ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

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ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいい、という人について考える-じーじのひとりごと

2024年12月26日 | ひとりごとを書く

 2024年12月のブログです

     *

 以前、ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいいんだ、という人に出会ったことがある。

 認知症のお母さんが部屋中にうんこをして、その後始末が大変だが、頑張っている、という内容のブログだった。

 介護は大変だな、と思うと同時に、ふと、お母さんのプライドについて考えてしまった。

 それで、介護で大変なのはわかるが、お母さんのプライドはどうなるのだろう?とコメントを書いたら、表題のようなリコメントが来た。

 加えて、認知症の老人が排泄に失敗するのは当然のことで、母も理解しているから、ということだった。

 なるほど、と思う一方で、しかし、やはりお母さんが可哀そうではないか、という想いが消せなかった。

 お母さんが直接読まなくても、まったくの他人の老人がこういう内容のブログを読んだ時に、将来、自分も子どもに似たような内容のブログを書かれてしまうのでないか、という不安を与えてしまいそうに思ったからである。

 確かに、匿名なら、個人の情報は洩れないし、個人の尊顔は守られるのかもしれないが、しかし、だからといって、それでいいのだろうか。

 日記を書きたいのなら、日記帳に書くか、パソコンに書いて保存をすればいい。

 しかし、それを、匿名とはいえ、公開するとなると、誰かが読むわけで、公開をした責任が生じるのではないかと思う。

 家族や親族の悪口を匿名で書いているブログを時々、散見するが、じーじいつも悲しい気分になる。

 内容もそうだが、そういう行為が悲しい気がする。

 匿名のブログの悪い面や欠点がもろに出ている例だと思う。

 思わず愚痴をこぼしたい気持ちは十分にわかるが、匿名とはいえ、悪口やプライバシーの侵害に当たることを公表していいのだろうか。

 そういうことが許されるのだろうか。

 それも言論の自由の範囲内なのだろうか。

 いろいろと考えさせられられる最近のじーじである。        (2024.12 記)

 


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