しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

しるべの「肩書」

2020年05月03日 | 教会音楽家 クリスチャン・エッセイスト
皆さまにお知らせいたします

しるべは5月1日をもちまして、「教会音楽家」「クリスチャン・エッセイスト」になりました
今までと何も変わらないけど、わけあって、そーいう「肩書」にしました。     

まぁ、教会での働き、巡回しながら神さまのメッセージと弾き語りをする、神学校でキリスト教音楽史を教えるなどは「プロ」として
これまで活動している「教会音楽家」って、ことです。
しか~し
「クリスチャン・エッセイスト」・・・と言っても、本出版してない
それで、「プロなの?」って言われたら、返す言葉はありません
しかし、文章書いて発信しているのだから(このブログでも)、「しるべはクリスチャン・エッセイスト」だと、胸を張って宣言いたします

皆さま、応援してくださいね

門番と詠唱者(歌い手)の働き

2020年05月03日 | 教会音楽家 クリスチャン・エッセイスト
    
歴代誌上9:17-38 
 
新型コロナウイルスの感染により、会堂に集まることが閉ざされてしまった今、わたしたちは当たり前のように共に守り、繰り返されていた礼拝がそうではなくなってしまい、賛美も縮小されてしまいました。歴代誌上9章から、どんな時にも神さまへの働きのための誇りと準備を怠らなかった奉仕者の姿を学びたいと思います。

歴代誌は、神殿を中心とした礼拝の民としてのアイデンティティのもとに歴史を見直し、新しい民としてスタートするために書かれた書です。バビロンの捕囚から解放された民たちと神殿で仕える者たちのその職務についてあらためて詳細が記されています。その中に、それまでの歴史の中に書かれていなかった者たちが登場します。それは「門衛」「詠唱者(歌い手)」です。
「門衛」は、神殿警備の職務を担った人々です。彼らは212人で、全員がレビ人で、みなエルサレムの神殿の近くに住んでいましたが、その中に「歌い手」という神殿における賛美を務める人々がいました。彼らは音楽以外の奉仕はすべて免除され、一日中、賛美の務めをする人々でした。「彼らの一族は主の宿営の門口を守る者であった。」(9:19b)とあるように、賛美をする「歌い手」たちも、その「門衛」の一員であったことが分かります。「歌い手」は賛美によって敵や誘惑から守る役割を担っていたのです。
捕囚後エルサレムに帰還したレビ人である「門衛」たちによって、800年以上受け継がれた職務は捕囚期間中も常に継承され続けたこと、日々の鍛錬とひとつひとつの誠実な職務への働きに驚きを覚えます。彼らはたとえ目に見える神殿を失っても、主に対する信仰が失われることはなかったというのです。「門衛」「歌い手」たちは日々神殿を守るための働きに誇りを持ち、いつでも力が発揮できるよう、準備を整えていたのでした。

わたしたちも封鎖、閉塞された日々の中ではありますが、どんな時でも「主がお入り用なのです」(マタイ21:3b)という言葉に耳を澄まし、隣人に仕え、自分のやるべき職務に誇りを持ち、毎日の積み重ねによっていつでも教会を守り、信徒を守る準備を備える「門衛」「歌い手」になろうではありませんか。
もちろん病や弱さの中で力を保ち続けることさえも困難な方もいらっしゃることでしょう。(私もその一人です)でも、その方たちには、祈りがあります。奉仕者を支える祈りです。その祈りがあったからこそ、バビロン捕囚の苦しみの中、神殿も失って迷子になってしまいそうな人々を、信仰を支え、奉仕への力へと導かれていったことは、歴史が証明しています。