お寺は 私の願いを満足させるためではなく、
阿弥陀さまが私にかけた願いを
満足するためにあります。
仏の大悲は原語で「カルナー」といい、
もとの意味からすると「呻き」と言われる。
呻きは「苦しさのあまり、低い声」を言います。
それを訳して、大悲、大いなる悲しみとなったと言う。
阿弥陀仏の世界は安楽浄土であり、
苦しみを超えた安楽浄土のはずなのに、
如来は呻いておられると言う。
何故…?
如来の呻きの原因は私にあった
無始以来、無常を無常とも知らず
生老病死に翻弄され苦しみ嘆いている。
私の呻き声は阿弥陀さまの呻き声となった。
「衆生病むがゆえに我もまた病む」
「衆生苦悩 我苦悩 衆生安楽 我安楽」
阿弥陀さまのお慈悲は自他一如、
呻き苦しみの私の苦悩は、
そのまま我が苦悩であると受けって下さった
阿弥陀さまのお慈悲でありました。
一万メートル上空は雲一つない青空
下に目をやると雲に覆われている
雲は常に形を変えながら流れゆく
まるで私の人生のようだね
親鸞聖人は『正像末和讃』に、
如来の作願(さがん)をたづぬれば
苦悩の有情(うじょう)をすてずして
回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて
大悲心をば成就(じょうじゅ)せり
(註釈版聖典606ページ)
と、阿弥陀さまは雲に覆われ
苦悩のする私をほっとく事が出来ないんですね。
浄土真宗の信心は
自己心を空にして
仏心満入するなり
~御文章~
もろもろの雑行雑修のこころをすてて、
わが身はいかなる罪業ふかくとも、
それをば仏にまかせまゐらせて、
ただ一心に阿弥陀如来を一念にふかくたのみまゐらせて、
御たすけ候へと申さん衆生をば、
十人は十人百人は百人ながらことごとくたすけたまふべし。
先日の定例法話会は
アーミン・ローベック氏をお迎えし
~キリスト教から浄土真宗へ~
のテーマでお話し頂くと共に
音楽家であるアーミンさんの
チェロと尺八演奏を堪能させて頂きました
お話の部ではアーミンさんの宗教遍歴。
浄土真宗の救いについては、絵を交えてお話し下さり
「私が立派な修行を積み悟りに至るのではなく
あるがままの私がそのまま救われた往く大悲」
とのお話でした。
最近の特に聴力が落ちた
先日も寺の役員会があったが
全く聞こえない。
聴力は右は前から悪かったが
最近は左側も顕著に悪くなった
何が悲しいって…
法話が聞こえないのが悲しいね…
10月の耳鼻科検査でCT撮るそうだ。
補聴器新たに作り直すかな…
年二回の耳鼻科診察で
お茶の水の順天堂医院へ通院
予約時間が8:30なのに
行ったら直ぐ診察してくれる
昨日なんか7:30に病院に着いたら
直ぐ呼ばれた。
F 先生、朝早くからありがとうございます。
その後、聴力検察→診察→会計し9時過ぎには終了
何とも笑ってしまうくらい早い
早いのはありがたい