お寺で33回忌法要を勤めながら考えたこと。
この夏、親鸞聖人が比叡山~京都を歩まれた道を尋ね歩いたが、
登る途中で眼下に京都市内を一望できる開けた場所があり休憩したが、
それに似たりと思った。
日々生きる事に一生懸命の中に、年忌法要をご縁として
故人に思いをはせることは勿論だが、自分の人生をも一呼吸置いて考える時を
与えられているんだなぁ…
これからどんな道が待っているか分からないけど、
一呼吸入れてお浄土への大切な時。
それも年忌法要の意味かなぁ…合掌
浄土真宗本願寺派教専寺(広島県)住職 |
広島の田舎の寺の三男として生を受ける。寺の跡を取る予定はなく、大学(岡山大学)も法科に進むが、父親が倒れ急遽27才で跡を継ぐことになる。そして40年、なにも変わらず住職をしてます。長所は自分にも短所があるのだと自覚しているところ、短所は自分にだって長所があるのだと思い込んでいることです。 |