スミソニアン博物館の「第二次世界大戦の航空」シリーズ、
しばらく語ってきましたがいよいよ最終回です。
最後にぜひお届けしたいのは、
「翼と祈り」(A Wing & A Prayer)
というコーナーの写真展示。
これは敵機と戦って傷ついた機体の写真ばかりです。
まずタイトルの横の説明から見ていきましょう。
「航空機の設計で最も重視された要素の一つは、頑丈さです。
それは、敵戦闘機や高射砲などによって大きなダメージを受けた後も
飛行を続け、搭乗員を生きて帰らせることを第一義としていました。
特に、戦争が敵の領土上空、敵本土に深く入った地域で展開されたとき、
丈夫に作られたアメリカの飛行機は、
ほとんど壊滅的な被害を受けたとしても、
何百マイルの距離を安全に飛行することによって、
貴重な人材である連合国の空軍搭乗員たちを救うことができたのです。
このコーナーではこういった航空機の生還の例を示します」
ドイツのルドヴィヒスハーベンへの爆撃任務の際、
翼に大きな穴をあけられながら帰還したB-17フライング・フォートレス。
どんな大きな穴かは搭乗員四人が上半身を出せることからもわかります。
彼らは降りてきてすぐらしく、まだゴーグルなどもつけたままです。
おそらく、実際に見て被害の大きさと、それでもここまで飛んできた
機体の堅牢さに驚き、感謝したことでしょう。
念のため、彼らの顔をアップ。
一応笑っている人もいますが、どちらかというとぎこちなく硬い表情です。
機体が無事着地して動きを止めるまでは、
激しい緊張に生きた心地もしなかったのではないでしょうか。
爆撃機搭乗員を描いた映画「メンフィス・ベル」で、
破損したランディングギアを着地ギリギリまで手動でおろし続ける間、
全員がそれぞれの形で生還を祈るシーンがありましたが、
あのような光景がこのB-17の機内にも展開していたのでしょう。
爆弾マークの数の多さからも、ベテラン機であることがわかる、
(達成した任務は70回)この第12航空大隊のB-25ミッチェルは、
オーストリアへの爆撃任務の際、機首を吹き飛ばされました。
B-25のノーズはほとんど全面ガラスですから、おそらく帰りは
相当風通しが良かったと思われます。
ここには爆撃手と銃手がいたはずですが、彼らは無事だったのでしょうか。
こちらはBー24リベレーター。
ユーゴスラビア上空で高射砲に見舞われました。
砲弾は胴体部分のコンパートメント内で破裂し、
制御ケーブルを切断してしまいました。
しかしこの機長はエンジンを使って進行方向を維持しながら
何とか無事にイタリアに帰還し着陸することができました。
きっとパイロットには殊勲賞が与えられたことでしょう。
サイパンから出撃したB-24リベレーターのコクピット。
硫黄島攻撃の際被弾し、操縦席の機長と副機長は共に負傷しつつも
機を操縦してサイパンに帰還することができました。
このB-17フライング・フォートレスは、ドイツ上空で敵の高射砲攻撃を受け、
制御ケーブルを切断し、二人のガンナーが負傷しました。
パイロットはそのままイギリスに飛び、
航空機関士に切れたケーブルの端を持たせ、
それを引っ張らせて何とか着陸することができました。
写真が不鮮明ですが、しゃがんでいる二人が見ているのが
そのくだんのケーブルだと思われます。
シンガポール上空で攻撃を受けた、
第20航空大隊のB-29スーパーフォートレス。
翼とエンジンが被弾したにも関わらず、無事に帰投することができました。
ヴィッカース・ウェリントン(Vickers Wellinton)は、
第二次世界大戦初期、王立空軍RAFで使用されていた
ヴィッカース製の爆撃機です。
ヴィッカースというとどうしても機銃をイメージしますが、
重工業会社として造船を行っていた当社が、
航空機製造を始めたのは1911年のことでした。
1920年代にはスーパーマリンを買収するなどピークでしたが、
戦後は航空機部門から撤退することになります。
「ウェリントン」はヴィッカース社が独特に開発した、
籠状に編んだ骨組みに羽布を貼った「大圏構造」
でできていました。
これによってウェリントンの機体は軽量かつ頑丈で柔軟性を持っていたのですが、
この不鮮明な写真でもおわかりいただけるでしょう。
機体後部の網のような部分、これが大圏構造なるものです。
メッシュ式の構造物をあえて剥き出して展示しています。
これは実にユニークな構造ですね。
これが愛称「ウィンピー(Winpy)」の通常の姿。
もう一度最初の写真を見ていただくと、機体後部だけが剥き出しです。
このウェリントンは、当時盛んに行われていたドイツでの夜間空襲の帰り、
攻撃によって火がつき、外側の羽布が焼け落ちてしまったのです。
しかしながら構造物は無事だったため、外側を焼きながら飛んで、
なんとかイギリスに帰還することに成功しました。
このウェリントンに乗務していたのは、当時RAFの一部であった
ポーランド人からなる「外人部隊」の乗員たちでした。
イタリアの深い森林地域を機銃掃射しながら飛んでいたP-47サンダーボルト。
エンジンカウリング、プロペラ、翼全てにダメージを受けながら
無事に帰還することができました。
「穴の開いた翼から乗員が顔を出して記念写真」シリーズその2。
これは先ほどと同じ、イタリアに展開していたPー47サンダーボルト。
無事に帰還後撮られたものです。
88ミリ機銃が直接翼に大きな穴を開けています。
イタリアで掃射中、第12航空隊P-47サンダーボルトのオイルラインに
高射砲が命中しました。
パイロットが無事に着陸したときには
エンジンの凍結がすでに始まっていたと言います。
第8航空隊のB-17フライング・フォートレスは、ドイツのケルン上空で
高射砲を受け、これだけの大きな穴が側壁に空いたにも関わらず、
無事にイギリスに戻ることができました。
壊れた機体と記念写真に収まっている乗員たちの顔は
やはりどことなく引きつっており、笑いはありません。
ノーズペイントはピースサインをする髭をはやした第一次世界大戦の兵士。
半裸や全裸の女性がほとんどのなかで異質の意匠ですが、
このおじさんは「オールド・ビル」といい、
これがこのB-17の愛称ともなっていました。
第365爆撃隊 B-17F「オールド・ビル」は、1943年5月15日、
ドイツ上空で敵戦闘機の正面からの攻撃を何度も受け、
深刻な被害を受けました。
この攻撃によってナビゲーター(ダグラス・ベナブル中尉)は死亡、
オールド・ビルに搭乗していたカメラマンを含む11人のうち、二人をのぞいて
全員がなんらかの負傷をするということになりました。
機長も副機長も負傷したため、無事だった爆撃手と二人のガンナーが
何とか安全地域にたどり着くまでの間操縦桿を握って二人を休ませ、
最後の滑走路への着陸だけをパイロットが行うことにして無事帰還しました。
吹き飛ばされた機首からは修理している地上作業員の姿が見えています。
作業員の足元にフライトジャケットが脱ぎ捨てられているように見えますが、
ここには当時極秘だったノルデン爆撃照準器があったため、とりあえず
それをかくすためにジャケットをかけて写真を撮ったようです。
手前の男性はオールド・ビルのノーズ・アートを描いた人なのだとか。
ノーズアートは大抵絵心のある乗員が製作しましたが、
この人がそうなのだとしたら、無事だったわずか二人のうちの一人が
まさにオールド・ビルの作者であったことになりますね。
機体の向こうが完璧に見える状態に・・・。
このB-17はハンガリー上空で直撃弾を受けました。
こんな状態で飛んで帰ってくることはもちろん不可能です。
着陸時に尾翼が崩壊し、そのショックで胴体は完全に破壊されました。
B-24リベレーターの尾部、銃手が配置されているところですが、
ドイツ上空で戦闘機によって激しく損傷を受けました。
写っているのは修理している人なのでご安心ください。
この状態で無事にイタリアの基地に戻ることに成功しました。
Bー26マローダーの尾翼部分を見たところ。
ほとんど縦一線に「筋目」がついているのは、
ノルマンディ上空で高射砲が当たった痕です。
この損傷によって尾翼はほとんど細断という状態になりましたが、
パイロットはエンジンのコントロールだけで方向を制御しながら、
イギリスに無事に帰ってきて帰投を果たしました。
傷ついた機体をコントロールして生還できるかどうかは
機長の冷静な判断と技術、知識、度胸次第ですが、
このマローダーのように特に優れたパイロットが乗っていたことが
乗員全員の命を救ったというのはラッキーで、もちろん戦争の期間
帰ってくることができなかった機体もたくさんあったのです。
ただ、その生還率を1%でも上げるために、アメリカという国が
航空機を作るときその堅牢さ何りも優先したことを忘れてはいけません。
助かった機体と皆で記念写真その3。
なんとこのB-17フライングフォートレス、
フランス上空でエンジンを失いました。
そして編隊を組んでいた後ろのB-17と空中でぶつかっています。
舵、スタビライザー、後部銃手のハッチ全てに
ダメージを受けたにも関わらず、無事に帰還することができました。
エンジンが片方だけでも帰ってくることができるんですね。
一緒に飛行していた編隊の航空機搭乗員たちは、このB-17の尾部が
完全に撃ち落とされるのを見て墜落したと思っていましたが、
なぜかちゃんと基地に帰ってきました。
必要最小限の機能が残っていたとしか考えられません。
戦闘機にラダーの一部とスタビライザーを完全に撃ち落とされ、
エレベーターの片側もなくなったにも関わらず帰還したB-17。
ドイツ上空で完全に尾翼から後ろを失ったB-17。
中身が奥まで見通せる状態です。
ウィーン上空でこのB-17フライングフォートレスは高射砲の直撃を浴び、
無線コンパートメントの側面が吹き飛ばされて、
ボールターレット砲塔にいたガンナーを内部に閉じ込めました。
(ターレットは下の方に見える)
ちなみにボールターレットとはこのようなものです。
小柄な男性しか入ることはできません。
敵機や高射砲にさらされたとき、ここに配置されている乗員は
さぞ怖いものだろうなあと実物を見ると思わずにいられませんでした。
この甚大な被害にも関わらず、機長はおよそ1000キロ機体を飛ばして
イタリアの基地に戻ることができました。
右下の画面に映り込んでいる悲壮な顔の乗員はガンナーでしょうか。
いくつも無事に生還してきた主に爆撃機の惨状を見てきましたが、
この、ケルンで高射砲を受けてかえってきたB-17に
「こんなのでよく帰ってこれたで賞」
を差し上げたいと思います。
改めて言いますが、本コーナーのタイトルは
「A Wing And A Prayer」。
どちらも単数形なので、丁寧に翻訳するならば
「ひとつの翼、ひとつの祈り」
というところでしょうか。
当初「プレイヤー」(祈り)は鎮魂を意味するのかと思っていたのですが、
こうやって写真を見ていくと、この言葉には、
ダメージを受けた機体を機長たちを中心に、乗員が
一丸となって機体と自分たちを生還させるための必死の努力を行いながら
捧げていた「祈り」という意味が込められているのに気がつかされます。
第二次世界大戦の航空シリーズ 終わり