住職の独り言

~ご縁に触れて~

今年の掲示板

2024年12月29日 | 独り言
 天真寺掲示板(2024年)
【1月】
 虚心坦懐(きょしんたんかい)
 何のわだかまりもなく
 素直な心で
 物事に臨む
 偏見なく
 心をひらく
【2月】
 迷っているのは
 死んだ人でなく
 生きている「私」
【3月】
 雑にするから
 雑用になる
【4月】
 明日ありと
 思う心の仇桜
 夜半に嵐の
 吹かぬものかは
  (親鸞聖人)
【5月】
 損得ばかりじゃ
  疲れちゃう
 たまには損でも
  いいじゃない
【6月】
 楽せんと
  楽する楽は
   楽ならず
 楽は苦の種
  苦は楽の種
【7月】
 心にオアシスを
   あかげさま
   ありがとう
   しんせつに
   すいません
【8月】
 「明日からやろう」と
  四十回言うと
  夏休みは終わります
【9月】
 念仏は
  親のよび声
   子のへんじ
   
   (才市)
【10月】
 幸せを
 不満に
 かえてしまう
 「欲」
【11月】
 腹が立つ時
  ブツブツ申せ
 ブツはブツでも
  南無阿弥陀仏
【12月】
 無限なものは二つあります。
 宇宙と人間の
  愚かさ
 前者については
  断言できませんが
(物理学者アインシュタイン)

※今年もありがとうございました
南無阿弥陀仏



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出遇い

2024年12月28日 | 独り言
死は終わりではなく
我との別れ
仏の智慧との出遇い
南無阿弥陀仏

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念仏申す五心

2024年12月27日 | 独り言
日常の五心〉
ハイという素直な心
スイマセンという反省の心
オカゲサマという謙虚な心
ワタシガシマスという奉仕の心
アリガトウという感謝の心

上記を見ていて「念仏申す五心」を考えてみました。

「ハイ」という…素直な心
「お恥ずかしい」という…懺悔の心
「おかげさま」という…報恩の心
「私がします」という…報謝の心
「有り難い」という…慶びの心

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無上涅槃に至る

2024年12月26日 | 独り言
無始より迷い続けてきた生より
無上涅槃を期する時が
間近に迫ってきました
阿弥陀さまの願いが完結する時であります
いや、すでに大願成就しているわが身
南無阿弥陀仏

期する…心に待ちうける。期待する意。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄土真宗有り難し

2024年12月25日 | 独り言
お粗末な私が
いたらぬままに救われて往く
有り難さ…南無阿弥陀仏

久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ。(歎異抄)

名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり。(歎異抄)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平生業成

2024年12月24日 | 独り言
「あなたまかせの年の暮」
生死は自分の力ではどうにもなりません。
いつ何が起きるやら、されど念仏の行者は
愚かな凡夫なれども、往生浄土決定している身の上。
されば、一日一生、阿弥陀さまのみ手の中に生きる


平生業成(へいぜいごうじょう)
「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が、完成する)」している意。

浄土真宗の教えは、念仏を称えたら死んだら極楽へ往くのではありません。
今、只今私の往生浄土は確定しております。
南無阿弥陀仏

執持鈔
一 本願寺聖人(親鸞)の仰せにのたまはく、
 「真実信心の行人は摂取不捨のゆゑに正定聚に住す、正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かるがゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。」







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愚者になる

2024年12月23日 | 独り言
法然聖人は「愚者になりて往生す」と念仏の世界を明らかにされました。
しかし、世間では「りっぱになって往生す」と思っている
この差は何…?
立派になることは、貪欲瞋恚愚痴を言われる煩悩を脱却すること
されど私は死ぬまで凡夫であります。
 「『凡夫(ぼんぶ)』といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲(よく)もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」
(一念多念証文)
光に遇って闇を知らされるように、
法に遇って「幾重にも鎧をまとっている自身の姿が明らかになる」
この鎧を脱ぎ捨て、愚者になりきれない私が居る
南無阿弥陀仏


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈落の底

2024年12月22日 | 独り言
今回の衆議院選挙では
ある政党機関紙が、2000万円を自民党で非公認になった候補者がいる政党支部へ配った。
事実をスッパ抜いた。
この事実が「奈落の底へ沈む」大きな要因になった。と掲載されていた。

奈落の底に沈む ならくのそこにしずむ どんなにしても抜け出すことのできない状態に陥る。
失意に打ちのめされたり、不幸のどん底に落ち込んだりした状態をいう。

〔語源〕「奈落」は、
(1)仏教で、(梵語(ぼんご)の音訳)地獄。
(2)一度落ちたら二度と浮かび上がることのできない所。
物事の、落ちていった最後・最終の所。
(3)劇場で、舞台や花道の下にある地下室。そこに、回り舞台や、せり出し装置などが置かれている

〈御文章二帖目第4通〉
一心一向に弥陀一仏に帰命する衆生をば、いかに罪ふかくとも仏の大慈大悲をもつてすくはんと誓ひたまひて、大光明を放ちて、その光明のうちにをさめとりましますゆゑに、このこころを『経』(観経)には、「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」と説きたまへり。されば五道・六道といへる悪趣にすでにおもむくべきみちを、弥陀如来の願力の不思議としてこれをふさぎたまふなり。
このいはれをまた『経』(大経・下)には「横截五悪趣悪趣自然閉」と説かれたり。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の漢字

2024年12月21日 | 独り言



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年最後の法話会

2024年12月20日 | 独り言
今年の残り僅かとなりました。
12月20日(金)午後1時30分~
定例法話会 講師は副住職西原龍哉師です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする