一灯を
ともしびとし
一道を行く
闇夜なれど
憂いなし
(惠)
幸せって何だろう
迷いを完全に脱却し、
さとりの世界に至ることが真実の幸せと知らされるけど
真実のさとりへ至りたいと思うより
今、自分の願いがかなうことが幸せと思い
この世の幸せを求めてあくせくしている
でも、きっと自分の願いが叶ったとしても
次から次へと新たな願いが生ずることも理解している
死ぬまで闇をさまよう私を見捨てることなく
私に寄り添い見捨てぬお慈悲の有り難さ
結局、阿弥陀さまにはからわれて
自然にさとりの世界へ至り
真実の幸せに目覚めるんでしょうね。
私が頑張っているから…
自分がいなければ…
私のお陰で…
自分が自分が…
自分に自信を持つことは良いことだけど
自分の手柄にとらわれていると
お陰が見えない。
前門さまは
「念仏の道は、おかげさまと生かされ、有難うと生き抜く道であります」
と言われましたが
お念仏のみ教えを聴きて
「お陰さま」「勿体ない」「有難い」…
と、自己を捨てて、他に思いをいたす道ですね。
仏教から由来する言葉(4)
【舎利】(シャリ)
寿司屋さんで「シャリは少なめでお願いします」
私たちは「お米」のシャリと言いますが
本来は仏舎利(お釈迦様の骨)の意味で、
米粒のように小さいから…
米と遺骨なんて、ちょっと想像もつきませんね。(笑)
(釜石:石應禅寺さまの仏舎利塔)
(仏舎利塔内部)
仏教から由来する言葉(3)
【言語道断】
「他人に罪をかぶせるなんて言語道断だ」
とんでもないこと、もってのほか…
余りにもひどい意で、悪い意味で使われるが、
本来の仏教的意味では
さとりの世界や境地は言葉や文字では表せない意味。
故に、仏説無量寿経でも仏さまのおさとりの世界を
「大海のごとし、大地のごとし、浄水のごとし、虚空のごとし、大乗のごとし…」
等々示されます。
仏教から由来する言葉(2)
【我慢】
「石の上にも三年、我慢しなさいよ」
「我慢比べ、我慢強い」等々使われ、
辛抱する、堪え忍ぶ意でよい意味で使われているが
本来の仏教的意味は
自分をえらく思い、他を軽んずること(高慢)
我意を張り他に従わないこと。(強情)
我慢は煩悩の一つで
よい意味ではありませんでした。
仏教から由来する言葉(1)
【果報】
世間では「果報は寝て待て」といういように
「よい結果」を指したりするが
仏教本来の意味では
「報いとして、うける結果」の意味で
よい結果だけではく
悪い結果も指す。
…まずはジャンボ宝くじでも買いますか(笑)
ある日曜日のことです
お寺の法事が三戸
外参りが一戸
私がお寺の二件目のご法事が終わった所に
副住職が法事を終えて帰って来て
次のご法事するよ
と言うではありませんか。
私は…じゃ、お願いします。
と頼んだ。
蓮如上人が弥陀を「たのめ」と言われるのも
これと一緒で
私が、たのむ前に
阿弥陀さんの方から
「まかせよ、必ず救う」との先手があり
私は、後生の一大事を阿弥陀さまにお任せします。
私は、唯々ご恩報謝の念仏申すのみ…
ご門徒から
「住職、私が死んだら頼みますからね」
…
何を頼まれたのか…?
葬式をしてくれと言うことか?
いい所へ連れてってくれと言うことか?
多分、両方の意味を含んでいるんでしょうね。
でも、私に頼まれてもねぇ…
阿弥陀様は、私たちに向かって
「我をたのめ、必ず救う」
と、おしゃっているんだから
阿弥陀さまに後生の一大事をおかませして下さい。
あとはご恩報謝のお念仏の日暮を… ♪