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Dデイ予備爆撃とフランティック(半狂乱)作戦〜国立アメリカ空軍航空博物館

2024-07-21 | 航空機

第二次世界大戦の爆撃機によるヨーロッパ本土攻撃について
アメリカ国立空軍博物館の展示をもとにお話ししてきましが、
今日はいよいよノルマンディ侵攻作戦、Dデイについてです。

■ノルマンディ侵攻作戦掩護としての爆撃

冒頭の博物館パネルは、Dデイにアメリカ陸軍第8空軍の重爆撃機が
フランスのナンシーにあるエセー・エアフィールドのハンガーを爆撃した痕。
月面クレーターのような爆撃跡が点々とし、いくつかのハンガーは
完璧に吹き飛ばされて跡形もない状態です。

1944年5月までに、戦略爆撃作戦はドイツ空軍の戦闘機部隊を無力化し、
この結果、ノルマンディー侵攻が可能となりました。

1944年6月6日のDデイ前の数週間、第8空軍爆撃機群は
ドイツ軍の兵力集中地帯、飛行場、輸送目標を攻撃し、
Dデイが発動されると、連合軍がノルマンディ堡塁から脱出するために
攻撃によってそれを支援しました。


1944年6月11日、ロワール川の橋を破壊し、
敵軍のDデイ・ビーチヘッドへの進入を阻止する第8空軍の爆撃機。


ノルマンディー北部を攻撃する重爆撃機。

連合軍の重爆激機は、ノルマンディー侵攻の前日、
実際の海岸からはるか北にある敵の海岸防衛線を攻撃しました。


これは、実際の上陸場所から違うところをあえて叩いて、

本当の侵攻作戦が行われる場所を撹乱するための作戦でした。

敵はこの場所に守備力を注入せざるを得なくなり、兵力が分散されて、
この作戦はある程度成功したと言われています。

■ミッキーマウス好きのドイツ将校



Dデイのためのサポート攻撃の一つ。
1944年7月4日、エヴロー・フォーヴィル(Evreaux Fauville)飛行場は、
第8空軍の重爆撃機による攻撃で使用不能となりました。

写真はトライポフフォビアなら背中がぞわぞわするほど穴だらけ。
一つ一つの爆撃痕は大きいですが、上空から見るとこのとおりです。

連合軍爆撃隊によるフランスの飛行場への度重なる攻撃により、
ドイツ空軍は飛行場を使用できなくなっていきました。

「私は個人的に、あなた方の空軍がなければ、
侵攻は成功しなかったと確信している」

戦後、連合軍側にこのように言ったルフトバッフェの中将がいました。
ドイツ空軍なので階級はGeneralleutnant です。


みなさん、この、あまりドイツ人らしくない空軍中将の顔、
覚えていらっしゃいませんか?
そう、ルフトバッフェのエースであった、

アドルフ・ヨーゼフ・フェルディナンド・ガラント中将
(Adolf Josef Ferdinand Galland)1912-1996

です。
バトル・オブ・ブリテンのとき、何が足りないかと聞かれて

「スピットファイア」

とよりによってゲーリングに向かって言い放ったった話は有名です。

ちなみに、彼とヘルマン・ゲーリングは実は大変仲が悪かったそうで、
一方、アルベルト・シュペーアとは尊敬し合う仲だったとか。

リベラルというか、立場をあまり考慮しない物言いが、
ドイツ空軍首脳部にとっては面白くなく、揉めることも多かったようです。


スペイン内戦中、コンドル軍団第88戦闘機グループの参謀長だったとき、

ミッキーマウスのペイントが入ったハインケルHe51に乗っていた人、
といえば思い出す方もおられるでしょうか。

我々の目から見てもただものではない感じのパイロットであった彼は、
操縦も射撃の腕も大変優れていて、それだからなのか、
野心的でいつも注目を集めることが大好きな目立ちたがり屋さん。


この頃の彼は、このミッキーペイントの戦闘機に、
水泳パンツだけで乗り込み葉巻を咥えながら操縦していたそうです。

曰く、

「ミッキーマウスが好きなんで、いつもどこかに身につけている。
葉巻も好きだが、こちらは戦後やめなければならなかったよ」


彼はその期間中隊名にも「ミッキーマウス」とつけていました。
流石にアメリカと戦争するようになってからは控えた・・のかな。



■ オペレーション・フランティック
ソ連からのシャトル爆撃

1944年、アメリカはソ連の指導者ヨシフ・スターリンを説得し、
アメリカ空軍機がソ連西部の基地から出撃する許可を得ました。

6月から9月にかけて、第8空軍と第15空軍は
「フランティック作戦」Operation Frantic というコードネームの下、
合計7回のいわゆる「シャトル空襲」を実施しました。


作戦ルート、右側の星印(ウクライナ)から出発


あるいはこちら

ソ連の空軍基地を使用するというアメリカの作戦は、
ドイツ側に米ソの連携をアピールする目的もありましたが、
結論から言うとソ連は非協力的だったので、7回しか攻撃せず終わりました。


具体的にどう非協力的だったかと言うと、
一部の目標に対してソ連が拒否権を発動しまくったそうです。

この頃から潜在的に両国は互いを敵視していたわけですからね。


ただ、航空隊の現場では互いに友好的だったそうです。


同じフィールドにYak-9とB-17がいるというシュールな光景


ロシア語でB-17の機体に「北極星」とペイントされてしまうも、

ニコニコしているお人よしなアメリカ人たち


「USSRとUSAより、枢軸国へ(プレゼント)」
左から米露露米米米



キエフ近郊のソ連空軍基地に着陸する第15空軍のB-17。
ソ連は3つの飛行場を用意して対処しました。



地中海連合空軍司令官のアイラ・イーカー(Ira Eaker)中将が、
最初のシャトルミッションを指揮しました。

写真はソ連に着陸した直後のもの。


ソ連に上陸して4日後、イーカーの爆撃機は
ルーマニアのガラティの主要航空基地(写真)を攻撃し、
ソ連の飛行場に戻るというシャトル爆撃を行いました。

6月11日は、イタリアに戻る途中でルーマニアの別の目標を爆撃しています。

ユーゴスラビア上空を飛行してUSSRに向かう第15空軍のB-17編隊
1944年6月2日

シャトル空襲の際、ソ連軍や民間人の中に強制降下させられ、
アメリカ人であることを証明する必要があった場合に備えて、
飛行士が携帯していた「セーフコンダクトパス」(安導権)


B-24のナビゲーター、ヴェル・ドリソン中尉が
「フランティック作戦」で携行した身分証明書とフレーズシート

このパイロットを助けたら政府から報奨金が出るから(襲ったりしないで)
ということがロシア語と英語で書いてあります。


以前も一度紹介していますが、
ライマン・バーカロウ大尉が作戦で着用していたジャケットとカメラ。

カメラはソ連に没収されそうになったのを死守しました。

■フランティック作戦:アメリカの目的(と失敗)

遠く離れたドイツの目標を攻撃することは、実のところ、
アメリカにとってフランティック作戦の主な目標ではありませんでした。

アメリカは、ここで前例を作り、基礎を作って、
後にシベリアから日本を爆撃しようとしていた

といわれます。

最終的な目標はソ連に多数のアメリカ空軍を設立し、
シベリア作戦に切り替えることだったんですね。


もう一つの(というか表向きの)目標は、両国間の信頼と協力の発展でした。

少なくともアメリカは、戦後の世界において、
ソ連と友好的な関係を確立できると思っていました。

(友好の目的が自国の利益でしかなかったことはさておきます)

そのために、技術と研究、特に電気通信、気象学、航空偵察、
航空輸送ネットワークにおける緊密な相互協力と交流を提案しました。

しかし、ソ連はしたたかで老獪でした。

このとき、アメリカはソ連に、

「300機から400機のB-24爆撃機を提供するから、
アメリカ本土で
ソ連軍に訓練させてはどうか」

と提案したのですが、スターリンはこの申し出を受け入れず、その一方、
シベリアに着陸した米軍爆撃機をこっそり保管し、コピーしていました。

しかもソ連から提供された基地は、米空軍の希望より辺鄙な場所で、
そもそもインフラが西側の基準からして全く不十分なもので、
重爆撃機は春になると泥の海に着陸を余儀なくされていました。

これは政治が絡んだためです。

赤軍空軍そのものは、前述のように強力的で支援に熱心だったものの、
官僚機構と政治は戦略的にアメリカを警戒敵視し、

隙あらば利用する気満々でしたから当然といえば当然ですが、
8月から9月にかけてソ連の態度は露骨に敵対的なものとなり、
1945年までにアメリカの小規模部隊は大きな苦悩を残して撤退します。

一方イギリス空軍はというと、チャーチルの意見で不参加を決め込み、
アメリカの苦労を高みの見物していたようです。

米ソの亀裂が決定的となったのは、ソ連がワルシャワ蜂起の支援にも、
ソ連領土からのアメリカ人捕虜の送還のためにも、
基地を使用する許可を出さず非協力的だったことからでした。

現場においても、ソ連は戦力防御が呆れるほど不十分なくせに、
アメリカ側の、レーダー誘導砲と夜間戦闘機の支援を拒否したことで
両国間の関係はさらに悪化し、アメリカは作戦中止を余儀なくされました。

ソ連側からすると、アメリカの領土侵略の野心を見抜き、
これを拒否することでその目論見を挫いたということなのでしょう。
(本日書いたことはあくまでもアメリカ側の視点からの意見なので、
実際はどうだったかはわかりませんが、たぶん)

いずれにせよ、このときの両国の協力体制は壊れ、最終的には
のちの冷戦を予感させる不協和音を生み出すことになりました。


いまさらですが、「Frantic」とは、以下のような意味があります。

(恐怖・興奮・喜びなどで)気が狂ったような,半狂乱の,血迷った.

大急ぎの,大あわての.



続く。





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1 Comments

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メンタリティ (Unknown)
2024-07-21 08:11:04
歴史上、ロシアや中国は、侵略で国がひっくり返る思いを何度もしているので、国境のさらに外側に自国の影響力が及ぶ緩衝地帯(衛星国)を確保したいと考えています。一方、そんな思いをしたことのないアメリカは、そういうメンタリティに無頓着で、自分のメリットだけを考えて、ソ連に基地使用を迫ったのだと思います。
ロシアと中国は長大な国境を接しているので、その間がバチバチするのは理解出来ますが、アメリカはロシアとも中国とも接していないので、バチバチする時期とやめておこうと思う時期が交互になるのでしょう。
民主党政権でも、共和党政権でも、中国との対立は避けられないところまで来ているので、ロシアとまでバチバチしてられないと考える人がいて当然だと思います。ただ、アメリカが支援を控えるとなると、ウクライナは継戦出来なくなるので「やった者勝ち」の世界になってしまいます。それはそれでマズいですね。難しいところです。
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