拝んで救けて
もらうじゃない
仏に願われ
からめとられて
南無阿彌陀仏
ラグビーワールドカップ
日本は、まるで傷だらけの重戦車ですね。
今日は準々決勝「日本×南アフリカ」です。
こちらもお忘れなく!
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
生き物の体は、栄養素が通り過ぎる「流れ」のようなもの
体内で絶え間なく分解と合成が続いており
同じ人間でも一年もたてば、分子レベルまで別人。
「生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。
つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。
体内で絶え間なく分解と合成が続いており
同じ人間でも一年もたてば、分子レベルまで別人。
「生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。
つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。
(生物学者である福島伸一氏)
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。(尊号真像銘文)
【意訳】
「聞」というのは、阿弥陀仏の本願に誓われた名号(南無阿弥陀仏)を信ずるということ。
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
私には仏さまから大きな願いをかけられています。
「聞」といふは、衆生、仏願の生起末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(教行信証~信巻~)
(意訳)
わたしたち衆生が、仏が衆生救済の願をおこされた由来と、その願を成就して現に私を救済しつつあるあることを聞いて、疑いの心がないのを聞というのである。
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
お寺の法話会で何を聞くのか?
人生の役に立つ話を聞くのか?
より良い人間に成る為に聞くのか?
・・・・・。
浄土真宗の聴聞は
「地獄必定の我が身の愚かさを聞かせていただく」と共に、
「そんな愚かな我が身を引き受けて下さる大悲を聞く」のであります。
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
「聞名念我」といふは、「聞」はきくといふ、信心をあらはす御のりなり。
「名」は御なと申すなり、如来のちかひの名号なり。「念我」と申すは、ちかひの御なを憶念せよとなり。(唯信鈔文意)
「名」は御なと申すなり、如来のちかひの名号なり。「念我」と申すは、ちかひの御なを憶念せよとなり。(唯信鈔文意)
(意訳)
「聞名念我」というのは、「聞」は「きく」といういことであり、信心を表す言葉である。「名」はお名前ということあり、如来が本願に誓われた名号(南無阿弥陀仏)である。「念我」というのは、その本願に誓われた名号を憶念せよというのである。
「定例法話会のご案内」
令和元年10月20日(日)
午後1時30分~
講師 中村英龍師
(広島・最広寺住職)
※家族お揃いでお参り下さい。
昨日は台風の中、午前中は扁桃腺で熱が出てきたので耳鼻咽喉科へ
午後から床屋さんへ行ったが
台風の影響で商店はシャッターを閉じゴーストタウン。
この土・日はご法事の日程変更やらキャンセルで…大忙し。
副住職は地域消防団に入っているので、夜は災害に備えて出動して行きました…ご苦労さまです。
今日は日曜日で朝7時から「日曜礼拝」でしたが
いつものように10人位の方がお参り下さった。
しかし、この雨台風
最初は(8日)中心気圧が915hPaと凄かった。
日本へ上陸直前でも945hPaと強力な台風だった。
案の定、大災害をもたらした、被災した方々には、
お見舞い申し上げます。
月見と言えば十五夜が有名ですが、日本では十三夜も大切にされてきました。
今年は10月11日で昨日でしたが台風の為見ることは出来ませんでした。
花去るも 香り漂う 十三夜
親しい方を亡くされ、寂しい月見を詠んでみた愚作です。