ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

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立原正秋『冬のかたみに』1981・新潮文庫-その2・暗い時代を勁く、凛と生きる少年とその後

2024年12月14日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を久しぶりに読む。

 おそらく6年ぶり。

 日本が朝鮮を併合していた時代、朝鮮の臨済宗の寺で育つ日朝混血の主人公を描く。

 主人公の父親も僧侶であったが、日本人と朝鮮人のはざまで苦悩し、主人公が幼少期に自殺をする。

 主人公は、その後も寺の老師や先達に見守られて、禅の世界の中で精神的な成長をとげる、という物語である、と理解をしていた。

 今も物語の内容はそれでよいと思うのだが、今回、今ごろになって、この物語の底流に、この時代背景としての日本の朝鮮併合や軍国主義、侵略などの問題が大きく横たわっていることに気づかされた。

 小説の中で、主人公の朝鮮人の祖父は日本に協力をした地主として登場し、これが父親の自殺のもととなってしまう。

 また、当時、ベルリンオリンピックで朝鮮の選手がマラソンで優勝をするが、新聞には日の丸をつけた写真が載る。

 さらには、朝鮮から中国に出征をする兵士を朝鮮人の子どもたちが日の丸を振って見送る。

 そして、ある日、突然に、朝鮮人の子どもたちが学校で朝鮮語を話すことを禁止され、日本語が強制される。

 立原さんは声高ではないが、侵略をするものの傲慢さと侵略をされるものの苦しみ、支配するものの驕りと支配されるものの哀しみを時代背景として淡々と描く。

 しかし、今、ロシアのウクライナ侵略を目のあたりにすると、問題の根の深さに思い至る。

 よい小説はおそらくその中に多義的な意味を含んでいると思うが、村上春樹さんの小説と同じで、この小説も多義的で多層的なさまざまな意味合いを内包しているように思える。

 今頃気づくようではかなり遅いと思うが、それでも遅いなりにそういうことが見えてきたことには感謝したいと思う。

 人生を深く掘り下げた、よい小説だと思う。        (2023.5 記)

 

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立原正秋『冬のかたみに』1981・新潮文庫-その1・勁く、凛とした、おとなの小説

2024年12月13日 | 立原正秋さんを読む

 たぶん2017年のブログです

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 本棚の上に積み重ねられた文庫本の中に、立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を見つけたので、ものすごく久しぶりに読んでみました。

 おそらく30代に読んで以来なので、30年ぶりくらいの再読です(立原さん、ごめんなさい)。

 立原さんは、じーじが20代から30代にかけて集中的に読んでいた小説家ですが、今では同年代の人達くらいにしかわからないかもしれません。

 名作『冬の旅』が有名で、じーじは非行少年たちが主人公のこの小説を読んで、結局、家庭裁判所調査官になりました(この小説を読んで調査官になったという人をじーじはほかに2人知っていますので、この小説の影響力はすごいと思います)。

 『冬の旅』もしばらく読んでいませんので、そろそろ再読をしようかな、と思っているのですが、なにせ、昔、何度も読んでいるので、じーじにしてはめずらしく(?)、まだあらすじをぼんやりと覚えており、こちらはもう少ししてから再読をしたいな、と楽しみにしています。

 さて、『冬のかたみに』ですが、やはりよかったです。

 まったく色褪せていません。

 というか、年を取ったことで、ようやくわかってきたことも多くありました。

 立原さんの小説は文章が美しく、力強く、正確な日本語が特徴ですが、この小説では、特に、これらの点が際立っています。

 主人公が幼少期から韓国の禅寺で育ち、禅の世界でよき師匠に出合い、厳しくも温かく見守られて成長し、精神形成をしていくという小説ですので、物語と文章が鮮烈で、凛として、とても美しいです。

 ともすると、私達は、時代に流され、欲に流されがちですが、そんな弱い自分に喝を入れられそうな感じがしました。

 今後もまた読みたい、いい小説でした。        (2017?記)

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 2020年11月の追記です

 立原さんの『冬のかたみに』を読むと、一度、韓国のお寺に行ってみたいな、と思うことがあります。

 わが家の美人ちゃんばーばが、韓流ドラマに熱中している(?)今がチャンスかもしれませんが…。        (2020.11 記)

 

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立原正秋『きぬた』1976・文春文庫-凛としたこころの父親を描く

2024年10月25日 | 立原正秋さんを読む

 2018年のブログです

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 またまた本棚の隅っこに古い小説を見つけ出して、読んでしまいました。

 立原正秋さんの『きぬた』(1976・文春文庫)。

 じーじがまだ大学生の頃の本です(当時からこんな暗い小説を読んでいたんですから、やっぱりかなりネクラの大学生だったんでしょうね)。

 内容を一言で紹介するのはとても難しい小説で、あらすじもあえて書きませんが、生きる道に迷った男性とそれに翻弄される女性たち、そして、それらを静かに見守る主人公のこころの父親を描く、といったところでしょうか。

 もっとも、端正で、正確で、美しい日本語で知られる立原さんの小説ですので、登場人物の造形や内面描写はしっかりしていますし、男女の愛憎や親子の確執が描かれていても、底流には美しさへの希求が流れていて、読後感は悪くありません。

 立原さん独特の醜いものへの容赦のない切り捨てはありますが、一方で、弱きものへの心温かさも厳然として読み取れます。

 この小説、今回、久しぶりの再読でしたが、とてもおもしろく読めて、2日で読んでしまいました。 

 若い頃にはおそらく読めていなかった箇所も、この年になってようやくわかるようになったというところが結構あったように感じました。 

 凛としたこころの父親、というのは、主人公が育ったお寺の寺男をしていた老人のことで、この小説の真の主人公ではないかとじーじには思えます。

 お寺経営に走る実父とは対照的に、生きる道に迷った主人公を温かい眼で見守り続ける姿はとても素敵です。

 こういう男性像に若い時に憧れてしまうと、じーじのようにその後の人生で苦労をすることになりかねませんので、要注意です。

 しかし、きっと、こんな道を求めて、じーじはこれからも歩んでいくのだろうな、という悪い予感(?)もしています。

 この年になっても、そう思えるくらいのいい小説を再び読めて、幸せな2日間でした。           (2018. 10 記)

 

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立原正秋『春の鐘(上・下)』1987・新潮社-「美」に生きる男の一つの生きざまを描く

2024年06月07日 | 立原正秋さんを読む

 2023年6月のブログです

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 立原正秋さんの『春の鐘(上・下)』(1987・新潮社)をかなり久しぶりに読む。

 1987年の単行本であるが、じーじが大学を卒業して、家裁調査官になって2年目、こんな小説を読んでいたんだ、と思う。

 もともとはその前年に日本経済新聞の朝刊に連載された小説らしいが、こんな色っぽい小説(?)を朝刊に連載した日経もすごいと思う。

 あらすじは例によってあえて書かないが、美術の専門家が主人公。

 美術に没頭するあまり、妻がついていけず、夫婦仲が破綻する。

 子どもにはいい父親である主人公の悩みは深まるが、夫婦の修復は難しい。

 そんな時に、目の前に現われた薄幸の女性。

 陶芸家の娘である女性とのつきあいが深まり、先の見えない関係が続く。

 読んでいると、この先がどうなるのか、どきどきしてしまう。

 それを救うのが、奈良や京都の仏像やお寺の美しさ。

 読んでいるだけで、こころが豊かになる。

 いい国に生まれたんだな、と改めて認識させられる。

 結末は少し哀しい。

 その先も心配になる。

 しかし、筆者はあえて書かない。

 余韻のあるおとなの小説だと思う。     (2023.6 記)

 

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立原正秋『その年の冬』1984・講談社文庫-立原さんの最後の長編小説です

2024年05月24日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの長編小説『その年の冬』(1984・講談社文庫)を再読する。

 立原さん最後の長編小説。

 1979年(昭和54年)10月18日から読売新聞朝刊に連載され、翌年4月18日に第一部完となる。

 この間、立原さんは、1980年(昭和55年)2月に肺気腫ということで入院、3月1日にいったん退院をするが、4月7日に再入院、肺がんと判明する。

 立原さんは再入院後もこの作品を書き続け、しかし、さすがに、当初、9月までの連載予定を4月で第一部完という形にして、責任を果たす。

 すごいプロ意識と責任感に感動する。

 同年8月12日死去。

 立原さんらしい最後であった。

 この小説もあらすじはあえて書かないが、本物の生き方を求めるものと虚飾の世界を生きるものとの対比を厳しく描く。

 美しいものには温かく、優しいが、醜いものやずるいものにはとことん厳しい立原さんの世界はここでも健在だ。

 男の友情も楽しく描かれる。

 そして、立原さんの描く男女の世界は、やはり美しさと醜さの対比が厳しい。

 理想と現実、しかし、その中でもがく人たちにも、以前よりは温かいのは気のせいだろうか。

 厳しいが、読後感のよい小説である。     (2023.5 記)

  

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立原正秋『風景と慰藉』1974・中公文庫-立原さんのヨーロッパ・韓国紀行です

2024年05月21日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの紀行文集『風景と慰藉』(1974・中公文庫)をかなり久しぶりに読む。

 これも古い本で、当時、大学生だったじーじには少し難しいところがあったらしく、本にはめずらしくアンダーラインも付箋もなく(?)、きちんと読んだのか、やや不明(立原さん、ごめんなさい)。

 就職後も読んだのかどうか記憶がはっきりしない。

 しかし、改めて読んでみると、これがとてもいい本だった。

 じーじのその後の50年(!)の経験が無駄ではなかったようで、読んでいて立原さんの文章がこころに染み入ってくるような感じがする。

 本書は、立原さんのヨーロッパと韓国の紀行文集だが、ヨーロッパではスペイン・ポルトガル・ギリシア・イタリアを旅する。なかなか渋い選択だ。

 スペインやギリシアの大地を旅しながら、日本の風土との違いを考え、教会や神殿を見ながら、カトリックやギリシア神話を考える。

 ルナンの『イエス伝』などが引かれ、立原さんのカトリックにも詳しい一面を見せて、魅力的だ。

 一方、ポルトガルでは、庶民の暮らしに親しみを覚え、住んでもいいかなと考えたりする。

 素朴な飾りのない庶民の暮らしを愛でる一方で、高慢で強欲な金持ちたちには厳しく、立原さんの他の随筆や小説と共通している。

 この旅行の経験が、のちの立原さんの『帰路』などの小説にいかされており、読んでいて楽しい。

 さらに、韓国の旅もすばらしい。

 韓国のお寺を旅しながら、奈良のお寺を建てた渡来人のことを想像し、古の日本と韓国の関係を考える。

 臨済の寺に育った立原さんの原体験が、歴史に照射されて、仏教と神道の関係なども考える。

 なかなかに厳しい思索の旅で、同じようなことを考えることがあるじーじには参考になる。

 立原さんの文章は内容の確かさとともに、日本語の美しさが本当にすばらしいと思う。

 読んでいて、気持ちが良くなる文章だ。

 折りに触れて、読み続けていこうと思う。     (2023.5 記)

 

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立原正秋『夢幻のなか』1976・新潮社-美意識・勁さ・潔さ

2024年05月18日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの随筆集『夢幻のなか』(1976・新潮社)を読む。

 すごく久しぶりの再読。

 本棚の横に積んであった単行本の山の中から発掘した(?)。

 1976年第1刷。貧乏学生だったのに、新刊で買ったらしい。相当、立原さんに熱中していたようだ。

 1976年(昭和51年)といえば、じーじは大学4年生。

 大学生のくせに、授業に出ないでこんな本(立原さん、ごめんなさい。先生方もごめんなさい)を読んでいたわけだ。

 しかし、今、読んでもいい本だ。

 あとがきに、立原正秋さんの3冊目の随筆集とある(1冊目、2冊目は、まだ本の山の中で迷子になっている)。

 立原さんの随筆といえば、読んだことのあるかたはおわかりだろうが、美しいものにはとても優しいが、醜いものや卑怯なものにはとても手厳しいことで印象的だ。

 小説も同じだが、随筆では特にすごい。

 庭や山野の草花には優しく、季節の魚を愛でるが、一方で、文壇の老いた先輩や卑劣な同業者には容赦がない。

 痛快といえば痛快だが、こちらが心配になるくらいやっつける。

 こういう美意識を身につけた作家の文章を読んでしまうと、読者もたいへんだ。

 大学生でこんな作家に出会ってしまい、じーじの美意識にもかなり影響を受けた気がする(その割に、駄文を書いているが…)。

 この随筆にたまに登場する息子さんや娘さんは、当時のじーじと同年代。

 じーじは立原さんに理想の父親像を見ていたのかもしれない。

 読後感のよい随筆集である。     (2023.5 記)

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 2024年5月の追記です

 この時、授業をさぼって立原正秋さんの本を読んでいたが、よく考えると貧乏学生だったので教科書は買っていなかった気がする(!)。

 教科書を買わずに、立原さんの新刊書を買っていたわけだ。ひどい学生だねぇ(!)。

 もっとも、裁判所に入ってみると、先輩から、小説をたくさん読むようにと言われたので、まあ正解だったけど…。

 学校の教科書は全然読まなかったけど、人生の教科書をいっぱい読んでいたわけだ。かっこういい!     (2024.5 記)

 

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立原正秋『冬の旅』1973・新潮文庫-凛とした孤高の青年を描く

2024年05月06日 | 立原正秋さんを読む

 2019年のブログです

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 立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 おそらく30代の終わりくらいに再読をして以来、約30年ぶりくらいの再読です。

 とてもいい小説で、記憶力の悪いじーじにしてはめずらしくあらすじを覚えていて、再読が久しぶりになってしまいました。

 本当にいい小説なので、あらすじだけでなく、文章もじっくりと味わうことができるのですが、すごいご無沙汰でもったいないことをしてしまいました。

 今回は、文章を丁寧に味わいながら、ゆっくり、ゆっくりと読みました。

 やはりすごい小説です。

 文章がたびたび胸に迫ってきて、こころを平静に保つのが難しくなることもありました。

 じーじが持っている文庫本は1973年に購入したもの。

 大学1年の時です。

 おそらく高校時代に「冬の旅」のテレビドラマを観て、印象に残っていて、原作を読んだのだと思いますが、当時、ものすごく感動をしたのを覚えています(原作は読売新聞夕刊に1968年から1969年まで連載されたようです)。

 そのころ、じーじは中学校の社会科の先生になりたかったのですが、この小説を読んで、中学校で不良生徒の相手をしたいな、と強く思ったものです。

 結局、いろいろあって、家裁調査官になり、非行少年の相手をすることになったのですが、なぜかわかりませんが、じーじは昔から非行少年に親和感があり、この小説を読んで、その感覚がいっそう強まったように思います。

 官僚や社会的に偉いとされる人より、貧乏や不幸な生い立ちの中で格闘している彼らに共感をしてしまいます。

 自分が貧乏で苦労をしたということがあるのかもしれませんし、自分の中の反体制派の感覚やアウトローの感覚が彼らに親しみを覚えるのかもしれません。

 しかし、ずるい人間を許せないという点では、この小説の主人公と一緒です。

 ずるくない非行少年には優しいですが、ずるい非行少年やずるいおとなは許せません。

 厳しくいえば、結局はおとなになりきれないということなのかもしれませんが…、でも、そういう人生でいいや、と思っています。

 一所懸命に生きつつも、うまくいかない人たち、非行少年もそうでしょうし、病気の人たちもそうでしょう。

 そういう人たちを理解できるおとなでいたいな、とつくづく思います。     (2019.5 記)

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 2023年12月の追記です

 立原さんの『随筆・秘すれば花』(1971・新潮社)を読んでいると、この小説の主人公が少年院で知り合って親友となった安という青年が出てきますが、この安が連載中の小説の中で交通事故で亡くなった時に、立原さんの行きつけの飲み屋から追い出されたといいいます。

 安のような善良な男を殺した小説家に酒はのませられない、と言われたらしいのですが、そんなフアンがいる小説が今までにあったでしょうか。

 立原さんは、連載が終わったので、一升壜をさげてあやまりに行くつもりだ、と書かれていますが、そういう立原さんも素敵です。  (2023.12 記)

 

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