裁判で「良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、又何事も附け加えないことを誓います」
と宣誓するけど…
「真実」ってなんだろう。
結局の所、私たちの言っている真実は
無意識のうちに自分をかばったり
状況や立場が変われば、
その途端変わってしまう都合の良い真実かもしれない。
世界を見ても国と国や人と人において
お互いの真実がぶつかり合っている。
親鸞聖人は「如来はすなわちこれ真実なり」と言われ
時・場所・人・立場を超えた如来の智慧を真実と示された。
その智慧によって人間の無明は照らし出され、
共に生きる道を呼びかけ続ける如来のはたらきであり、
決して変わることのない真実。