~朝の詩~
「死なんといて」
ちょっと あんた
自分で死なんといて
うち、癌でも一生懸命生きてるんや
目覚めたくないと
思たこともあるから
あんたの気持ちも分るけど
誰かが飛びおりたと知ったら
ごつい悲しいわ
どしぶとく生きろ
生きるんや
死なんといて
(大阪市淀川区 吉田 薫 64)
~朝の詩~
「死なんといて」
ちょっと あんた
自分で死なんといて
うち、癌でも一生懸命生きてるんや
目覚めたくないと
思たこともあるから
あんたの気持ちも分るけど
誰かが飛びおりたと知ったら
ごつい悲しいわ
どしぶとく生きろ
生きるんや
死なんといて
(大阪市淀川区 吉田 薫 64)
大町やすらぎパーク(お墓)へ行くと
毎日来ておられるご婦人のご門徒さんが居られる。
その人とスポーツクラブが一緒なんだけど
スポーツクラブのエレベーターで一緒になった。
乗り合わせた人に
私のことを「この人お寺さん」だよ!
と紹介している。
すると、その人は「一度会ったことがあります」
ぎょ・ぎょ・え・え・え…
私は初めて見る人なんだけど
私を知っているという…
私は知らなくても「お寺さん」と知られている訳だ…
悪いことは出来ないねぇ…
お葬儀なんかで司会の方が
本日の導師は○○家菩提寺○○寺様です。
というような紹介があったりするが、
本来、浄土真宗の寺院は「お手次ぎ寺」であります。
亡くなった家の先祖や故人の冥福を祈り菩提を弔う「菩提寺」ではない。
また、浄土真宗は現世祈祷しないことから「祈願寺」でもない。
住職もご門徒も共に阿弥陀如来に救われていく存在であり
お寺は阿弥陀如来の救いの法を伝える道場であります。
そんなことから阿弥陀如来の法を伝える「お手次ぎ寺」と呼ばれる。
人に依っては「お手継ぎ寺」という寺を書かれる方もあるが
「継」は浄土真宗でも、
お寺の住職が変わる時、「継職法要」というが、
辞書には
「継」あとに続ける。受け継いでいく意。
「次」つぐ。第一のものの下に位する。
とあるように、
ご本山のお取り次ぎをさせて頂く意で「お手次ぎ寺」と言う。
~朝の詩~
「まるいって」
まるいって
なんだろう
地球も月も太陽も
果実も種も卵も
みんなまるいー
蓮の葉表に銀色に
水玉が光っている
まるいものは落ちつく
まるいものは安らぐ
まるいものは優しい
荒んだ心も やがて
まるくなろうとする
まるくなって
やすらごうとする
(大阪府寝屋川市 井手教行62)
〈私心〉
人には丸いように
見せているけど
本当の根性は 角だらけ
大きな岩を たたき割り
尖った石が ごろごろと
丸い石など さらになし
私の中で ただ一つ
まんまる心のお念仏
銀行で口座を作る時
個人だと誕生日を書く欄がある
お寺等の法人の場合は
誕生日欄に登記簿に記入されている
法人設立年月日を記入する
天真寺は昭和47年1月27日
これが天真寺の誕生日になる訳だ
今年で41歳か…
誕生おめでとう
ちなみに法照山からの法燈でいうと4月8日で298歳です。
※法照山は天真寺の前身で島根県の浄円寺
(1715年4月8日開基)です。
~朝の詩~
「やってみよう」
このまま
この自分と
やっていくしかない
これで
どうなるのか
この先
どうなるのか
そんなこと考えず
これが
自分なのだから
このまま
やっていくしかない
(伊東市 渡辺勘持 70)
~出たとこ勝負~
欲の心は 果てしなく
願いかなわぬ 日々なれど
夢を求めて した走る
縁が熟せば 成就せり
(kei)
青空にポッカリ浮かぶ雲
気ままというか…
ゆったりというか…
なんとも心安らぐ
ご縁次第で形を変え
とらわれなく自由に流れゆく雲
私の心はほっこり!
(仙台帰りの車窓より)
~朝の詩~
「かけがいのない」
生まれかわったら、
こんどこそ、
真当な一生を
生きてみたいもんだ、
なんて。
違うんです。
今、生きている
この一生が、
こんどこそ、と
生まれかわって
生きている、
かけがいのない
新しい一生なんです。
(新宿区 石川善康 80)
…こういうことってありますねぇ…
「生まれかわったら…今度こそ絶対に…」
そう考えていくと
どうも問題を「先延ばし」
している私に気が付く。
しっかり聴聞し
今生に阿弥陀如来のお救い遇わなければ、
永遠に迷いの境界をさ迷うことになる。
昨日から外装の修理・塗装等の工事に入りました。
工期は1月22日~3月中旬の予定です。
ご不便・ご迷惑をお掛けしますが
ご協力の程よろしくお願いします。
今日は雨を待ち望んでいた
雨が降れば
氷った雪を溶かしてくれると思っていましたが
今一つでしたね…
仏教では「氷」を頑なな私に(煩悩具足の凡夫)喩えられ
「水」はさとりに喩えられます。
そこで一首
雨・雨降れよ もっと降れ
硬く氷った 雪溶かし
自由自在の 水となり
万徳行じ 潤しぬ
【御伝鈔】
「…法雨をそそぎて、はるかに枯渇の凡惑を潤さんがためなりと…」
【教行信証】
「煩悩の氷解けて功徳の水となる」