~徳川家康の人生訓より~
人の一生は
重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり
(慶長八年正月十五日)
…寒さと共に
洋服は重ね着するけど
私は還暦も過ぎたので
背負っているものを
一枚一枚脱ぎ捨て
身軽になりたいなぁ…
~徳川家康の人生訓より~
人の一生は
重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり
(慶長八年正月十五日)
…寒さと共に
洋服は重ね着するけど
私は還暦も過ぎたので
背負っているものを
一枚一枚脱ぎ捨て
身軽になりたいなぁ…
11月6日に京都へ行った折、たまたま見た京都新聞に寄ると
坂東曲という言葉は西本願寺の史料に初めて登場する。
本願寺が東西に分かれて9年後、
江戸初期に営まれた親鸞聖人350回忌のことを書いた西本願寺の僧侶、
西光寺祐俊の日記「高祖聖人三百五十年忌日次之記」(1611年)に
親鸞の命日の法要の項に「御式相ノ念仏坂東節也」とある。
また、同じ祐俊の「本山年中行事」には「式間御念仏ハンドウブシ也」とある。
西本願寺では、江戸中期
14世寂如の時代に儀式のありようが大きく変わり、
1689(元禄2)年に坂東節が行われなくなった。
…以上
京都東本願寺で親鸞聖人報恩講(11月21日~28日)の最終日、
僧侶が上半身を前後左右に揺らしながら念仏や和讃を唱える
独特の節の声明「坂東曲」(ばんどうぶし)が勤まる。
(写真は京都:東本願寺ホームページより)
なぜ激しく上半身をうらすのか?いくつか説があるそうだ。
最も有力なのが
「越後に流された親鸞聖人が船上で揺られながら念仏を唱えた」
という説が最も有力という。
さて、
明日のブログは本題の
「坂東曲は西本願寺でも勤められていた」です。
ホテルの食事でバイキングの所があるじゃないですか。
あれって…私は嫌いです。
何故って「私は餓鬼」だから…
本当に卑しいんだよね。
あれも食べたい
これも食べたいとなって皿の中は山盛り状態!
ダイエットの思いも何処へやら…
でも、悲しいかな…
年寄の私には
食べられる量にも限界があんだよね…。
「おっくう」という漢字は「億劫」と書くんですね。
億劫を、辞書には「面倒臭くて気が進まないこと」
と、あるが何とも仏教的な字ですね。
劫は古代インドで最長の時間をいいます。
正信偈には「五劫とか十劫」とか出てきます。
どの位の時間かと言うと
一劫は、40里四方の大きな岩を、
三年に一度天女が天から降りてきて
羽衣で岩を撫でてその岩がなくなる時間です。
そこから、「億劫」は
「時間が長くかかるためやりきれない」という意味や、
計り知れない時間がかかることは容易ではなく面倒に感じることから、
「面倒臭い」の意味で用いられるようになった。
億劫の読みは「おくこう」であったが、
促音化して「おっこう」となり、「おっくう」となったという。
~朝の詩~
「人だけが」
怒ることなら
猿にもできる
吠えることなら
犬にもできる
噛みつくことなら
蛇にもできる
しかし人にしか
できないことがある
襲うことなら
鮫にもできる
壊すことなら
象にもできる
しかし人だけが
ゆるすことができる
(相模原市 根岸研一 56)
…怒り・吠える・噛みつく・襲う・壊す…
みんな私に当てはまる
なかなか許すことが出来ない
浅ましい私でございます。
明日はいよいよ天真寺「報恩講」
11:00 門信徒会入門式
12:30 舞楽鑑賞
12:30 雅楽ミニコンサート
13:30 報恩講法要
…法要は、この度、制定された宗祖讃仰作法の「音楽法要」です。
講師 福間義朝師(広島県)
※ 天気は雨模様ですが、
多くの方のお参りをお待ちしています。
松戸市内には
浄土真宗本願寺派の寺院か二ヵ寺
二ヵ寺しかないから
チョクチョク会うと思うでしょう…
若い人ならまだしも
老僧となると…
全然会わないんでよね
さっき文房具屋さんへ行ったら
偶然対面した
1年に何度会うんだろう
会うのか斎場位かな…
元気そうで何よりでした。