ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

映画『レナードの朝』(1991)-精神神経疾患と闘う患者さんと医師らの勇気ある物語

2024年05月24日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

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 テレビを観ていたら、たまたま映画『レナードの朝』が始まりましたので、観はじめたらとうとう最後まで観てしまいました。

 この有名な映画をじーじはこれまできちんと観たことがなく(レナードさん、ごめんなさい)、今回、初めてしっかりと観させてもらいました。

 いい映画です。途中からは涙を浮かべながら観ていました。

 感想をひと言で述べるのは難しいです。

 いろんなことを考えながら、観ていました。

 精神科医のあり方とは?精神科看護師のあり方とは?精神科職員のあり方とは?

 そして、患者さんの回復とは?などなど。

 問いかけられているテーマは深く、重く、多層的で、答えも難しいです。

 しかし、どのようなことにせよ、患者さんに、より添う、という姿勢やこころ構えは、不可欠なのだろうと思います。

 そして、それらは、決して同情ではなく、むしろ友情のようなもののように思われます。

 そういえば、土居健郎さんや木村敏さん、中井久夫さんは、患者さんへの尊敬の念が大切だ、とよく言われています。

 さらに、映画の主人公の精神科医は人見知りで未婚の中年男性で、そんな医師の孤独な生活と、一時的にせよ回復をしたレナードさんの恋愛模様とどっちが幸せなんだ、という鋭い問いかけもあります。

 回復をしたレナードさんが自立と反抗の時期を迎えて、年老いた母親を悲しませるという親子関係の課題も提起されます。

 その他、患者さんの老いの問題、夫婦の問題、などなど、投げかけられるテーマも多様で深いです。

 人生観が問われるいい映画です。

 また機会があれば、観たいと思います。    (2017?記)

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 2023年2月の追記です

 6年ぶりに観ました。あいかわらずいい映画です。

 何回観ても感動し、さまざまなことを考えさせられてしまいます。

 現実の辛さにも直面させられますが、レーナードさんの淡い恋愛と主治医のぶっきっちょな恋愛が少しだけ救いです。   (2023.2 記)

 

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神田橋條治『精神科診断面接のコツ』1984・岩崎学術出版社-精神科面接の名著に学ぶ

2024年05月11日 | 精神科臨床に学ぶ

 2020年5月のブログです

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 神田橋條治さんの『精神科診断面接のコツ』(1984・岩崎学術出版社)を久しぶりに読みました。

 この有名な精神科臨床の面接の名著、じーじも家裁調査官の時代から何度も読んで参考にさせていただいていますが、感想文は初めてです。

 このまるで宝箱のような本を再読して、今の力量で何をどう感じるのか、自分で確かめてみたいと思いました。

 あいかわらず、付箋とアンダーラインだらけで、少し整理をしながら読み進めました。

 あくまでも、今の時点で印象に残ったことを一つ,二つ。

 一つめは、読んでいて思い出したのですが、ごく近い未来を予測することの大切さ。

 その後、この予測と結果を比較することで、面接や診断の善し悪しがわかり、面接の技術が上がるといいます。頷けます。

 二つめは、いつでも、あと5分で面接を終われるような面接をせよ、ということ。

 これは、面接が即治療であるということからくる必然性のように思われます。

 また、いま、ここから、を大切にして、そこからだんだんと話を広げる、ということとも関係してくるようです。

 三つめは、「なぜ」という問いをできるだけ使わないことの大切さ。

 「なぜ」を使わないだけで、質問がより丁寧で細やかなものになる、といいます。

 これはなかなか難しいことですが、記憶に誤りがなければ、成田義弘さんなども、「なぜ」よりも「どのように」などの言葉を勧めていた記憶があります。

 その他、メモなしで面接をして、記録を書き、後で録音と比べる方法や仮説をたくさん考えることなどは、調査官時代の指導官だった山野保さんからも教わったことがあり、懐かしい修行方法でした。

 さらに、勉強をしていこうと思います。    (2020.5 記)

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 2022年2月の追記です

 再読をしていたら、神田橋さんが、面接室外での面接について、述べられているところに気づきました。

 その場合、医師と患者さんが横並びになって、前方にぼんやり目を向けていると、患者さんの不安が起こりにくい、とあります。

 じーじの公園カウンセリングも、それなりに理にかなっているんだなあ、と改めて思いました。     (2022.  2 記)

 

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