無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
(「正像末和讃」『註釈版聖典』606頁)
〈現代語訳〉
我欲にとらわれてばかりで、仏さまのような智慧と慈悲をそなえた眼(まなこ)は私たちには無いけれど、心配しなくていいんだよ、我執に充ちた私と気づいたとき、苦海の闇で惑う私たちを、阿弥陀さまの願いの船が、かならず私を乗せて浄土へみちびいてくださる。まるで、暗闇にともる灯台の灯火(あかり)のように。
「老い」というトンネル、進むほど闇が深まり、そのまま暗闇の世界に引き込まれると思う人あれど、智慧の念仏によりて闇のトンネルから無量光明土へと往生せしむ。
「病」というトンネル、病をマイナスと見る人は愚痴しかでない。
智慧の光によりて、病によりて、尊い世界に気づかされる。
「孤独」一人じゃないよ!私もいるよと南無阿弥陀仏となりて顕現したもう。
阿弥陀さまは、いつでも何処でも私に寄り添ってくださる心のよりどころとなる仏さまです。