浄土真宗の聖典で「赤い表紙の聖典」が多々あります。
それにはこんな訳があった。
文明6年(1474)3月28日夕方、吉崎御坊が火事になった。
その最中、蓮如上人は親鸞聖人真筆の「教行信証の証巻」を持ち出せなかった事に気づき、
「このままでは、来世の同行は勧化の杖を失ってしまう。」
と肩を落としていると、事情を聞いた本光坊了顕は念仏と共に火中に飛び込んで行った。
必死の思いで師の居間の机に置かれた「証の巻」を見つけたが、火の勢が激しく持ち出せそうもない。
了顕はとっさに机の上にあった懐刀で自分の腹を十文字に切り、腹の中に信巻を収めた。
焼け跡には、黒焦げになった了顕がおり、腹の中には一点の傷もない証巻が収められていた。
了顕29歳でありました。
この「信の巻」はその後『腹籠もり(はらごもり)の聖教』と呼ばれ、現在京都・西本願寺に保存されている。
私たちがいつも拝読する聖典(勤行本)が「赤い表紙」になっているのは、本向坊了顕が命を懸けて守った「血染めの聖教」を表しています。