ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

松木邦裕・藤山直樹『夢,夢見ること』2015・創元社-夢の不思議さと夢のちから

2025年01月14日 | 藤山直樹さんを読む

 2015年11月のブログです

     *  

 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『夢,夢見ること』(2015・創元社)を読みました。

 2015年の精神分析学会の書籍売り場で購入した本です。

 お二人とも私の大好きな精神分析家で,もっとも信頼をする臨床家であり,学会でもお二人ともすばらしいご発言をされていました。

 本書は,松木さんの研究会に藤山さんがゲストで参加された時の講演と討論の記録ですが,内容がとてもすばらしく,充実しています。

 テーマは,夢,あるいは,夢を見る人,さらには,夢を見ること,などなど。

 夢という精神分析の大きな課題について,お二人が縦横に語り,夢を見る人,夢を見ることに繋げていきます。

 精神分析の分析空間が夢と同じかもしれない,というお話は説得力があります。

 さらに,転移や逆転移についても,夢を見ることという視点から理解をすると,また違った深みを増してきそうな印象を受けます。

 最近,夢をじっくり味わうと,夢が変化をしていくという経験をしています。

 夢は不思議ですが,魅力的な存在でもあります。

 まだまだ初学者ゆえ,理解は浅いですが,今後の臨床の中で,何度も読み返して,考えを深めていきたいと思います。      (2015. 11 記)

     * 

 2018年秋の追記です

 若い頃からずっと見ている夢や最近ずっと見ている夢など,夢は本当に不思議だなと思います。

 やはりなんらかの心的なテーマなんだろうと思います。

 精神分析ではフロイトさん以来、夢は重要なテーマですが、ビオンさんやメルツァーさんを読んでも勉強になります。

 そういえば、夢は村上春樹さんでも大きな要素のようです。

 自分の内的成長のためにも,夢にじっくりとゆっくりと丁寧につきあっていきたいと思います。       (2018.10 記)

     *

 2020年春の追記です

 自分にとって、意味のある、大切な夢は、何度も見るようです。

 そういう時は、どんな意味があるのかな、ああかな、こうかな、と考えるだけでもいいようです。

 あまり深刻にならずに、夢とつきあっていけるといいようですよ。

 まあ、こころの配偶者みたいなもんですかね(?)。        (2020.4 記)

 

コメント (8)

藤山直樹・松木邦裕・細澤仁『精神分析を語る』2013・みすず書房-その2・ていねいで正直な精神分析の実践に学ぶ

2025年01月10日 | 藤山直樹さんを読む

 たぶん2016年のブログです

       *  

 藤山直樹さん、松木邦裕さん、細澤仁さんの鼎談、『精神分析を語る』(2013・みすず書房)を再読しました。

 ちょっと前に読んだつもりでしたが、本棚にあった本をよく見ると2013年11月の発行で、そういえば精神分析学会の書籍売り場で買ったんだっけ、と思い出しました。

 当時のブログもありますが、少し短い文章でしたので、今回はもう少し追加してみます。

 再読をしてみた印象は、やはりすごい!です。

 三人とも、それぞれの思いをかなり正直に話されているのが印象的で、初学者にもとても参考になります。

 精神分析の大家は、ご自分の失敗も含めて、臨床での思いや考えや感情をていねいに記されるのが特徴と思いますが、それがよき実践のためには大切なのだろうと思わされます。

 特に、藤山さんはふだんから飾りのない正直な発言が魅力的ですが(藤山さん、ごめんなさい)、この本でも藤山さんらしさが全開で、楽しいです。

 藤山さんにとって、『落語の国の精神分析』(2012・みすず書房)がとても大切な本だということもわかりました(この本についても前にブログがありますので、よかったら参考にしてください)。 

 圧巻は、細澤さんのケースを藤山さんと松木さんがコメントをするという贅沢な企画で、藤山さんと松木さんの読みの深さが際立ちます。

 同じ資料を読んで、大家は、ここに注目し、こう介入し、こう解釈をし、こう返すのか、こう明確化をするのか、ということがリアルタイムで示されます。

 こんな贅沢はなかなか体験できません。勉強になります。

 今年も精神分析学会が待ち遠しくなりました。        (2016?記)

     *

 2020年12月の追記です

 本棚を眺めていたら、読んで!読んで!という感じがしたので(?)、久しぶりに再読をしました。

 やはりすごい本です。

 専門書を読んで、こころから感動できることはそう多くはありませんが、この本はじーじにとって、そういう一冊です。

 今回も、藤山さんと松木さんの正直な語りに本当に感心させられました。

 また、お二人が精神分析に出合うお話なども感動ものです。

 さらに、やはり事例検討のお二人の理解もすごいです。

 じーじも以前よりは少しだけ理解できる箇所もあるように思いますが、やはり同じ資料でこれだけ深く理解できるお二人には尊敬しかありません。

 さらに勉強を深めたいと思います。         (2020. 12 記)

 

コメント

藤山直樹・松木邦裕・細澤仁『精神分析を語る』2013・みすず書房-その1・正直な精神分析に学ぶ

2025年01月09日 | 藤山直樹さんを読む

 2013年のブログです

     *

 11月15日~17日,京都で開かれた精神分析学会に参加しました。

 この本はその会場で販売されていて,さっそく購入しました。

 前回,土居さん,中井さん,神田橋さんの鼎談のすごさをご紹介しましたが,今回は藤山直樹さん,松木邦裕さん,細澤仁さんという現在の日本の精神分析の世界ではかなり豪華な三者による鼎談です。

 それぞれの皆さんの率直な発言が贅沢なほどに綴られており,帰りの飛行機の中から一気に読んでしまいました。

 とても深い内容だと思いますし,何度か繰り返して読みたいなとつくづく思っています。

 いい本に出会えたなと感動しました。

 精神分析,やはり奥深い,すごい世界だなと再認識をしました。         (2013.11 記)

     *

 2022年12月の追記です

 この本については、その後、2016年に再度、ブログを、2020年にその追記を書いています(よろしかったら、読んでみてください)。

 同じような感想を繰り返してばかりですが、やはり大家の人たちの失敗を含めた正直さに感銘を受けます。

 少しでも近づけるように、さらに謙虚に学んでいきたいと思います。         (2022.12 記)

 

コメント (2)

藤山直樹・伊藤絵美『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』2016・岩崎学術出版社

2024年12月12日 | 藤山直樹さんを読む

 2016年のブログです

       *      

 藤山直樹さんと伊藤絵美さんの『認知行動療法と精神分析が出会ったら-こころの臨床達人対談』(2016・岩崎学術出版社)を読みました。

 とてもおもしろかったです。

 そして、とても勉強になりました。

 この中で藤山さんが精神分析のエッセンスを講義されているのですが、おそらくじーじが今まで読んだ精神分析の説明の中で、一番わかりやすくて、かつ、一番深いものではないかと思います。

 もちろん、それは藤山さんなりの「精神分析」なのですが、だからこそ、藤山さんファンのじーじには宝物のような講義でした。 

 ここで、じーじがうれしかったのは、治療者がたとえ失敗をしても厳然と「そこにいること」の大切さが述べられていて、このところ、このことを考え続けているじーじにはとても勉強になりました。

 そして、失敗は必須のものではないか、とか、必然のものではないか、との指摘は今後の大きなテーマだな、と思いました。

 考えてみれば、ウィ二コットさんもそのようなことを述べていることを思い出しました。

 もっと勉強が必要です。

 藤山さんの精神分析への熱い思いは、まだまだ精神分析の初心者のじーじのこころにもかなり深く響いてきて、今後も何度も読み返して、理解を深めたいと思いました。

 また、伊藤さんとの対談も面白く、認知行動療法との異同を考えながら、心理療法全般のことを考えました。

 二人のこころの臨床家の対談にいろいろと触発をされて、もっともっと勉強をし、実践を積み重ねていきたいなと思いました。        (2016 記)

     *

 2024年12月の追記です

 失敗は必然のものではないか、という言葉を今も考え続けています。

 カウンセラーがいろいろと失敗をすることで、クライエントさんが、こんなことでは大変だ、自分も頑張らなければ、と自立の契機になるのかもしれません(?)。

 カウンセラーが失敗ばかりでは困りますが、適度な失敗はクライエントさんの成長にも必要なのかもしれません。

 親子関係でも、ウィニコットさんがいうように、完璧な母親ではなく、ほどよい母親のほうが、子どもの成長や成熟には大切な気がします。

 病的に完璧な母親(父親もそうですが)はむしろ、子どもの成長を阻害する可能性もあります。

 おおらかで、たまに失敗をして、子どもに憎まれても、ごめんね、と素直に謝って、子どものそばに居続けるような親がいいのかもしれないなあ、と考えたりしています。        (2024.12 記)

 

コメント

藤山直樹『落語の国の精神分析』2012・みすず書房-藤山直樹さんの(?)精神分析入門を読む

2024年12月07日 | 藤山直樹さんを読む

 2016年ころのブログです

     *     

 藤山直樹さんの『落語の国の精神分析』(2012・みすず書房)を再読しました。

 2012年に一度読んでブログを書いていますから(すみません、なぜか(?)消えてしまいました)、おそらく今回が2回目の再読です(たぶん?)。

 実はこの間に1回読んだような気もするのですが、記憶があいまいではっきりしません(藤山さん、ごめんなさい)。

 しかし、やはりとても面白かったです。

 そして、いい本です。

 前回のブログで、

 「藤山さんの精神分析の概念の説明がとてもすばらしいです。

  特に、エディプスコンプレックスの説明は、じーじがこれまでにいろいろ読んだり、聞いたりした中で、一番わかりやすい説明だと思いました。

  ほかの概念の説明も、とてもわかりやすく、しかも、レベルは高い水準をキープしているところがすごいと思いました。

  藤山さんには『集中講義・精神分析』(上・下、岩崎学術出版社)という本がすでにありますが(ブログがありますので、よかったら読んでみてください)、この『落語の国の精神分析』は藤山直樹さん版・精神分析入門と言ってもいいのではないかと思いました」

と書いたのですが、この印象は今回も変わりません。

 精神分析の考え方をおさらいし、さらには、最新の精神分析の考え方を藤山直樹さん流にわかりやすく、かつ、深く展開しているように思われます。 

 そんな中で今回、じーじが学んだのは、エディプスコンプレックスが死と密接な関係にあるという点。 

 ここは前回、まったくつかめていなかったのですが、とても大切なことと感じました。

 子どもが父親を認めることは、父親がいずれ死んでしまう存在であるということに気づくことだという考え、ここは斬新な印象を受けました。

 もう少し考えてみたいと思っています。

 他にも、自分は自分でいい、とか、今言ってもわからないことは言わない、とか、好きなものに打ち込めることだけでいい、とか、大切な言葉が出てきていました。

 今後も、もっともっと、読み込んでいこうと思いました。       (2016?記)

     *

 2022年2月の追記です

 今言ってもわからないことは言わない、というところは、わからないことに耐える、ことと関係しそうですね。       (2022.2 記)

 

コメント

藤山直樹ほか監修『事例で学ぶアセスメントとマネジメント-こころを考える臨床実践』2014・岩崎学術出版社

2024年11月26日 | 藤山直樹さんを読む

 2015年のブログです

     *

 精神分析家の藤山直樹さんらが監修をされた『事例で学ぶアセスメントとマネジメント-こころを考える臨床実践』(2014・岩崎学術出版社)を再読しました。

 やはり勉強になる本です。 

 精神分析的心理療法の初学者がベテラン2名にスーパーヴィジョンを受ける形式ですが,分析的な理解がとてもわかりやすく書かれています。

 同じ現象をベテランはこんなに深く広く捉えられるんだと感動さえさせられます。

 毎年参加させてもらっている精神分析学会で,同じ資料から先生がたは本当に多様で幅広く,そして深い理解を示されて唖然とすることが多いのですが,その一端がこの本でも体験できると思います。

 もっともっと勉強をして,患者さんに役立つ理解を適切な形でうまく伝えられるようになりたいなと思いました。       (2015.5 記)

     *

 2020年3月の追記です

 久しぶりに読み返しました。やはり勉強になるいい本です。今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、カウンセリングをしましょう、という時の、カウンセリング、という言葉の意味が、カウンセラーとクライエントさんの間で違っている場合があるので要注意ということ。

 これは、カウンセリングという言葉だけでなく、他の言葉、例えば、幸せ、とか、口うるさい、とか、厳しい、とかいった場合でも同様で、具体的に、細やかに、クライエントさんに話してもらい、理解をしていく必要があります。

 二つめは、困っている相談主体をはっきりさせること。 

 困っている人と問題行動を起こしている人が違っている場合がありますので、大切な点です。

 三つめは、クライエントさんを頑張りさせすぎないこと。

 無理は続きませんし、かえってクライエントさんを傷つける場合があります。

 背伸びをしたり、カウンセラーに気に入られようとして無理をしているような時には、クライエントさんの気持ちは尊重しつつ、無理をしようとしているクライエントさんの心理も検討をして、現実吟味をしっかりとしていくことが大切になるようです。

 まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあって、さらに読みを深めていきたいと思いました。        (2020.3 記)

     *

 2023年秋の追記です

 同じ言葉でも、人によって意味するところが違うということは、家庭裁判所の仕事でもずいぶん経験しました。

 妻のいう「暴力」と夫のいう「暴力」、子どものいう「自由」と親のいう「自由」の違い。

 聴いてみると、中身がずいぶん違ったりします。

 それですれ違いになっている例が多くありました。

 このすれ違いを理解する方法を下坂幸三さんがわかりやすく教えてくださっています。

「なぞる」という方法で、各人の言葉に込められた細かいニュアンスを拾っていきます。

 ていないな臨床家は、おそらく、みなさん、同じような作業をされているのでしょう。

 もっともっと学んでいこうと思います。        (2023.9 記)

 

コメント

藤山直樹『精神分析という営み』2003・岩崎学術出版社-藤山直樹さんの率直な語りに学ぶ

2024年09月15日 | 藤山直樹さんを読む

 たぶん2017年ころのブログです

     *     

 藤山直樹さんの『精神分析という営み』(2003・岩崎学術出版社)を再読しました。

 何回目になるでしょうか、じーじはこの本を読んで藤山さんのファン(?)になったのですが、いざ感想を述べるとなると、じーじの理解不足、経験不足もあって、なかなか難しい本です。

 今回もうまくまとめられるかな、と思いながら読んでいましたが、とりあえず、印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 まずは事例がすごいです。何回読んでも新鮮です。こんなことがあるんだとびっくりします。

 そして、多少の失敗も含めて、すごく正直に(おそらく)、率直に書かれていると思います。

 その中から、精神分析の考え方をていねいに検討しておられるので、説得力がありますし、初学者にも勉強になります。

 特に、印象的な事例は、一番最初の藤山さんが殴られる事例。

 患者さんが面接中に、支配的な両親と藤山さんを同一視して行動化してしまうのですが、それをきちんと分析する藤山さんに感心します。

 他の事例でも、面接中に逆転移や投影同一化に揺れる藤山さんがすごく正直に描かれます。

 また、精神分析はキャッチボールではない、という大切な命題も主張されます。

 関連して、共感をめざす危険性にも論及されます。

 自分のカウンセリングを反省させられます。

 さらに、ウィニコットさんを引用されて、遊ぶ余裕の中でしか、創造的な心理療法はできない、とも主張されます。

 理論と経験と実践が密接にリンクしていて、迫力がありますし、勉強になります。

 さらに勉強をして、経験を積み、力のある臨床家になりたいな、と強く思える本だと思います。

 なお、序文は土居健郎さん。

 土居さんも率直に藤山さんを評します。

 いい師弟関係だなとうらやましくなります。       (2017?記)

     *

 2019年10月の追記です   

 先日の精神分析学会で、藤山さんが本書の論文に触れていたので、再読をしました。

 じーじにしては2年ぶりと、めずらしく早めの再読です。

 やはりすごい本です。一気に読んでしまいました。

 症例がすごいです。率直に書かれていて、臨場感がすごいです。説明も簡潔明瞭で、藤山さんの学会での語りと同じです。

 あこがれますね、こういう人に…。

 さらに勉強と経験を積み重ねようと思います。       (2019. 10 記)

 

コメント

藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その2・「甘え」と秘密をめぐって

2024年09月14日 | 藤山直樹さんを読む

 2022年8月のブログです

     *

 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を久しぶりに再読しました。

 今回もいろいろなことが勉強になりました。

 特に今回、じーじが参考になったことは、「甘え」と秘密の関係と、自由連想についての考察。

 いずれも鋭いです。

 秘密の問題については、精神分析でいろいろな方が論じていますが、今回、藤山さんは、「はにかみ」と「甘え」いう現象を取り上げて説明をします。

 そして、おとなになるためには秘密が必要であり、それが「甘え」や「はにかみ」の世界に包まれるような関係が大切といいます(それで合っていると思うのですが、間違っていたら、ごめんなさい)。

 一方、自由連想。

 藤山さんは、自由連想は、単に自由に連想をすること、ではなく、自由に連想をしたことを語ること、に意味があるといいます。

 そして、患者さんが治療者に連想を語ることの一方、治療者は連想したことのすべてを語らず、もの想いすることの重要性を説きます。

 改めて、そう指摘をされると、本当に大事な点だな、と思います。

 まだまだ勉強不足で拙い理解だとは思いますが、さらに勉強を深めていきたいと思います。      (2022.8 記)

 

コメント

藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年09月13日 | 藤山直樹さんを読む

 たぶん2012年ころのブログです

     *   

 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。      (2012?記)

     *

 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

コメント

藤山直樹『集中講義・精神分析(上)』2008・岩崎学術出版社-上智大学の学生さんと精神分析を学ぶ

2024年09月09日 | 藤山直樹さんを読む

 たぶん2016年ころのブログです

     *   

 藤山直樹さんの『集中講義・精神分析(上)』(2008・岩崎学術出版社)を再読しました。

 なぜか下巻の感想は2011年に書いているのですが、上巻の感想は初めてです。

 おそらく3回目の勉強だと思うのですが、3種類の付箋とたくさんのアンダーラインで本の中がとてもにぎやかになってしまいました。

 藤山さんの本は、読めば読むほど勉強になるところが多くて、いつも刺激的に読めます。

 ましてや、フロイトさんが相手ですから、こちらの経験に応じて、読みも深まってくるのだろうと思います。

 本書は藤山さんの上智大学での2006年の講義が元になっていますが、レベルはかなり高いと思います。

 こういう講義が学べる上智大学の学生さんがちょっとうらやましくなりました。

 さて、今回、印象に残ったことを二つ、三つ書きます。

 一つめは、精神分析のあり方。

 やはり、治療者が投影同一化で揺さぶられながらも、なんとか生き残ることが重要なようです。

 その時に、もの想いをしながらボーとしていることも大切なようです。

 たいていの人は患者さんの攻撃に生き残ることができずに、患者さんの傷つきをさらに深めているので、ここはぼろぼろになりながらも生き残ることに意味があるようです。

 そして、このことは親子関係にも通じるのではないかと思いました。

 二つめは、エディプス・コンプレックスが世代間境界をつくり、それが道徳などにつながっていくということ。

 世代間境界のことは、家庭内暴力の家族でその不十分さが指摘される点ですが、エディプス・コンプレックスや道徳との関係で考えたことはなかったので、新鮮でした。

 三つめは、精神分析を転移の場にしていくということ。

 反復強迫は患者さんなりの努力の結果ですが、その反復強迫を転移の場で、遊びにできると治療につながる、というお話は魅力的です。

 フロイトさんからウィニコットさんにつながる点を指摘してもらって、勉強になりました。

 まだまだ学ぶところが多い本で、今後も読みを深めていきたいと思いました。        (2016?記)

 

コメント (2)

藤山直樹『集中講義・精神分析(下)』2010・岩崎学術出版社-上智大学の学生さんと精神分析を学ぶ

2024年09月08日 | 藤山直樹さんを読む

 2011年のブログです

     *

 藤山直樹さん(本当は藤山先生と書きたいのですが、河合隼雄さんも先生でなく、さんづけでしたのでそうします)の『集中講義・精神分析(下)』を再読しました。

 藤山さんの上智大学での講義です。

 本が出てすぐに一度読んだのですが、今回はノートを取りながら読みました。

 一度目に読み落としていた部分がいっぱいあって、反省でした。

 上巻でもそうでしたが、藤山さんはフロイトさんの原典をより忠実に、しかもより深く読み込んで、自論を展開されていますが、それは下巻でも同様で、主にクラインさんとビオンさんとウィニコットさんの原典を忠実に読み込みながら、そこから現在の精神分析で議論されていることについて、ご自分の考えを展開されているように思いました。

 特にウィニコットさんの原典からの読み込みの深さとそこからの展開はすばらしく、初学者のじーじにでも頷く部分が多くありました。

 そういう中で臨床家の姿勢やあり方といったものを考えさせられました。

 もっともまだまだ十分に理解ができているとは言えないと思いますので、さらに読み込んでいこうと思いました。

 今年秋の名古屋での精神分析学会では生で藤山さんの話が聞けそうですので、今から楽しみです。             (2011. 8 記)

(この時はまだ藤山さんを生で(?)見たことがなかったのですね、少しびっくりです。     2020.4 記)

     *  

 2018年秋の追記です

 7年ぶりに再読をしました。

 とてもいい本なのに、まったく勉強不足です(藤山さん、ごめんなさい)。

 今回も新しい発見がありました。

 一つは、精神分析について。

 藤山さんは、精神分析は切り離されているこころの部分と出会う経験だ、と言います。

 とてもわかる言葉です。すばらしいな、と思います。

 二つめは、精神医学で対処できる病気は精神医学で対応し、やたらに精神分析を行なうことはしない、という点。

 ただ単に熱心に患者さんの話をきくことの弊害を述べ、きくべき病気ときかないほうがいい病気の峻別の大切さを指摘します。

 デイケアでの経験でも確かに頷ける点であり、大切な視点だと思いました。

 三つめは、ビオンさんが、夢は無意識と意識をつなぎ、意味を生成する、順調なら目覚めている時も夢を見て、意味を生成する、と述べているところを紹介された点で、たぶん村上春樹さんも同じことを述べていて、びっくりしました。

 さらに、7年といわずに、また勉強しようと思います。             (2018.10 記)

 

コメント

藤山直樹『精神分析という語らい』2011・岩崎学術出版社-夢を見ることと精神分析

2024年09月03日 | 藤山直樹さんを読む

 2011年のブログです

       *   

 藤山直樹さんの『精神分析という語らい』(2011・岩崎学術出版社)を読みました。

 少し難しかったけれど(何割くらい理解できているのかなあ)、哲学的な部分に触れる箇所もあって、じーじにとってはかなり刺激的でした。

 じーじが一番おもしろく読んだのは「夢みることと精神分析」の章。

 人は人間的であるとき、眠っているときも覚醒しているときも夢をみている、というところや、夢みることは創造的に遊ぶことに結びついている、というところ、あるいは、人はひとりで夢みているようにみえてそうではない、より哲学的な物言いをすれば、そこには自分のなかの他者が関与している場所である、といった箇所でした。

 何かちょっと村上春樹さんと共通点があるような感じがしましたが、そう思うのはじーじだけでしょうか?

 まだまだじっくりと読み込んで理解を深める必要があると思いますが、今後も大切に読み込んでいきたい一冊だと思いました。         (2011 記 )

     *  

 2018年秋の追記です

 久しぶりに再読をしました。

 2011年に読んで、その間にもう一回読んでいるようで、2種類の付箋とアンダーラインで、本のページはかなり賑やかです。

 今回も夢のところは印象的で、前回の文章を再確認しました。

 加えて、夢を見れないことや妄想との関係についても教えられました。

 今回、もう一つ印象的だったのは、土居さんの甘え理論と対象関係論についてのところ。

 土居さんがフロイトさんと格闘して甘え理論に達していた頃、英国の対象関係論もビオンさんなどが同じような発見をしていたという考察はすごいと思います。

 土居さんの甘え理論についてはずいぶん本を読んでいたつもりですが、今回は目からうろこ、という感じで、腑に落ちました。

 本を読み重ねていくとこういういいこともあるんだな、と今回、つくづく思いました。

 いい本を読んで、いい経験ができたなあ、と思います。       (2018.11 記)

        *

 2019年11月の追記です   

 じーじにしてはめずらしく、1年ぶりで再読をしました。今年10月の札幌での精神分析学会で、藤山さんのお話を聞けた影響が大きいです。

 今回も印象に残ったのは、土居健郎さんの「甘え」論文について考察をされている論文。

 土居さんへの敬意と、あくまでもそれを乗り越えていこう、あるいは、現代に展開していこうとする藤山さんの熱意に感動します。

 地に着いた考察、借り物でない、自分の言葉での論考は本当にすごいと思います。 

 さらに勉強をしていこうと思いました。       (2019.11 記)

     *

 2022年夏の追記です

 3年ぶりに再読をしました。

 なかなか難しい本ですが、やはり刺激的です。

 夢と精神分析の関係や「甘え」と対象関係論の関係など、考えさせられるところが多々あります。

 そして、すごいのは、藤山さんがこれらについて考察する時に、ご自身のケースを取り上げて検討をされていること。すごいなあ、と思います。

 やはり、本物の理論は、ケースに始まり、ケースに終わり、深まるものなんだなあ、と考えさせられました。      (2022.7 記)

 

コメント

松木邦裕・藤山直樹『愛と死-生きていることの精神分析』2016・創元社-「生きること」と「生きていないこと」

2024年04月24日 | 藤山直樹さんを読む

 2018年のブログです

     *  

 松木邦裕さんと藤山直樹の『愛と死-生きていることの精神分析』(2016・創元社)を再読しました。

 じーじとしてはめずらしく(?)、2年目での再読です。

 それでも結構、忘れている部分が多くて、びっくりです。

 本書は創元社が主催する「精神分析スタディDAY」というセミナーの第7回の記録です。

 このセミナーはじーじも以前、一回だけ参加したことがありますが、深い内容の講義がなされ、それをもとに出版されている本もレベルが高く、参考になります。

 今回のテーマは、愛と死。

 なんだか小説の題のようですが、精神分析はなんだかんだと難しい議論がなされますが、しかし、やはりこの二つのテーマが重要だということだと思います。

 愛、というと、じーじなどはなんだか恥ずかしくなりますが、精神分析では、生きることは愛することだ、と藤山さんは言い切ります。

 そして、愛を支える生とそれを揺さぶる死を見つめることの大切さを論じています。

 一方の松木さんは、二つの症例を提示して、死んでいるように生きている患者さんの不毛さへの援助のあり方を論じています。

 いずれの症例も長期間の困難な治療ですが、参考になります。

 今回は、以前より、アンダーラインと付箋がだいぶ増えました。

 それだけ理解が深まっているといいのですが、どうでしょうか。

 愛と死を胸に秘めて、じーじは今日も勉強に励んでいきたいと思います。   (2018 記)

 

コメント

松木邦裕・藤山直樹『精神分析の本質と方法』2015・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年04月23日 | 藤山直樹さんを読む

 2018年のブログです

     *  

 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『精神分析の本質と方法』(2015・創元社)を再読しました。

 2015年の本ですから、のんびり屋のじーじとしては、めずらしく早めの(と、言っても3年ぶりですが…)再読です。

 松木さんと藤山さんのそれぞれの講義と討論からなっていますが、なかなか充実した内容で、奥が深いですし、やはり難しいです。

 特にじーじは、藤山さんの講義に感心させられましたし、刺激を受けましたが、自分の経験が少ないために、どれくらい理解ができているかとなると、かなり心もとない感じがします。

 それでも、勉強になったことを、一つ、二つ。

 一つめは、今、フロイトさんを読む意義。

 藤山さんは、精神分析を学ぶには、フロイトさんを読んで、フロイトさんと語り合うことが大切だ、といいます。

 フロイトさんの学説だけでなく、フロイトさんの迷いや不安を体感することから精神分析に近づくことができるのではないか、と述べます。

 藤山さんのような大家でも、何度も何度も読み返すそうですから、初学者のじーじなどはさらに読み込まなければなりません。

 二つめは、精神分析の面接の特異性。

 精神分析では、普通の心理療法と違って、親しい人間関係を目指すのではなく、あくまでも両者の間に起こる転移関係を「生きる」ことが大切、といいます。

 親しさを優先しない点で、精神分析は対面法の心理療法と大きく異なった技法のように感じられます。

 改めて、両者の違いに気づかされるとともに、より良き精神分析的心理療法の形を考えていく必要があるな、と考えさせられました。

 討論では、率直な藤山さんとあくまでも学術的な松木さんの好対照な姿勢が印象に残りました。

 しかし、お二人とも、個人開業の中で苦労しながらも精神分析を深められてきた先達であり、共通点も数多く、また、仲の良さや信頼しあっている様子がうかがわれて、本を読んでいてもとても心地よい雰囲気を感じることができました。

 いい本を再読できて、有意義なひとときを過ごしました。    (2018 記)

 

コメント