳障りに聞こえることがある。

「イカガデスカ」という簡単な挨拶でさえ誤解されやすいのだ。

故郷に帰った時、彷徨える軍人は魅力的な女性に
自分の巧みな言語運用能力を印象づけようとするかもしれない。

しかし、見知らぬ者からそのような奇妙な音を聞いた女性は、
決して感心しないかもしれないとだけは言っておく。

註:「ゴメンナサイ ワカルカ」は、おそらくアメリカ人の耳には
何かスラングで変なことを言っているように聞こえるのでしょう。

■日本のタバコ
”これシガレットホルダーだよ”


外国語は外国人の舌でねじ曲げられやすいので、
日本人にとってのシガレットは「Shigaret」であるが、多くの場合
彼らはシガレット、葉巻、パイプなどすべてを「タバコ」と称し、
「タバコ・チョーダイ」という具合に使われる。

日本では、ラッキーズ、チェスターフィールド、キャメルに相当するのは、
ピース、ヒカリ(太陽の光)、シンセイ(生命の回復)である。
日本のタバコは、すこしかび臭い味がして、軍人にはあまり好まれない。

興味深いのは、バーやキャバレー、レストランで煙草を吸おうとするとき、
あなたは決して自分で火をつけなくてもいいことだ。

魔法のように、「ボーイサン」や「ガールサン」が
愛想笑いを浮かべながらマッチに火をつけてくれるのだ。

これは、とても楽しくてホスピタリティに溢れた国で提供される、
とても心地よいオモテナシのひとつに過ぎない。

■おしぼりと日本のお店
”おしぼりを持ってきてって言っただろ!”

日本のレストランのサービスは素晴らしい。

客がドアを開けるやいなや、ウェイトレスかバスボーイかマネージャーが
お辞儀をして、「いらっしゃいませ 」と言う。
これらの文字が積み重なり、アメリカ人への歓迎の言葉になる。

客が席に着くとすぐに、笑顔のウェイトレスがテーブルに駆け寄る。
彼女はおしぼりを持ってくる。
おしぼりはきれいに丸められ、小さな籐のかごに入れられている。

これは食事の前に手を拭くためのもので、
客が望めば眉間を拭くこともできる。

アメリカ人の目には、レストランにはウェイトレスが一人いて、
その仕事は水を注ぐことだけに見える。
客が最後の一滴を飲み干すやいなや、彼女は水を注ぎにくる。

美味しく食事を食べ終えると、客は、お辞儀のオンパレードと
「ありがとうございました。ありがとうございました。またどうぞ」
の合唱で店を送られる。

GIにとってもう一つ素晴らしいことは、日本のレストランは、
チップのための持ち合わせがなくとも、罪悪感を感じなくてもいいことだ。

日本人はチップを全く期待していない。

チップは好意や料理やサービスを褒める意味を持つかもしれないが、
また来てくれるという保証を意味しているわけではないからだ。

■紙と木の家
"すみません、新聞紙とマッチで家を作れと言われましても”

もしビッグ・バッド・ウルフが単なるフィクションではなく、
本当の話だったら、日本人は心穏やかではいられないだろう。
オオカミはハァハァ言いながら彼らの家を吹き飛ばしてしまうだろうから。

日本の家は小さくて壊れやすい。
日本人は純粋でシンプルな家が好きだからだ。
レンガや石造りはめったにない。
窓やドアは紙と木の棒だ。

しかし、小さな家は居心地がよく、居心地のいい空間だ。
日本に何ヶ月も滞在する軍人は、木と紙の家を好意的に見るようになる。
そして、ついにアメリカで自分の家を建てる時が来たとき、
どんな家が欲しいかという気持ちにそれが大変影響を与えるのだ。

■土足厳禁!
"ね、シンプルだろ?これで掃除の回数も減らせるよ!”

日本の最も素晴らしい習慣のひとつは、家に入るときに靴を脱ぐことである。
靴の消耗を防ぐだけでなく、足の指の自由な動きを感じることができる。

和室に絨毯が敷かれていれば、リラックスできて快適だし、絨毯にも優しい。
部屋には畳が敷かれているから。

マットに触れていいのは素足かストッキングを履いた足だけだが、
日本人はラバのようなスリッパ(草履)を履いてマットを踏むこともある。

玄関は外と内の引き戸に挟まれた前庭のような場所にあり、靴はそこで脱ぐ。
家の中で靴を履かないことで、土や泥を部屋に持ち込む危険性もなくなる。

■引き戸に慣れすぎると

”どうなってんのこのドア?スライドしないぞ!”

両手がふさがっていて、ドアノブを回したり、
ドアを開けられないときには、引き戸は特に便利だ。

障子と呼ばれる日本の引き戸はシンプルなものだ。
木製の骨組みの上に紙が貼られており、
紙は少なくとも年に一度は交換しなければならない。
戸はかなり薄っぺらいものだが、部屋の熱を保ち、
換気を促進するという素晴らしい役割を果たす。

しかし、「ビール」パーティを開く時には、このようなドアは必要ない。
(『ビール』とはビアのことで、大抵はニッポンかアサヒかキリンで、
エコノミーサイズの大瓶に入っている)

例えサービスマンが日本のドアにぶつかったとしても、
苦しむのはサービスマンではなくドアである。
棒(桟)が折れる。紙の窓(障子紙)は剥がれ落ちる。

しかし、引き戸に慣れ、これがあるところに慣れてしまうと、
下手すればドアノブの感触を忘れることすらある。

アメリカに帰る頃には、ドアはスウィングするものではなく
スライドするものだ、と信じている者もいるかもしれない。

■日本式「持たない暮らし」
”家具なんていらないから、売っちゃったよ!”

日本人は部屋を家具でごちゃごちゃさせることを好まない。

実際、部屋の家具はとてもシンプルで、一見したところ、
前の住人が引っ越したばかりではないかと思わせるほどだ。
フロアランプはなく、テーブルランプもほとんどない。
通常は天井に「デンキ」(ライト)があるだけだ。

アメリカ人の部屋にあるような「ガラクタ」はそこにはない。

部屋には鏡台、ラジオ台、花瓶、冬には火鉢が点在する。
タクサン(many、lots、much、給料日にサービスマンが欲しがる量)
の大きくて四角い枕(座布団)がある。

これらは頭を休めるためのものではなく、正座の際に膝を休めるもので、
マザー・ハバードの食器棚のように、かなり殺風景な状態だ。

註:Old Mother Hubbardは英語の童謡。
「空っぽの食器棚」はその第一節。

オールドマザーハバードは食器棚に行き、
可哀想な犬に骨をあげようとした
彼女が台所に行くと
食器棚は空っぽだった
だから可哀想な犬には何もやれなかった

彼女はパン屋に行き犬にパンを買ってあげようとした
彼女が戻ってきたとき、犬は死んでいた!

彼女は葬儀屋に行き犬の棺を注文した
彼女が戻ってきたとき、犬は笑っていた



しかし、突き詰めて考えてみると、そもそも
人にとって家具なんてのは何のために必要なのだろうか?

ものが少ないと、オクサンが埃を払う手間も省けるというものだ。
(オクサン=小さな女性、あなたが心を捧げた女性、あなたのワイフ)。

■床に座る生活

”さあみんな座ってテーブルの脚を切るまで待ってて!
低いテーブルってマジ楽ちんでくつろげるから!”


和室には我々の見慣れない家具がたくさんあるが、
必ずあるのが、短くてずんぐりした脚の大きな丸テーブルだ。

ここですべての食事がとられる。
ここで緑茶を飲み干す。
ここでトランプやその他のテーブルゲームが行われる。
日本人は膝をつき、昔の騎士のように円卓で何時間も何時間も過ごす。

サービスマンは、和室の真っ直ぐでシンプルな設えが好きだ。
何もないが、必要なものはすべてある。
豪華ではないかもしれないが、十分に快適だ。
この快適さは、ニッポンを離れても彼が切望するものだ。

彼の家族や友人たちは、最初はその改造に難色を示すかもしれないが、
実際にやったものだけが、この男の目指すところもわかるだろう。

■フトン万歳
”これでもう転んでも怪我しないよ!”

日本人に必要なのは、布団と呼ばれるカバーリングのマットレス、
小さくて硬い枕、そして少しの床面積だけである。
(興味深いことに、ベビーサイズの枕には一般的にそば殻が詰められており、
この珍しい詰め物のおかげで、寝ている人の頭は驚くほど涼しくなる)。

マットレスと枕は、重いキルトのような毛布とともに、
毎晩就寝時に床に敷かれ、毎朝クローゼットの中にしまわれる。

ベッドを作るために高さのある木枠の端から端まで歩き回る必要がない。
ナイトテーブルも、ハリウッドタイプのベッドにある棚も必要ない。

もちろん、ベッドから落ちる心配もない。

■火鉢
”いやいやいや、暖房に使うものなんだってば!”

火鉢は巨大な植木鉢のように見えるが、花を飾るためのものではない。

それはアメリカ人のかまど、ストーブ、暖炉がひとつになったものだ。
日本の家庭で使われる唯一の暖房器具である。
とても印象的な家具であり、部屋の中に戦略的に配置されている。
火鉢は、とても暖かい暖かさを提供するだけでなく、
家族や友人たちのキャンプ場のような役割も果たす。
アメリカの主婦にとって裏庭が会話の場なら、日本の火鉢はサモサモである。
(お察しの通り、サモサモは違和感のない意味である)。

註:作者は「Samo-samo」を間違って理解している模様



続く。