曇鸞大師は、天親菩薩の「一心」を解釈されるのに、その信心の純粋さに驚かれたのでしょうか。
そして、それに比べて、ご自分の信心の頼りなさを痛感されたのでしょうか。
曇鸞大師は、「一心」でない凡夫の信心を三つに開いて、「不淳の信心」「不一の信心」「不相続の信心」とされました。
これが「三不信」です。
不淳→信心が純粋でなく、あるようにも見えるけれども、実はないに等しい信心です。
不一→淳でないから、その信心は「不一」なのです。自力のはからいが入り混じっていて、徹底していない信心です。
不相続→不淳・不一なる信心は、「不相続」なのです。徹底していないから、信心が持続しないのです。
このような「三不信」でない「三信」が、天親菩薩の「一心」であると、曇鸞大師は教えられたのです。
※誰の文章だったのか不明ですが転記しました。
「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心
金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」
(高僧和讃~天親菩薩~)
金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」
(高僧和讃~天親菩薩~)

(天親菩薩)