~朝の詩~
「ふさわしい場所」
アスファルトの隙間に咲いた小さな花
広い野原に移しましょうか
小さな花が言いました
ここがわたしにふさわしい場所
野原には野原に
ふさわしい花が咲いているはずよ と
ふさわしい場所って
今自分が置かれている場所なのですね
(大阪狭山市 岡洋子 69)
(私感)
そうですか…
お前は何をするか分からないから
阿弥陀さまの近くに居ろって
お寺に生まれたんか…。
~朝の詩~
「ふさわしい場所」
アスファルトの隙間に咲いた小さな花
広い野原に移しましょうか
小さな花が言いました
ここがわたしにふさわしい場所
野原には野原に
ふさわしい花が咲いているはずよ と
ふさわしい場所って
今自分が置かれている場所なのですね
(大阪狭山市 岡洋子 69)
(私感)
そうですか…
お前は何をするか分からないから
阿弥陀さまの近くに居ろって
お寺に生まれたんか…。
今朝の蓮華
蓮華は泥水に生じつつも、その泥に染まらず
【横川法語】
「妄念のうちより申しいだしたる念仏は、
濁りに染まぬ蓮のごとくにて決定往生疑あるべからず」
泥凡夫(私)の口から出て下さる念仏は
その功徳により、
蓮華のように、泥の濁りに染まぬ、
清浄無垢なる さとりをひらく。
本日「宝鏡寺」蓮華が開花しました。
如来の手の中に 人生を生くる
阿弥陀仏の本願は、世間の優劣・価値観・善悪を超え、
いかなる境遇の者も決して見捨てる事なく救済す。
今日の日曜礼拝は私の当番日
和讃は、「神力自在なることは」より六首
御文章は、「無上甚深章」
お話は、御文章の
「六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、
さらにそのきはまりなきものなり。」の意を受けて
(要約)
お念仏を母乳に喩えられます。
母乳は冷やす必要も無し、温める必要なし
味の配合も入らず、のどの渇きも
栄養・抗体までも、生きていく全てが備わっているように
お念仏には私が救われるすべての功徳が成就されています。
山本仏骨和上は
み名(みな)こそは 万徳満つる法乳よ
讃えざらめや 称えざらめや
と讃嘆されます。
墓地に行くと
色々な言葉が刻んである。
無・永劫・円・悠々・空へ・慈愛・宙・慈・恵・憩・優・和楽・やすらぎ・絆・倶会一処・感謝・清心・清風・安穏・偲・真心・心・和・永遠・ありがとう・やすらかに…
どの言葉も「南無阿弥陀仏」に通づるんだよね。
その一端を思考してみました。
無…無量壽・無量光・無畏法身・無蓋の大悲・無上正真
永劫…「長時永劫につねに無為の法楽を受く」と言われるように永劫の闇を転じて永劫の法楽の世界へ。
円…「円融至徳の嘉号」善法を円満、万行の円修、功徳円満…
悠々…悠々は限りないさまの意だから、まさに無量寿・無量光の阿弥陀の世界
空へ…虚空の世界、「光明徹照して空を達ること極まりなし」まさに阿弥陀さまのさとりの世界
慈愛…仏心とは大慈悲と言われるように、一切衆生を慈しむ阿弥陀の大慈悲心。
絆…一切衆生を一人子のように慈しむ仏心
やっぱり南無阿弥陀仏の六字名号を正面に刻みたいですね。
今日(6月24日)、明日は本願寺から取材が来る。
『季節せいてん(№116・夏の号)』「お寺はいま」の取材
今日の午前中は寺報発送の様子を
午後からは傾聴ボランティア活動の模様を…
明日(6月25日)は、午前中は天真寺農園の模様
午後から仏教文化講演会『オペラ恵信尼さん』取材だ。
昨夜、仙台より帰宅
恩慶寺には3歳と1歳の男の子(孫)が居るんだけど
小さい子の居る家は大変だよね…まるで戦場だ
家の一部屋は、まるで遊園地状態
それに車で30分かけての保育園への送迎
もう少し大きくなったら、
近くの幼稚園に入れると入っていたけど
それまで大変だなぁ…
老いた私には出来ないね…
恩慶寺様の葬儀手伝いで仙台に来ています。
昨日は通夜、今日は葬儀
仙台からお手伝いで来てもらうより
恩慶寺のお手伝いで行く方が多い。
葬儀のやり方も地方によりさまざま、
こちらでは喪主焼香の間は
読経を止めてた。
今日はどんな経験が出来るかな…