待望の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』をロードショー当日に観てきました。
が、気合を入れすぎて、記事書くのにえらい時間がかかりましたw
★★★★★
2008年もまだ始まったばかりだというのに、今年はこの映画を上回る映画はあるんだろうか。
舞台、ミュージカル版をチェックしまくってから臨んだティム・バートン版『スウィーニー・トッド』は、ミュージカル版と比べると多少の不満も有ったけど、それを上回る映画としての完成度の高さ、ティム・バートン以外に映画化は無理だろうと感じさせる圧倒的な説得力で迫って来る。
オペラ的と評されたブロードウェイ版よりは、幾分ミュージカルらしく、そしてティム・バートンの映画らしい映像が俺のツボ。
不満というのは、ミュージカル版で描かれている重要なシークエンスと楽曲がまるごとカットされている事についてなのですが、舞台と映画の尺には差が有り過るから仕方ない。
それはそれでアリな構成に変わっているし、ミュージカル版を知らない方には何の問題も無い。
でも、今後、パッケージ化にあたって欠落した部分を埋めたような“完全版”がリリースされたら、尚の事嬉しいなぁなんて淡い希望は抱いています。
スティーブン・ソンドハイム自身の編曲により、映画的でドラマチックになった『スウィーニー・トッド』の楽曲と、ティム・バートンのダークでユーモラスな世界が融合し、『スウィーニー・トッド』に登場する人物達の一方通行な愛の形、復讐に燃える魂が描かれていた。
“ただし”、殺人を犯し、血みどろで狂喜する主人公をユーモアたっぷりに描くミュージカルなので、その点に嫌悪感を感じそうな方には絶対にお勧めしません。
お勧めしませんったらしませんので、観て文句言われても一切受け付けませんw
ネタバレに移る前に、前回の予習記事で触れた1982年収録のハロルド・プリンス版ミュージカルDVDについての報告。
購入して複数台のプレイヤーとパソコンで確認してみましたが、表記通り“NTSC方式のリージョン1専用”だったので、普通の方法では日本国内での再生は不可能でした。
パソコンでリージョンコードを外して見る事ができるソフトをお持ちの方、もしくはNTSC方式リージョン1を再生可能なプレイヤーをお持ちの方しかご覧になれませんのでご注意を。
1982版の上演を収録したものですが、複数台のカメラを使っていろんな方向から撮影されていて、顔や手のアップ、上からのカメラアングルもあるので、2001年版のコンサート版と同じく見応え有りです。
字幕のバリエーションに日本語は有りませんでした。
1979年のトニー賞主演女優賞アクター、アンジェラ・ランズベリー自身の演じるラヴェット婦人が凄いので、必見。
ちなみに宮本亜門版は、こちらをベースにしています。
前回の予習記事は →こちら
ネタバレ
さて、どこから書こう。
冒頭から、曲名ベースで全部書いてしまいましょうか。
お約束の“The Ballad of Sweeney Todd”に併せて、雨と真紅のパールのような血が滴るCGアニメで始まるオープニング。
歌詞は一切無いインストバージョン。
舞台ではナレーション的な役割を果たしていたこの楽曲は、この先もテーマ音楽としてインストで終始していた。
頭の中ではミュージカル版の歌詞が、音楽に乗せてグルグルと回っていく感覚。
そうこうする内、ミンチが、血の流れる下水が…。
いつのまにか実写と摩り替り、“彼”を乗せた船が現れる。
ミュージカル版では楽曲の最後にスウィーニー・トッドの登場で大合唱となり、観客の拍手で迎えられる訳だけど、今回は次の曲までじらされる事となった。
“No Place Like London”に乗せてアンソニーとスウィーニー・トッドの登場。
アンソニーは…若い。
宮本亜門版の城田優よりも若い俳優なのでは?
俺の場合は入門が宮本亜門版だったので、この若いアンソニーには違和感を感じない。
むしろ、歌声が若々しく、ヒロイン・ジョアンナとのデュエットが楽しみに。
圧倒的に若いアンソニーの後ろには、これまた従来よりも若いMr.Tがジョニー・デップの姿で厳かに登場。
気になっていた歌声は、映画には映画のボリューム、歌い方があるんだと、改めて納得の行く控えめのスタイル。
オープニングタイトルを合唱にしていたら、役者の控えめな歌声は劣って聞こえたかもしれない。
合唱と言えば、本映画バージョンではオープニングに限らず、合唱やコーラスは全てカットされ、より各キャラクターが際立つ演出になっている。
劇場では効果的でしたが、パッケージ化された後に小さな音量で聞いたら、やっぱり歌声のボリュームを物足りなく感じてしまうのかもしれません。
目まぐるしく街中を通り過ぎていくカメラワークと共に、物乞い女登場の部分が丸ごとカットされ、そのまま回想に行ってしまった…ここは舞台を観た人の賛否が分かれそう。
この時点で物乞い女が言う「どこかで会ったことが?」という台詞が、クライマックスまでの長い伏線になってくる訳ですから。
一曲目をインストにして楽曲的な構成を変えたことで、このタイミングで物乞い女が出てくるとテンポを乱すと判断し、後でしっかり描けば良いと判断したのかな?
“The Barber and His Wife”は、短縮された“No Place Like London”の中に含まれ、回想の映像と共に一気に描かれて行きます。
場所は例のパイ屋に。
扉を開くと、ラヴェット夫人が待ち構えていたかのように“The Worst Pies in London”を歌い出す。
姿も歌声も舞台のそれとは違い、若くて美しい印象。
声のキーは初期のアンジェラ・ランズベリー同じで高けれど、アヴァさを感じさせない綺麗なラヴェット夫人。
けれど、不気味なミートパイを作りながら歌う姿はやっぱりどこか奇妙で、キャラクターとして魅力的な存在感がある。
それは、演じているのが怪女優、ヘレナ・ボナム=カーターだから。
この時点で、ティム・バートンの新しい『スウィーニー・トッド』の世界がようやく完成した感覚にとらわれた。
続く“Poor Thing”も高いキーで、よりウィスパーボイス。
ここでの演出はハロルド・プリンス版の舞台を真似たような仮面舞踏会での不幸な結末に終わるけれど、同情しているようで、より滑稽に歌い上げている。
彼の正体が判明し、ラヴェット夫人が彼にカミソリを手渡すわけですが、映画版では、より大切に隠し持っていたように描かれ、彼女のMr.Tに対する密やかな思いが感じられた。
“My Friends”ではカミソリを手に入れたMr.Tの歓喜と、彼への思いを高いキーの美しい声で歌い上げるラヴェット夫人の姿があり、まるで今回は彼女がヒロインのよう。
等と思いながら観ていたら、次のシークエンスでそれが決定的になるわけです。
場所は変わって、窓辺で“Green Finch & Linnett Bird”を歌うジョアンナと、それを見上げるアンソニー。
映画版では、彼らは窓越しで目を合わせただけに留まり、「こっちを見てくれ!」という願望を歌い上げる“Ah,Miss”はカット。
ここでようやく登場した物乞い女が、“Ah,Miss”からの抜粋で“Alms Alms”を歌う。
ジョアンナが階下に降りて来る事は無く、“Ah,Miss”と“Green Finch & Linnett Bird”の交じり合う美しいハーモニーも無い。
事情を知ったアンソニーは、一方的にジョアンナへの思いをつのらせ、何もしていないのにターピン判事らにボコられる事でさらに恋心は燃え上がり、一人で“Johanna”を歌い上げる。
舞台ではジョアンナに小鳥を渡すところをターピン判事に見つかり、追い返されても尚歌い続けるという愛の歌なのだけど。
そう、映画版のアンソニーはジョアンナと目が合っただけで気持ちが通じたと思い込み、「君を奪いにいくよー」と歌うストーカー青年なのです。
逆に、隙を見てはアンソニーの股間を狙う物乞い女の困った性癖は、映画版では無くなった。
やっぱりヒロインはジョアンナではなく、ラヴェット婦人になる流れ。
続いてトバイアスと、ピレッリ登場の場面。
“Pirelli's Miracle Elixir”を歌いだしたのは…少年!。。
これまでのイメージは頭の弱い青年だったので、これは驚き。
そっか、ラヴェット婦人がヒロインなら相手が子供の方が感情移入しやすいし、モッコリを強調し過ぎなピレッリとトビーの関係もただの師従関係ではなく、利用しているだけでもなく、危険な方向にいろいろと想像してしまうし、これはこれでアリですね。
名前もトビーとだけ呼ばれ、トバイアスという名前には触れない。
ピレッリとMr.Tの対決では“The Contest”を歌うピレッリがまた憎たらしくもトビーをいたぶっていて、早いとこMr.Tに殺されてしまえなんて思ってしまうほど。
舞台だとここで子役を使ってしまうと興行的に大変だろうから、あえて青年にして子供っぽい声色で歌わせていたのかもしれません。
このトビー役の少年の歌がまた上手くて、これまで子供っぽい声色で大人が歌っているのしか聞いた事が無かったから、かなり新鮮な感動。
映画版ではこの後で、ジョアンナがアンソニーに対し窓から鍵を落とす場面が挟まれたのですが、目が合って以降の展開が何も無いので、ほんとに意味不明な行動。
口もきいたことの無いストーカー男を頼ってまで逃げたかったのか、ジョアンナ追い込まれすぎw
いつまで待ってもこないターピン判事。
Mr.Tをなだめるラヴェット夫人が歌う“Wait”、これもキーが高く、どこかファンタジック。
そうこうしていると、鍵を拾ったアンソニーがやって来る。
映画版では若い故に、よりMr.Tに頼り切った様子。
もはやストーカーで、かつアフォ男にしか思えないけど、小物キャラクターを狙った変更なのだろう。
スウィーニー・トッドが初めての殺人を犯す事となる“Pierlli's Death”。
ここも映画では歌がカット。
どこかで見たと思っていたピレッリ役の俳優、よく見るとサシャ・バロン・コーエンじゃないですかw
毛生え薬詐欺だけに留まらず、『ボラット』で痛い目に遭った人たちの復讐も考慮して、Mr.Tにボコられている姿はサイコーですw
それを狙った配役としか思えない。
ピレッリの本名は、確か舞台版と変わっていました。
階下では二階の物音を気にするトビーの姿が同時に描かれ、舞台版よりも頭の良い様子がうかがえる。
生きていく術として、理解してピレッリに絶対服従している少年。
ピッレリの死後に階上に上がってくるにしても、“鈍いトバイアス”ではなくて、“感の鋭いトビー”を意識した作りに拘った様子が感じられる。
ラヴェット婦人にも、少年に寄せる母性愛的な感情が加えられていて、後にトビーとの母子のような感情が深まっていく伏線に。
舞台ではこの後にターピン判事の恐ろしい思惑と決断が、ターピン版の“Johanna”で歌い上げられる。
自分自身の背中に鞭を打ちながら。
その緊張したシーンから、見所のひとつジョアンナとアンソニーの心が通じ合う様子を歌う“Kiss Me”で緩和。
ここは、早口言葉のような歌詞で二人の歌が絡み合い、美しいハーモニーを奏でていくのが面白く、「今晩逃げよう」と約束をする重要な場面。
ターピン判事とバムフォートが計画を立てる“Ladies in Their Sensitivities”も合間に挟まれ、希望に満ちた二人との対比が面白く、最後には四人の歌声が絡まりあう。
でも、映画では丸ごとカットされ、ターピン判事とバムフォートがジョアンナとの結婚について会話(バムフォードのみ“Ladies in Their Sensitivities”のメロディーに乗せて一部歌う)するにとどまった。
“Kiss Me”の削除で、ジョアンナとアンソニーが恋に落ちるくだりが完全に欠落してしまったのですが、ただでも空回りしているアンソニーは、この後どうなるのでしょうかか。
映画版では、ピレッリ殺害の直後、袖の血が乾くよりも早いタイミングで、ターピン判事が理髪店にやって来ます。
アラン・リックマンとの“Pretty Women”は、舞台と同じく宿敵同士の歌にも関わらず、甘い香りのするもの。
眉の動きひとつで嫌悪感の出せる名悪役アラン・リックマン、彼の表情をじっくり見る事の出来るオイシイ場面。
いよいよターピン判事の喉を掻っ切るかという時に、お約束のアンソニーがメロディー無しで登場。
全員の表情が豹変する注目の場面、勢いで舞台では第一幕のクライマックスへ、この辺はほぼ舞台版のままの演出で進行していた。
何事かと飛び込んできたラヴェット夫人の前でMr.Tが歌う“Epiphany”。
「You Sir!」と叫びながら怒りをあらわにするモンスターの姿は、声こそ舞台よりも抑え気味だけれど、実際の街の中をカミソリを振り回しながら、今にも目の前の人物に襲い掛かりそうな表情が面白い。
Mr.Tが歌い終わった後のラヴェット夫人の台詞は、笑いを狙ってるはずなのに、字幕では流してしまってちょっと残念。
第一幕のクライマックス、“A Little Prest”。
ピレッリの死体の処理方法を思いつき大喜びのラヴェット夫人。
さっきまで怒り狂っていたMr.Tも一転笑顔で歌いだす。
韻を踏む言葉遊びが加速し、ダジャレ合戦に転じる、一番コメディー要素の強い場面なのだけど、日本語字幕ではなかなか難しいですねぇ…。
ここで緊張と緩和で笑っておかないと、後半息苦しいと思うのですが。
気合を入れて関西で一番大きいスクリーンの映画館の中央を予約して観たのですが、クスクス笑っている人はほんの数名…もったいない!
そうそう、笑いと言えば、映画版は全体的にコメディー色が薄くなっている印象です。
代わりに、おなじみのキャラクター達が、ティム・バートンらしい“ファニー”とか“ユニーク”といった言葉が似合うように再構成されているように思う。
特に、より滑稽になったアンソニーは、今回完全に道化師的な役割に。
従来は道化師で、後にストーリーテラー的な役割もしていたトバイアスが、悲哀に満ちた賢い少年になり、物語がスマートになった。
ミートパイに人肉を使う事を思いついたラヴェット夫人、街中の人間を切り裂いてやりたい程の狂気に取り付かれたMr.T。
共同で始めた仕事については、舞台版では休憩を挟んだ第二幕で描かれます。
第二幕最初の曲順は、舞台では“God, That s Good!”が先で、“Johanna”が後でしたが、映画では“Johanna”が先。
従来の“God, That s Good!”の歌詞の中では、大繁盛になったパイ屋、死体を落とす仕掛けを作りテストするMr.T、隙有るごと店内に入ろうとする物乞い女、それら三つの事に関わってテンヤワンヤなラヴェット夫人が描かれていました。
映画版では椅子の仕掛け作りを映像で済ませ、先に“Johanna”を持ってきて娘への妄想に浸りながら次々に来客の首を切るMr.Tを描いてから、シンプルで派手にアレンジした“God, That s Good!”を持ってくる構成。
なるほど、効率的で時短になっています。
トビーの子供の歌声が“God, That s Good!”を、よりキャッチーに仕上げてもいます。
死体シュートは垂直で、喉を掻っ切られた被害者は頭から真っ逆さまに落とされて首がボキッと音を立てて折れる仕組み、なんてグロくて確実な方法。
シュート自体はお約束のブラックジョークで笑うポイントなんだけど、観客はそれまでのジョークで温まっていないのでほぼ笑いは起きず、友人と二人中央で笑った俺は気まずかった。
充実した毎日をおくるラヴェット婦人の歌う“By the Sea”。
色が失われた現実世界にあって、唯一色に満ち溢れ開放的な妄想の世界を描くシークエンス。
『コープスブライド』か『ビートルジュース』にでも出てきそうな顔色のMr.Tとラヴェット婦人、+トビーの様子が滑稽で面白い。
彼女の妄想を描いているので、草原に座る場面も現実なのかどうかは疑わしい。
Mr.Tは、続く“Wigmaker Sequence”でアンソニーをそそのかし、“The Letter”でトビーに手紙を託すのですが、映画では歌をカットし、ジョニー・デップの怪しい演技でサラッと進行。
その分アンソニーの素直過ぎるアフォっぷりと、封筒にすら入れられていない手紙を預かり次のシークエンスで騒ぎ出すトビーの姿が、わかり易く描かれている。
“Not While I m Around”
頭の良いトビーは、物乞い女の言う悪魔がMr.Tなのではないかと感づき、ラヴェット婦人を守るために必死で歌う。
ピッレリの財布を見て悪魔の正体を確信してしまうのだけれど、パイ作りの手伝いを餌に、死体シュートの行き先、地下室に連れて行かれ、そのまま閉じ込められてしまった。
頭の弱い青年バージョンは、「ミンチ機で三回挽く」がラストシーンで涙を誘うキーワードになるが、今回その台詞は無し。
精神病院からジョアンナを救い出すアンソニー、脱走した二人が待ちの中を駆け抜ける場面の“City on Fire/Not While I m Around”は、丸ごとカットで、精神病院から奪取する場面が歌無しで描かれた。
ラヴェット婦人が地下から上がってくると、バムフォードがピアノを弾きながら“Parlor Songs”を歌っている…のが舞台版、映画ではここも会話だけの場面に変わる。
しつこく地下へ行こうとするバムフォードを香水をネタに理髪店に連れ込むMr.T。
この時、映画では人肉パイの中身と、ミンチ機の中身に気づくトビーに、バムフォードが落ちてくるというさらなる恐怖が描かれる。
舞台のトバイアスの場合は、パイの中に人髪を見つけるけどお構いなし、ミンチ機の中身についても気づく直接的な表現は無く、嫌な空気が流れているところに突然バムフォードが落ちて来て動転する。
理髪店にたどり着いた二人の歌う“Kiss Me-Reprise”は二人でどこかに逃げましょう的な希望の歌なのだけど、こちらも映画ではカットされ、ジョアンナが冷静に「逃げたら夢が持てるの?」とアンソニーに聞くことで、彼の道化師っぷりが露呈。
そう言えば二人で逃げましょう的な歌は全てカットされているw
とりあえずジョアンナは残されて箱に入るけど、アンソニーはこの場面で出番が終了w
バムフォードが理髪店に入るのを見ていた物乞い女は、出てこない事を怪しんで二階に進入しながら“Lullaby”を歌う。
舞台では見覚えのある光景に、娘が居た記憶がよみがえり、楽しげに歌い舞っているところにMr.Tが戻ってくるが、映画では歌はフレーズのみ。
映画では、冒頭に登場しなかった分、ここで初めて「どこかで会ったことが?」と印象的な言葉を残す。
どちらも悲しくて悲しくて、この次の衝撃的な展開を思うと涙無くしては観れない場面。
ターピンが来たので、何の躊躇も無く邪魔な物乞い女を殺害するMr.T。
映画版ではあまりにものあっけない死に号泣。
この後、“Final Scene”と題してこれまで出てきた様々歌が次々に歌われながらクライマックスが進行していく。
ターピン判事を殺害して復讐を果たしたベンジャミン・バーカーの狂喜に満ちた叫び。
危うくジョアンナをも殺害してしまうところで、ラヴェット婦人の叫び声に動揺し、ジョアンナに手をかけずに済むが…。
階下ではラヴェット婦人が大慌て。
落ちてきたターピン判事に裾を掴まれ、叫び声を上げた事でルーシーの死体を処理する前、Mr.Tに見つかってしまう。
Mr.Tに怯えながらワルツを踊り、焼却炉に突き飛ばされてしまうラヴェット。
燃えてるところの顔はいかにもヘレナ・ボナム=カーターらしく魔女を彷彿とする。
まさか、あんな直接的な映像にするとは思いもしませんでした。
後悔に苛まれるベンジャミン・バーカーは、隠れていたトビーに首を掻かれ、座ってルーシーの亡骸を抱いたまま死んでいく…。
この最後の場面もトビーのキャラクターが違う事で若干違う演出に。
舞台でのトバイアスの発想は、「もう悪いことが出来ないように殺してミンチにしちゃおう、三回挽いてミンチに」というものでした。
映画では、もっと明確な理由がありましたね。
ここで舞台ではトバイアスが突然男前な声で“The Ballad of Sweeney Todd”を歌い始め、登場人物達が少しずつ登場して各自のパートを歌い、最後は大合唱になって幕が下ります。
ここが見ものなので期待していたのですが、映画は暗転してエンドロール中にインストが流れて終わり。
ここもちょっと残念。
感想なんだか比較文なんだか、長文過ぎてわけのわからんレビューになりましたが、こんな感じです。
あ、クライマックスは、ずっと泣いて観てましたw
これからサントラの購入を考えておられる方は、ハイライト版と完全収録版が有るので、確認してからご購入なされる事をお勧めします。
記事の文字数が限界に達したので、サントラCDと、冒頭に書いた1982年版舞台DVDの情報は、前回の予習記事に改めて張りなおしました。
個人的には、2006年の舞台版のサントラCDが聞きやすくてお勧めです。
前回の予習記事は→こちら
が、気合を入れすぎて、記事書くのにえらい時間がかかりましたw
★★★★★
2008年もまだ始まったばかりだというのに、今年はこの映画を上回る映画はあるんだろうか。
舞台、ミュージカル版をチェックしまくってから臨んだティム・バートン版『スウィーニー・トッド』は、ミュージカル版と比べると多少の不満も有ったけど、それを上回る映画としての完成度の高さ、ティム・バートン以外に映画化は無理だろうと感じさせる圧倒的な説得力で迫って来る。
オペラ的と評されたブロードウェイ版よりは、幾分ミュージカルらしく、そしてティム・バートンの映画らしい映像が俺のツボ。
不満というのは、ミュージカル版で描かれている重要なシークエンスと楽曲がまるごとカットされている事についてなのですが、舞台と映画の尺には差が有り過るから仕方ない。
それはそれでアリな構成に変わっているし、ミュージカル版を知らない方には何の問題も無い。
でも、今後、パッケージ化にあたって欠落した部分を埋めたような“完全版”がリリースされたら、尚の事嬉しいなぁなんて淡い希望は抱いています。
スティーブン・ソンドハイム自身の編曲により、映画的でドラマチックになった『スウィーニー・トッド』の楽曲と、ティム・バートンのダークでユーモラスな世界が融合し、『スウィーニー・トッド』に登場する人物達の一方通行な愛の形、復讐に燃える魂が描かれていた。
“ただし”、殺人を犯し、血みどろで狂喜する主人公をユーモアたっぷりに描くミュージカルなので、その点に嫌悪感を感じそうな方には絶対にお勧めしません。
お勧めしませんったらしませんので、観て文句言われても一切受け付けませんw
ネタバレに移る前に、前回の予習記事で触れた1982年収録のハロルド・プリンス版ミュージカルDVDについての報告。
購入して複数台のプレイヤーとパソコンで確認してみましたが、表記通り“NTSC方式のリージョン1専用”だったので、普通の方法では日本国内での再生は不可能でした。
パソコンでリージョンコードを外して見る事ができるソフトをお持ちの方、もしくはNTSC方式リージョン1を再生可能なプレイヤーをお持ちの方しかご覧になれませんのでご注意を。
1982版の上演を収録したものですが、複数台のカメラを使っていろんな方向から撮影されていて、顔や手のアップ、上からのカメラアングルもあるので、2001年版のコンサート版と同じく見応え有りです。
字幕のバリエーションに日本語は有りませんでした。
1979年のトニー賞主演女優賞アクター、アンジェラ・ランズベリー自身の演じるラヴェット婦人が凄いので、必見。
ちなみに宮本亜門版は、こちらをベースにしています。
前回の予習記事は →こちら
ネタバレ
さて、どこから書こう。
冒頭から、曲名ベースで全部書いてしまいましょうか。
お約束の“The Ballad of Sweeney Todd”に併せて、雨と真紅のパールのような血が滴るCGアニメで始まるオープニング。
歌詞は一切無いインストバージョン。
舞台ではナレーション的な役割を果たしていたこの楽曲は、この先もテーマ音楽としてインストで終始していた。
頭の中ではミュージカル版の歌詞が、音楽に乗せてグルグルと回っていく感覚。
そうこうする内、ミンチが、血の流れる下水が…。
いつのまにか実写と摩り替り、“彼”を乗せた船が現れる。
ミュージカル版では楽曲の最後にスウィーニー・トッドの登場で大合唱となり、観客の拍手で迎えられる訳だけど、今回は次の曲までじらされる事となった。
“No Place Like London”に乗せてアンソニーとスウィーニー・トッドの登場。
アンソニーは…若い。
宮本亜門版の城田優よりも若い俳優なのでは?
俺の場合は入門が宮本亜門版だったので、この若いアンソニーには違和感を感じない。
むしろ、歌声が若々しく、ヒロイン・ジョアンナとのデュエットが楽しみに。
圧倒的に若いアンソニーの後ろには、これまた従来よりも若いMr.Tがジョニー・デップの姿で厳かに登場。
気になっていた歌声は、映画には映画のボリューム、歌い方があるんだと、改めて納得の行く控えめのスタイル。
オープニングタイトルを合唱にしていたら、役者の控えめな歌声は劣って聞こえたかもしれない。
合唱と言えば、本映画バージョンではオープニングに限らず、合唱やコーラスは全てカットされ、より各キャラクターが際立つ演出になっている。
劇場では効果的でしたが、パッケージ化された後に小さな音量で聞いたら、やっぱり歌声のボリュームを物足りなく感じてしまうのかもしれません。
目まぐるしく街中を通り過ぎていくカメラワークと共に、物乞い女登場の部分が丸ごとカットされ、そのまま回想に行ってしまった…ここは舞台を観た人の賛否が分かれそう。
この時点で物乞い女が言う「どこかで会ったことが?」という台詞が、クライマックスまでの長い伏線になってくる訳ですから。
一曲目をインストにして楽曲的な構成を変えたことで、このタイミングで物乞い女が出てくるとテンポを乱すと判断し、後でしっかり描けば良いと判断したのかな?
“The Barber and His Wife”は、短縮された“No Place Like London”の中に含まれ、回想の映像と共に一気に描かれて行きます。
場所は例のパイ屋に。
扉を開くと、ラヴェット夫人が待ち構えていたかのように“The Worst Pies in London”を歌い出す。
姿も歌声も舞台のそれとは違い、若くて美しい印象。
声のキーは初期のアンジェラ・ランズベリー同じで高けれど、アヴァさを感じさせない綺麗なラヴェット夫人。
けれど、不気味なミートパイを作りながら歌う姿はやっぱりどこか奇妙で、キャラクターとして魅力的な存在感がある。
それは、演じているのが怪女優、ヘレナ・ボナム=カーターだから。
この時点で、ティム・バートンの新しい『スウィーニー・トッド』の世界がようやく完成した感覚にとらわれた。
続く“Poor Thing”も高いキーで、よりウィスパーボイス。
ここでの演出はハロルド・プリンス版の舞台を真似たような仮面舞踏会での不幸な結末に終わるけれど、同情しているようで、より滑稽に歌い上げている。
彼の正体が判明し、ラヴェット夫人が彼にカミソリを手渡すわけですが、映画版では、より大切に隠し持っていたように描かれ、彼女のMr.Tに対する密やかな思いが感じられた。
“My Friends”ではカミソリを手に入れたMr.Tの歓喜と、彼への思いを高いキーの美しい声で歌い上げるラヴェット夫人の姿があり、まるで今回は彼女がヒロインのよう。
等と思いながら観ていたら、次のシークエンスでそれが決定的になるわけです。
場所は変わって、窓辺で“Green Finch & Linnett Bird”を歌うジョアンナと、それを見上げるアンソニー。
映画版では、彼らは窓越しで目を合わせただけに留まり、「こっちを見てくれ!」という願望を歌い上げる“Ah,Miss”はカット。
ここでようやく登場した物乞い女が、“Ah,Miss”からの抜粋で“Alms Alms”を歌う。
ジョアンナが階下に降りて来る事は無く、“Ah,Miss”と“Green Finch & Linnett Bird”の交じり合う美しいハーモニーも無い。
事情を知ったアンソニーは、一方的にジョアンナへの思いをつのらせ、何もしていないのにターピン判事らにボコられる事でさらに恋心は燃え上がり、一人で“Johanna”を歌い上げる。
舞台ではジョアンナに小鳥を渡すところをターピン判事に見つかり、追い返されても尚歌い続けるという愛の歌なのだけど。
そう、映画版のアンソニーはジョアンナと目が合っただけで気持ちが通じたと思い込み、「君を奪いにいくよー」と歌うストーカー青年なのです。
逆に、隙を見てはアンソニーの股間を狙う物乞い女の困った性癖は、映画版では無くなった。
やっぱりヒロインはジョアンナではなく、ラヴェット婦人になる流れ。
続いてトバイアスと、ピレッリ登場の場面。
“Pirelli's Miracle Elixir”を歌いだしたのは…少年!。。
これまでのイメージは頭の弱い青年だったので、これは驚き。
そっか、ラヴェット婦人がヒロインなら相手が子供の方が感情移入しやすいし、モッコリを強調し過ぎなピレッリとトビーの関係もただの師従関係ではなく、利用しているだけでもなく、危険な方向にいろいろと想像してしまうし、これはこれでアリですね。
名前もトビーとだけ呼ばれ、トバイアスという名前には触れない。
ピレッリとMr.Tの対決では“The Contest”を歌うピレッリがまた憎たらしくもトビーをいたぶっていて、早いとこMr.Tに殺されてしまえなんて思ってしまうほど。
舞台だとここで子役を使ってしまうと興行的に大変だろうから、あえて青年にして子供っぽい声色で歌わせていたのかもしれません。
このトビー役の少年の歌がまた上手くて、これまで子供っぽい声色で大人が歌っているのしか聞いた事が無かったから、かなり新鮮な感動。
映画版ではこの後で、ジョアンナがアンソニーに対し窓から鍵を落とす場面が挟まれたのですが、目が合って以降の展開が何も無いので、ほんとに意味不明な行動。
口もきいたことの無いストーカー男を頼ってまで逃げたかったのか、ジョアンナ追い込まれすぎw
いつまで待ってもこないターピン判事。
Mr.Tをなだめるラヴェット夫人が歌う“Wait”、これもキーが高く、どこかファンタジック。
そうこうしていると、鍵を拾ったアンソニーがやって来る。
映画版では若い故に、よりMr.Tに頼り切った様子。
もはやストーカーで、かつアフォ男にしか思えないけど、小物キャラクターを狙った変更なのだろう。
スウィーニー・トッドが初めての殺人を犯す事となる“Pierlli's Death”。
ここも映画では歌がカット。
どこかで見たと思っていたピレッリ役の俳優、よく見るとサシャ・バロン・コーエンじゃないですかw
毛生え薬詐欺だけに留まらず、『ボラット』で痛い目に遭った人たちの復讐も考慮して、Mr.Tにボコられている姿はサイコーですw
それを狙った配役としか思えない。
ピレッリの本名は、確か舞台版と変わっていました。
階下では二階の物音を気にするトビーの姿が同時に描かれ、舞台版よりも頭の良い様子がうかがえる。
生きていく術として、理解してピレッリに絶対服従している少年。
ピッレリの死後に階上に上がってくるにしても、“鈍いトバイアス”ではなくて、“感の鋭いトビー”を意識した作りに拘った様子が感じられる。
ラヴェット婦人にも、少年に寄せる母性愛的な感情が加えられていて、後にトビーとの母子のような感情が深まっていく伏線に。
舞台ではこの後にターピン判事の恐ろしい思惑と決断が、ターピン版の“Johanna”で歌い上げられる。
自分自身の背中に鞭を打ちながら。
その緊張したシーンから、見所のひとつジョアンナとアンソニーの心が通じ合う様子を歌う“Kiss Me”で緩和。
ここは、早口言葉のような歌詞で二人の歌が絡み合い、美しいハーモニーを奏でていくのが面白く、「今晩逃げよう」と約束をする重要な場面。
ターピン判事とバムフォートが計画を立てる“Ladies in Their Sensitivities”も合間に挟まれ、希望に満ちた二人との対比が面白く、最後には四人の歌声が絡まりあう。
でも、映画では丸ごとカットされ、ターピン判事とバムフォートがジョアンナとの結婚について会話(バムフォードのみ“Ladies in Their Sensitivities”のメロディーに乗せて一部歌う)するにとどまった。
“Kiss Me”の削除で、ジョアンナとアンソニーが恋に落ちるくだりが完全に欠落してしまったのですが、ただでも空回りしているアンソニーは、この後どうなるのでしょうかか。
映画版では、ピレッリ殺害の直後、袖の血が乾くよりも早いタイミングで、ターピン判事が理髪店にやって来ます。
アラン・リックマンとの“Pretty Women”は、舞台と同じく宿敵同士の歌にも関わらず、甘い香りのするもの。
眉の動きひとつで嫌悪感の出せる名悪役アラン・リックマン、彼の表情をじっくり見る事の出来るオイシイ場面。
いよいよターピン判事の喉を掻っ切るかという時に、お約束のアンソニーがメロディー無しで登場。
全員の表情が豹変する注目の場面、勢いで舞台では第一幕のクライマックスへ、この辺はほぼ舞台版のままの演出で進行していた。
何事かと飛び込んできたラヴェット夫人の前でMr.Tが歌う“Epiphany”。
「You Sir!」と叫びながら怒りをあらわにするモンスターの姿は、声こそ舞台よりも抑え気味だけれど、実際の街の中をカミソリを振り回しながら、今にも目の前の人物に襲い掛かりそうな表情が面白い。
Mr.Tが歌い終わった後のラヴェット夫人の台詞は、笑いを狙ってるはずなのに、字幕では流してしまってちょっと残念。
第一幕のクライマックス、“A Little Prest”。
ピレッリの死体の処理方法を思いつき大喜びのラヴェット夫人。
さっきまで怒り狂っていたMr.Tも一転笑顔で歌いだす。
韻を踏む言葉遊びが加速し、ダジャレ合戦に転じる、一番コメディー要素の強い場面なのだけど、日本語字幕ではなかなか難しいですねぇ…。
ここで緊張と緩和で笑っておかないと、後半息苦しいと思うのですが。
気合を入れて関西で一番大きいスクリーンの映画館の中央を予約して観たのですが、クスクス笑っている人はほんの数名…もったいない!
そうそう、笑いと言えば、映画版は全体的にコメディー色が薄くなっている印象です。
代わりに、おなじみのキャラクター達が、ティム・バートンらしい“ファニー”とか“ユニーク”といった言葉が似合うように再構成されているように思う。
特に、より滑稽になったアンソニーは、今回完全に道化師的な役割に。
従来は道化師で、後にストーリーテラー的な役割もしていたトバイアスが、悲哀に満ちた賢い少年になり、物語がスマートになった。
ミートパイに人肉を使う事を思いついたラヴェット夫人、街中の人間を切り裂いてやりたい程の狂気に取り付かれたMr.T。
共同で始めた仕事については、舞台版では休憩を挟んだ第二幕で描かれます。
第二幕最初の曲順は、舞台では“God, That s Good!”が先で、“Johanna”が後でしたが、映画では“Johanna”が先。
従来の“God, That s Good!”の歌詞の中では、大繁盛になったパイ屋、死体を落とす仕掛けを作りテストするMr.T、隙有るごと店内に入ろうとする物乞い女、それら三つの事に関わってテンヤワンヤなラヴェット夫人が描かれていました。
映画版では椅子の仕掛け作りを映像で済ませ、先に“Johanna”を持ってきて娘への妄想に浸りながら次々に来客の首を切るMr.Tを描いてから、シンプルで派手にアレンジした“God, That s Good!”を持ってくる構成。
なるほど、効率的で時短になっています。
トビーの子供の歌声が“God, That s Good!”を、よりキャッチーに仕上げてもいます。
死体シュートは垂直で、喉を掻っ切られた被害者は頭から真っ逆さまに落とされて首がボキッと音を立てて折れる仕組み、なんてグロくて確実な方法。
シュート自体はお約束のブラックジョークで笑うポイントなんだけど、観客はそれまでのジョークで温まっていないのでほぼ笑いは起きず、友人と二人中央で笑った俺は気まずかった。
充実した毎日をおくるラヴェット婦人の歌う“By the Sea”。
色が失われた現実世界にあって、唯一色に満ち溢れ開放的な妄想の世界を描くシークエンス。
『コープスブライド』か『ビートルジュース』にでも出てきそうな顔色のMr.Tとラヴェット婦人、+トビーの様子が滑稽で面白い。
彼女の妄想を描いているので、草原に座る場面も現実なのかどうかは疑わしい。
Mr.Tは、続く“Wigmaker Sequence”でアンソニーをそそのかし、“The Letter”でトビーに手紙を託すのですが、映画では歌をカットし、ジョニー・デップの怪しい演技でサラッと進行。
その分アンソニーの素直過ぎるアフォっぷりと、封筒にすら入れられていない手紙を預かり次のシークエンスで騒ぎ出すトビーの姿が、わかり易く描かれている。
“Not While I m Around”
頭の良いトビーは、物乞い女の言う悪魔がMr.Tなのではないかと感づき、ラヴェット婦人を守るために必死で歌う。
ピッレリの財布を見て悪魔の正体を確信してしまうのだけれど、パイ作りの手伝いを餌に、死体シュートの行き先、地下室に連れて行かれ、そのまま閉じ込められてしまった。
頭の弱い青年バージョンは、「ミンチ機で三回挽く」がラストシーンで涙を誘うキーワードになるが、今回その台詞は無し。
精神病院からジョアンナを救い出すアンソニー、脱走した二人が待ちの中を駆け抜ける場面の“City on Fire/Not While I m Around”は、丸ごとカットで、精神病院から奪取する場面が歌無しで描かれた。
ラヴェット婦人が地下から上がってくると、バムフォードがピアノを弾きながら“Parlor Songs”を歌っている…のが舞台版、映画ではここも会話だけの場面に変わる。
しつこく地下へ行こうとするバムフォードを香水をネタに理髪店に連れ込むMr.T。
この時、映画では人肉パイの中身と、ミンチ機の中身に気づくトビーに、バムフォードが落ちてくるというさらなる恐怖が描かれる。
舞台のトバイアスの場合は、パイの中に人髪を見つけるけどお構いなし、ミンチ機の中身についても気づく直接的な表現は無く、嫌な空気が流れているところに突然バムフォードが落ちて来て動転する。
理髪店にたどり着いた二人の歌う“Kiss Me-Reprise”は二人でどこかに逃げましょう的な希望の歌なのだけど、こちらも映画ではカットされ、ジョアンナが冷静に「逃げたら夢が持てるの?」とアンソニーに聞くことで、彼の道化師っぷりが露呈。
そう言えば二人で逃げましょう的な歌は全てカットされているw
とりあえずジョアンナは残されて箱に入るけど、アンソニーはこの場面で出番が終了w
バムフォードが理髪店に入るのを見ていた物乞い女は、出てこない事を怪しんで二階に進入しながら“Lullaby”を歌う。
舞台では見覚えのある光景に、娘が居た記憶がよみがえり、楽しげに歌い舞っているところにMr.Tが戻ってくるが、映画では歌はフレーズのみ。
映画では、冒頭に登場しなかった分、ここで初めて「どこかで会ったことが?」と印象的な言葉を残す。
どちらも悲しくて悲しくて、この次の衝撃的な展開を思うと涙無くしては観れない場面。
ターピンが来たので、何の躊躇も無く邪魔な物乞い女を殺害するMr.T。
映画版ではあまりにものあっけない死に号泣。
この後、“Final Scene”と題してこれまで出てきた様々歌が次々に歌われながらクライマックスが進行していく。
ターピン判事を殺害して復讐を果たしたベンジャミン・バーカーの狂喜に満ちた叫び。
危うくジョアンナをも殺害してしまうところで、ラヴェット婦人の叫び声に動揺し、ジョアンナに手をかけずに済むが…。
階下ではラヴェット婦人が大慌て。
落ちてきたターピン判事に裾を掴まれ、叫び声を上げた事でルーシーの死体を処理する前、Mr.Tに見つかってしまう。
Mr.Tに怯えながらワルツを踊り、焼却炉に突き飛ばされてしまうラヴェット。
燃えてるところの顔はいかにもヘレナ・ボナム=カーターらしく魔女を彷彿とする。
まさか、あんな直接的な映像にするとは思いもしませんでした。
後悔に苛まれるベンジャミン・バーカーは、隠れていたトビーに首を掻かれ、座ってルーシーの亡骸を抱いたまま死んでいく…。
この最後の場面もトビーのキャラクターが違う事で若干違う演出に。
舞台でのトバイアスの発想は、「もう悪いことが出来ないように殺してミンチにしちゃおう、三回挽いてミンチに」というものでした。
映画では、もっと明確な理由がありましたね。
ここで舞台ではトバイアスが突然男前な声で“The Ballad of Sweeney Todd”を歌い始め、登場人物達が少しずつ登場して各自のパートを歌い、最後は大合唱になって幕が下ります。
ここが見ものなので期待していたのですが、映画は暗転してエンドロール中にインストが流れて終わり。
ここもちょっと残念。
感想なんだか比較文なんだか、長文過ぎてわけのわからんレビューになりましたが、こんな感じです。
あ、クライマックスは、ずっと泣いて観てましたw
これからサントラの購入を考えておられる方は、ハイライト版と完全収録版が有るので、確認してからご購入なされる事をお勧めします。
記事の文字数が限界に達したので、サントラCDと、冒頭に書いた1982年版舞台DVDの情報は、前回の予習記事に改めて張りなおしました。
個人的には、2006年の舞台版のサントラCDが聞きやすくてお勧めです。
前回の予習記事は→こちら
昨日、有楽町のマリオンにてこの映画を観ました。
いゃ~あ、観た後は暫く気分が悪くなってうずくまっていましたよ。
それにしてもいつもながらですが、ジョニー・デップの演技力には舌を巻きました。
愛人役のへレナ・ボナム=カーターも見事ですね。
テクニカル的にはほぼ満点の映画でしたが、健康に自身のない方は観ないほうがいいと思いました。
この映画はホラーというより「人肉ファンタジー」と名付けたいですね。
唯一、明るいシーンがあり違和感を感じましたが、あれが魔女の心の世界だったのでしょうね。
両方の比較がされているので興味深かったです。
私は残酷シーンに弱いので、スクリーンを直視できない場面が多かったのですが、なるほど、このように観て行くともう一度観てもいいかな、と思わされました。
旧映画版の『スウィーニー・トッド』から入ると、今作の不気味さも心地よいメジャー映画に感じるかもです(笑)
血は多かったけど、比較的無機質な描き方に感じたんですよねぇ、絵的に綺麗過ぎて。
俳優さん達はみんな入り込んでましたよね、アンソニーとジョアンナは、重要な場面が多いのにいつもあんなテキトーな配役なので配役的にもパーフェクトな映画だったと思います。
人肉ファンタジーときますか。
私も名付けるとしたら、“猟奇的なコメディー”かなぁ…(笑)『猟奇的な彼女』のイメージで“猟奇的”って言葉が安くなってしまったけど、本来こういう映画に似合ってるように思います。
“By the Sea”の場面はどこまでも続く青い空に青い海が逆にポジティブ過ぎて、逆に不気味な妄想の世界でしたねぇ。
残酷な場面はどうしてもついて回る作品なので、2001年にコンサート形式で上演されたミュージカルのDVDをご覧になられることをお勧めしますよ。
コンサートなのでセットも無ければ小道具も殆ど無くて、もちろん血も出なければ死体シュートも有りません。
それでも迫力は充分で、何度観ても感動してしまいます。